スタッフ: 2014年10月アーカイブ
フレデリック・チャールズ・クライン(Frederick Charles Klein, 1857-1926)は、メアリ夫人とともに1883年に来日し、名古屋学院大学の前身である名古屋英和学校を設立しました。クラインは、校訓を「敬神愛人」と定め、その教えはいま名古屋学院大学の建学の精神として生きています。
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ローマ・カトリック教会の総本山バチカンでは、23億円と15年をかけて手書き文献8万冊をデジタル化する作業が進んでいます。古いものでは2世紀の文献があり、このまま放置すればいずれ劣化し、なくなってしまいます。デジタル化は、貴重な文献を後世に継承するための有効な手段となっているようです(朝日新聞、2014年10月22日「聖なる古文書デジタル化 バチカン図書館8万冊計画 日本企業、重責を担う」)
本学でも、規模は小さいながら創立50周年を記念してデジタル化による「敬神愛人」保存プロジェクトが立ち上がりました。本学の理念「敬神愛人」が揮毫された例として最も古いのは、奥野昌綱が揮毫したものです(名古屋高校所蔵)。奧野は、ヘボン式ローマ字で知られるヘボンの日本語教師であり、また日本初の牧師といわれています。
奧野の書「敬神愛人」は、1906年1月に揮毫され、明治のころから私たちの歩みを見つづけてきました。私たちは、クラインの精神を継承していく上で、その歴史の「証人」としてこの書を永く保存していく必要があります。しかし、書は世にでてからすでに108年が経過しています。このため、名古屋高校の協力により、最新の技術でデジタルイメージの撮影が行われることになったものです。
スキャン作業は、2014年9月22日、この分野で実績のある株式会社堀内カラーの専門家により、名古屋キャンパスのチャペルで行われました。2時間半の準備の後、1時間にわたって44カットが撮影されました(写真1、写真2)。
写真1 「敬神愛人」書のデジタル化作業
写真2 デジタルススキャンした画像の確認作業
これらのカットから、262MBにおよぶ1枚のデジタル画像が造りだされました。その画像は大きすぎるため、縮小したものをご覧ください(図1)。書の一部、落款の部分を拡大してみました(図2)。
この画像はオリジナルに近い質感の和紙に印字され、高精度の複製が作成されました。複製された「敬神愛人」は、オリジナルの雰囲気を高い精度で再現しており、この書が生きてきた106年間をも写しだされているようでした。この書とともに「敬神愛人」の精神を未来につなぐことが、いまを生きる私たちの使命です。
図1 デジタル化された「敬神愛人」
図2 「敬神愛人」落款の拡大図
(参考リンク)
■フレデリックC.クラインとメアリE.クライン(「敬神愛人」の系譜 Part 2)
10月に入って、よく晴れた日の気持ちいいこと!
通勤途中に、このまま仕事に行くのはもったいない(~o~)
と思ってしまうのは、私だけじゃないですよね(笑)
湿度も低くて、身体を動かすのにいちばんいい季節ではないでしょうか。
さて、瀬戸図書館では10月から11月末まで、企画展示
「一緒に走ろう!」展 ~Run&Walk~ を開催しています!
私も亀レベルで超遅いですが、一応ランナーなので、
こんなタイトルをつけてみました。
子どもの頃から運動は全くできず、当然大大大嫌い。
運動会とマラソン大会が近づくと、雨天中止か病欠を本気で願っていた私が、
まさか大人になってから自分から走るようになるなんて、夢にも思っていませんでした。
今回この展示を企画したのは、
そういう昔の私みたいな人たちに、ランの楽しさを伝えられたらと思ったからです。
ランを始めるとおとずれる、心身のさまざまな変化。これ、嘘じゃないです。
かわいいイラストのおかげで、すぐに読めますよ。
大人気の公務員ランナー、川内選手。
爽やかという言葉をそのまま体現しているような人ですよね。
一介の市民ランナーとして、
恵まれているとは言えない環境で練習を積み、結果を残している彼は、
やっぱり応援したくなります。
数か月前に走り始めたと聞いたばかりなのに、
今やハーフも走ってしまうガチランナーに変貌を遂げた、
瀬戸図書館スタッフBさん一押しの図書です。
彼は他にも、ランに関するたくさんの図書を読んでいらっしゃいます。
私なんかより全然詳しいので、
そのうち栞輪上でも紹介してくださるかな、と期待しています(笑)
他にも、岐阜県の星・金メダリストのあの女性の本や、
往年の名選手・今では解説者として活躍中の「走る哲学者」と呼ばれたあの人の本、
箱根駅伝を舞台にし、映画化もされたあの小説なども展示してあります。
ぜひ、お手に取ってご覧ください。
そして一瞬でも、「走るって案外いいかも」と思っていただけたら、とても嬉しいです☆
(瀬戸のスタッフ・うぱこ)
皆様こんにちわ!
今日は私の大学時代の恩師が書いた本をご紹介したいと思います。
じゃん。
「無意識という物語:近代日本と「心」の行方」
一柳廣孝著
内容はといいますと...
日本ではどのような過程で、心理学という学問やフロイトの精神分析、
「無意識」という概念が受け入れられてきたか、そして
その歴史が、文学や社会現象にどのように影響を与え、表象されてきたか
といった感じです。
あ!なんとかまとめてるようにみえる(笑)
でも、もっともっといろんな要素が入っていて
きっともう少し適切な説明もあるかと思うのですが、
さすが先生の論文集だけありまして、
いかんせん私の頭ではなかなか難しい本でございます(泣)
本は難しいですが、ご本人はユーモアたっぷりの
素敵な先生です。現在は横浜で教鞭をとっておられますが、
名古屋に居られた時にホントにお世話になりまして、
授業もすっごく面白かったのです!!
先生のご専門のジャンルもなんていうか独特で、
日本近代文学なんですが、
催眠術とか、千里眼とか、こっくりさんとか、妖怪とか、霊とか...
(ご興味ある方はググってみましょう♪ 笑)
とにかく好奇心をいっぱいくすぐってもらいました。
私が授業で全く意見がまとまらず、へたな発表をしていた時には
「要するに、お前が言いたいのはこういう事だろう?」と
あっさりまとめてくださって、その明晰さに
「そう!そうなんです!」と何度感動したかしれません。
(私の発表の底の浅さはともあれ...)
卒業してン十年たちますが、こうして先生の活躍を
本を通して感じられるのはすごくうれしく思います。
本を見つけた時は即買いしましたよ!!
先生、見てますか~!? (笑)
【名古屋のスタッフ:るん】
牧野義雄は、明治から大正、昭和にかけて英国で活躍した水彩画家です。
異境の地で貧苦のなか、多くの関係者に助けられながら絵を描き続け、ロンドンの街角の霧
を描いたことで一躍有名となり、「霧の画家」と呼ばれるようになりました。
牧野は幼い頃より向学心が強く、世界で活躍することを夢みて、英語を学ぶために本学の
前身である名古屋英和学校に創立と同時に入学しました。牧野は本学創立者クライン博士と
その夫人を非常に慕っていました。彼は夫妻のために家の手伝いを喜んでこなし、夫妻も
また牧野にとても親切であったようです。
名古屋英和学校の様子は下記の図書で知ることができます。
When I was a child by Yoshio Markino London:Constable, 1912
【翻訳】幼少時代思出の記 牧野義雄著 ; 宮澤眞一訳 ; 豊田市教育委員会編
[豊田]豊田市教育委員会,1990.9
この著書のなかに、牧野が描いた名古屋英和学校の挿絵があります。
<名古屋英和学校の挿絵>
「アメリカ人宣教師との最初の面会」 (クライン博士との最初の出会い)
「名古屋英和学校の校庭」
ぜひ、一度ご覧ください。
現在、企画展示「霧の画家・牧野義雄と名古屋学院大学」を行っています。
■会期: 2014年9月~2014年12月
■場所: 名古屋学院大学 名古屋キャンパス 白鳥学舎
学術情報センター3階
(名古屋のスタッフ そら)