変身
20世紀の重要な小説家にフランツカフカがいます。といっても本人が生きている間は全然評価されませんでした。
その中に、友人に聞かせて大いに笑わせたという物語があって、それが『変身』
『変身:掟の前で 』光文社
『変身:断食芸人』岩波文庫
いくつか訳があります。
ある日自分の部屋の中で目が覚めて起きたら、虫になっていた。というおかしな始まり方をします。カフカの話は全部こういう、はじめに何か絶望的な状況に陥るとか、いきなり不条理さがやってくるという仕掛けになっています。気づいたときには、手遅れでもうなにかに巻き込まれているという負の状況から始まります。といってそこからなんとかして這い上がって負の状況から脱出するというものでもありません。脱出はさせてくれません。絶望とは、脱出できないからこそ絶望と呼ぶ。カフカを読んでいるとそんな風に感じるようになります。
虫になったことに気が付いたザムザは、その状況が受けいられず苦しみます。しかしそのことに疑問をもつことはなく、どうやってベッドから降りようかとか、どうやって部屋から抜ければよいかあれこれ考えます。セールスマンとしての仕事にもいかなくてはなりません。でもそのうちに家族に見つかってしまう。
悲しいけど、どこかばかばかしい、というのがこの小説の深みを作っていると思います。単に悲劇という劇的な感じがあるのではなく、淡々としていて終始孤独のまま時が過ぎていく。それまで親や妹のために働いて一家を支えてきたザムザだが、今度は逆に助けてもらう番に・・。だが結局のところ、絶望から抜け出すことはできず、家族にも見捨てられてしまう。よい終わり方はしません。
人間は、たえず変わっていくものです。昨日の私と今日の私は違います。でも変わることを受け入れられず、これが自分だと思っていた「私」に固執してしまう。変わることに自分も周りも、認めない。こういうところをうまく描いています。
部屋の中からなかなか抜け出せない、というと引きこもりや寝たきりを表しているようですが、そういうものの隠喩として読むとよくわかるという人も多いと思います。引きこもりとか、精神病のひとがこの本を読んだら、とてもよく共感して、引きこもりじゃなくなっていた、というような話を聞いたことがあります。
なぜ、勇気や希望を与える物語や幸福を感じさせてくれる話ではなくて、絶望を感じさせるもの、人間社会の不条理を描くものに、ある種の魅力をある種の人間は感じるのでしょうか。
カフカを読んでみると、こういう話を読むことで得られる利点というか、快楽のようなものを見つけるかもしれません。
カフカの時代にはなかなか理解されなかったが、その後の社会で受け入れられ、現代まで読み継がれるようになりました。
絶望的な気分のときとか、現代社会の中で孤独を感じる人に良いかもしれません。
図書館サポーター あっきー
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