『天使と格闘するヤコブ』(1955年)
作者:ポール・ギュスターヴ・ドレ(Paul Gustave Doré、1832年1月6日~1883年1月23日)
フランスのイラストレーター、画家。15歳の時から絵の世界で活躍し、主に挿絵画家として知られています。ダンテの『神曲』の挿絵が代表作。版画や彫刻、風刺画、幻想画、肖像画など、1万を超える様々なジャンルの素描やイラストなどの作品を残したことで、多くの画家たちに強い影響を与えました。旧約聖書や新約聖書の物語を描いた作品も多く存在しており、この『天使と格闘するヤコブ』もそのうちの一つ。ヤコブは、ユダヤ人の祖先であるイスラエル民族の族長の一人で、彼の十二人の息子から生まれた子孫たちが、イスラエル民族を形成していったとされています。創世記32章において、ヤコブと夜通し格闘(レスリング?)した神の御使いは、ついに降参し、彼のことを「イスラエル」(神に勝つ者という意味)と名付けました。
創世記32章23~33節(日本聖書協会『新共同訳聖書』)
その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。