2015年3月アーカイブ

今週はどんな週?

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いよいよ3月31日、2014年度最終日ですね。
キリスト教の暦でも今週が大きな節目にあたります。今は受難節(レント)ですが、4月5日(日)に復活祭(イースター)を迎えて復活節にかわります。そんなわけで、今週は受難節(レント)の中でも特別な受難週という最終週にあたります。さらに4月3日の金曜日は受難日といいます。イエス・キリストが十字架のうえで死をとげ、墓に葬られたことを記念する日です。
このイエスの犠牲があったからこそ私たちは救われ、それを信じた人たちが宣教したからこそ、本学がうまれたのです。

本学のルーツはキリスト教です。明日からむかえる2015年度もこのブログを通して、キリスト教センターの活動、キリスト教についてなどをつづっていきたいと思います。

桜と麥粒125号

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麥粒NO.125  2015springの気になる内容はこのようになっています。

・「タレントを見つける大学生活」 増田喜治(リハビリテーション学部教授)
・「教会と私」 國井義郎(法学部講師)
・「どんなときでも」 佐藤真史(日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオ 教団派遣専従者)
・「ボランティアのすすめ」 渋山照夫(学生支援センター課長)
・「新入生の皆さんへ」

「新入生の皆さんへ」とあるのは、本学の建学の精神「敬神愛人」について、創設者クライン博士について、そしてチャペル行事のご案内などが載っています。
ぜひお手に取ってご一読ください。

ところで名古屋キャンパス周辺は桜が見ごろになりました。
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4月1日の入学式は満開の桜でむかえられそうです。

麥粒No.125完成!!!

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麥粒No.125 2015 spring が完成しました!

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表紙の写真は創立50周年記念棟 希(のぞみ)館です。
内容についてはまた次回詳しくご紹介します。

東北のお土産

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すでに先週のことですが...
2015年3月18日、仙台で開催された第3回国連防災世界会議のパブリックフォーラム「『復興支援インターン』に関するシンポジウム」(主催:復興大学災害ボランティアステーション、共催:復興庁宮城復興局)で発表する本学の学生さんの引率でいかれた先生からお土産をいただきました。
長い説明になりましたが、こちらがお土産の柏屋薄皮小饅頭です。

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一口大で食べやすくていくつでもいけてしまいます。
こしあん と つぶあん があるようです。これはこしあんでした。
ごちそうさまでした。

復興支援インターンに参加した学生さんの活動、東北の方々のことを覚えて。

今日の桜

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昨日は瀬戸キャンパスの桜のつぼみでしたが、本日は名古屋キャンパス(の隣の白鳥公園)の桜です。

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まだほとんどがつぼみですが、しだれ桜のほうは...

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1本だけ五分咲きです!

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これからが楽しみですねー。
ゆっくりと開花して入学式まで見ごろだといいですね。

瀬戸キャンパスチャペルの見学がありました。

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社会福祉法人 くわの実福祉会かいこ様が瀬戸キャンパスチャペルに今年度も6月、10月、12月とご訪問くださいました。
水曜日グループ、木曜日グループのお散歩グループ約10名ずつが、指導員の先生3~4名の引率で来学されました。パイプオルガンの演奏を聴き、聖書のお話しを聞き希望者はパイプオルガンに触れていただいています。毎回13:15~14:10まで約1時間の滞在です。
12月はクリスマスが近いので、学生有志が演奏して歓迎してくれました。高見先生がクリスマスのお話をしてくださり、それに合わせてクリスマスの讃美歌や身近なクリスマスソングをパイプオルガンで演奏しました。

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チャペル周辺の桜のつぼみの様子や開き始めたチャペル横のモクレンです。

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昨年の桜は野鳥につぼみをたくさん食べられてしまったようで、満開がかなわず残念な開花でしたが、本日までのところ、とてもいい感じで膨らんでいるので撮影してみました。

瀬戸オルガニストより

見学

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先日の卒業証書授与式の後、チャペルのドアを解放していたところ、次から次へと見学される保護者の方、記念写真を撮る卒業生の方がすいこまれていらっしゃいました。
晴れやかな卒業生の皆さんの姿を見てとても嬉しい日でした。
そうそう、本学卒業生の方はこのチャペルで結婚式ができますので、学生時代の思い出のチャペルで挙式をと思われたらまたここへお越しください。

牧師の服装どどんと紹介

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明日はいよいよ卒業証書授与式ですね。
式は礼拝形式で行われます。そこで祈る髙見先生の服装は、きっと豆粒大にしか見えないと思いますので、この機会にご紹介したいと思います。

牧師のガウン(黒)

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ガウンのうえからストール(白)をかけます。

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ストールの刺繍アップ

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いかがでしたか?
牧師の正装、こんなかんじです。

卒業される皆さん、またご家族、関係者の皆さんの上に豊かな祝福がありますように。

今日も花

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昨日に続いて今日も花の写真です。
いやー、モーセの出エジプト記ではカエルや虫や...やはり花を見るのとは大違いのものばかりでしたからねー。
名古屋キャンパスチャペル入り口の花壇はパンジーが満開です。

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寒い冬の間もけなげに咲いていたんですが、春になって鮮やかさが増したように感じます。

 

赤紫の庭

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今、名古屋キャンパスチャペルの庭は赤紫に染まっています。

満開の馬酔木(あせび)の花。

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クリスマスローズの花。

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ちなみにこの時期に咲くクリスマスローズをレンテンローズと呼ぶそうですよ。もちろんレント(受難節)に咲くからです。受難を示す色、紫色の花はこの時期にぴったりですね。

麥粒No.124完成しました。

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麥粒No.124  2015winterが完成しました!!!

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内容は
・自分の家に帰りなさい  馬場詩織先生(日本基督教団名古屋東教会牧師)
・感謝について  P.R.モロウ先生(本学外国語学部教授)
・「みんなで生きる」~人々のいのちと向き合って 大江浩先生(日本キリスト教海外医療協力会<JOCS>事務局長)
・内なる時計の刻み 大石邦弘先生(本学経済学部長)

2014年度のチャペルアワー、カレッジアワーでの奨励を収録しております。
もうすぐNo.125もお披露目できそうです。お楽しみに!

本当の子羊って?

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イエス・キリストが十字架にかけられたのが過越祭の時ということを前回お伝えしましたが、これこそ今回のブログの本題なのです。
過越祭では子羊の犠牲によって災いを逃れました。
イエスの十字架での死、犠牲によって、私たちの罪をあがなわれました
ということで、「過越祭にささげられた子羊=イエス」ということができるのです(コリントの信徒への手紙一 5章7節参照)。

そしてこれがイエスの示した神から人への愛なのです。
本学の建学の精神、「敬神愛人」の基には、独り子を十字架にかけてまで人間を愛する、神が示した愛があるのです。

今はレント(受難節)です。レントはイエス・キリストの十字架の苦しみを思い起こして過ごす期間です。どうかそのことを今一度覚えて過ごしましょう。

超有名な絵は過越祭の場面だった!

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過越祭があの有名な絵に云々と引き伸ばして前回のブログは終了していました。
では、あの有名な絵とはなんでしょうか?

答えはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」です。
イエス・キリストが捕まって十字架にかけられる前日、文字通り最後の晩餐の場面です。聖書にはこれが過越祭一日目(ユダヤ教の暦で15日)の食事だったと記されています(マルコによる福音書14章12節他)。つまり、「最後の晩餐=過越祭」なんです!翌日にはイエスは十字架で死をとげ、3日後の日曜日に復活するわけですから、過越祭とイースターの日程が重なるんですよ。
クリスマスは聖書に何月何日などとは書かれていませんが、イエスが十字架にかけられた日は過越祭のおかげで特定できるわけです。ちなみにユダヤ教の暦が太陰暦なのでイースターも毎年日程が変動するんです。キリスト教のルーツがユダヤ教にあることがあらためて感じられますね。

さて、次回は過越祭にもうちょっと踏み込んでいきたいと思います。

さて、モーセの出エジプト記、この時期にご紹介したのはわけがあります。
モーセの出エジプト記18で最後の災いがありました。初子の死は鴨居などに子羊の血を塗ったヘブライ人の家には起きませんでした。災いがその家を"過越して"いったところから、この日を"過越祭(すぎこしのまつり)"として主にユダヤ教で祝われています。ユダヤ教の暦(太陰暦)で春の正月にあたる月の10日~21日に行われるのですが、実は普通の暦では3月末~4月初め、ちょうどこれからなのです。

ちなみに過越祭の内容は
10日、この年に生まれた牡の子羊を選ぶ。
14日、子羊を屠り、血を入り口の柱と鴨居に塗る。
15日、肉を丸焼きにして、酵母を入れずに作ったパン、苦菜といっしょに食べる。
    残した肉は朝までに焼き尽くす。
15~21日 酵母を入れずに作ったパンを食べる。酵母を入れたパンは食べてはいけない。
(※ユダヤ教では日没から1日が始まります)

実はこの過越祭があの有名な絵につながっていくのですが...うーん、また長くなりそうなので続きはまた明日、お楽しみに!

パンが降ってくる

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昨日の雪のことでも書こうと思っていたんですがそれより先に、お弁当にご飯をつめ忘れました!
お昼に「さあ食べよ」とフタをあけて、半分からっぽのお弁当を見た衝撃といったら...!!!雪のことなんて遠く彼方にいってしまいました。自分にがっくりきちゃいます。自分のミスが自分にふりかかっただけだから良かった。もうご飯を忘れないようにしよう、といって今度はおかずを詰め忘れたりして...。余裕をもって準備すればよかったのに、それもこれも今朝は寒くてなかなか布団から出られなくて、なんたって雪が降るぐらいですから。そう雪!!雪のことで書きたいことがあったんでした。
それで雪なんですが、出エジプト記では雪に似た「マナ」というナゾの食べ物が出てきます。エジプトから脱出したものの、荒れ野で飢えたヘブライ人のために天から降ってきたパンのよなものです。露が蒸発した後にできる白くて蜜入りウエハースの味の霜のようなもの、らしいです。
ちなみにマナというのはヘブライ語で「これは何だろう?」という意味の言葉です。どんな食べ物だったかは現物がないのでナゾの食べ物のままです。マナ、私たちにとっても「これは何だろう?」ですね。白くて甘くて...そういえばお米も白くて炊き立ては甘くて...ああなんでご飯忘れたんだろう...(最初に戻る)

モーセの出エジプト記20(最終回)

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20.
前は海にふさがれ、後ろからはエジプト軍。
追い込まれたヘブライ人たちは「私たちを連れだしたのはこんなところでエジプト軍に殺させるためだったのか」とモーセをせめたてました。
モーセは答えました。
「恐れることはありません。今から神の救いを見ることになります。おう二度とエジプト軍を目にすることはありません。神が私たちのために戦ってくださるのです。」
雲の柱がエジプト軍との間にたち、エジプト軍は近づくことができません。

そして、モーセが海に向かって手をさすと、強い風が吹き、なんと海が2つに割れたのです。水が右と左に壁のようになり道ができました。ヘブライ人たちはその道を渡っていきました。

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追っていたエジプト軍も続いてきましたが、モーセが手を再び海に向けると、わかれていた水が戻り、エジプト軍は海の中へ消えました。

こうしてモーセたちはエジプトから脱出したのです。

終わり

長かったモーセの出エジプト記、今回で一応最終回になります。まだまだこの後も約束の土地(カナンという場所、現在のイスラエル)到着まで色々あって40年かかりますが...ひとまずここで一区切りです。

 

前回までの復習はこちらから→モーセの出エジプト記1 モーセの出エジプト記2 モーセの出エジプト記3 モーセの出エジプト記4  モーセの出エジプト記5 モーセの出エジプト記6 モーセの出エジプト記7 モーセの出エジプト記8 モーセの出エジプト記9 モーセの出エジプト記10 モーセの出エジプト記11 モーセの出エジプト記12 モーセの出エジプト記13 モーセの出エジプト記14 モーセの出エジプト記15 モーセの出エジプト記16 モーセの出エジプト記17 モーセの出エジプト記18  モーセの出エジプト記19

モーセの出エジプト記19

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19.
ヘブライ人たちはとうとうエジプトを旅立ちました。
昼は雲の柱、夜は火の柱が彼らを導きました。

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夜も明るいため、昼も夜も彼らは休むことなく進みつづけ、海の前で宿営することになりました。

その頃、ヘブライ人を連れ戻そうとファラオがエジプト軍をつれて追いかけてきていました。
前には海、後ろにはエジプト軍、なんとヘブライ人たちは絶体絶命の状況に追い詰められていたのです。

続く

 

前回までの復習はこちらから→モーセの出エジプト記1 モーセの出エジプト記2 モーセの出エジプト記3 モーセの出エジプト記4  モーセの出エジプト記5 モーセの出エジプト記6 モーセの出エジプト記7 モーセの出エジプト記8 モーセの出エジプト記9 モーセの出エジプト記10 モーセの出エジプト記11 モーセの出エジプト記12 モーセの出エジプト記13 モーセの出エジプト記14 モーセの出エジプト記15 モーセの出エジプト記16 モーセの出エジプト記17 モーセの出エジプト記18

モーセの出エジプト記18

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18.
神様の言葉がモーセに届きました。
真夜中頃、エジプト中の初子(夫婦の間にできた初めての子)の命を取り去るというのです。人、家畜、全ての初子です。
その際に、鴨居と入り口の柱に子羊の血を塗った家は過ぎ越していくと言われました。

ヘブライ人はいわれた通り、子羊の血をヒソプの枝で鴨居と入り口の柱に塗りました。

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そして真夜中になりました。
ファラオの子もふくめエジプト中の初子が死に、国中に悲しみの叫びがあがりました。

すぐにファラオはモーセとアロンを呼び出しました。
「出ていくがいい。ヘブライ人を解放する。」
とうとうファラオが認めたのです。

神を恐れたエジプト人から追い立てられるように出発しました。
実に430年ぶりにエジプトから解放されました。その人数は成人男子だけで60万人にもなりました。

ところが、ファラオをはじめエジプトの家臣たちは、奴隷として働かせていたたくさんのヘブライ人がいなくなると、気が変わりました。
もういちど連れ戻そうと動き始めたのです。

 

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モーセの出エジプト記17

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17.
モーセが天に手をやると、エジプトが3日間暗闇におおわれました。
人々はお互いに見ることもできず、動くこともできませんでした。

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ファラオがモーセとアロンを呼び出しました。
「ヘブライ人は解放しよう。ただし家畜は置いていけ。」
モーセは家畜も全て連れて行くと言いました。
ファラオは前言を撤回してヘブライ人を解放しませんでした。
「二度と私の前に姿を見せるな。今度会ったら生かしてはおかない。」
そうファラオが言うと、モーセも二度と会わないと答えました。

続く

いよいよ次回は最後の災いが起こるのです。
物語の一番有名な部分に突入していきますよ!お楽しみに!!

 

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モーセの出エジプト記16

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16.
モーセとアロンはまたファラオに会い、神の言葉を伝えました。
「いつまでヘブライ人を解放しないつもりか。もし拒み続けるなら、明日、今まで見たことのない、いなごの大群を送ります。いなごは雹の被害を逃れた作物を食い荒らして、木も食い尽くします。」
2人が帰ると、家臣がファラオにこう提案しました。
「早く彼らを解放してはいかがですか。このままではエジプトが滅んでしまいます。」
ファラオはモーセとアロンを呼びもどしました。
「あなたたちを解放しよう。誰を連れていくのか。」
「老若男女、家畜も含めて全員でエジプトを出ます。」
「よろしい。わたしがお前たちを解放する時は神に守ってもらえばいい。お前たちの行く先には災いがあることを覚えておけ。いや、解放してやってもいいが男だけだ。」
ファラオは2人を追い出しました。

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神はまる一昼夜、東風を吹かせ、朝になると風に乗っていなごの大群がおしよせました。緑のものは食べつくされ残りませんでした。

ファラオは急いでモーセとアロンを呼びました。
「どうかもう一度だけ間違いをゆるして欲しい。こんな死に方はしたくない。」
モーセが帰ってから祈ると強い西風が吹いていなごを追い出しました。
しかし今度もファラオはヘブライ人を解放しませんでした。

 

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80歳からの仕事

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神様から命令されて、エジプトの王様と対峙していくモーセですが、年齢は聖書によりますと80歳からだったようです(出エジプト記7章7節に記載されています)。

モーセはもともと、しゅうとが飼っている羊を管理する仕事をしていました。今風にいえばもう引退して老後を送りたいと考えていたころかもしれません。そんな老人のモーセに、神様は新しい仕事をお与えになったのでした。出来たらやりたくないとその仕事を断ったようですが、どうしても担わなければならなくなったのです。この、モーセの力強い80歳からの生きざまを知るとき、神様から同じく生を与えられた人間として、いくつになっても神様のご用に「うん」といえる自分でありたいと思います。さて、モーセの話は続きます。

トナリの上司(仮名)

モーセの出エジプト記15

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3月に入りました!
日差しに反して寒い日ですから暖かくしてすごしましょう。

15.
モーセはファラオに会い、神からいわれたことを伝えました。
「ヘブライ人を解放しなさい。今度こそあなたを含め、エジプト人に大きな災いをくだします。私が神であることをわからせよう。実際にエジプト人を全員絶やすこともできたけれど、あなたを生かしておいた。あなたはまだおごり高ぶって、ヘブライ人を解放しないので、明日の今ぐらいの時間から経験したことのないほどの雹(ひょう)を降らせる。だから今、野原にいる家畜は避難させなさい。放っておけば雹に打たれて死ぬだろう。」
ファラオの家臣の中で、神を信じた人は家畜を避難させました。
でも信じなかった人は家畜を放っておきました。

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モーセが杖を天にむけると、稲妻がはしり、雹が大量に降り始めました。
人も家畜も野の草も木も、すべて雹に打たれました。
しかしヘブライ人の住む地域には降りませんでした。

ファラオはモーセとアロンを呼んで頼みました。
「今度ばかりは私が悪かった。ヘブライ人を解放するから、雹や雷を止めてくれ。」
「わかりました。でもあなたも家臣もまだ神の言うことをきかないつもりだと私は知っています。」
モーセが祈ると、雹も雷もやみました。
やはりファラオはまたしても約束をやぶりました。

続く

 

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