皆さん、3連休をどのように過ごされましたか?いつも通り過ごしたという人もいれば、せっかくだから遠出したという人もいるかもしれませんね。
さて、3連休の最終日である2月11日は「建国記念の日」という"国民の祝日"でした。
国の建国を記念する日は、その国によって異なります。例えば、アメリカ合衆国だと「独立記念日」(7月4日)がそれにあたり、ドイツだと、1990年にドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国が再統一した日(10月3日)となります。このように、ほとんどの国では、その国の歴史的出来事をもとにして建国記念日が定められているんですね。
では、日本はどうなのか。日本国憲法が施行された日かな? そう思った人、なかなか良いセンス!でも...違うんですね 笑 それは「憲法記念日」という別の祝日として定められています(建国日を決めるとき、実際にそういう意見もありました)。
実は日本の場合、歴史的な出来事ではなく、"神話"に基づいて「建国記念の日」が定められたんです。かつて、2月11日は「紀元節」と呼ばれていました。これは、奈良時代の歴史書『日本書紀』に記されている、初代天皇である神武天皇の即位日に由来する祝日のことで、旧暦では、この日が1月1日とされていました。ただし、この祝日は、第二次世界大戦後、GHQによって廃止されることとなりました。天皇を神と教え、日本の国民を戦争へと駆り立てた原動力である"国家神道"を徹底的に排除することを目指したためです。
しかし、国家神道は根絶されることはありませんでした。そして、かつての「紀元節」復活を求める勢力の働きにより、"建国記念日"を制定する法案が幾度となく提出され、何度も退けられたものの、最終的には、紀元節をその日に定めることで成立することとなったのです。
ただし、ここで注意していただきたいのは、この祝日は「建国記念"の"日」であって「建国記念日」ではないということです。これは、とても大事なことなんです。と言うのも、由来となった紀元節(つまり神話の登場人物である神武天皇の即位日)は、歴史的事柄ではないために「建国記念日」と呼ぶのはふさわしくありません。そして、「の」という語を入れることで、"国が建国されたという事象そのものを記念する日"として解釈できる余地を残しているわけなんです。神話に基づいて「建国記念の日」が定められたことは変わらないんですけどね...。
ところで、今回の記事のタイトルは「2/11 信教の自由を守る日」としました。「信教の自由を守る日」は、日本のキリスト教界にとって非常に大切な日です。
先に述べたように、「建国記念の日」(2月11日)は、国家神道の核となる日本神話を由来とする祝日です。言わば、天皇制を保持し続けるこの国を象徴する日であるわけです。皆さんご存知の通り、天皇を神と崇めていたこの国は、先の大戦において、"別の神"を信仰するキリスト教を迫害・弾圧してきました。信者たちは、天皇を崇拝することを強要され、監視され、ある者たちは逮捕され、獄中死など命を落とした人々もいました。すなわち、日本のキリスト教の信者たちは、自分たちの神を信じて生きていく自由を侵されていたのです。
1966年に「建国記念の日」が制定されるとすぐに、日本のキリスト教諸教会は、その日を「信教の自由を守る日」と呼んで各地で反対運動が行われるようになりました。国民の生活の中に天皇制を保ち続けようとするこの国の在り方に異議を唱え、日本国憲法によって保証されている「思想・良心の自由」「信教の自由」を守っていくためです。
皆さんの中には、"宗教"と聞くと、抵抗を感じたり、あるいは「そもそも宗教なんて興味ない」という人が少なくないと思います(...そんな人たちが、ここまで読んでくれてるのかな?笑 長々と書いてきましたけど読んでくれてありがとう!みんな大好き!)。
それは決して悪いことではありません。宗教に興味がある人もいれば、興味ない人もいる。当然のことです。それに、宗教に悪いイメージを持ってしまう(皆さんに持たせてしまっている)のは、キリスト教を含め全ての宗教に責任があるとも言えるかもしれませんね。
しかし皆さん、考えてみてください。宗教に興味が無い、あるいは宗教なんて無くなれば良いとさえ思っている、はたまた何らかの宗教を心の拠り所としている私たちの生活が、実は、天皇を中心とする「国家神道」というれっきとした"宗教"の影響を大きく受けている。そして、その宗教に基づいて、この国の建国日が定められていたり、また、何年かに一度、元号と呼ばれる暦が変えられたり、更には私たち自身の"政治に対する見方"も影響を受けたりする。そして何より、天皇と国のために、かつて多くの人々が洗脳され、数えきれないほどの命が失われてきた。また同じことが起こる可能性が無いわけではない。
...何かそれっておかしくないですか?「信教の自由」をはじめとした私たちの「自由」って、本当に保証されているのでしょうか。
「キリスト教」という"一宗教"の思想を根底に据える本学に、今、皆さんは繋がっています。言わば、世界や国、社会、更には私たち一人ひとりの生活を左右する力を持つ「宗教」という分野について学ぶのに最適な環境がここにはあるのです。これからの時代を生きていく全ての人々のために、また"あなた自身"のために、「宗教」と「自由」について一緒に考えていきませんか?
ーー「建国記念の日」そして「信教の自由を守る日」を覚えて綴った、チャペルの牧師の個人的なコメントでした。