<06>図書館スタッフ: 2012年3月アーカイブ

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『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

ジョナサン・サフラン・フォア著/近藤隆文訳

 

先日、映画館で大泣きしてしまった映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』。

 

アメリカのニューヨークで穏やかに暮らすひとつの家族が、

"ある日"を境に、悲しみのどん底に突き落とされてしまう。

ある日・・・それは2001年9月11日。

その日、ワールドトレードセンターにいた父親トーマスは、

テロ事件によりこの世から消えてしまう。

家族を大きな愛で包んでくれていた父親を突然亡くし、

日常が一変してしまった母親と息子のオスカー。

 

悲しみの中、オスカーは父親のクローゼットから一本の鍵を見つける。

この鍵は、お父さんが残してくれたメッセージに違いない、と思ったオスカーは、

その鍵が開くはずである"鍵穴"をひとりで必ず見つけだす決心をする。

鍵穴を見つける調査とちいさな旅・・・それは父親からメッセージだけではない、

怖がりだった少年オスカーがたくさん人たちと出会い、発見する冒険だった・・・。

 

オスカーは、自閉症気味でアスペルガー症候群のような性質を持ち合わせる少年。

そのとても繊細な目線に、何度も胸が詰まりました。

そして物語には、何度も明るい光のような希望が見え隠れします。

人はどんな悲しみの淵にいても、きっとちいさく笑ったり、些細なしあわせを

感じ、そこから再生できることができるんだと、思わせてくれた映画です

 

実はまだ原作は読んでいないので、これから読む予定です。

きっと映画よりも、登場人物たちの詳しい心情が描かれているはずだと

思うのでたのしみです。

 

(なごやのスタッフ 春)

 

 

千年に1度の大災害といわれた東日本大震災から1年。

月日が流れるのは本当に早いです。現在ミニ展示コーナーでは

「東日本大震災~2011.03.11を心に刻んで~」を特集しています。

 

 

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◎希望 : 僕が被災地で考えたこと (乙武洋匡著)

◎外国人が見た東日本大震災(エハン・デラヴィ著)など、

筆者が実際見て感じとった被害地の模様や

 

◎原発・大地震生き残りマニュアル(浅井隆著)

◎大地震!とっさの行動マニュアル(山谷茉樹著)など、

もし自分の身の回りに災害発生した場合のマニュアル本

 

そして、

◎記憶 : 忘れてはいけないこと : 東日本大震災報道写真ギャラリー : 2011.3.11PM2:46

(日本経済新聞社編集局写真デザインセンター写真部編著)

3.11大震災 : 写真に残された記憶と祈り など

 大型本から感じるとる当時の様子

 

などなど19冊展示しています。

 

2012.03.11には、色々な場所やメディアで追悼の模様を目にしました。

3.11をこれから先も心に刻み・・

「いま自分達に出来ること」そして「これから先自分達が出来ること」

とは一体何かと改めて考えさせられました。

 

日本には復興の輪が広がっています。

 

 

(名古屋のスタッフ りん)

「敬神愛人」の意味

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名古屋英和学校の創立者

 F.C. Klein

(1857-1926)

 最近、訳あって、本学の前身である名古屋英和学校の創立者F.C.クライン博士について調べています。名古屋学院大学が掲げる建学の精神は「敬神愛人」ですが、これはクラインが名古屋英和学校の校訓としたものでした。人間のおごりを戒め、人との調和を説くこの言葉を、私たちは学内のさまざまな場所で目にすることができます。しかし、私たちは、その提唱者であるクラインについて、充分に知っているとは言えません。彼はどんな人だったのでしょうか。『来日メソジスト宣教師事典』で、略歴をみてみましょう(同事典p.145より抜粋・編集)。

   * * *

■Klein, Frederick Charles
1857年5月17日、Washington, DCにて出生。
1880年、Western Maryland Collegeで学士号、1882年、同大で修士号。
1883年8月16日、ピッツバーグにてMary Elizabeth Pattonと結婚。
1883年9月23日、横浜に到着。1883年~1887年、横浜。1887年~1803年、名古屋。
日本メソジスト・ミッションの最高責任者で、このミッションの日本最初の教会及び名古屋学院の創立者。1893年から1908年までペンシルヴァニア州、デラウェア州等の諸教会で牧師。1904年から1908年までメソジスト・プロテスタント教会海外宣教局記録部書記を務め、1908年その最高幹部である通信主事となる。Western Maryland Collegeより名誉神学博士号を贈られる。
1926年12月27日、Berwyn, MDにて癌のため逝去。Lorraine Park Cemeteryに埋葬。

   * * *

 クラインが米国メソジスト・プロテスタント教会から派遣され、横浜に夫人と降り立ったのは26歳の時でした。当初は横浜での伝道強化が目的でしたが、4年後の1887年(明治20年)、クラインはキリスト教未開の地であった名古屋で名古屋英和学校を開校し、校長に就任しました。これが名古屋学院の始まりです。クラインは、校舎の建設、夜間部の開設、教会の設置など事業を拡大しますが、健康を害し、その治療のため日本滞在10年目の1893年4月米国に去ります。

 米国でクラインの墓参りをされた名古屋高校の秋重泉氏によると、墓石には聖書の一節"Not to Be Ministered but to Minister(仕えられるためではなく、仕えるために)"が刻んであったとのことです。秋重氏は、「これを読んで初めて、使命感を持って日本へ来て、そして名古屋までやって来たクラインの気持ちが理解できた」と書いています(注1)。

 今年は、クラインが来日してから129年目、名古屋英和学校が創立されてから125年目に当たります。クラインについては、青山学院大学のジャン・クランメル教授(1932~2006)の研究成果(注2)がありますが、まだ調査すべき資料が米国に残されていることがわかってきました。「敬神愛人」の意味をより深く知るためにも、クラインについて資料を収集する必要があると感じています。

注1) 秋重泉「創立者クライン博士をつき動かしたもの」『麦粒』 111号, p.2-4, 2008注2) 『メソジスト・プロテスタントチャーチ・イン・ジャパン』日本基督教団横浜本牧教会, 2006

(瀬戸のスタッフ りんたろう)

社会科見学などで裁判を傍聴した方は結構いるのではないでしょうか。

私も高校時代、夏休みの宿題として裁判を傍聴しました。

 

裁判所ツアーにも参加し、裁判官の着ている法服を着せてもらいました。(本物ではなくツアー用の法服でしたが・・・)

法服が黒色なのは何ものにも染まらないから。

何ものにも染まらず判断を下すということ。

法服には意味があると知ったのもこの時です。

 

 

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「裁判百年史ものがたり」 著:夏樹静子 

この本は裁判の歴史上、有名な事件をとりあげています。

客観的なドキュメンタリーというより、当事者のような書き方がされているので「ものがたり」のようでぐいぐい引き込まれて読みました。

「大津事件」のものがたりでは裁判官としての誇りにとても心を打たれます。

こうやって司法が変わってきたのか、これから裁判員が変えていくかもしれないのかとも感じました。

 

(瀬戸のスタッフ はち)

言葉の海を渡る舟

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小学生のころ、初めて辞書で調べた単語はなんだったんだろう、忘れてしまったけれど、
確か宿題だったので次の日みんなで答えを出し合ったのですが、
その中で、私が調べていった意味を先生が気に入ってくれたことを今でも覚えています。
「お、それがいいね。」と言ってくれた。
たまたま私が持っていた辞書にだけ、載っていたフレーズだったのでしょうかね。
あたり前なんだけど、辞書によってそれぞれ書いてあることが違うんだなぁと
その時思ったのです。

辞書って、どうやって作ってるんだろう。どんな人が書いてるの?
考えたこともなかったんだけれど、そうですよね、誰かが書いてるんですよ。それは当然。

 

三浦しをん著 『舟を編む』

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出版社の辞書編集部を舞台に、国語辞典編纂に情熱を傾ける人々の、汗と涙の日々を描く
職業モノ小説です。
(日々、というより年月といった方がいいのかな、だって企画から完成までなんと15年程
かかってるんですよ!)

帯にはこうあります。
 【辞書】言葉という大海原を航海するための船。(素敵!)
 【辞書編集部】言葉の海を照らす灯台の明かり。(素敵!)
 【辞書編集者】普通の人間。食べて、泣いて、笑って、恋をして。
              ただ少し人より言葉の海で遊ぶのがすきなだけ。(絶対少しどころじゃないし)

とにかく熱い、半端じゃなく熱い人たちです→辞書編集者。
熱意をもって真剣に仕事に打ち込むことの素晴らしさを実感しました。
意外にも格好いいんじゃないの、などと思ったりもして。
(それに比べて自分、もっと本気だそうよと思わず反省...。)

そして、辞書完成までの気の遠くなるような作業量に、これは絶対好きな人じゃないと
やっていけないなと思いつつ、「仕事とはいえそこまでするか?」「無理。自分には
向いてない。」と最初は引いていたメンバーも、いつの間にかその熱の中に引きこまれて
いくところがまたいいんですよね。

 

堅苦しいイメージで、道具みたいに思っていた辞書が、こんな風に作られていると思うと、
見る目が変わってきます。なんだかいとおしい感じ。

最近はなんでもパソコンで検索してしまうので、滅多に辞書を引かなくなっていましたが、
(図書館にいるのに。そばにあるのに。)いろいろな辞書を引き比べてみたくなりました。
試しにどんな単語にしようかな。(やっぱりアレですか。アレですね。)

きっと誰もが紙の辞書を引いてみたくなるはずです。
もちろん、国語辞典を何種類も持っている人は少ないと思いますので、是非図書館で。
ウワサの「新解さん」こと『新明解国語辞典』の最新版も、もちろんありますよ。

紙の手触りまで、お確かめください。

 

(瀬戸のスタッフ くり)

宝物の1冊

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号泣図書量産作家の最右翼といえば、重松清だろうと私は思います。

読者泣かせの技は、もはや職人芸と言ってしまってもいいかも。

 

そのうまさが鼻につくと感じることもあるへそ曲がりの私は、

彼の本を読んでいて胸がしめつけられるようなせつなさを感じたり、

思わず泣いてしまったりしても、

読者のこんな反応は彼にとっては織り込み済で、

予定調和に過ぎないんだろうなとつい考えてしまい、

物語の世界にどっぷり浸かれないのです。

 

でも、この本だけは違いました。

 

吃音の少年が、小学校から高校を卒業し上京するまでの日々を描いた

重松清の半自伝的小説「きよしこ」

 

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主人公のきよし少年は、自分の言いたいことがうまく伝えられなくて、

そのもどかしさや悔しさ、悲しさから、さまざまな葛藤や悩みに遭遇します。

クリスマスに欲しいプレゼントの名前が言えなくて

もらったプレゼントを泣きながら壊してしまったり、

うまくしゃべれないせいで、クラスメートからのいじめに遭ってしまったり...。

 

一方、普通に話せる(こういう言い方は語弊があると思いますが)私たちは、

ほんとうに言いたいことを伝えられているのでしょうか。

言いたいことを全部言ってきたひとなんているのでしょうか。

 

「大切なことを言えなかったすべての人に捧げる」

この本の裏表紙にはこう書かれています。

 

休前日に自室で読まれるのをお勧めします。

 

(瀬戸のスタッフ・うぱこ)

今週末は・・・

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3月3日(土)の日本経済新聞(夕刊)に、

「 宮沢賢治「春と修羅」 」が取り上げられました。

「 文学周遊 」のコーナーです。

 

小さいころから絵本や教科書で親しんできた宮沢賢治(1896-1933)の作品には、

「銀河鉄道の夜」や「雨ニモマケズ」など、有名なものがたくさんあります。

今でこそ、誰もが知る作家の1人となっていますが、

生前発表した作品は、詩集「春と修羅」と童話集 「注文の多い料理店」のみ。

この2冊を自費出版しましたが、売れ行きは思わしくありませんでした。

 

彼の出身地は岩手県の現在の花巻市。

そう、昨年の震災で大きな被害を受けた地域のひとつです。

宮沢賢治の人生に、大きな災害がついてまわったことは、これまでも指摘されてきました。

生年の1896年には明治三陸地震。

没年の1933年には昭和三陸地震。

この2つの地震では、揺れによるものよりも津波による被害が甚大だったと伝えれられています。

そんな自然の持つ両面を身近に感じながら成長した宮沢賢治の作品には、

自然の優しさと厳しさを感じさせるものが多くあります。

 

  「 「雨ニモマケズ」などの詩が被災者を励まし、賢治の詩が持つ力が再確認された。 」

       (2012年3月3日(土)日本経済新聞夕刊 「 文学周遊 宮沢賢治「春と修羅」 」 より)

 

今週末に向けて、宮沢賢治の詩を読み直してみるものいいかもしれません。

 

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ちくま日本文学003 宮沢賢治

 

今年の9月に、花巻市にある宮沢賢治記念館は30周年を迎えます。

いつか、行ってみたい。

この新聞記事を読んで、強く思いました。

 

11日には名古屋・栄にある中央教会でも、追悼礼拝が行われるそうです。

長雨が明けて、皆の上に青空が広がることを願っています。

 

(栞)

図書館 ~夢の扉~

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こんにちは。りゃま です。

 

今日は、瀬戸にて開催中の「音楽本展」に合わせて、

音楽のお話をしたいと思います。

 

先日、わたしは、ひょんなきっかけから

プロのアコーディオン奏者の方とじっくりお話する機会を得ました。

 

その方は、以前公開されたジブリ映画のテーマソング

メインパートを演奏されるなど、現在活躍中の演奏家です。

 

そのほか、ジャズのセッションライブや、

著名な演歌歌手のレコーディングにも数多く参加されるなど、

幅広い活動をされている とても魅力的な方です。

 

お話をしてうれしかったのは、

お互いに「図書館」という共通点があったことです。

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その方は、音楽大学在学中にアコーディオンに目覚めましたが、

まわりに教えてくれる先生もおらず、

独学するといっても資料がまったくない状態だったので、

図書館を利用しながらマスターしていったとおっしゃっていました。

 

確かに、アコーディオンは、

日本では誰もが知っているポピュラーな楽器ですが、

反面、ピアノやバイオリンのような正式な捉えられ方をされていません。

 

あくまで「フォークダンスや歌の伴奏などに用いる楽器」

というような位置づけで、現在においても専門の学校や学科はありませんし、

楽譜やCDもほとんど流通していません。

 

その方の通う音大の図書館でさえ、そのような状況だったと言います。

 

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一方、本場のヨーロッパ、とりわけフランスやイタリアなどでは、

専門の学校もありますし、楽譜や資料もふんだんにあります。

 

演奏家も、クラシック、ジャズ、タンゴなど、

さまざまなタイプの方がたくさんいます。

 

そこで、その方は、

所属する音大図書館に足しげく通い、購入希望をどんどん出して、

楽譜や、海外演奏家のビデオやCDを、たくさん揃えてもらったのだそうです。

 

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そして、書庫の整理などには買って出て、職員に顔を売り(笑)、

 

ついには自らアコーディオンに関する企画展示をして、

さらに資料を増やしてもらったそうなのです!

 

インターネットなどない時代のことですから、

独学するにも高価な洋書の専門書を読まなければなりませんし、

 

You Tubeで一発動画検索」という訳にはいきませんから、

やはり本場演奏家のビデオやCDを手に入れる必要があったのです。

もちろん、これらは一学生が個人で購入できる金額ではありません。

 

ましてや、マイナー楽器ですから、

ここまで積極的にしなければ図書館の人を動かせないと思われたのでしょう。

 

当時のご本人の本気度がビリビリと伝わってきます。

すばらしい熱意ですね!

 

そして、「図書館って、すばらしいところだな」

と再認識するとともに、

仕事に対して非常にやりがいを感じることができました。

 

今、プロの第1線で活躍されている方でさえ、

夢へと踏み出した第1歩は図書館

そして、その夢は大きく育まれていったのです!

 

極端な言い方かもしれませんが、この音大図書館がなかったら、

そのプロ奏者の方の昨今のご活躍はなかったのかもしれません。

 

ですから、みなさんも図書館を大いに活用して、

夢に向かって大きくはばたいていってほしいなと思います。

 

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私も、図書館スタッフとして、みなさんの思いに応えられるよう

精一杯頑張っていきたいと思います。

 

最後に、その方から1冊の本を勧められましたので、

ここでご紹介したいと思います。

 

 

『FLOW氏意拳の哲学尹 雄大・著

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本格的なアコーディオンの重さは、1015kg

米俵1つを抱えているようなものです。

 

これをライブで無理なく立奏するには、

姿勢や、骨、筋など肉体の仕組みを理解したり、

武術のような力の使い方や、呼吸法を知っていた方がいいそうなのです。

 

この本では、そういったことの解説とともに

武道の鍛錬によって芽生える時間・記憶・自我についての哲学的考察

についてが書かれているそうです。

 

自己啓発に役立つそうですよ。

 

学内に所蔵はありませんが、名古屋の鶴舞中央図書館にはあるようです。

 

先日まで貸出中でしたので、

わたしも、最近読み始めたところです。

 

みなさんも、興味があれば、ぜひ読んでみて下さい。

 

そしてアコーディオンのライブにも足を運んでみて下さい。

想像を超えた「繊細さ」と「迫力」に、きっと驚くことでしょう!

 

 

(瀬戸のスタッフ りゃま)

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