<03>学生サポーター: 2016年11月アーカイブ
あなたにとって美しいものと言えば何でしょうか
東京タワーか金閣寺か、あるいはありのままの自然か、それとも美徳か、卓越された魂か...
美しさとは何ぞや?
戦前から戦後までの激動の時代を、作家として歩んだ坂口安吾は考えました
生きることは堕ちること、堕落することだ
と唱えたことで戦後日本社会に衝撃を与えた『堕落論』
この、以前紹介した坂口安吾のエッセイですが、
『堕落論』に表れている彼の思想は他の著書においても読み取ることができます
その中でも面白いのが『日本文化私観』
安吾が持つ日本の美感について語られていますが
そもそもこのエッセイを書こうと思った大きな理由があるのです
当時来日していたある外国人がいました
彼は日本の建築物や文化に触れた後、日本の美について日本文化私観というタイトルで本を書きました
それをみて安吾は思いました
これは真の美しさではない
この外国人のいう美は、実際私達の生活から遊離していて観念にすぎないと
安吾の持つ美観とは、
今現在生活していくのに本当に欠かせない、実際的なものこそ真の美しさがある
とのこと
つまり...
美しさのための美しいもの
なんてのは真の美ではないんです
安吾による比喩を使えば
「法隆寺よりは停車所を」です
法隆寺はたしかに美しいです
しかし多くの人は生活の中で法隆寺よりかは停車所を利用し、役に立てているはずです
停車場には美しさのかけらもありませんし
美を創ろうとしてつくったものではないですね
ただ生活の中で利用するだけの存在です
しかしそこに真の美しさがあるのです
安吾は例えば、小菅刑務所、ドライアイス工場、入り江に休んだ駆逐艦‥
なんかに惹かれ、美しさを見出します
それらには美しさのための美しさが無く、必要なものだけがあり、必要だから必要な分だけつくられたものですね
美というものの立場から付け加えた一本の柱も鋼鉄もなく、
ただ必要なものが必要な場所にあるだけ
真に必要なものは絶対につくられるし、無くなりません
美しさのためにあるような、言わば飾りにたいして本当に美しいといえようか?
美しさのための美しさ、をぶった切るこの一冊
我々が普段持つ美感に訴えかけてくる気がします
あなたにとって美しいものとは何ですか?
それは本当に真の美しさといえますか?
安吾の訴えを知って、もう一度考えてみてください
青空文庫からも出ているので、Kindleでも読める素敵なエッセイです
学生サポーター: あっきイ
今回はまさに今のみっこではないか!!っと思わずドキッ∑( ̄Д ̄ll)っとした本に出会いました
「20代のうちは楽しんで、30歳になったら考えよう」では遅すぎる!!
えっ!?ギクッ!!∑(゚Д゚ノ)ノ今のところ・・・みっこは今、楽しい=最強!!
30歳になったら色々考えればいーや((*´∀`*))そんな考えでした。
でも、この本には・・・
・生涯賃金の伸びの3分の2はキャリアの最初の10年間に起こる
・人生を決定づける出来事の80%は35歳までに起こる
・半数以上の人が30歳までに将来のパートナーと出会う
・脳が人生最後の成長を遂げる
つまり、あなたのキャリア、生涯賃金、パートナー、パーソナリティーは20代のあいだにほぼ決まってしまう!!っとゆーこと
・・・まじか((;OдO))みっこには耳の痛い話ばっか!(>ω<ノ)ノ
・ではそしてこの時期をいかに有効に過ごせばよいか?
・そもそも何故この10年が大切なのか?
理想の将来のつかみかたをアドバイスする全米ベストセラー
みっこもしっかりと人生設計を立てよう!!そう思いましたっ!(*-∀-*)ゞ
みなさんも是非この本を読んで将来につなげる20代になったらいいなぁ~っと思いました♪
ブログ読んで頂きありがとうございました( ´ー`人´ー` )
学生サポーター:みっこ
人は生涯のうち何回ずるをしてしまうのでしょうか。そして、ずるをするとどれだけの人が損をするのでしょうか。
そんな問題に果敢にチャレンジしたのがこの本。
『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』です。
色んな角度から人がごまかしたり、ずるをすると誰がどのように損をするのか研究結果をまとめた本です。
おもしろかったのは、偽ブランド品を身につけた人はごまかす回数が増えるという研究でした。
実験では、自覚して偽ブランド品を身につけた人は、どうせ、偽者だからという意識が行動にも表れてしまい、実験でお金をもらえるものでは意図的に多くもらえるほうばかりを選択する被験者が、本物のブランド品を身につけた被験者より多かったそうです。
この結果は私にとっては衝撃的でした。コピー商品が多くはびこる現代、〇〇風のかわいい服、バッグ。お金をかけなくてもなんとなく高級そうな装いをすることができるのは、いいことかと思っていたので。
妥協して、これでも〇〇に似ているからいいや。と自分をごまかすことはあまりよくないようです。
ちょっとだけと思っていても、小さなごまかしは実は大きな影響を与えていることがわかりました。おすすめなので読んでみてくださいね。
(学生サポーター:たまちゃん)
20世紀アメリカ文学の一冊を紹介します
学校という社会、集団生活にどうしてもなじめない少年が
それでも自分らしく生きていく様を描いた小説
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
元の翻訳本の『ライ麦畑でつかまえて』 野崎訳
がありますが、その更新バージョン(村上訳)です
この小説、主人公の少年であるホールデンが一人称でとんとんと語っていくわけですが、
ある程度読み進めていくと、「う~ん、なんだこれは?」とつい目を細めてしまいます
始めはまあいいですが、少し立つとどうやらイライラのようなものが湧いてくるみたいです
書かれてある文章について、つまり少年くんに嫌悪感だとかうっとうしさみたいなものを感じてしまいます
「おいおい、こいつは何をやっているんだ」と
文章自体は読みやすいから割とすいすい進む、でも一方で心の中では何かがつっかえているような感じがするのです
結局のところこの少年が大人の世界だとか、学校や勉強というものに馴染めず、自分の中で迷い、さまよい、そしてぐだぐだやってしまう
そのようなところにこちらが苛立ち、「おいおい」となるのでしょう
でもなんで読んでて主人公にイライラするかというと
わたしたちも少年/少女の頃、彼と同じようなことを思ったり経験をしていたりしたからです
あるいは
彼のような性格のなかに自らの負のイメージがあるからでしょう
だから彼に対してこちらもあまり否定できません
これが青春時代というものだし「まあ、しかたないか」と
そして同時にわたしたちに青春を呼び起こしてくれる
つまり青春ってのはこういうものなんだ 笑っちゃうよ、
というわけです
50年以上も昔の小説ですが、いまだに若い層からの支持があるみたいで
ということはつまり今の人も多かれ少なかれ、彼と同じように思い、迷い、さまよい、
そしてどこか生きにくさのようなものを感じているのかもしれません
ちなみにこの本の紹介は以前にもあったみたいですが、名作は定期的に何度も蘇えさせることでまた新たなものが見つかるというような気がするので、まあ良しとしましょう
ちなみにちなみに、村上春樹訳の小説は『ロング・グッド・バイ』だとか数々のアメリカ文学が訳されてあるのでそちらも割と気軽に読めると思います
学生サポーター あっきイ