新聞と文芸
昔、新聞には当たり前のように小説が載っていました。かつて文学大国であった日本ですが、新聞は、その文芸を届ける役割を担っていました。戦後しばらくすると高度成長、高学歴社会とともに、小説よりも事実に関心が向くようになり、文学は衰退していきます。新聞は社会の変化に敏感。今、文芸作品は新聞の片隅にちょろっとあるだけですね。
先日社説のページを読んでいたら、右下のほうに川柳が載っているので目を移してみると、なかなか面白いのです。4月7日土曜日の朝日新聞です。
塩撒いて恥の上塗りする土俵
親方も行司も女人から生まれ
改憲にうつつを抜かし国乱れ
毎日がモグラ叩きを見るような
もの一つ言えずに空を明け渡し
蛍飛ぶ前に火垂るとなって逝き
(『朝日新聞』 2018.4.07 朝刊)
なるほどと思いました。その日一日や最近のニュース、話題、関心なんかを一目で見ることができるんです。とにかく全体を俯瞰できる。ニュースは次から次へと出てきますね。それら全てに目を通すことは不可能ですから、要点が纏められているとありがたいわけです。
この日の数日前くらいから相撲界の不祥事があり、高畑勲さんの訃報があり、そしてここひと月以上毎日のように報道されている改ざん問題。と、これらに関することが端的に表現されていますね。俳句や川柳は、短く、端的に、分かり易く、簡潔に伝えることができる、日本独特の文芸であるということが改めてわかりました。
短くて作品をたくさん載せられる。ということから、俳句川柳は、膨大な量のニュースを載せなくてはならない新聞の中で生き残ることができているわけです。
他にも朝日新聞の場合、本の新刊広告と書評が充実しています。だからぼくたちの文芸への渇望に、ある程度こたえてくれている雰囲気があります。それから改ざん問題のスクープもありましたし、そのあと芋づる式に次々に出てきました。今最もホットな新聞かもしれません。この先注目してみようかなと思います。
新聞は思った以上にわれわれにいろんなことを教えてくれます。またものを考えるためのテキストでもあります。ロングセラー、「思考の整理学」の外山滋比古さんが新聞の読み方について面白く書いています。
『新聞大学』 外山滋比古
周知のとおり、図書館では本だけでなく新聞が読み放題でございます。こんな施設あって良いのでしょうか。(笑)
図書館SA あっきー
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