きりがいい

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昨日のブログにて、1月23日だから123だとか、「主よ憐れんでください」をラテン語で「キリエ・エレイソン」といいますと書いたんですが・・・

 

なぜかトナリの上司(仮名)さんが数回くり返していたことが・・・。

何がいいたかったのか、その時まったくわからなかったけど、今日になってようやくわかりました。

 

「123って本当にキリがいいね。123はキリがいいんだとさ。きりがええぞ

 

 

なかなかの傑作でした。

 

 

それはともかく、「主よ憐れんでください」の「憐れむ」ってふだん使わないことばですよね・・・・。

いいかえるなら・・・・

「聞いて」

「助けて」

「私を忘れないで」

「一緒にいて」

「愛して」

こんな・・・感・・・・・じ・・・・・!?

書いといてなんですが、一瞬ひきました。でも相手は神様ですから・・・・。

 

神様は人の苦しみも悲しみも願いもすべてお見通しで、そんな神様のことを信じているのに、それでも言わずにいられない心の叫びのようなものだと思います。

こんな心の叫びを堂々と口に出すって、なかなかないですよね。

心が迷ったとき、疲れたとき、こんな言葉があったなーって思い出してください。

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このページは、キリスト教センターが2013年1月24日 15:06に書いたブログ記事です。

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