【部屋の中でみる青空】「である」はまだまだ新人さん
みなさん、こんにちは。瀬戸図書館スタッフのもんビバです!
今回はちょっと「へぇ!」となる雑学もまじえながらおおくりします。
「石炭をば早や積み果てつ。」
いきなりですが、これは森鴎外の『舞姫』の冒頭の一文です。これが書かれたのは明治時代の1890年。
昔の小説でも『こころ』は読みやすいのに、『舞姫』は古文みたいで難しい...と思った方も少なくないはず。
実はこの頃は日本語の書き言葉が変わり始めた時代なんです!
明治のはじめ、書き言葉はまるで古文。でも話し言葉はおおよそ現代と変わらず、様々な場面で不便が多かったようです。
そこで「言文一致体」と呼ばれる今に続く書き言葉が作られることになりました。
今回皆さんに紹介するのは、
日本で初めての言文一致体長編小説『浮雲』...ではなく『余が言文一致の由来』です。
これには二葉亭四迷が『浮雲』を書くに至った経緯や苦悩が書かれています。
思いのほか、しゃべっている言葉を書くというのは当時の人にとって悩ましいことばかりだったようですね。
ちなみに『浮雲』は長編な上に完結しないまま終わりを迎えているので、興味があればタイトルをクリックして読んでみてください!
この方が二葉亭四迷さん。「くたばってしまえ」という言葉から自分でこのペンネームを考えたそう。
ロシア語が堪能で、なんとなくこのお写真も大陸風。『浮雲』を書き始めた頃は23歳という若さ(!)でした。
またまたちなみに、
レポートや論文を書く際に皆さんが使う「である」調は尾崎紅葉さんが『多情多恨』で用いたそうですよ。
今では当たり前の「~だ。」「~です。」「~である。」といった書き言葉たちですが、日本語の歴史のなかではまだまだ新参者です。
※二葉亭四迷『余が言文一致の由來』は、青空文庫からすぐ読めます。タイトルをクリックして下さい。
(瀬戸のスタッフ もんビバ)
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