西洋靴事始め~日本人と靴の出会い~
暑い日が続くと思ったらもう梅雨入り、体が慣れるまでは大変ですね。
気温の上昇に合わせるかのように、学生さんの服装もダークな色から鮮やかな色が多くなりました。はつらつとした感じ。
学生時代、同じ専攻に本当にきれいな人がいました。センスも抜群で(というか、何を着ても似合う。ファッションがすり寄ってくるんですね)、いつもホーッと見とれていました。
彼女もそれがわかっているのでシモジモの私たちに少し近づこうとしたのか、ある日、「コーダカだもんでなかなか合う靴がないだよ。」(口を開くと三河弁)と言うのです。
"コーダカ?"初めて聞く言葉でした。そう、"甲高"のことです。ぼんやりと生きていた私は、足には大きさがあるだけで、いろいろなタイプがあることを知りませんでした。人により甲の高さや足幅、親指が長いとか人差し指が長いとかいった足の形状に違いがあることを知ったのはずいぶん大人になってから。バレエシューズを履いた時、みんなも甲にこんもりとお肉が盛り上がっていると思ってたけど違うんだぁ... 軽いショック。
さて、『西洋靴事始め~日本人と靴の出会い~』(稲川實著 現代書館)
草創期の靴づくりのあれこれが書かれています。
日本で靴がつくられるようになったのは1870年(明治3年)だそうです。外国人の手を借りながらどのように日本人が靴を作るようになったのか、靴はどのようにして売られ広まっていったのか...
オーダーできるお金持ちはともかく、発展の途上ではお店も少なく、一般の人々は履いて試すこともままならず、通信販売や店頭注文で取り寄せた靴に(足に靴を合わせるのではなく)靴に足を合わせて履く・・・ 足もかわいそうだっただろうなぁと思います。そんな事情も描かれています。今思えば私の子供のころでさえひどいものでした(昭和生まれです)。新しい靴を履くと決まって靴擦れができました。今は甲高が多いといった日本人の足の特徴や足のトラブルに対応した靴もたくさんありますしサイズ展開も豊富、柔らかい素材や足を守る機能も満載だし、売り場にはシューフィッターもいるけど。
あ、伊藤博文や乃木希典の足のサイズなんかもわかります。それが驚くほど小さい。
そして清国公使夫人は5文2分(12.5㎝)。纏足(てんそく)だったそうです。ずーっと前に中国でゆっくり歩いているおばあさんを見たことがあります。(今は○○㎝と言うけど、そういえばウチのおばあさんも○文って言い方をしていました。)
(瀬戸スタッフ P.K.)
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 西洋靴事始め~日本人と靴の出会い~
このブログ記事に対するトラックバックURL: https://blog.ngu.ac.jp/mt/mt-tb.cgi/3359