「名古屋学院大学 留学」と一致するもの

 今までの留学生活をふと振り返えると、毎日授業や課題をこなし、気づいたらもう7カ月。日本では学校と部活、アルバイトの両立で、ここでの生活よりもあわただしい毎日を送っていたが、ここでの生活はゆったりしていて良い。最近は自分が残りのフィリピン留学でやり残していることはないかと、考えて生活するようになってきた。 


 授業はオリエンテーションが終了し、本格的な授業になってきた。今学期から履修したコミュニケーションのクラスとスピーチのクラスは、とても人気がある授業だと多くの学生から聞いていた。そう聞いても、がっかりするのが嫌だったので、あまり期待はしていなかったが、今現在この二つの授業がある水曜と金曜は学校が楽しみで仕方がない。この二つの授業では、名前の通りコミュニケーションを取りスピーチをするのだが、その内容が何ともフィリピンらしいというか、おしゃべりが大好きな国だなと感じられるものである。 


 例えばスピーチのクラスでは、1人に1枚ずつ話す内容のお題が書かれた小さな紙が渡され、そのお題に対し何でもいいので1分間、クラスメート全員の前で話し続けたり(お題は発表の直前まで見てはいけない)、自分の好きな歌の歌詞を感情を入れて読んだりする(自分はアナ雪の"扉開けて"を披露した)。コミュニケーションのクラスもスピーチのクラス同様、クラスメートの前ですべらない話をしたり、グループを作り先生が出したお題(例えば最新の家電製品)について30秒間で説明をしたりするという、なんともユーモアあふれる内容である。 


 これらのクラスの狙いは、多くの人の前で話すことに慣れること、そして聞き手をいかに自分の話に引きつけるかを学ぶことであり、どちらも生きた英語、聞き手の生きたリアクションを生で感じられる素敵なクラスだと思う。個人的には教科書で学ぶ英語なんかより、100倍は楽しくてためになる。 


 留学中、名古屋学院大学とフィリピン大学で決定的な差を感じたことがある。それは、プレゼンテーション能力とスピーチ能力の差である。はっきり言って雲泥の差がある。フィリピン大学の学生の中には、プレゼンテーションのためだけにスーツに革靴などと、服装にまで気を遣う人もいる。この二つのクラスは、今後留学をする学生に1番お勧めしたい。今後もこの二つのクラスを通して、フィリピンのトップ大学におけるコミュニケーション能力とスピーチ能力を身に着けていきたい。 


 授業外では、フィリピン大学で開催されたUPFAIR(ユーピーフェア)というバンドイベントに参加をした。規模とクオリティーは、名古屋学院大学の学校祭の約50倍程だった。このフェアは1週間、毎日夕方から朝4時まで続き、ライブの舞台の他に、日本のお祭りのように屋台が学校のグラウンドに立ち並んだ。このフェアには、フィリピンで一番人気のあるバンドグループや、他にも数多くのバンドグループが参加していたようで、学外からも多くの来場者が来ており、大学規模でなくマニラ規模で開かれていると感じた。 一番驚いたのが、グラウンド内に1週間限定で簡易遊園地が設置されたことだ。観覧車のようなものやバイキングなど、多くのアトラクションが設置された。どれも1回120円ほどで乗車できた。 


 いよいよ留学終盤。今後3か月も、充実した生活を過ごしていきたい。


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 今までの留学生活をふと振り返えると、毎日授業や課題をこなし、気づいたらもう7カ月。日本では学校と部活、アルバイトの両立で、ここでの生活よりもあわただしい毎日を送っていたが、ここでの生活はゆったりしていて良い。最近は自分が残りのフィリピン留学でやり残していることはないかと、考えて生活するようになってきた。 


 授業はオリエンテーションが終了し、本格的な授業になってきた。今学期から履修したコミュニケーションのクラスとスピーチのクラスは、とても人気がある授業だと多くの学生から聞いていた。そう聞いても、がっかりするのが嫌だったので、あまり期待はしていなかったが、今現在この二つの授業がある水曜と金曜は学校が楽しみで仕方がない。この二つの授業では、名前の通りコミュニケーションを取りスピーチをするのだが、その内容が何ともフィリピンらしいというか、おしゃべりが大好きな国だなと感じられるものである。 


 例えばスピーチのクラスでは、1人に1枚ずつ話す内容のお題が書かれた小さな紙が渡され、そのお題に対し何でもいいので1分間、クラスメート全員の前で話し続けたり(お題は発表の直前まで見てはいけない)、自分の好きな歌の歌詞を感情を入れて読んだりする(自分はアナ雪の"扉開けて"を披露した)。コミュニケーションのクラスもスピーチのクラス同様、クラスメートの前ですべらない話をしたり、グループを作り先生が出したお題(例えば最新の家電製品)について30秒間で説明をしたりするという、なんともユーモアあふれる内容である。 


 これらのクラスの狙いは、多くの人の前で話すことに慣れること、そして聞き手をいかに自分の話に引きつけるかを学ぶことであり、どちらも生きた英語、聞き手の生きたリアクションを生で感じられる素敵なクラスだと思う。個人的には教科書で学ぶ英語なんかより、100倍は楽しくてためになる。 


 留学中、名古屋学院大学とフィリピン大学で決定的な差を感じたことがある。それは、プレゼンテーション能力とスピーチ能力の差である。はっきり言って雲泥の差がある。フィリピン大学の学生の中には、プレゼンテーションのためだけにスーツに革靴などと、服装にまで気を遣う人もいる。この二つのクラスは、今後留学をする学生に1番お勧めしたい。今後もこの二つのクラスを通して、フィリピンのトップ大学におけるコミュニケーション能力とスピーチ能力を身に着けていきたい。 


 授業外では、フィリピン大学で開催されたUPFAIR(ユーピーフェア)というバンドイベントに参加をした。規模とクオリティーは、名古屋学院大学の学校祭の約50倍程だった。このフェアは1週間、毎日夕方から朝4時まで続き、ライブの舞台の他に、日本のお祭りのように屋台が学校のグラウンドに立ち並んだ。このフェアには、フィリピンで一番人気のあるバンドグループや、他にも数多くのバンドグループが参加していたようで、学外からも多くの来場者が来ており、大学規模でなくマニラ規模で開かれていると感じた。 一番驚いたのが、グラウンド内に1週間限定で簡易遊園地が設置されたことだ。観覧車のようなものやバイキングなど、多くのアトラクションが設置された。どれも1回120円ほどで乗車できた。 


 いよいよ留学終盤。今後3か月も、充実した生活を過ごしていきたい。


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 あっという間に5ヶ月目が終わろうとしています。11日新年を海外で過ごしました。大晦日の夜、近所の友達の家の外で魚を焼いていたら、年を越していました。これといったインドネシアらしい文化を感じませんでしたが、ゆっくりと友達と過ごし、1月2日には大学でテストがありました。その日でテストは終わり2月半ばまで長期休みに入ります。


 長期休みに入ってすぐ、アチェで日本語の先生をしている方に頼まれ、高校の日本語スピーチコンテストの審査員をしてきました。私が住んでいる周辺で日本人は他にいないということだったので、気合いを入れて参加してきました。男女1人ずつ、日本語で3分間のスピーチをして、審査員はどちらの学生がより素晴らしいかを選び、選ばれた学生は次の本選に行けるということでした。2人のうちのどちらかを選ぶという審査方法は、とても難かしいものでした。スピーチの後は、参列していた高校生が日本語の歌を披露してくれたり、みんなで写真を撮ったり、日本語で話したりしました。きっと彼らにとって初めて会う日本人が私だったと思います。日本語を勉強し、興味を持ってくれているキラキラした目を持った彼らを見て、嬉しかったです。みんな日本のアニメを通して日本を知り、興味を持ったそうです。改めて日本のアニメの力をすごいと感じました。また、留学に来て半年も経っていない私のインドネシア語でのコメントを真剣に聞いてくれて、嬉しかったです。スピーチする高校生ぐらい緊張しましたが、とても良い経験をさせてもらったと思います。


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 113日には、2016127日に起きたピディジャヤ地震のために、名古屋学院大学で行っていた募金活動で集まった約9万円分の支援物資を届けに行ってきました。前回訪問した際に、赤ちゃんとその母親である女性のための支援が行き届いていないということだったので、今回も前回と同じように、紙おむつ、生理用品、歯ブラシ、石鹸、赤ちゃん用のミルク、洗剤やお菓子が入った袋を支援物資として準備しました。


水谷奈津子012.jpg

 三週間ぶりに訪れた現地は復興に向けて進んでいました。全壊してた建物は綺麗に撤去され更地になっており、全壊していたモスク(イスラム寺院)も綺麗に取り除かれていました。全壊はしておらず、人が多く集まり避難所となっていたモスクの外にあったテントは一つも無く、人も集まっていませんでした。皆それぞれ家に帰り、新しい生活に向けて進んでいると思うと少し安心しました。支援物資は二つの村に届けました。帰り際に子どもたちが嬉しそうに手を振って、「ありがとう」と笑顔を見せてくれ、その姿をみると安心と嬉しさと、私こそ募金に協力してくれたみんなに「本当にありがとう」という気持ちになりました。まさか留学中にこういった経験をするなんて思ってもいなかったです。今振り返ると、以前は何もできないと思っていましたが、今は"そんなことない。これから国際協力を勉強し続けるにあたって、この経験は大きな一歩になったな。"と思っています。


水谷奈津子011.jpg

 1月21日から27日の一週間、国際文化学部の佐伯先生がアチェに来ました。インドネシアへ留学をするきっかけを作り、留学をしている現在も1番お世話になっている佐伯先生に留学中お会いできたのは、正直とても嬉しかったです。先生が日本にいらっしゃる間も、連絡を取っていましたが、やはり実際会えるのはこんなにも安心するのかと思うぐらい安心をしました。そしてこの1週間は、2015年のスタディツアーで訪問することができなかった村をいくつか訪問してきました。そして、自分は語学力だけじゃなく、何故アチェに留学に来たのか改めて気づかされました。それまで国際協力が行われている現場の近くにいるのに、自ら進んで村に行ってみようとしなかったことに気がつき、現在はスタディツアーの時からお世話になっているNGO団体Jari Acehのヌルジュバさんの家にホームステイをし、まだ訪れたことがない村々へ訪問をする予定です。先生と話して気づいたなんて、まだまだ意識も、頭の中も子どもだなと思う部分が多々ありますが、残りの半年の時間を無駄にしないと決めたので、悔いのない留学にするためにも、気を引き締めて頑張りたいと思います。今まで過ごした時間が無駄だったとは思っていませんが、この先生と過ごした時間によって、自分の中で何か変わった気がします。卒業論文にむけても良い方向に進んでいるので、自分の力で留学をやり遂げて、最高の形で帰国できるようにという想いを大切に、この長期休みを過ごしたいと思います。


 一緒に留学に来ていた国際協力学科の深川が帰国をしてしまい、次の学期も生活も本当に日本人、いや、外国人が私だけです。後輩ですが、このアチェという場所で生活を一緒に過ごし、辛いことがあると話を聞いてもらったりと、なんだかんだ支えてもらった部分が大きかった存在でした。しかし、これからは自分1人だけです。本当に勝負だと思っているので頑張ります。


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 あっという間に5ヶ月目が終わろうとしています。11日新年を海外で過ごしました。大晦日の夜、近所の友達の家の外で魚を焼いていたら、年を越していました。これといったインドネシアらしい文化を感じませんでしたが、ゆっくりと友達と過ごし、1月2日には大学でテストがありました。その日でテストは終わり2月半ばまで長期休みに入ります。


 長期休みに入ってすぐ、アチェで日本語の先生をしている方に頼まれ、高校の日本語スピーチコンテストの審査員をしてきました。私が住んでいる周辺で日本人は他にいないということだったので、気合いを入れて参加してきました。男女1人ずつ、日本語で3分間のスピーチをして、審査員はどちらの学生がより素晴らしいかを選び、選ばれた学生は次の本選に行けるということでした。2人のうちのどちらかを選ぶという審査方法は、とても難かしいものでした。スピーチの後は、参列していた高校生が日本語の歌を披露してくれたり、みんなで写真を撮ったり、日本語で話したりしました。きっと彼らにとって初めて会う日本人が私だったと思います。日本語を勉強し、興味を持ってくれているキラキラした目を持った彼らを見て、嬉しかったです。みんな日本のアニメを通して日本を知り、興味を持ったそうです。改めて日本のアニメの力をすごいと感じました。また、留学に来て半年も経っていない私のインドネシア語でのコメントを真剣に聞いてくれて、嬉しかったです。スピーチする高校生ぐらい緊張しましたが、とても良い経験をさせてもらったと思います。


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 113日には、2016127日に起きたピディジャヤ地震のために、名古屋学院大学で行っていた募金活動で集まった約9万円分の支援物資を届けに行ってきました。前回訪問した際に、赤ちゃんとその母親である女性のための支援が行き届いていないということだったので、今回も前回と同じように、紙おむつ、生理用品、歯ブラシ、石鹸、赤ちゃん用のミルク、洗剤やお菓子が入った袋を支援物資として準備しました。


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 三週間ぶりに訪れた現地は復興に向けて進んでいました。全壊してた建物は綺麗に撤去され更地になっており、全壊していたモスク(イスラム寺院)も綺麗に取り除かれていました。全壊はしておらず、人が多く集まり避難所となっていたモスクの外にあったテントは一つも無く、人も集まっていませんでした。皆それぞれ家に帰り、新しい生活に向けて進んでいると思うと少し安心しました。支援物資は二つの村に届けました。帰り際に子どもたちが嬉しそうに手を振って、「ありがとう」と笑顔を見せてくれ、その姿をみると安心と嬉しさと、私こそ募金に協力してくれたみんなに「本当にありがとう」という気持ちになりました。まさか留学中にこういった経験をするなんて思ってもいなかったです。今振り返ると、以前は何もできないと思っていましたが、今は"そんなことない。これから国際協力を勉強し続けるにあたって、この経験は大きな一歩になったな。"と思っています。


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 1月21日から27日の一週間、国際文化学部の佐伯先生がアチェに来ました。インドネシアへ留学をするきっかけを作り、留学をしている現在も1番お世話になっている佐伯先生に留学中お会いできたのは、正直とても嬉しかったです。先生が日本にいらっしゃる間も、連絡を取っていましたが、やはり実際会えるのはこんなにも安心するのかと思うぐらい安心をしました。そしてこの1週間は、2015年のスタディツアーで訪問することができなかった村をいくつか訪問してきました。そして、自分は語学力だけじゃなく、何故アチェに留学に来たのか改めて気づかされました。それまで国際協力が行われている現場の近くにいるのに、自ら進んで村に行ってみようとしなかったことに気がつき、現在はスタディツアーの時からお世話になっているNGO団体Jari Acehのヌルジュバさんの家にホームステイをし、まだ訪れたことがない村々へ訪問をする予定です。先生と話して気づいたなんて、まだまだ意識も、頭の中も子どもだなと思う部分が多々ありますが、残りの半年の時間を無駄にしないと決めたので、悔いのない留学にするためにも、気を引き締めて頑張りたいと思います。今まで過ごした時間が無駄だったとは思っていませんが、この先生と過ごした時間によって、自分の中で何か変わった気がします。卒業論文にむけても良い方向に進んでいるので、自分の力で留学をやり遂げて、最高の形で帰国できるようにという想いを大切に、この長期休みを過ごしたいと思います。


 一緒に留学に来ていた国際協力学科の深川が帰国をしてしまい、次の学期も生活も本当に日本人、いや、外国人が私だけです。後輩ですが、このアチェという場所で生活を一緒に過ごし、辛いことがあると話を聞いてもらったりと、なんだかんだ支えてもらった部分が大きかった存在でした。しかし、これからは自分1人だけです。本当に勝負だと思っているので頑張ります。


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 12月までは風が強い日はめったになかったため、0度近くでも日本と同じくらいの体感気温でしたが、1月はだんだん風の吹く日が増え、噂に聞いている極寒の2月に近づいていると思い知らされる一か月でした。

宮島花蓮013.jpg
 1月は成人式も兼ねて日本に一時帰国しました。トロントに帰ってきてからは、毎週金曜日の夜に友達と美味しい物を食べに行く習慣ができ、学校以外でも充実した時間を過ごしました。

 この留学生活ももう、100日を切ってしまいました。日本に帰ってからのことを考えることも増え、徐々に資格取得に向けての勉強を少しずつ始めています(TOEICはもちろん、秘書検定に加えSPI等)。先月まで同じcollegeにいた日本人学生が、先学期を終えて一気に帰国し、現在は日本語を話す機会が全くなくなり、更に、留学前にお世話になった名古屋学院大学のi-Loungeやサークルの先輩が、私が留学をしている間に卒業してしまったことを考えると寂しく感じますが、今しかできないことを自分はやれているということを忘れず、もっとたくさんのトロント、海外ならではのものを吸収したいと思います。 
宮島花蓮011.jpg
 また、この一か月はとても悩んだ月でもありました。小学生のころから夢だったキャビンアテンダントになりたくて、トロントに留学することを決めたのに、留学を開始した9月から新しいものをたくさん見て感じることで、自然と考え方も変わって、キャビンアテンダントになりたいという気持ちが薄れていることに気ついたからです。今までの唯一の目標がなくなりかけていることに気づいたとき、どうすればいいのか分らず、部屋にこもって生活をした時もありましたが、現在はたくさんのことに目を向けて、興味を持ったものにとりあえず挑戦してみようという気持ちに切り替えることができたので、逆に時間が足りず困っている状況です。 

宮島花蓮012.jpg
 また、辛いことの後には嬉しいこともありました。留学に興味を持った他の大学の友達が、以前から質問をしてくれていたのですが、今月からトロントに一年間留学しに来るのです。これを機に、帰国してからは名古屋学院大学の中で留学のお手伝いをできたらな、と思っています。写真を通して、皆さんにトロントの雰囲気を知ってもらえたら嬉しいです。それでは極寒の二月を頑張って耐えたいと思います。
 12月までは風が強い日はめったになかったため、0度近くでも日本と同じくらいの体感気温でしたが、1月はだんだん風の吹く日が増え、噂に聞いている極寒の2月に近づいていると思い知らされる一か月でした。

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 1月は成人式も兼ねて日本に一時帰国しました。トロントに帰ってきてからは、毎週金曜日の夜に友達と美味しい物を食べに行く習慣ができ、学校以外でも充実した時間を過ごしました。

 この留学生活ももう、100日を切ってしまいました。日本に帰ってからのことを考えることも増え、徐々に資格取得に向けての勉強を少しずつ始めています(TOEICはもちろん、秘書検定に加えSPI等)。先月まで同じcollegeにいた日本人学生が、先学期を終えて一気に帰国し、現在は日本語を話す機会が全くなくなり、更に、留学前にお世話になった名古屋学院大学のi-Loungeやサークルの先輩が、私が留学をしている間に卒業してしまったことを考えると寂しく感じますが、今しかできないことを自分はやれているということを忘れず、もっとたくさんのトロント、海外ならではのものを吸収したいと思います。 
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 また、この一か月はとても悩んだ月でもありました。小学生のころから夢だったキャビンアテンダントになりたくて、トロントに留学することを決めたのに、留学を開始した9月から新しいものをたくさん見て感じることで、自然と考え方も変わって、キャビンアテンダントになりたいという気持ちが薄れていることに気ついたからです。今までの唯一の目標がなくなりかけていることに気づいたとき、どうすればいいのか分らず、部屋にこもって生活をした時もありましたが、現在はたくさんのことに目を向けて、興味を持ったものにとりあえず挑戦してみようという気持ちに切り替えることができたので、逆に時間が足りず困っている状況です。 

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 また、辛いことの後には嬉しいこともありました。留学に興味を持った他の大学の友達が、以前から質問をしてくれていたのですが、今月からトロントに一年間留学しに来るのです。これを機に、帰国してからは名古屋学院大学の中で留学のお手伝いをできたらな、と思っています。写真を通して、皆さんにトロントの雰囲気を知ってもらえたら嬉しいです。それでは極寒の二月を頑張って耐えたいと思います。
 インドネシアに来て4ヶ月が経ちました。12月に入ってすぐの12月7日の朝5時3分に、M6の大きな地震がありました。大きな揺れが長く続き、目覚めましたが怖くてベッドから起き上がることができませんでした。津波警報は出ておらず、その日は普段通り講義はありました。私が住んでいるビルン県マタン・グルンバンドゥアでの大きな被害はありませんでしたが、車で2時間ほどの震源地近くのピディ・ジャヤ県では100名以上の死者がでたそうです。大学では、その日の朝起きたばかりの地震なのに、学生がすでに募金活動をしていました。

 私たちも何かできないかと思い、12月8日に佐伯先生を通じて2015年スタディツアーでお世話になったNGO「Jari Aceh」のニーズ調査に同行させていただきました。 主にモスク(イスラム寺院)に多くの人たちが避難していたので、モスクで話しを聞きました。女性と子どもたちはモスクの外に建てられたテントで窮屈そうに過ごしていました。男性はテントはなく、モスクの壁沿いにもたれかかっていました。

水谷奈津子2016123.jpg
 インドネシアは1年を通して暑いです。12月は雨季で乾季よりは暑くありませんが、テントや外で過ごすのはもっと大変だと思います。イスラムの女性は、ジルバブ(ベール)を被っており、テント生活ではそれを脱ぐことができず、長い時間被っていなければなりません。また、支援物資の受付にはたくさんの物資がありましたが、それが被災者全員には行き渡っていないようでした。 

 ムルドゥ群クデ・ムルドゥでは、2階建ての長屋式店舗がほぼ全壊しており、捜索・救出作業が続けられていました。こういった光景を目の当たりにし、これから私たちに何ができるのか、"ニーズにあった支援をしていきたい"という気持ちが強くなりました。 

 12月12日には、8日に行ったニーズ調査を元に準備した支援物資を届けに、再度「Jari Aceh」に同行させていただきました。国際協力を勉強していましたが、実際に支援の現場を直接見て考えて行動することは初めてだったので、地震発生からニーズ調査をし、支援を渡すまでの速さと手順を見ることができ、とても勉強になりました。 

 そして名古屋学院大学で募金活動を行うことになりました。私は直接募金活動に参加できませんでしたが、募金活動のチラシを作成しました。活動するために集まってくれた学生のおかげで、8万9162円(12月)の寄付を集めることができました。この募金活動を通して、募金活動をするにあたって大切な知識や手順を勉強することができ、この経験は自分にとっていい実践の勉強の場になりました。

 大学では期末テストが始まりました。イスラム教のテストは難しすぎるということで、特別に受けないで済みました。日本と大きく違うと感じたのは、テスト期間や時間、場所を友達を通して知ることです。事前にテスト日がいつなのか、担当の先生から聞かずにいたので、スピーキングテストの日が過ぎてしまいました。別のテストを受けた帰りにスピーキングの先生に会ったので、その場でいきなりテストを受けました。名古屋学院大学のCCSのありがたみを感じました。 

水谷奈津子2016124.jpg
 12月といえばクリスマスですが、イスラム教の地域なのでクリスマスはありません。初めてサンタクロースやクリスマスツリーを見ずに、クリスマスを過ごしました。そんなクリスマスの25日に友達が紹介してくれたので、アチェの伝統的な結婚式の衣装を着させてもらいました。メイクに2時間半もかかり、ドレスや頭や体につけるきらびやかなアクセサリーをつけるのに、1時間もかかりました。

 メイクは信じられないぐらい濃く、つけまつげを2枚も重ねたので目が重く前がはっきり見えませんでした。今まで何度か結婚式に行きましたが、いざ自分が体験してみると大変過ぎて準備の段階で疲れてしまい、頭の装飾品のせいで立っているのもつらく、首が痛かったです。良い経験をし楽しかったですが、いざ本当に結婚式となるとこんな大変なドレスと頭の装飾品をつけたまま1日過ごすのかと思い、花嫁さんの大変さを感じました。

水谷奈津子2016122.jpg

 1月の頭にもテストがあり、その後は2ヶ月の長期休みに入ります。日本には帰国はせず、佐伯先生がアチェに来るので、短いですが先生がいる間は同行させてもらい、被災地ピディ・ジャヤでの支援や、もちろんそ他の活動もしっかり自分の目に焼き付け、積極的に学びたです。2016年は、自分にとってインドネシアに留学に来て表現しきれないほどの経験と思い出ができました。2017年は時間を無駄にしないよう、インドネシア語や被災地への支援も含め、何事にも、有意義にそして積極的に全力で取り組みたいです。
 インドネシアに来て4ヶ月が経ちました。12月に入ってすぐの12月7日の朝5時3分に、M6の大きな地震がありました。大きな揺れが長く続き、目覚めましたが怖くてベッドから起き上がることができませんでした。津波警報は出ておらず、その日は普段通り講義はありました。私が住んでいるビルン県マタン・グルンバンドゥアでの大きな被害はありませんでしたが、車で2時間ほどの震源地近くのピディ・ジャヤ県では100名以上の死者がでたそうです。大学では、その日の朝起きたばかりの地震なのに、学生がすでに募金活動をしていました。

 私たちも何かできないかと思い、12月8日に佐伯先生を通じて2015年スタディツアーでお世話になったNGO「Jari Aceh」のニーズ調査に同行させていただきました。 主にモスク(イスラム寺院)に多くの人たちが避難していたので、モスクで話しを聞きました。女性と子どもたちはモスクの外に建てられたテントで窮屈そうに過ごしていました。男性はテントはなく、モスクの壁沿いにもたれかかっていました。

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 インドネシアは1年を通して暑いです。12月は雨季で乾季よりは暑くありませんが、テントや外で過ごすのはもっと大変だと思います。イスラムの女性は、ジルバブ(ベール)を被っており、テント生活ではそれを脱ぐことができず、長い時間被っていなければなりません。また、支援物資の受付にはたくさんの物資がありましたが、それが被災者全員には行き渡っていないようでした。 

 ムルドゥ群クデ・ムルドゥでは、2階建ての長屋式店舗がほぼ全壊しており、捜索・救出作業が続けられていました。こういった光景を目の当たりにし、これから私たちに何ができるのか、"ニーズにあった支援をしていきたい"という気持ちが強くなりました。 

 12月12日には、8日に行ったニーズ調査を元に準備した支援物資を届けに、再度「Jari Aceh」に同行させていただきました。国際協力を勉強していましたが、実際に支援の現場を直接見て考えて行動することは初めてだったので、地震発生からニーズ調査をし、支援を渡すまでの速さと手順を見ることができ、とても勉強になりました。 

 そして名古屋学院大学で募金活動を行うことになりました。私は直接募金活動に参加できませんでしたが、募金活動のチラシを作成しました。活動するために集まってくれた学生のおかげで、8万9162円(12月)の寄付を集めることができました。この募金活動を通して、募金活動をするにあたって大切な知識や手順を勉強することができ、この経験は自分にとっていい実践の勉強の場になりました。

 大学では期末テストが始まりました。イスラム教のテストは難しすぎるということで、特別に受けないで済みました。日本と大きく違うと感じたのは、テスト期間や時間、場所を友達を通して知ることです。事前にテスト日がいつなのか、担当の先生から聞かずにいたので、スピーキングテストの日が過ぎてしまいました。別のテストを受けた帰りにスピーキングの先生に会ったので、その場でいきなりテストを受けました。名古屋学院大学のCCSのありがたみを感じました。 

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 12月といえばクリスマスですが、イスラム教の地域なのでクリスマスはありません。初めてサンタクロースやクリスマスツリーを見ずに、クリスマスを過ごしました。そんなクリスマスの25日に友達が紹介してくれたので、アチェの伝統的な結婚式の衣装を着させてもらいました。メイクに2時間半もかかり、ドレスや頭や体につけるきらびやかなアクセサリーをつけるのに、1時間もかかりました。

 メイクは信じられないぐらい濃く、つけまつげを2枚も重ねたので目が重く前がはっきり見えませんでした。今まで何度か結婚式に行きましたが、いざ自分が体験してみると大変過ぎて準備の段階で疲れてしまい、頭の装飾品のせいで立っているのもつらく、首が痛かったです。良い経験をし楽しかったですが、いざ本当に結婚式となるとこんな大変なドレスと頭の装飾品をつけたまま1日過ごすのかと思い、花嫁さんの大変さを感じました。

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 1月の頭にもテストがあり、その後は2ヶ月の長期休みに入ります。日本には帰国はせず、佐伯先生がアチェに来るので、短いですが先生がいる間は同行させてもらい、被災地ピディ・ジャヤでの支援や、もちろんそ他の活動もしっかり自分の目に焼き付け、積極的に学びたです。2016年は、自分にとってインドネシアに留学に来て表現しきれないほどの経験と思い出ができました。2017年は時間を無駄にしないよう、インドネシア語や被災地への支援も含め、何事にも、有意義にそして積極的に全力で取り組みたいです。
 私は8月からアメリカ、アイオワ州にあるコ―カレッジに派遣されました。

 11月頭には、インターナショナルクラブによる今学期で帰国する人たちのためにパーティーが開かれました。そこにはインターナショナルスチューデント全員が集まり、一緒にご飯を食べたり写真を撮ったりしました。また、パーティーの最後では表彰式が行われ、インターナショナルクラブから賞状をもらいました。 

 2週目にはアメリカ大統領選挙がありました。私には、両候補者それぞれを応援する現地の先生や学生の中の知り合いがいて、それぞれの考えを聞くとても良い機会となりました。また、アメリカ選挙の情報をタイムリーで知ることができ、人生の中でもとても貴重な経験となりました。 

 3週目は、サンクスギビングブレイクのためクラスが1週間休みとなりました。現地の多くの生徒は家へ帰るため、私は3泊4日でニューヨーク旅行をしてきました。ニューヨークでは、サンクスギビングデーに行われたメイシーズのパレードを見に行きました。その後も自由の女神やニューヨーク連邦準備銀行など、有名な観光地を巡りました。また、25日の夜にはブラックフライデーセールにも参加をし、アメリカにとってのサンクスギビングデーは日本のお正月に近いものを感じました。

 ブレイク後には多くの友達からサンクスギビングの家庭の話を聞くこともでき、楽しい休みを過ごすことができました。 その他にも、クラブ活動の一環で、実際にアメリカ人のお宅のサンクスギビングパーティーにお邪魔しました。そこでは他の大学からも、多くのインターナショナルスチューデントが来ていて、ターキーやパンプキンパイをご馳走になり、さらにサンクスギビングについてのお話も伺うことができました。現地の家庭のサンクスギビングパーティーを経験できるのは、なかなか無いことなので、参加することができて嬉しかったです。他のクラブの活動では、ダウンタウンにある教会に行きチャーチソングを聞くなど、日本ではなかなしない経験をすることができました。 

 授業では、授業が始まった当初よりも課題の量は増えました。ライティングクラスでは、共通言語や移植など様々な題材を元にエッセイを書いて、そのエッセイをライティングセンターに持っていき、現地の学生と話し合いながらストラクチャ-やアイデアを出し合い添削をし、さらに先生とも話し合い一つのエッセイを完成させます。プレゼンテーションの授業では、様々な題材に沿って二週間に一度ほどプレゼンテーションをします。

 また、週に2~3度ほどスピーキングセンターに通って、現地の学生と会話をする機会を増やしています。 その他にも、先生とベトナム料理を食べに行ったり、友達とお寿司を食べに行ったりと、楽しく過ごしています。また、2017年の秋学期からコ―カレッジの友達が名古屋学院大学に交換留学で派遣されることが決まり、とても嬉しかったです。 

 残りの派遣期間はあと2週間ほどですが、期末試験や様々なイベントもあるので、気を抜かずに頑張りたいと思います。

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 私は8月からアメリカ、アイオワ州にあるコ―カレッジに派遣されました。

 11月頭には、インターナショナルクラブによる今学期で帰国する人たちのためにパーティーが開かれました。そこにはインターナショナルスチューデント全員が集まり、一緒にご飯を食べたり写真を撮ったりしました。また、パーティーの最後では表彰式が行われ、インターナショナルクラブから賞状をもらいました。 

 2週目にはアメリカ大統領選挙がありました。私には、両候補者それぞれを応援する現地の先生や学生の中の知り合いがいて、それぞれの考えを聞くとても良い機会となりました。また、アメリカ選挙の情報をタイムリーで知ることができ、人生の中でもとても貴重な経験となりました。 

 3週目は、サンクスギビングブレイクのためクラスが1週間休みとなりました。現地の多くの生徒は家へ帰るため、私は3泊4日でニューヨーク旅行をしてきました。ニューヨークでは、サンクスギビングデーに行われたメイシーズのパレードを見に行きました。その後も自由の女神やニューヨーク連邦準備銀行など、有名な観光地を巡りました。また、25日の夜にはブラックフライデーセールにも参加をし、アメリカにとってのサンクスギビングデーは日本のお正月に近いものを感じました。

 ブレイク後には多くの友達からサンクスギビングの家庭の話を聞くこともでき、楽しい休みを過ごすことができました。 その他にも、クラブ活動の一環で、実際にアメリカ人のお宅のサンクスギビングパーティーにお邪魔しました。そこでは他の大学からも、多くのインターナショナルスチューデントが来ていて、ターキーやパンプキンパイをご馳走になり、さらにサンクスギビングについてのお話も伺うことができました。現地の家庭のサンクスギビングパーティーを経験できるのは、なかなか無いことなので、参加することができて嬉しかったです。他のクラブの活動では、ダウンタウンにある教会に行きチャーチソングを聞くなど、日本ではなかなしない経験をすることができました。 

 授業では、授業が始まった当初よりも課題の量は増えました。ライティングクラスでは、共通言語や移植など様々な題材を元にエッセイを書いて、そのエッセイをライティングセンターに持っていき、現地の学生と話し合いながらストラクチャ-やアイデアを出し合い添削をし、さらに先生とも話し合い一つのエッセイを完成させます。プレゼンテーションの授業では、様々な題材に沿って二週間に一度ほどプレゼンテーションをします。

 また、週に2~3度ほどスピーキングセンターに通って、現地の学生と会話をする機会を増やしています。 その他にも、先生とベトナム料理を食べに行ったり、友達とお寿司を食べに行ったりと、楽しく過ごしています。また、2017年の秋学期からコ―カレッジの友達が名古屋学院大学に交換留学で派遣されることが決まり、とても嬉しかったです。 

 残りの派遣期間はあと2週間ほどですが、期末試験や様々なイベントもあるので、気を抜かずに頑張りたいと思います。

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 ついに11月に入ってしまい、こちらの大学生活も残すところ1ヵ月間になりました。月日が流れるのは本当に早く、楽しく密度の濃い時間を毎日過ごしています。10月はイベントや休みが多くあり、アメリカを深く知る良い機会になった月です。


 

 10月の初めにTOEFLを受けました。リスニング力が少しは上がっている気がしていましたが、1ヵ月と少しではあまり変わらず、思うように解けなかったです。しかし、英語の環境に慣れてきていたのもあり、テストの総合点は少し上がっていました。


 

 私はバンドが好きで、今私が留学をしているアメリカの西海岸は、私の音楽のルーツになった場所です。今住んでいる大学の寮から2時間くらい離れた場所に、ポートランドという都市があります。そこからまた30分くらい離れた場所にあるライブハウスに、10月の上旬と下旬に1回ずつ足を運びました。


 

 以前バンドをやっていたため、日本でライブハウスには通っておりましたが、アメリカにある本場のライブハウスに行くのは初めてだったので、すごく不安でした。普段はポートランドやどこかに遊びに行く時には、誰かしら一緒に居たので心強かったのですが、一人で行くのは初めてのことだったので、更に不安が大きかったです。


 

 案の定、電車やバスの交通機関を利用する際、間違えてしまうことがあって、一回目に行ったときは最悪でした。それでも自力で歩いてライブハウスに着けたので、今では良い思い出になっています。何より、オレゴン州の人々はみんな親切で温かい人たちばかりでした。本当に平和な街だと感じます。そして、私自身の精神面でも成長できたと感じました。アメリカで見たライブは一生忘れません。


 

 また、授業と授業の間に一週間の休みがあったので、名古屋学院大学から一緒に留学に来た友達と、ニューヨークへ行きました。ニューヨークは、一度訪れてみたい憧れの地だったので、実際に行くことができ、凄く感動しました。映画で見ていた世界そのもので、''世界の中心''と言われるのも納得するくらい大きくて、活気のある町でした。


 

 10月の終わりには、ハロウィンパーティーが大学内であり、みんな様々な仮装をして参加をしていました。私は日本に居る時からハロウィンのイベントが好きだったので、ハロウィン発祥の地であるアメリカで、本場のハロウィンに参加できて凄く良かったです。みんな仮装のクオリティが高く、人種に関わらず皆が幸せな1日を過ごしていたと思います。


 

 アメリカは本当に色んな国から人が集まっていて、同じクラスには、私たち日本人を含め、韓国人や中国人といったアジア圏の人達、ドイツ人やフランス人といったヨーロッパ圏の人達、そしてサウジアラビア人もいます。クラスメイト全員の文化や生まれは違うけれど、ここで一つ共通しているのが''英語''です。アメリカに居ると、''英語があることにより、他国の人たちと交流を持つことができ仲良くなれる''ということを改めて感じさせられ、英語の存在の大きさを実感しています。


 

 10月は、私の英語を学ぶモチベーションをさらにあげてくれた月でした。残り1ヵ月も、周りの友達と楽しく、良い経験ができるよう生活を送っていきます。


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 ついに11月に入ってしまい、こちらの大学生活も残すところ1ヵ月間になりました。月日が流れるのは本当に早く、楽しく密度の濃い時間を毎日過ごしています。10月はイベントや休みが多くあり、アメリカを深く知る良い機会になった月です。


 

 10月の初めにTOEFLを受けました。リスニング力が少しは上がっている気がしていましたが、1ヵ月と少しではあまり変わらず、思うように解けなかったです。しかし、英語の環境に慣れてきていたのもあり、テストの総合点は少し上がっていました。


 

 私はバンドが好きで、今私が留学をしているアメリカの西海岸は、私の音楽のルーツになった場所です。今住んでいる大学の寮から2時間くらい離れた場所に、ポートランドという都市があります。そこからまた30分くらい離れた場所にあるライブハウスに、10月の上旬と下旬に1回ずつ足を運びました。


 

 以前バンドをやっていたため、日本でライブハウスには通っておりましたが、アメリカにある本場のライブハウスに行くのは初めてだったので、すごく不安でした。普段はポートランドやどこかに遊びに行く時には、誰かしら一緒に居たので心強かったのですが、一人で行くのは初めてのことだったので、更に不安が大きかったです。


 

 案の定、電車やバスの交通機関を利用する際、間違えてしまうことがあって、一回目に行ったときは最悪でした。それでも自力で歩いてライブハウスに着けたので、今では良い思い出になっています。何より、オレゴン州の人々はみんな親切で温かい人たちばかりでした。本当に平和な街だと感じます。そして、私自身の精神面でも成長できたと感じました。アメリカで見たライブは一生忘れません。


 

 また、授業と授業の間に一週間の休みがあったので、名古屋学院大学から一緒に留学に来た友達と、ニューヨークへ行きました。ニューヨークは、一度訪れてみたい憧れの地だったので、実際に行くことができ、凄く感動しました。映画で見ていた世界そのもので、''世界の中心''と言われるのも納得するくらい大きくて、活気のある町でした。


 

 10月の終わりには、ハロウィンパーティーが大学内であり、みんな様々な仮装をして参加をしていました。私は日本に居る時からハロウィンのイベントが好きだったので、ハロウィン発祥の地であるアメリカで、本場のハロウィンに参加できて凄く良かったです。みんな仮装のクオリティが高く、人種に関わらず皆が幸せな1日を過ごしていたと思います。


 

 アメリカは本当に色んな国から人が集まっていて、同じクラスには、私たち日本人を含め、韓国人や中国人といったアジア圏の人達、ドイツ人やフランス人といったヨーロッパ圏の人達、そしてサウジアラビア人もいます。クラスメイト全員の文化や生まれは違うけれど、ここで一つ共通しているのが''英語''です。アメリカに居ると、''英語があることにより、他国の人たちと交流を持つことができ仲良くなれる''ということを改めて感じさせられ、英語の存在の大きさを実感しています。


 

 10月は、私の英語を学ぶモチベーションをさらにあげてくれた月でした。残り1ヵ月も、周りの友達と楽しく、良い経験ができるよう生活を送っていきます。


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 秋も一段と深まり、一年で私が一番好きな季節がやってきました。10月をアメリカで過ごせたことを、すごく嬉しく思っています。

 10月8日に、卒業生を大学で迎えダンスを楽しむホームカミングパーティーがありました。このパーティーはダウンタウンのホテルのホールで開かれ、参加者は皆、ドレスやフォーマルな服を着て楽しく過ごしました。ホームカミングキングとクインも決定され、クインに選ばれた子は大学4年生でサッカーチームに所属し、私と同じレギュラークラスを取っている子でした。その子はすごく性格が良く、その子が選ばれて、私だけではなく周りのみんなも喜んでいると思います。

 ホームカミングの三日後、ESLの学生たちとCedar RapidsにあるWashington High Schoolの日本語クラスを訪問しました。先生は日本人の方で、挨拶とお辞儀を学生に教えていたので、訪問をした私たちはすごく驚きました。 私が学生たちの話を聞いたところ、彼らは来年東京へ遊びに行くことになっているそうです。私が大好きな日本で、彼らも良い経験ができることを願っています。

 10月の二週目の週末は、Intercultural Centerのみんなとシカゴへ行きました。三日間だけの観光だったので、事前に予定をきちんと立てて行きました。観光スポットのMillennium Park、Skydeck、Navy Pierは絶対に外してはいけないと思い、寝る時間を削ってまで全部行こうとしました。

 私はCedarRapidsでは服の買い物をしていなかったので、シカゴの一日目は全部買い物で終わりました。更にその夜は、すごく美味しいベジバーガーを食べられたので、一日目は良い終わり方をしました。

 二日目は観光スポットを全部周り、夜はシカゴブルズのバスケの試合を見に行きました。チケットは90ドル以上しましたが、本物のバスケの試合を生で見ることができ、とても感動したので、この値段を出す価値はあると思います。試合の合間はエンターテインメントがいっぱいあり、機会があったらシカゴブルズの試合は見てほしいです。

 同じ日に、名古屋学院大学から派遣され、メンフィスの大学で勉強している友達に会うことができ、その友達も元気に留学を楽しんでいる様子だったので、自分だけが楽しんでいるだけではなく、同時期に留学をスタートさせた友達もアメリカで良い経験をしていることが分かり、すごく嬉しく思いました。

 更にシカゴにて、名古屋学院大学に留学をしに来ていたアメリカからの留学生にも会えました。彼女がアメリカに帰る時、「絶対アメリカで会おうね。」と言っていたので、本当に会うことができ、すごく良かったです。

 私の中では、このシカゴトリップで一番忙しかった人は自分だと思っています。私のケータイのカメラロールを見ると、どれくらい忙しかったか分ります。人に撮ってもらった写真が少なく、セルフィーだらけです。それはなぜかと言うと、一人でシカゴを回っていたせいで、人に写真を頼む時間も無かったからです。

 私はシカゴの生活がどうなのか知りたかったので、タクシー、地下鉄、自転車を使って、色々回りました。自転車は、車と同じスピードで車道を走らないといけないので、必死にこぎました。またシカゴに行く機会があったら、今度はゆっくり街を歩き、食べられなかったシカゴピザを食べたいです。


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 秋も一段と深まり、一年で私が一番好きな季節がやってきました。10月をアメリカで過ごせたことを、すごく嬉しく思っています。

 10月8日に、卒業生を大学で迎えダンスを楽しむホームカミングパーティーがありました。このパーティーはダウンタウンのホテルのホールで開かれ、参加者は皆、ドレスやフォーマルな服を着て楽しく過ごしました。ホームカミングキングとクインも決定され、クインに選ばれた子は大学4年生でサッカーチームに所属し、私と同じレギュラークラスを取っている子でした。その子はすごく性格が良く、その子が選ばれて、私だけではなく周りのみんなも喜んでいると思います。

 ホームカミングの三日後、ESLの学生たちとCedar RapidsにあるWashington High Schoolの日本語クラスを訪問しました。先生は日本人の方で、挨拶とお辞儀を学生に教えていたので、訪問をした私たちはすごく驚きました。 私が学生たちの話を聞いたところ、彼らは来年東京へ遊びに行くことになっているそうです。私が大好きな日本で、彼らも良い経験ができることを願っています。

 10月の二週目の週末は、Intercultural Centerのみんなとシカゴへ行きました。三日間だけの観光だったので、事前に予定をきちんと立てて行きました。観光スポットのMillennium Park、Skydeck、Navy Pierは絶対に外してはいけないと思い、寝る時間を削ってまで全部行こうとしました。

 私はCedarRapidsでは服の買い物をしていなかったので、シカゴの一日目は全部買い物で終わりました。更にその夜は、すごく美味しいベジバーガーを食べられたので、一日目は良い終わり方をしました。

 二日目は観光スポットを全部周り、夜はシカゴブルズのバスケの試合を見に行きました。チケットは90ドル以上しましたが、本物のバスケの試合を生で見ることができ、とても感動したので、この値段を出す価値はあると思います。試合の合間はエンターテインメントがいっぱいあり、機会があったらシカゴブルズの試合は見てほしいです。

 同じ日に、名古屋学院大学から派遣され、メンフィスの大学で勉強している友達に会うことができ、その友達も元気に留学を楽しんでいる様子だったので、自分だけが楽しんでいるだけではなく、同時期に留学をスタートさせた友達もアメリカで良い経験をしていることが分かり、すごく嬉しく思いました。

 更にシカゴにて、名古屋学院大学に留学をしに来ていたアメリカからの留学生にも会えました。彼女がアメリカに帰る時、「絶対アメリカで会おうね。」と言っていたので、本当に会うことができ、すごく良かったです。

 私の中では、このシカゴトリップで一番忙しかった人は自分だと思っています。私のケータイのカメラロールを見ると、どれくらい忙しかったか分ります。人に撮ってもらった写真が少なく、セルフィーだらけです。それはなぜかと言うと、一人でシカゴを回っていたせいで、人に写真を頼む時間も無かったからです。

 私はシカゴの生活がどうなのか知りたかったので、タクシー、地下鉄、自転車を使って、色々回りました。自転車は、車と同じスピードで車道を走らないといけないので、必死にこぎました。またシカゴに行く機会があったら、今度はゆっくり街を歩き、食べられなかったシカゴピザを食べたいです。


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 インドネシア・アチェ州へ留学にきて、あっとゆう間に2ヶ月経ちました。 2ヶ月住んでいると、こちらの環境がとてもよく分かります。 

 最近とても停電が多いです。停電になると寮の隣の喫茶店で、みんなでコーヒーを飲んでおしゃべりをしています。なので、停電は全く怖くなく、むしろ楽しんでいます。 

 未だに慣れないこともあります。それは、お風呂です。日によって水が出ない時もあるので、いつも桶に水を溜めるようにしています。このようなことは、現地では普通のことなので、いつも通っていている喫茶店の人たちに相談すると、笑って「これがアチェだ」と返されます。 

 2ヶ月住んでいると、友達とも絆ができ、今では毎日会う仲間も出来ました。毎週、フットサルを一緒にして体を動かしながらコミュニケーションを取れるの楽しいです。来月には、メンバーと一緒に作ったユニフォームが届くので、すごく楽しみにしています。大学の先生対生徒でサッカーの試合もしました。 
 
 インドネシア語でコミュニケーションを取ることができるようになってきたので、現地の言葉であるアチェ語をみんなが教えくれます。嬉しいことですが、かなり難しいので、少しずつ勉強していきたいと思います。 

 いつも行く喫茶店では、日本語と英語とアチェ語を使っていけないというルールをみんなが作ってくれたので、喫茶店にいるだけで、インドネシア語の勉強になります。 

 大学でも少しずつですが、成長していると感じます。Ecology and Environment の授業では、水害問題をどうしたら良くなるか、改善点などに関するプレゼンテーションを行いました。プレゼンテーションをしても笑われることが多いですが、インドネシア語でプレゼンテーションをするとは、2ヶ月前の自分では想像もしていませんでした。まだ、授業はとても難しいですが、学校の宿題を見せると、大学の仲間がゆっくり丁寧に教えてくれるので、とても助かっています。 

 たまに空きコマを使い、日本語を教えることもあります。学生だけで集まり、空いている教室や学校内の喫茶店で、ひらがなを教えたりしています。みんな日本語に興味を持っていて、とても嬉しかったです。来年の春から名古屋学院大学への留学を目指している学生もいます。 

 大学以外では、佐伯先生の力を借りて、国際協力の最前線を見ることができました。去年、インドネシア・スタディツアーで訪れた、チョッ・マンボンという村を再び訪れました。この村は、生活水を十分に得ることができないことが問題とされています。生活水用の水道管を寄付を支援するところに立ち会いました。工事は、全て任せるのではなく、村の人たちができることは自分たちでやっていました。テレビなどでは、そのような現場はみることができないので、初めて知ったことも多かったです。

 ただ、この村支援の説明を受けても、わからない単語が多く全てを理解することはできませんでした。もっと勉強して、専用的な言葉も覚えていきたいと思いました。
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