キリ絵 de 大喜利 No.04

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手の中で 片栗粉 を混ぜてみま~す。


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『手を洗うピラト』(1624~1625年)
作者:ヤン・リーフェンス(Jan Lievens、1607年10月24日~1674年6月4日)

ヤン・リーフェンスは、17世紀に活躍したオランダの画家。12歳から早くも一人前の画家として活動し、その若き才能は多くの人々から評価されていました。かの有名なレンブラント・ファン・レインと同世代で、1626年から約5年間、レンブラントと共に工房を構えていましたが、二人は1631年に別れ、レンブラントはアムステルダムに、リーフェンスはイングランドにそれぞれ拠点を移しました。(ソース元:Wikipedia)

本作に描かれている「ピラト」(本名:ポンティウス・ピラトゥス)という人物は、紀元後1世紀のローマ帝国のユダヤ駐在の5代目代官(在任:26~36年)で、イエス・キリストの処刑に深く関与した人物として知られています。作中でピラトが手を洗っているのは、ユダヤ人たちによる"イエス処刑"の要求について、自分はもうこれ以上関与しないという意思表明のためであり、当然、片栗粉と水を混ぜてスライムを作ろうとしているわけではありません。


以下、本作の題材となった聖書箇所。

ところで、祭りの度に、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。時に、バラバ・イエスと言う名うての囚人がいた。ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアと言われるイエスか。」人々がイエスを引き渡したのは、妬みのためだと分かっていたからである。ピラトが裁判の席に着いているとき、その妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人に関わらないでください。その方のために私は今日、夢で非常に苦しみました。」しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。ピラトが、「では、メシアと言われているイエスのほうは、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったい、どんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは手の付けようがなく、かえって騒動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血は、我々と我々の子らの上にかかってもいい。」そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。(新約聖書 マタイによる福音書 27章15~26節)※聖書協会共同訳

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このページは、キリスト教センターが2019年2月27日 10:10に書いたブログ記事です。

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