「ごんぎつね」の彼岸花
見渡す限り、紅く染まった河原の土手。
こんなにたくさんの彼岸花を初めて見ました。
「お昼がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵さんのかげにかくれていました。
いいお天気で、遠く向こうには、おしろの屋根がわらが光っています。
墓地には、ひがん花が、赤いきれのようにさき続いていました。」
「ごんぎつね」を書いた新美南吉のふるさと、愛知県半田市です。
兵十がうなぎを獲っていた川が、写真の矢勝川(やかちがわ)だと言われています。
「ごんぎつね」新美南吉 著
小学校の時、国語の教科書で読んだ人が多いのではないでしょうか。
なんでこうなるの?と思わずにはいられない、悲しいラスト。
兵十もごんもどっちもかわいそうだと、子どもの頃は思っていました。
でも、不条理なできごとをたくさん経験し、大人になった今では、
最期になってしまったけれど、ごんはようやく、
栗やまつたけを持って行ったのが自分だとわかってもらえて、
穏やかで満ち足りた気持ちだったんだろうなぁと思うのです。
残された兵十が、きっと一生消えない心の傷を負ってしまったのとは対照的に。
そして実は、ごんが目を閉じたままうなづいた、というラストシーンのくだりには、
編集者の手が入っていたそうです。
「ごんぎつねはぐったりなったまま、うれしくなりました。」
というのが南吉の草稿だったのです。
彼岸花を見ながら土手を歩いていると、
遠くから豆腐屋さんのラッパの音が聴こえてきて、
南吉がここで暮らしていたころの雰囲気を感じられた気がしました。
18歳でこんな物語をかけてしまった彼が抱えていただろう深い孤独。
それを思うと、物語の悲しさがますます胸に迫ってきます。
(瀬戸のスタッフ うぱこ)
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