「キリスト教 聖書」と一致するもの

おすすめ本

秋学期のカレッジアワーは、学生時代に読んで人生を変えた本、最近読んだ本でぜひ推薦したい本がテーマです。

ということで、本好きにはお得なカレッジアワーとなっています。

先週のカレッジアワーで紹介された本

 

セーレン・キェルケゴール著『死に至る病』

有名な哲学書です。図書館に入ってました。しかも漫画版もあるようです。読みやすそう!

気になる本です。皆さまの感想を読んでいても、心に響いていたようすがみえました。

 

本屋や図書館で自分から決して手にとることがないジャンルの本と出会えるってなかなかないですよね。しかも、その本が、人生を変えるぐらい力のある本なら、なおさら知りたいし、読みたくなります。

食わず(読まず)嫌いをしていた系統の本、ちょっと手を出そうかな?と思えます。

 

あ、もちろんキリスト教センター1番のお勧めは聖書です。一応書いておかないとね。一日1章読むと3年間、3~4章読むとおよそ一年間で読み終われるらしいですよ。うーん、長いなぁ。

 

それはそれとして、明日10月11日(木)12:40分から名古屋キャンパスチャペルにてカレッジアワーです。ご出席、お待ちしています。

10月の最初の日曜日は・・・

突然クイズ!

チャペルアワーやカレッジアワーで歌う10月の讃美歌、どんな曲でしょう?

 

答えは561番「平和を求めて」です。

「平和を求める人を祝してください。和解の日を与えてください。」

そんな内容の平和を求める祈りの曲です。

 

プロテスタント系の教会では10月最初の日曜日を「世界聖餐(せいさん)日」と呼んで、特別な礼拝をもちます。

これは、1946年に、世界基督教連合会の呼びかけによって始められました。第二次世界大戦の深い傷跡の後、世界中の教会が聖餐をとおしてキリストにある交わりを確かめ、全教会の一致を求めて制定された日です。

考えが違う、立場が違う、価値観が違う相手と、1つの考え、1つの価値観に100%一致させようとするのではなく、違いを認めつつ、教会を超えて、教派を超えて、国を超えて、キリスト教を通じて繋がりあおう、隣人として歩んでいこう。そういう日です。

 

そうそう、聖餐(せいさん)は、キリスト教の大切な儀式です。

キリストの体に見立てたパンを食べ、キリストの血に見立てたブドウ酒を飲み、十字架にかかったイエスの苦しみと復活を記念するというものです。

これは聖書の、イエスが捕えられる直前の夕飯(晩餐)の場面に出てくる儀式なんです。そう、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の基になっている聖書箇所です。

 

そんなことも頭の片隅に置きつつ、良い週末をお過ごしください。

あっ!!週明けの月曜日は名古屋キャンパスのオルガンアワーでお会いしましょう!!!

お届けものです。

名古屋学院大学から皆さまへのお届けもの。

それは、チャペルアワー、カレッジアワーでのキリスト教との触れあいの時間です。

 

アイディアを求められる、意見を求められる、判断を迫られる、そういう事が一年一年経つにつれてどんどん増えてくると思います。

アイディアや考えというのは、インプットしてある情報がなけば浮かばないことだと思います。アイディアや考えは、何にもないところに降って沸くものではなくて、学ぶこと、色々な経験によって培われる、豊かな土壌に芽生えるものだと思います。その豊かな土壌をはぐくむのが大学です。

名古屋学院大学はキリスト教精神に基づいた教育を行う大学です。

「キリスト教の教育」ではなく、「キリスト教による人間教育」です。そのための基本が、チャペルアワー、カレッジアワーです。

ぜひ足を運んでください。

 

金曜日は瀬戸キャンパスでのチャペルアワー(13:00~13:30)です。

5日の聖書箇所はルカによる福音書19章1~10節

奨励題は・・・

todokemono.jpg「届け物、受け取った?」です。

 

・・・前半との落差のある、ゆるーい奨励題イメージ画をお届けしました。

 

奨励をしてくださるのは、とってもアツイ先生です!!!お楽しみに!!!

ひゃく!!!

ななななんと、このブログ、今回で100個目の記事となりますっ!!!

 

多けりゃいいってものでもないですが、キリのいい数字って、めでたい気分になります。新しい桁に突入したところで、また新しい気持ちで更新していきたいと思います。

 

そんな100回目の更新は「祈り」について。

キリスト教では祈りの最後に「アーメン」という言葉を唱えます。ギリシャ語で「本当にその通りだと思います」という意味です。

祈りが「その通り!そうなって欲しい!」という内容だった時、アーメンと一緒に唱えることによって同意する、あなたも一緒に祈る、そういう言葉です。(教派によっては、お祈りの途中でも、合いの手を入れるかのごとく、思った瞬間にみんなが自由にアーメンを唱えることもあります。)

 

「お祈り」って決まりごとがあるの?と質問されることがあります。

お祈りに形式はありません。聖書にはこんな言葉があります。

 

『だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。』

日本聖書協会『新共同訳約聖書』マタイによる福音書6章6節~8節

一生懸命祈ろうとした末に「祈れませんアーメン」と言った人がいる。という話を先生から聞いたことがあります。「それでも立派なお祈りです」とおっしゃっていました。

善いこと言わなきゃとか、変なこと言いたくない・・・・・・なんて他人の目を気にすることなく、素直に自分の中の祈りたいこと、祈りたい気持ちと向き合う時間だと思います。すごく善い、立派な事を言っても、上っ面だけだったら無意味だということです。本当に祈りたいことはなんだろう?と真剣に向き合った時、言葉になってもならなくても、それが祈りだと思います。

 

硬い話ばっかりもなんなので。

両親ともにクリスチャンの姪がいます。彼女は毎晩寝る前にお祈りをしています。

彼女のお祈りは

「神さま、きょうも一日ありがとうございました。きょうは、公園へいきました。アーメン」 

と、「神さま、きょうも一日ありがとうございました」までは毎回一緒で「きょうは〇〇しました」という一日の報告をするという形式です。

 

さて、我が家では1月1日、新年の朝食前に家族で一言ずつ祈る習慣がありまして・・・案の定

「神さま、きょうも一日ありがとうございました」から始まりました。

 

朝食も食べずに我が家の2012年1月1日は終わった・・・。

 

ちなみに、その後の祈りで一日の報告をしようにも、まだ何もしていないため言うことがなく困ってモジモジしていました。物凄くいいお祈りだった!!!モジモジしている時に、彼女は新年に祈りたいことに向き合えたんですから。あんまりにもモジモジしているのが可愛いかったので、大人達がしばらくモジモジしているのを見て楽しんでいたのは内緒です。

 

そんな訳で、週明け10/1(月)の名古屋キャンパスのオルガンアワーでは「祈り」をテーマにプログラムを組みます。

それでは良い週末をお過ごしください!!!

世界の最初の一週間7日目

ようやくきました!!!

聖書の天地創造物語の最終日、7日目です!!!終わりが見えてテンションが上がりました。

 

ここで1週間をふりかえってみると・・・

 

1日目:光

2日目:天(空)

3日目:海と地

4日目:太陽と月

5日目:魚と鳥

6日目:動物と人間

 

さてはて、7日目に創造されたのはいったいなんでしょう?

 

 『第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。』

日本聖書協会『新共同訳約聖書』創世記2章2~3節

 

お馴染みイメージ画・・・・

 

 第七の日イメージ画

sozo7.jpg

 

・・・休んでいる神様の姿は皆さまのソウゾウにお任せします。

 

日曜日が安息日のような気がしますが、日曜日は主イエス・キリストの復活した日ということで、主日(しゅじつ)と呼んで礼拝をするんですねー。欧米のカレンダーが日曜で始まりで土曜日で終わっているのは、週の初めに主の復活を記念して、一週間の最後の土曜日は安息日だからという話を小耳に挟んだことがあります。

キリスト教は「安息日」に安息することはありませんが、ユダヤ教では厳格に安息しているようです。

安息日には安息しなければいけないので、一切仕事をしてはいけないということになっています。お店はもちろん休みになりますし、歩いていい歩数も制限されるんです。火を使うことも仕事になるので、ガソリンを燃やす車であったり、電化製品のスイッチを入れることも仕事になってしまうんですよ!

なので電化製品は安息日モードがあり、スイッチを操作しないでいいようにタイマー設定で自動で動くとか、エレベーターなどは各階で止まっていくなど、安息したままでも快適に過ごせるように色々と抜け道(?)が発展しているそうです。

 

宗教を知っておくということは、その宗教を信じている人たちの文化を知るっていうことでもあるんですね。

66分の1

聖書を開けて一番はじめにあるのは「創世記(そうせいき)」という文書です。

聖書ってなんだか「難しいー」と思いがちですが、どっかで聞いたことあるような話があります。読むと「アレってここからきてたの!!?」なんてこともあるかも。

 

旧約聖書というのはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教とほぼ共通の内容です。

日本ではあまり馴染みのない宗教ですが、世界に目を向ければ、キリスト教33.0%ユダヤ教0.2%イスラム教20.1%、合計で53.3%(ブルタニカ国際年鑑2005年版より)なんと2人に1人がこの旧約聖書に目を通していることになります!!!

特にこの創世記は有名どころがいっぱい詰まっています。

 

創世記

・天地創造:世界の始まりの話。進化論とキリスト教のつながりでよく提示される箇所。

・エデンの園:楽園、アダムとエバが罪を犯して追放される。失楽園や楽園喪失の語源?

        アダムとエバ(イブ):最初の人類。

        善悪の知識の実(蛇の誘惑):よくリンゴだと思われている。食べてはいけないと言われていたのに、蛇にそそのかされて食べてしまった。

・カインとアベル:アダムとエバの子ども。人類初の殺人の加害者と被害者。

・ノアの箱舟:神が乱れた世界をつくりなおそうとしたとき、唯一神を信じて箱舟を作り、動物たちと大洪水から生き残ったノアの話。瀬戸キャンパスのステンドグラスの基になっている話→瀬戸のチャペル3

・バベルの塔:天につくほど高い塔をたようとした人間に対して、神が言葉を混乱させた話(多言語の発生)

・アブラハム:信仰の父と呼ばれる。ユダヤ人の祖(イスラム教ではアラブ人の祖でもある)アメリカのエイブラハム・リンカーン大統領の「エイブラハム」はアブラハムからつけられている。

・ソドムとゴモラ:堕落した生活を続け、神によって滅ぼされた町。

・イサクの物語:アブラハムの息子でヤコブの父。

・ヤコブの物語:イサクの息子。自分の子孫が偉大な民族になるという神の約束をうけた。雲の隙間から差し込む日差しを天国に上る階段としてヤコブの梯子というようになったのもここの話から。

・ヨセフの物語:ヤコブの息子。天動説を主張するひとつの基になっていたエピソードが入っている。

 

ざっと非常に大雑把に創世記の内容をご紹介しましたが、もっとギッシリ詰まっています。みなさまがご存知の 文学、絵画、彫刻、映画、音楽、漫画やアニメなどに題材として使われているものはありましたか~?

聖書を比べる。

ふと思いついてキリスト教センターにある聖書を集合させてみました。

 

book.jpg

ドーン!!

なんだか凄い重量でした。特に右の濃緑の聖書。A4サイズで厚さ10cmちょっと。チャペルの講壇に据え置いて使うタイプのものです。これを毎日持ち歩いたら筋肉つきますが、骨格が歪みそう、携帯にはまったくもって不向きです(携帯するなら文庫本サイズなど軽めのものがお勧めです)

 

大きさや装丁違いの他に、

辞書、対訳つきなどオプションの違い

言語の違い

翻訳の違い

等など・・・ひとくちに聖書と言っても内容ばかりじゃなく用途によって何種類もあるんですね~。

 

プロテスタント系の教会で聖書は"教会の拠るべき唯一の正典"とされています。

"聖書に基づいたことであるか"が一番大切であるということです。でも分厚くてどこから読んだものかわからない、とっつき難いという声をききます。というわけで、明日からそんな重要な聖書の非常に大雑把な概略をお届けしていきます。

それにしても聖書は心理的に重い(大切)なだけじゃなく、しっかりと肉体的に重いですー。

いずみ

ラストは泉(いずみ)館

 

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曙館と直結した体育館となっています。2階にメインアリーナ、1階に小体育館が2つとトレーニングルームがあり、曙館側から体育の授業やクラブ活動の様子を見ることができます。
また、留学生と交流したり、様々なイベントを催す「i-ラウンジ」もあります。

「泉」の由来は・・・

『命の泉はあなたにあり
あなたの光に、わたしたちは光を見る。』
(聖書:詩編36篇10節)

泉には天から水が注ぎ込まれ、それを生き物がなくてはならないものとして飲みます。それと同じように、なくてはならない神様の教え、御言葉を人は受けて成長します。

キリスト教主義である本学で、泉の水のようにたくさんの神様の御言葉を吸収して欲しい。そして美しい泉に人が集まるように、いつでもそこに憩うことのできる場所になって欲しいとの思いが込められています。

 

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ガラスが多く使われているので↑どことなく泉っぽいような・・・。

瀬戸のチャペル3

数日前の夕立の後、久しぶりに虹を見ました。

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いくつになってもテンションが上がります。

 

今回瀬戸キャンパスのチャペル特集3でご紹介するのは、この虹と深い関わりのあるステンドグラスについて。

なんとなんと、瀬戸のチャペルの前(西面)と後ろ(東面)の十字架型の窓にはステンドグラスがあるのです。ステンドグラスというとカトリックの教会のイメージがありますが、本学のようなプロテスタントでもステンドグラスはあるのです(絵柄などは異なります)

 

ステンドグラスを通した光は「虹」のようですよね。

CIMG0607.jpg虹はキリスト教にとって、とても重要な「神の契約」のシンボルなのです。箱舟で有名な、ノアの洪水物語に出てきます。

『わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」  更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。  すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 』日本聖書協会『新共同訳約聖書』創世記9章11~13節
 

ステンドグラスは虹の象徴として教会に取り入れられていきます。その中でただの綺麗な飾りではなく、「光の絵で見る(読む)聖書物語」として発展してきました。

 

前(西面)にあるステンドグラスは1989年度の卒業記念として、父母会から寄贈されたものです。『希望』という名がつけられ、旧約聖書のノアの洪水物語がテーマで作成されたものです。

CIMG0614m.jpgまさに虹のステンドグラスですね!

ステンドグラスに入っている文字↓はギリシャ語で『希望』という意味らしいです。


CIMG0614a.JPG

 

 

そして後ろの東面のステンドグラスは2000年12月に設置されたもので『希望II』と名がつけられています。西面のステンドグラスと対比して作られていて、新約聖書のイエス・キリストの愛をテーマにしているとのこと。
 

CIMG0615m.jpg

鳩、竪琴、犬、野の花、たまごのモチーフだと思うのですが・・・撮った写真を確認しているときに大発見をしました。

 

このステンドグラスのどこかに、なんと猫が描かれていたのです!!!

瀬戸のチャペルに行った際にはじっくりと猫を探してくださいね~。

瀬戸のチャペル2

瀬戸キャンパスのチャペルには青空がよく似合います。

 

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ね?そう思いませんか?

瀬戸キャンパスのチャペル特集2日目。今回はチャペルの建物について。

 

キリスト教主義大学である本学のシンボル、瀬戸キャンパスのチャペルは、創立20周年を記念して1983年に完成したものです。なんと、その優れた設計により、1984年度の「中部建築賞」を受賞しています。

 

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チャペルの入り口近くの壁に、中部建築賞を受賞した証しを発見。

中に入ると・・・

 

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↑が前で↓が後ろ。

 

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落ち着いた色調で、ホッとします。

 そして左右はガラス越しに瀬戸キャンパスの木々が見えます。 

 

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爽やかだ~。

チャペルに行った時はせっかくなので、ちょっと座って一休みしてみては?

ちなみに収容人数は250名なので、よほどの事でもない限り、ゆった~りと過ごせるはずです。

 

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椅子には聖書と讃美歌21が備え付けてあります。

興味があれば自由に開いてくださいね~。

 

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 まだまだご紹介したいことが沢山ある瀬戸のチャペル。

 次回は↓の写真に関わるものを掲載予定。何かわかりますか~?上のほうのチャペルの写真をよく見ればわかりますよね~?とってもキレイな・・・・・・・です!

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では、また明日!

ミッションスクール

本学のようなキリスト教主義の学校のことを「ミッションスクール」や「ミッション系」と表現する事があります。海外(主に欧米)キリスト教会の伝道局(ミッション)から派遣された宣教師たちが設立した学校であることが由来のようです。

 米国メソジスト派宣教師F.C.クライン博士が「敬神愛人」をかかげ、1887年に創立した愛知英和学校が名古屋学院大学の起源です。

1887年にアメリカから見知らぬ遠い国(日本)に来て、宣教をし、学校を建て・・・すごいですね・・・私、今から海外行って一から学校建てよう、なんて想像することすら挫けそうです・・・。何もないところから始まった学校が今や約5000名の学生さんが在籍する大学になっています。宣教師をはじめ多くの協力者が、キリスト教を知らない人に福音(良い知らせ)を伝えようと信仰を基にやってきたことが今に繋がっている。そう思います。

 

さて、8月3日(本日)東日本大震災支援ボランティアの事前学習に伴う出発礼拝が名古屋キャンパスチャペルでまもられます。礼拝の中で歌う讃美歌は520番「真実に清く生きたい」です。なんだか運命を感じます。

それというのも、この520番の歌詞はF.C.クライン博士と同じようにアメリカから日本に派遣された宣教師が、母親に手紙のかわりに送った詩なんです。 東日本大震災支援に向かう115名の学生さん、教職員がその讃美歌を歌って、出発に備えます。時代も状況も違うけれど、離れた地で奉仕することは共通していますね。

そういう意味で、本学にとって、ボランティアはとても大切な"ミッション"だと思います。

 

最後にひとつ、聖書の言葉を紹介します。

『たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。  たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。  全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。』
日本聖書協会『新共同訳約聖書』    コリントの信徒への手紙一 13章1節~3節

 

たくさんの交わりと学び、そして何よりもよい働きができるようお祈りしています。

祈るときには

[そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。...]
日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』    ルカによる福音書11章2節

 

天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

(1880年訳)

 

弟子に「祈りを教えてください」と求められたイエスが教えたのが『主の祈り』と呼ばれるお祈りです。

自由な形式で自由に祈りたいことを祈りたいように祈るキリスト教ですが、『主の祈り』はイエスが示されたお祈りです。どう祈ればいいのかわからない時に祈ることもあります。祈りの基本であり完成形でありオールマイティーなお祈りですね。

 

さて、明日(7月6日)の瀬戸キャンパスチャペルアワーの奨励題は「主の祈り」です。

聖書箇所はルカによる福音書11章1~4節

瀬戸キャンパスでのチャペルアワーは残り2回ですよ~。

探し物はなんですか~

ジャジャジャーン

CIMG0352.jpg

 

聖書です。

「マタイによる福音書6章30節」と言われてすぐにどこか見つけられる人、手ぇ~あげて♪

ハーイ!!!って手を挙げても見えない・・・(当たり前)ちなみに上記箇所は今月の聖書箇所です。

 

チャペルアワーの時に新約聖書△△ページ等とアナウンスがあっても、旧約聖書を開けているところを見かけます。中には探しても見つからずに諦めてしまったり・・・・ああぁ・・・・お待ちになって・・・・。

聖書は前から旧約聖書→新約聖書と配置されいてます。

どんな割合かといえば・・・・

CIMG0352a.jpg

 

うん~旧3:新1の割合ですかね?

 

旧約聖書はイエス・キリストが生まれる前、

新約聖書はイエス・キリストが生まれてからのことが書かれています。

 

さて、イエス・キリストが生まれる前を英語で書くと"Before Christ" 略してBC、つまり紀元前。

何気なく使っている西暦はキリスト教と非常に深いつながりがあるんですね~。

 

新約聖書は(新)△△、旧約聖書は(旧)▲▲とページ数が表記してあるので、落ち着いて見ればばっちり開けますよ~。

開くことを諦めたアナタ、次は諦めずにチャレンジしてください。

 

以上、パッと目的の聖書箇所を開こう初級編でした。

生き方を誰が決めるのか(明日の奨励題より)

6月になりスーツ姿の学生さんをちらほら見かけます。

大学はインターンシップや会社説明会など、学生さんの就職支援を行っています、ぜひ活用してくださいね(就職支援について詳しくはキャリアセンターへ!)

 

学生生活は「生き方」について考える機会が多いのではないでしょうか。

 

みなさんは名古屋学院大学に入る前に、どんな勉強をしに、どんな大学に入るかを考えましたよね。そして実際に入学してからは、どんな学びをし、卒業後はどんな道へ進むのかを考えていることと思います。

 

人生の節目ともいえる時期。いろいろな事を思い考える時には、不思議と自分の気持ちや考えをぴったりと表してくれる言葉との出会いがあります。

それは、先生、友だちや家族との会話であったり、授業の内容、たまたま読んだ本、なんとなく見たテレビからかもしれません。大学生活でたくさんの言葉との出会いをしてください。

 

明日、6月8日(金)13:00からの瀬戸チャペルアワーの予告です。

聖書箇所 マルコによる福音書13章32~37節

奨励題「生き方を誰が決めるのか」

 

キリスト教主義学校である名古屋学院大学ならではの聖書の言葉との出会いの場です。

どんな出会いがあるかお楽しみに。

SKA42

SEISHOを読む
KIKAIが
ARIMASU
42回

 


本学で実施しているチャペルアワーとカレッジアワーでは毎回お話を聞く前に聖書が読まれます。

春学期は名古屋キャンパスと瀬戸キャンパスでチャペルアワーが28回、カレッジアワーが名古屋キャンパスで14回あります。

 

つまり・・・聖書を読む機会が前期だけで42回あるのです。

 

世界文化の源流の一つともいえるキリスト教の聖典にいっぱい触れておくとこれから生きるうえできっと大きなチカラになるでしょう!

明日は名古屋キャンパスチャペルでカレッジアワーがあります。

12時40分~13時10分までです。

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