生きよ堕ちよ
あんなにあきれるほどの夏の日照りも、今や少しずつ傾きかけ、秋がやってきました
この時期毎回、『夏の終わり』森山直太郎を思い出します
夏はいかがお過ごしだったでしょうか
長い休み、あれをやろうこれをやろうと思いつつも
いつもと変わらぬ日を過ごしてしまった
墓参りにいき、じっくりと高校野球を観賞し、(外は暑いから)本を読み、
(昼間は死ぬほど暑いから)出かけるにしても夕方以降、走るのも日差しが弱いときに、プールは人が多そうだし、他にすることがないのでプロ野球を観る......
どうしてこんなことになってしまったのか
答えはいたって単純
太陽が熱すぎるせいだ
だからしかたなくNHKをみる 過去に名を遺した著書を簡潔に紹介してくれる番組
これが単調な生活に驚きと発見を与えてくれました
『堕落論』です
この坂口安吾のエッセイは戦後の焼け野原、日本人が真っ白な状態で今までの価値観が崩壊してた頃に発表され、大きな衝撃を与えました
安吾は「堕落」というものを肯定的にみています
人は「堕落」というものにたいしてむしろ堕落してはいけないと考える
しかし彼は生きることは堕落することだと唱えている
なぜでしょうか ここが衝撃ポイントです
戦争によって、それまで日本人の心の中にあったアイデンティティのようなものはものの見事にぶち壊されました
例えば天皇制や武士道です
ただ安吾はそもそもそれらを否定するんですね
「戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。」
天皇制や武士道の精神はたしかに美しく見えるのだけど、それは本来の日本人ではない、いや人間の本性ではないってことなんです。特に日本人は主君への忠誠というよりは、昨日の敵は今日の友なのでしょう
「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母体によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。」
戦争が終わって人間が人間として戻ってきた
堕ちることが生きることです 堕ちて良いのです
これが戦後の日本へ向けた安吾による救い
「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。」
堕ちろ、堕落しろというとネガティブに聞こえますが、しかしそこに人間の美しさ、人間が人間たらしめるものがあるんですね
堕落論という言葉だけが独り歩きして悪いイメージがついてしましいそうですが決してそうではありません
そしてこのエッセイは現代の私たちにも強く訴えかけてくる気がします。まあ過去の名著と言われるものはたいていそうですよね
堕ちる、堕ちきるということを異なる視点で考えさせられた夏でした
『堕落論 ; 日本文化私観 : 他二十二篇』 坂口安吾著 (岩波文庫)
『堕落論』 坂口安吾著 (新潮文庫)
(学生サポーター あっきイ)
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