本学のようなキリスト教主義の学校のことを「ミッションスクール」や「ミッション系」と表現する事があります。海外(主に欧米)キリスト教会の伝道局(ミッション)から派遣された宣教師たちが設立した学校であることが由来のようです。
米国メソジスト派宣教師F.C.クライン博士が「敬神愛人」をかかげ、1887年に創立した愛知英和学校が名古屋学院大学の起源です。
1887年にアメリカから見知らぬ遠い国(日本)に来て、宣教をし、学校を建て・・・すごいですね・・・私、今から海外行って一から学校建てよう、なんて想像することすら挫けそうです・・・。何もないところから始まった学校が今や約5000名の学生さんが在籍する大学になっています。宣教師をはじめ多くの協力者が、キリスト教を知らない人に福音(良い知らせ)を伝えようと信仰を基にやってきたことが今に繋がっている。そう思います。
さて、8月3日(本日)東日本大震災支援ボランティアの事前学習に伴う出発礼拝が名古屋キャンパスチャペルでまもられます。礼拝の中で歌う讃美歌は520番「真実に清く生きたい」です。なんだか運命を感じます。
それというのも、この520番の歌詞はF.C.クライン博士と同じようにアメリカから日本に派遣された宣教師が、母親に手紙のかわりに送った詩なんです。 東日本大震災支援に向かう115名の学生さん、教職員がその讃美歌を歌って、出発に備えます。時代も状況も違うけれど、離れた地で奉仕することは共通していますね。
そういう意味で、本学にとって、ボランティアはとても大切な"ミッション"だと思います。
最後にひとつ、聖書の言葉を紹介します。
『たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。』
日本聖書協会『新共同訳約聖書』 コリントの信徒への手紙一 13章1節~3節
たくさんの交わりと学び、そして何よりもよい働きができるようお祈りしています。