身近なところを歴史探検(NO2)
江戸時代、この白鳥キャンパスの地には大きな貯木場がありました。飛
騨の山々から切り出されたヒノキが約300日をかけて木曽川を下り運ば
れて来たといいます。貯木場を下り、熱田湊から伊勢湾を抜け、木曽川の
河口を遡ると、長良川、揖斐川と併せ三つの大河川が合流する辺り、輪中
として知られる地帯に出ます。この流域は、合流と分流を繰り返し、度々
氾濫、洪水を引き起こしておりました。
宝暦4年-5年(1754年-55年)、徳川幕府は薩摩藩に命じてこの地の治水
にあたらせました。このことは、遠方にある外様薩摩藩の勢力を削ぐ意図
もあり、藩内には大きな反発がありましたが、当時の家老平田は、藩内を
藩士を率い、治水事業に取り組みました。
しかしながら、治水事業は難渋を極め、幕
府との軋轢も激しく、疫病も流行、多くの
自害者、病死者を出すこととなりました。
工事は完成するも、家老の平田は大きな犠
牲と多額の出費の責任を取って自害します。
これを宝暦の治水事件といいます。
この歴史的事件を取り上げた小説が、杉本苑子著 『孤愁の岸』です。
現在、この地は木曽三川公園(岐阜県海津市)が築かれ、近隣の方々の
憩の場所となっております。公園の周辺には、薩摩藩士の石碑、平田を
祀る治水神社、堤の上には千本松原などがあり、命を懸けた偉業を偲ぶ
史跡が点在しています。当時の堤が、現在の気候変動にもかかわらず
泰然と地域を水害から守ってくれておりますことに深い感謝と、事の成
り行きに歴史の重みを感じます。
(しろとり図書館スタッフ 東空)
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