2月28日は何の日?
・・・・・・宣教師「ロバート・モリソン」が中国伝道のためイギリスを発った日です!
ロバート・モリソン(1782年1月5日~1834年8月1日)
16歳のときに洗礼を受けキリスト教の信者になったモリソンは、19歳で宣教師になることを決意し、訓練を受けた末に中国に派遣されることとなります。25歳になった時、彼は牧師として任命され、すぐにイギリスを発ち、アメリカ・ニューヨーク経由で中国に到着(当時、イギリス東インド会社では中国行きの船には宣教師を乗せない規則があったため、別のルートで向かわざるを得なかったのです)。
中国に到着した彼は、布教と研究に励みますが、なかなか宣教師として期待される結果は出せず、信者になった中国人もわずか数名でした。彼の死後、27年が経過していよいよ本格的に中国伝道が進められていくこととなるのですが、その当時、中国人の信者は10名しかいなかったそうです。
では、信者を増やすことができなかったモリソンの中国伝道は完全に失敗に終わったのか。決してそうではありません。実は、日本史にも出てくる「モリソン号事件」(1837年)の船名「モリソン号」は彼の名前からとられたものです。そのことからも分かるように、彼の業績は高く評価され、多くの人々の尊敬を受けることとなったのです。
モリソンの伝道は中国ではあまり受け入れられなかったものの、中国人の助けを借りて、新約聖書の中国語への翻訳を開始し、また1819年には、モリソンのことを助けるためにやって来たウィリアム・ミルン宣教師と共に、聖書全文の中国語訳を完成させました。ミルンはその出版を見届けることなく1822年に死去しましたが、翌年の1823年に、初の中国語聖書『神天聖書』が出版されることとなりました。この中国語聖書は、その後、聖書を初めて日本語に翻訳したドイツ人宣教師「カール・ギュツラフ」(1803~1851年)にも大きな影響を与えました。
モリソンとミルンは、聖書の翻訳と同時に、漢文教書など多くの文書を頒布し、またマラッカに私費を投じて英華学校を開設。更には「漢英・英漢辞典」の編纂を手がけました(17~23年)。このようなモリソンの業績が、後に活発に行われていくこととなる中国伝道の礎を築くこととなったのです。
人間は、自分や他者が期待していた結果ではなく、全く別の、しかし非常に価値のある結果を生み出すことがあります。モリソンもその一人であったと言えるでしょう。たゆまぬ努力、そして信じる心が、未来を切り拓いていくのです。
・・・・・・宣教師「ロバート・モリソン」が中国伝道のためイギリスを発った日です!
ロバート・モリソン(1782年1月5日~1834年8月1日)
16歳のときに洗礼を受けキリスト教の信者になったモリソンは、19歳で宣教師になることを決意し、訓練を受けた末に中国に派遣されることとなります。25歳になった時、彼は牧師として任命され、すぐにイギリスを発ち、アメリカ・ニューヨーク経由で中国に到着(当時、イギリス東インド会社では中国行きの船には宣教師を乗せない規則があったため、別のルートで向かわざるを得なかったのです)。
中国に到着した彼は、布教と研究に励みますが、なかなか宣教師として期待される結果は出せず、信者になった中国人もわずか数名でした。彼の死後、27年が経過していよいよ本格的に中国伝道が進められていくこととなるのですが、その当時、中国人の信者は10名しかいなかったそうです。
では、信者を増やすことができなかったモリソンの中国伝道は完全に失敗に終わったのか。決してそうではありません。実は、日本史にも出てくる「モリソン号事件」(1837年)の船名「モリソン号」は彼の名前からとられたものです。そのことからも分かるように、彼の業績は高く評価され、多くの人々の尊敬を受けることとなったのです。
モリソンの伝道は中国ではあまり受け入れられなかったものの、中国人の助けを借りて、新約聖書の中国語への翻訳を開始し、また1819年には、モリソンのことを助けるためにやって来たウィリアム・ミルン宣教師と共に、聖書全文の中国語訳を完成させました。ミルンはその出版を見届けることなく1822年に死去しましたが、翌年の1823年に、初の中国語聖書『神天聖書』が出版されることとなりました。この中国語聖書は、その後、聖書を初めて日本語に翻訳したドイツ人宣教師「カール・ギュツラフ」(1803~1851年)にも大きな影響を与えました。
モリソンとミルンは、聖書の翻訳と同時に、漢文教書など多くの文書を頒布し、またマラッカに私費を投じて英華学校を開設。更には「漢英・英漢辞典」の編纂を手がけました(17~23年)。このようなモリソンの業績が、後に活発に行われていくこととなる中国伝道の礎を築くこととなったのです。
人間は、自分や他者が期待していた結果ではなく、全く別の、しかし非常に価値のある結果を生み出すことがあります。モリソンもその一人であったと言えるでしょう。たゆまぬ努力、そして信じる心が、未来を切り拓いていくのです。