阪神・淡路大震災から24年

1995年1月17日...あの日から今日で24年が経過しました。


5時46分、まだ多くの人が眠りから覚めていなかった早朝、淡路島北部沖の明石海峡を震源として、Mj7.3 の大きな地震が発生し、阪神間を中心に近畿圏の広い範囲で甚大な被害が出ました。


死者は6,434名。2011年に起こった「東日本大震災」では、津波による犠牲者が大きな割合を占めていましたが、阪神淡路大震災で亡くなられた方の90%は、倒壊した古い建物の下敷きになったとされています(震災後、建築基準法が大幅に改正されることとなりました)。特に、被害の大きかった神戸周辺は大学が多く、古い木造アパートに住んでいた大学生たちが犠牲となったとみられています。僕の母校でも、15名の大学生が亡くなったと伝えられています。


当時まだ5歳だった僕は、兵庫県の西宮市で震災を経験しました。住んでいた家は、倒壊は免れたものの、建て直しを余儀なくされる程度の被害を受けたので、しばらく仮設住宅に住んでいました。でも、まだ幼かったので、当時のことを振り返っても、「怖かった、つらかった」っていう記憶はないんですよね。唯一、ネガティヴな記憶としては「仮設住宅が狭かった」ということぐらい。幼稚園の友達がやはり家屋の倒壊によって亡くなったのですが、当時はまだ「死」というものを理解できていなかったので、「悲しい」記憶としては残っていません(でも、その子の顔は今でも思い出せます)。それ以外は、仮設住宅の敷地内の道路にチョークで絵を描いて遊んでいた、というような楽しい記憶ばかりが残っています。きっと、家族を含む周りの大人たちが、一所懸命支えてくれていたからなんでしょうね。


24年が経った今、僕の故郷や被災した街々には、活気が取り戻されています。旅行や仕事で関西に行く人たちも、かつてそこを大きな地震が襲ったと思い出すことはあまりないだろうと思います。けれども、当時そこで被災した人々にとって、この24年というのは、震災と隣り合わせで歩んできた24年なのであり、これからも残り続ける傷であり痛ましい記憶なのです。また、国と自治体による「災害援護資金」という"借金"について、今もなお、多くの人々が完済できずにいます(昨年、国が正式に一部債権の放棄を認めたそうです)。20年以上前に起こった出来事は、未だに"現在進行形"の事柄として存在し続けているのです。


地震を含む様々な自然災害というのは、私たち人間の手ではどうしても押し留めることのできないものです。けれども、過去の災害から学ぶこと、あるいは将来起こるかもしれない災害に向けての対策、更に災害が起こってからの二次被害を防ぐことは、私たちにもできることです。被災された数多くの方々に神の癒しと慰めがこれからもありますように。そして、全ての人たちに、過去を振り返りつつ未来へと歩んでいく勇気と力が与えられますように。

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このページは、キリスト教センターが2019年1月17日 09:06に書いたブログ記事です。

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