『外套』に該当
岩波文庫を定期的に紹介していきたい!と思ってます。(最近変なブログタイトルが多いのでつられてしまった...)
前回は、内村鑑三の『代表的日本人』を紹介しましたが、今回は全く別のタイプの本でロシアの代表的な作家の一人
ゴーゴリ、『外套・鼻』という小説でございます。
この本は岩波文庫のなかの赤色の本の中の一冊ですが、岩波の赤というのはジャンルとしては海外文学の翻訳本。
個人的には岩波の中でも岩波赤は一番読みやすい、親しみやすいと感じております。(海外文学礼賛)
別のタイプと言いましたが、内村もゴーゴリもともに19世紀の人間。19世紀というのは特別な世紀で、個の独立の時代とか、小説の世紀であったりする。
ともに、その時代に特有なことで悩み、葛藤していたのかも知れません。
だからというか、いまからみるととにかく名著が多い時代です。
『外套』は、アカーキイ・アカーキエヴィッチという、役人の仕事以外にはなんら能のない人間を描いた、悲愴でユーモラスな話。
無能な彼は、そのほとんど唯一できることといえる役人の仕事を誰よりも真面目にこなし、それに情熱さえもっている。
貧しい暮らしをしている彼は、まとまったお金が入ったとき、そのぼろぼろになった服を代えるため、「外套」を新調する(彼の人生にとってはそれは唯一の華やかなことであった!)
が、そのことがきっかけで同僚達から必要以上にからかわれてしまう。
新調した外套姿の彼は、同僚達には滑稽に写ると同時に羨望の対象にもなり、いじめをくらってしまう。
たった外套を新調したというだけのことで彼にとっては大事件となった。
それまで醜くとも平穏無事に暮らしてきたアカーキイにとって外套事件は、他の人々にはなんでもない事件のようなことであっても、彼にとっては人生を狂わせるほど変えてしまった。
おお、これぞ悲劇。
滑稽さと悲壮感が交じり合うようななんともいえない、複雑な気分にさせられるアカーキイの話ですが、我々はそんな彼に感情移入してしまうのです。
この『外套』の主人公の気持ちに、自分も該当してしまう............というひともきっと少なくないでしょう。
『鼻』は、まあ、ある日、鼻が顔から抜け出してひとり歩きを始めた...という幻想的で奇妙な物語。でこちらもわけのわからない、どこか面白い話であります。
ちなみに芥川龍之介はこの話を元に、短編を書いています。
どちらも不幸で、不条理で、悲壮さとばかばかしさが合わさる、ロシア的な話ですが、後のロシア文豪たち、ドストエフスキーやトルストイたちはこのゴーゴリからとても影響を受けました。
ロシア文学入門といえる作品です。
貧しさと、恐ろしいほどの寒さと、不条理さと、ときに病的な長さ(何であんなに長いかな、ロシアの極寒さが関係しているのか?)のロシア文学。
が、これは短編なので気楽に読めます。
図書館SA あっきー
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