「十字架」と一致するもの

「ある なし」クイズ! 九問目の答え合わせ

「ある なし」クイズ九問目の答え合わせです。
「ある なし」クイズ、解けましたか?
前回のクイズ

q109.jpg

「案内」はある? それとも なし?


答えは 続きを読む からご覧ください。


(伝道師じゃないほう)

暦を紹介 その9

キリスト教の暦(こよみ)を紹介していこうという企画、その9です。
前回までの復習ですが、キリスト教の暦(こよみ)はイエス・キリストの生涯を誕生のエピソードからたどっていくようにできていて、死と復活に関わる暦を紹介しています。
死と復活に関わる暦はこちら↓

1.  四旬節(受難節・レント)
・灰の水曜日
・受難週
(日曜日) 棕櫚の主日
(木曜日) 洗足木曜日
(金曜日) 受難日(聖金曜日)
2. 復活節
・復活日(イースター)
・昇天日

死ぬまでの四旬節(受難節・レント)と復活してから復活節の2つの季節があります。
今回は2. 復活節について。

復活節、イエス・キリストの復活を記念するお祝いの季節です。
金曜日に十字架で処刑され墓に葬られたイエスが、三日後の日曜日の朝に復活します。これが復活日、(復活祭・イースター)です。イースターエッグやイースターバニー、日本でも春になると街中で見かけますよね。テーマカラーは白。

イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決まっているので、毎年日付が変わってしまいます。早くて3月23日、遅いと4月25日になります。

さてさて、復活したイエス・キリストですが、40日目に弟子たちが見ている前で天に昇って姿が見えなくなります。そして天の使いたちが、「イエスはまたこの世に来る。」と告げるのです。ということでその日を昇天日として記念しています。
なので復活節には復活日(イースター)と昇天日という二つの記念日があります。

(伝道師じゃないほう)

キリ絵 de 大喜利 No.08

授業中の居眠りの仕方
「大学1年(春)」 → 「大学3年(秋)」

(※良い子は絶対に真似しないでね!)

懺悔するマグダラのマリア.jpg

恍惚のマグダラのマリア.jpg

1枚目 カラヴァッジョ『懺悔するマグダラのマリア』(1595頃)
2枚目 カラヴァッジョ『恍惚のマグダラのマリア』(1606)

マグダラのマリア」とは...
イエス・キリストに従った最も有名な女性の弟子の一人。彼女は、十字架につけられたイエスのそばで最期まで彼のことを見守り、また、イエスが死から甦ったときに最初に彼に出会った人物でもある。

暦を紹介 その8

前回までの復習としてキリスト教の暦(こよみ)はイエス・キリストの生涯を誕生のエピソードからたどっていくようにできていて、死と復活に関わる暦を紹介しています。
死と復活に関わる暦はこちら↓

1.  四旬節(受難節・レント)
・灰の水曜日
・受難週
(日曜日) 棕櫚の主日
(木曜日) 洗足木曜日
(金曜日) 受難日(聖金曜日)
2. 復活節
・復活日(イースター)
・昇天日

死ぬまでの四旬節(受難節・レント)と復活してから復活節の2つの季節があります。
今回は1. 四旬節の中の受難週の説明をさらっとしていきたいと思います。

受難週と書くと、なんだか不吉なことが起きそうな不運の続く週なのかと思われそうですが、ちがいます。イエス・キリストが十字架につけられ死に至ることを覚えて過ごす週です。詳しくは
受難週(聖週間)について学ぼう
をはじめ、「受難週」でブログ内検索していただくとあれこれ出てくるんでそちらをご覧いただいて。

日曜日に当時の中心地エルサレムという都に到着して、大歓迎を受けます。今でいうレッドカーペットを敷いてVIPをもてなすように、人々が上着や棕櫚(しゅろ)という植物の葉を道に敷いたので棕櫚の日曜日。イエスは高級車ではなく子ロバに乗って登場します。
それなのに金曜日には十字架に架けられて死刑にされるのですねー。

ということで、金曜日は受難日、聖金曜日と呼ばれています。イエスが十字架での死をとげ、墓に葬られたという大切な日です。日本的な感覚でいうと命日でしょうか。この日だけ特別にテーマカラーは赤!

近頃は受難週の土曜日を聖土曜日と呼ばれていることが増えています。それまでもあったけれど多用されていなかった言葉が気が付いたらごく当たり前に使われていたりしますからねー。また数年後には色々変わっていたりして・・・。

(伝道師じゃないほう)

暦を紹介 その7

キリスト教の暦(こよみ)を紹介していこうという企画、その7です。
さて、前回までの復習としてキリスト教の暦(こよみ)はイエス・キリストの生涯を誕生のエピソードからたどっていくようにできていて、死と復活に関わる暦を紹介しています。
死と復活に関わる暦はこちら↓

1.  四旬節(受難節・レント)
  ・灰の水曜日
  ・受難週
   (日曜日) 棕櫚の主日
   (木曜日) 洗足木曜日
   (金曜日) 受難日(聖金曜日)
2. 復活節
  ・復活日(イースター)
  ・昇天日

死ぬまでの四旬節(受難節・レント)と復活してから復活節の2つの季節があります。
今回は1. 四旬節について。
と、書いておいてなんなんですが、私としては四旬節より受難節かレントの方が呼び慣れているのですが・・・四旬節が主流になってきているようなので、それで今回は四旬節で紹介していきます。

四旬節、しじゅんせつと読みます。
四旬は40日という意味です。
復活日(イースター)の46日前からなんですが、日曜日を除くと40日前の水曜日(灰の水曜日)から復活日の前日(聖土曜日)の期間をさします。イエス・キリストの十字架の死(受難)をおもって過ごす悔い改めの季節です。日曜日を除くのはイエスが復活した曜日でイエスの復活を喜んで記念する日ということで除かれています。

大切なイエスの苦しみを思って過ごすということで、贅沢をしない、例えば肉を食べないとか、断食するとか、断酒するとか、パーティーの自粛が行われていました。昔は厳しく節制するものだったようですが、私の周辺の感覚でいうとクリスマスにツリー飾るかんじでお菓子やめるとか、勉強するとか、なんとなく節制してイエスの受難を思い起こしながら過ごす時期ってかんじです。
テーマカラーは紫色です。これ誕生に関わる暦の待降節(降誕前節、アドベント)と同じ色なんですねー。

そんな四旬節、いつからいつまでかの基準になる復活日が、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決まっているので、毎年日付が変わってしまいます。早くて3月23日、遅いと4月25日、一か月以上も復活日が移動するので四旬節も早くて2月4日、最も遅い場合は3月10日がスタートになります。その四旬節の初日を「灰の水曜日」と呼びます。長くなったので詳細は次回!

(伝道師じゃないほう)

暦を紹介 その6

キリスト教の暦(こよみ)を紹介していこうという企画、その6です。
さて、前回までの復習としてキリスト教の暦(こよみ)はイエス・キリストの生涯を誕生のエピソードからたどっていくようにできていて、誕生に関わる暦を紹介しおえたところです。
誕生前後に関わる暦の次は、ドラマなら幼少期→思春期→青年期になりそうですが、暦を見てみましょう。

koyomi003.jpg

あ、ちょっとだけ③の四旬節前という季節が入っていますが、なんというか①と②の間にある通常運転の時期のような・・・(なのであえて言わない場合もあり)。で、その小さな③を飛ばすと・・・②これは「死と復活の季節」

誕生の次はなんといきなり死。
いや、さすがに生まれてすぐ十字架にかけられて殺されたのではなく(あやうく殺されそうになることはあったけれど)、イエスは30歳ぐらいで宣教活動を始めて3年ほどで十字架にかけられたとされています。
なんだか細部まできっちりしたいと思うと宣教の時はなんでやんないの?という気にもなりそうですが、イエスの誕生をなぜ喜ぶのかというと、十字架の死と復活によって私たちを救ってくれる救世主が産まれたことを喜んでいるから。でもイエスを十字架の死に追いやったのは何か、そして殺されてしまうことを知りながら独り子イエスを地上に与えてくださった神様から私たちへの愛の大きさを誕生と死と復活をギュッとくっつけることで、よりくっきりと表現してくれているような気がします。

ということで次回はこの② 死と復活の季節の紹介を頑張りますよー。

(伝道師じゃないほう)

Happy Easter !!!

こんな時期に不謹慎なという気もどこかにはあるのですが、それでもあえて言わせてください、皆さまイースターおめでとうございます。
イースターはイエス・キリストが十字架の死から復活したことを記念するキリスト教の最も重要な祝日です。残酷な十字架刑でイエスの命が奪われた大きな悲しみや絶望が、復活によって大きな喜びへと変えられた日です。神さまはどれだけ絶望的な状況でも"その後"を用意してくださる方だという希望を告げるのがキリスト教の福音だからこそ、イースターの喜びを伝えたいと思います。
あらためてHappy Easter !!!

受難週(聖週間)について学ぼう

今週、キリスト教の暦では「受難週」という一週間を過ごしています。

「受難週」(「聖週間」とも呼ばれる)は、イエス・キリストが人々から見捨てられ、苦しみを受け、十字架につけられて殺され、墓に葬られる出来事に思いを向ける期間として過ごされます。

カトリック教会など、聖書日課(日毎に読むべき聖書の箇所が選ばれているもの)を用いる教派・教会では、今週は曜日ごとに以下のような内容が書かれた聖書の箇所が読まれます。イエスがどのような最期を遂げたのか、学んでみてください。


「受難の主日」(「枝の主日」「棕櫚の主日」とも)
※「主日」とは日曜日のことを言います。

イエスは、弟子たちとともに旅を続け、遂に目的地である「エルサレム」に到着した。イエスは、子ろばに乗ってエルサレムに入り、大勢の人々から迎え入れられた。

(参照:マタイによる福音書 21章1~11節)


「受難の月曜日」

エルサレムに近い「ベタニア」という地にやってきたイエス一行は、以前、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロの家に立ち寄った。夕食の際、ラザロの姉妹であるマリアは、イエスの足元に近づき、彼の足に高価なナルドの香油を塗り、自分の髪で彼の足をぬぐった。香油は、死者の遺体に塗ることもあり、彼女の行為は、間もなく訪れるイエスの死を暗示しているとされる。

(参照:ヨハネによる福音書 12章1~11節)


「受難の火曜日」

イエスは、弟子たちに対して、「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と告げ、弟子の一人であるイスカリオテのユダがその場から立ち去った。その後、弟子のペトロにも、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言い、彼の裏切りを予告した。

(参照:ヨハネによる福音書 13章21~33、36~38節)


「受難の水曜日」

イスカリオテのユダは、いわゆる「最後の晩餐」の前、イエスに敵意を抱く祭司長たちのもとに行き、イエスの身柄を引き渡す代わりに銀貨三十枚を受け取る約束をした。

(参照:マタイによる福音書 26章14~25節)


「聖木曜日」(「洗足木曜日」とも)

イエスは、弟子たちと食事をしている際、立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとった。そして、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い始めた。イエスは彼らにこう告げた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」

(参照:ヨハネによる福音書 13章1~15節)


「聖金曜日」

「最後の晩餐」のあと、イエスは弟子たちと一緒に外にでかけた。すると、イスカリオテのユダとともに武器などを携えた人々が現れ、彼は逮捕されてしまった。イエスは、尋問を受け、いわれのない理由で死刑に処せられることに。弟子たちに見捨てられたイエスは、一人、十字架を背負って「ゴルゴタ」という処刑場へと足を進め、人々に罵られながら、他の二人の犯罪人とともに十字架刑に処せられた。イエスが息を引き取った後、彼の亡骸は、数人の協力者たちによって墓の中に安置されることとなった。

(参照:ヨハネによる福音書 18章1節~19章42節)


「聖土曜日」(夕刻以降 ※キリスト教の暦では日暮れから新しい一日が始まる)

週の初めの日の明け方に、女性の弟子たちがイエスの墓を見に行くと、墓をふさぐ大きな石が取り去られており、彼女たちは、そこにいた白い長い衣を着た若者からこのような言葉を告げられた。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

(参照:マルコによる福音書 16章1~7節など)


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アンドレア・マンテーニャ 『キリストの磔刑』(1457-59)

白から緑へ

クリスマスシーズンは「白色」の講壇掛けを飾っていましたが、教会の暦に基づき、今週の月曜日より新しい期節を迎えたということで、「緑色」の講壇掛けに変わりました。

プルピット(緑)20190114.jpg

・・・え?緑に見えない?青に見える?

本当に「緑」だもん!疑うなら実際にチャペルに見に来て!

ちなみに、次に色が変わるのは、2月26日(水)の「灰の水曜日」からです。イエス・キリストが十字架刑に処せられるまでの日々を辿る「受難節」という期節に入るので、悔い改めや悲しみを表す「紫色」に変わります。

転ばないようにね、子ロバさん

今回は、人物ではなく 動物たち に注目してみたいと思います。

こちら。

ロバ01.jpg

ロバです。・・・ロバだよね? 馬じゃないもんね。はい、ロバです。

イエス・キリストの降誕の場面には、様々な動物たちが登場します。

すでにご紹介した通り、たとえば、「ラクダ」。東方の博士たちは、砂漠地帯を旅してきましたから、彼らの乗ってきたラクダが描かれていました。また、「羊」については、言わずもがな、羊飼いが連れてきたのでした(羊の群れをほったらかしにするわけにはいきませんからね)。

他に、降誕の場面で描かれることが多いのは、「ロバ」と「牛」です。
ただし、このクリッペ(お人形セット)には牛はいません(必ずしもそれらのモチーフを入れなければならないということではなさそうですね。)

キリスト教絵画において、ロバと牛という2頭の動物のモチーフは次のような意味を持っています。

【ロバ】 偶像崇拝の罪を負っている異教徒
【牛】 律法順守という束縛にとらわれているユダヤ人


そして、ロバと牛が見守っている赤ちゃんイエスこそ、彼らに表されている異教徒やユダヤ人たち、つまり非キリスト教徒のことを罪から救うお方なのだ、というわけです。これは、旧約聖書「イザヤ書」1章3節(「牛は飼い主を知り ろばは主人の飼い葉桶を知っている。」)という言葉の、古代のキリスト教指導者による解釈が基となっているそうです。

クリッペに登場しているロバを見てみると、背中に鞍といくつかの荷物を積んでいますね。このロバは、身重のマリアが乗ってきたのでしょう。妊婦さんが歩いて旅するのは大変でしょうからね。

ロバは更に、イエス・キリストが十字架につけられて殺される前、その舞台となるエルサレムという街に入城したときに乗っていた動物でもあります。そのため、キリスト教絵画の中でロバを見たとき、イエスの十字架と死を想起する人も少なくないだろうと思います。


十字架ってCool!

今日のチャペルアワーの告知です。

4月16日(火)13:00~13:30
@名古屋キャンパスしろとりチャペル

奨励題:「十字架ってCool!」
奨励者:草地大作(名古屋中央教会牧師)

※聖歌隊賛美あり

なんだか面白そうなタイトルですね!どんなお話か、気になるでしょ?

今日の13時~はぜひチャペルでお過ごしください!

チャペルアワーポスター20190415-18.jpg

受難節 と 3.11

先週の水曜日から、キリスト教の暦では「受難節」という期間に入りました。

受難節というのは、他にも教派によって「四旬節」や「大斎節」など様々な呼び方があるのですが、今回は「受難節」という名称を使っておこうと思います。

「イースター」(イエス・キリストが死から復活されたことをお祝いする日)までの40余日、教会では、イエスの苦しみと十字架上での死を覚えつつ、悔い改めの心をもって過ごしていくこととなります。

受難節の期間は「紫色」がテーマカラーとなります。「紫」というのは、キリスト教では、高貴な色であるとともに、"回心"や"悔い改め"を表す色としても理解されており、この時期には祭服や会堂の飾りなど様々なところに用いられます。本学のチャペルの講壇掛けも、ご覧のとおり「紫」に変えておきました。

紫の講壇かけ.jpg

無実であったイエスが十字架上で処刑されたのは、人間の心の弱さの象徴であった...。キリスト教という宗教が「十字架」というものをシンボルとして掲げているのは、イエスの死と復活を覚えるのと同時に、人間と言う存在がいかに小さく弱いかを表しているとも言えるのかもしれません。悔い改めの期間である「受難節」の日々を、自らを省みる時として過ごせますように。


ところで、今日は3月11日。2011年の今日、この日本を「東日本大震災」という未曽有の出来事が襲いました。今日で8年が経過したことになります。

地震によって引き起こされた津波は、東北の街を次々に飲み込んでいき、車や建物と共に、たくさんの尊い命をさらっていきました。

避難生活を余儀なくされている方々は、昨年よりも2万人以上減り、5万4000人と発表されています。けれどもこれは、自主避難者の人数を計算に含めないようになったからであり、正確な数字とは言えません。

原子力発電所の事故により、東北の地は放射能によって汚染され、人が住めない環境に変えられました。現在、避難生活者の人々を中心にして、国と電力会社を相手取り損害賠償を求めて集団訴訟が行われています。なお、放射線量が高い地域に住んでいた人々の半数は、もう故郷には戻らない(戻りたくても戻れない)と考えているそうです。

いよいよ来年に開催される予定の「東京オリンピック」。これは元々、承知の段階から「復興五輪」という大きなテーマを掲げ、世界に声高に呼びかけたはずでした。けれども、今となっては「復興五輪」という言葉を見聞きすることはほとんどなくなってしまいました。東北の復興とオリンピックの開催は、いつから別々のものとして考えられるようになってしまったんでしょうか。「東京オリンピック」とは、一体何のために開催されるのでしょうか...。

地震や津波は、人間の力ではどうすることもできません。
けれども、その後に起こった「原発事故」などの"人災"は、(上記の集団訴訟で判決が下されているように)あらかじめ予知できたはずです。また、あのような恐ろしい事故を起こしてしまったにもかかわらず、各地の原子力発電所は、何事もなかったかのように次々に再稼働されていっています(2018年度には新たに5基が再稼働され、現在9基が運転を再開しています)。

「東日本大震災」という出来事自体、時間の経過と、また毎年のように起こる各地の災害により、徐々に人々の記憶から忘れ去られようとしています。けれども、避難生活者の方々や、この先何十年何百年も収束することがないであろう放射能汚染、東北の復興を後回しにしている国の現状を想うとき、「東日本大震災」は、今も継続して起こり続けている出来事であると言わざるを得ません。

回心と悔い改めの期間である「受難節」、そして9回目の3.11を迎えている今日この日、いま一度、人間の力の弱さを自覚しつつ、本当に神さまの御目に適う生き方を目指して、歩みを進めていく決意を新たにしたいと願います。

私たち一人一人の心の目が開かれますように。
そして何よりも、被災された人々、避難生活をされている人々、復興や支援のために力を注いでおられる人々の平安を心からお祈りしております。

キリ絵 de 大喜利 No.04

手の中で 片栗粉 を混ぜてみま~す。


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『手を洗うピラト』(1624~1625年)
作者:ヤン・リーフェンス(Jan Lievens、1607年10月24日~1674年6月4日)

ヤン・リーフェンスは、17世紀に活躍したオランダの画家。12歳から早くも一人前の画家として活動し、その若き才能は多くの人々から評価されていました。かの有名なレンブラント・ファン・レインと同世代で、1626年から約5年間、レンブラントと共に工房を構えていましたが、二人は1631年に別れ、レンブラントはアムステルダムに、リーフェンスはイングランドにそれぞれ拠点を移しました。(ソース元:Wikipedia)

本作に描かれている「ピラト」(本名:ポンティウス・ピラトゥス)という人物は、紀元後1世紀のローマ帝国のユダヤ駐在の5代目代官(在任:26~36年)で、イエス・キリストの処刑に深く関与した人物として知られています。作中でピラトが手を洗っているのは、ユダヤ人たちによる"イエス処刑"の要求について、自分はもうこれ以上関与しないという意思表明のためであり、当然、片栗粉と水を混ぜてスライムを作ろうとしているわけではありません。


以下、本作の題材となった聖書箇所。

ところで、祭りの度に、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。時に、バラバ・イエスと言う名うての囚人がいた。ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアと言われるイエスか。」人々がイエスを引き渡したのは、妬みのためだと分かっていたからである。ピラトが裁判の席に着いているとき、その妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人に関わらないでください。その方のために私は今日、夢で非常に苦しみました。」しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。ピラトが、「では、メシアと言われているイエスのほうは、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったい、どんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは手の付けようがなく、かえって騒動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血は、我々と我々の子らの上にかかってもいい。」そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。(新約聖書 マタイによる福音書 27章15~26節)※聖書協会共同訳

続・イエスはなぜ泣いたのか!?

~前回までの内容~

・聖書の中で最も短い一節は「イエスは涙を流された。」(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)
・イエスにはラザロという知人がいたが、ある時、彼が病気であることがイエスに伝えられた。
・イエス一行がラザロのもとに到着したときには既に彼は亡くなって4日が経っていた。
・しかしイエスは出発する前からラザロが死んだことに気付いていた。
・このあとイエスは墓に眠るラザロを奇跡によって「復活」させる。
・でも人を甦らせる力があるなら、どうして「涙を流された」のか?

jesus_wept01.jpg

『Jesus Wept』(イエスは涙を流された)1886~1896年
作者:ジェームズ・ティソ
(本名:ジャック=ジョゼフ・ティソ、1836年10月15日~1902年8月8日、フランス)



さて、3回にわたってご紹介してきた聖書の言葉「「イエスは涙を流された」についてですが、今回で最終回にしたいと思います!笑
人を甦らせることができるにもかかわらず(にわかには信じがたい話ですが...)、なぜイエスはラザロの死を想って涙を流したのか? 皆さんはどう思われるでしょうか。


そのことを考える前に、主に二つのことを確認しておかなければいけません。

一つは、「人々は、イエスに関していろんなイメージを持ってきた」ということ。
イエスという人物については、彼が生きていた時から、人々の間で様々な見方がなされてきました。めちゃくちゃ頭が切れる"普通の人間"として見る人もいましたが、一方で、神的な力を持った"超人"「神の子」として見ている人たちもいました。そのようなイメージは、イエスの死後、イエスのことを直接知らない人々もいるコミュニティの間で膨張していき、もはや実際のイエスがどんな存在だったのか分からないぐらいになっていったと考えられます。

もう一つは、「『福音書』には、いろんな"イエス像"が描かれている」ということ。
イエスについて書かれている書物を『福音書』と呼ぶのですが、それらの書物はイエスが十字架につけられて死んでから30年もの時を経てようやく成立しました。しかも福音書の作者はいずれも"生前のイエス"と出会っていないと言われています。なので、彼ら福音書の著者たちは、イエスに関する様々な資料(人々の間で広く共有されている情報から単なるうわさ話まで)をかき集めて、それぞれの福音書を完成させたのです。


では、以上の2点を踏まえつつ、「イエスは涙を流された」(ヨハネ11:35前後)を見てみたいと思います。

前回述べたとおり、何と言ってもイエスは人を甦らせる力を持っています!(ババーン)

・・・まぁ、それが真実かどうかはさておき、「人を甦らせることができる」というのは、先ほどの話にもありましたが、イエスに対する「超人的なイメージ」の典型例ですよね。そんなこと普通の人間はできませんから(というか誰にもできない...)。人々の間では、イエスがどんな人間だったかということよりも、イエスがどんなことをしたかという情報の方が多く共有されていたのだろうと思います。偉人に関する話というのは大抵そうですよね。その人の"人間性"よりも、その人が残した"功績"などの方が伝えられていくものです。

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『ラザロの復活』1514~1519年
作者:フアン・デ・フランデス(1465~1519年、フランドル)


この福音書を書いた「ヨハネ」という人も、独自の取材で様々なイエスに関する情報を各地から収集したのだろうと思います。しかし、著者ヨハネさんが偉いのは、たくさん存在するイエスの奇跡物語や偉人伝説だけではなく、その中に埋もれてしまっている "人間としてのイエス"の姿 もなんとかして福音書の中に書き残そうとしたところなんですね。

そのため、この「ラザロの死と復活」の物語に登場するイエスには、矛盾ともとれる二つのキャラクターを見ることができます。一つは、超人としてのイエス。もう一つは、普通の人間としてのイエスです。

お墓に向かう際、そのあと彼のことを甦らせることになるとは言え、そこに眠るのは、心から愛していた友人ラザロ。そのことを思うと、どうしてもこみ上げてくる感情を抑えることができず、つい涙を流してしまったのでしょう。聖書の読者は、そこにこそ、イエスの本当の愛を感じ取ることができます。ラザロの姉妹や仲間たちが、彼の死を悼んで泣いている。そのそばで、イエスもまた、共に涙を流された・・・。喜びも悲しみも、一緒に共有してくださるお方だからこそ、キリスト教の信者たちはイエスという人に対して信頼を置き、共に人生を歩んでくださるよう願うのかもしれません。

ちなみに、アメリカのオクラホマシティには『And Jesus Wept』(イエスは涙を流された)と題された像が建てられています。1995年に起こった「オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件」で亡くなった168名の方々を覚えて設置された、非常に珍しい姿をしているイエスの像です。まさに「泣く者と共に泣いてくださる」(ローマの信徒への手紙12章15節)イエス・キリストに対する人々の信頼がそこには表されています。
https://www.encirclephotos.com/image/and-jesus-wept-memorial-to-oklahoma-city-bombing-in-oklahoma-city-oklahoma/(英文)


というわけで、長々と書いてまいりましたが・・・
「聖書の中で最も短い一節」の中に秘められた、説明し出すとキリがないほどの"奥深さ"について、
皆さん、お楽しみいただけたでしょうか??笑

次回からは、再び単発の記事を投稿していきますので、また読んでくださいね~。それでは!

キリ絵 de 大喜利 No.03

(なんでトイレットペーパーにはシングルとダブルがあるんやろ・・・)

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『預言者 ヨエル』(1508~1512)

作者:ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(1475~1564)


ヨエルは、十二小預言者と呼ばれる旧約聖書の預言者の一人。彼の残した預言は『ヨエル書』として旧約聖書に収録されています。預言の中心テーマは、神の裁きが敵国や神に逆らう者たちにもたらされ、神の民には救いが与えられるとされる、いわゆる「主の日」について。たった4章しかない短い預言書なので、簡単に読むことができます。

作者は、かの有名な芸術家であるミケランジェロ。西洋美術史上、あらゆる分野に大きな影響を与えたイタリアの彫刻家、画家、建築家、詩人です。彫刻作品としては、十字架上で息を引き取ったイエスを母マリアが抱く姿をかたどった『ピエタ』や、イスラエルの王『ダビデ像』などが良く知られています(どちらも20代の時に制作!)。また、2つのフレスコ画『システィーナ礼拝堂天井画』と『最後の審判』は見る者を圧倒します。

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