身近なところを歴史探検(NO3)

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 「尾張名古屋は城でもつ」とはよく言われます。名古屋城と言えば金鯱とか本丸御殿

が有名ですが、皆さんも城内のことは、あまりご存知ないのではないでしょうか。

東門から入って通路を西に向かうと茶店の裏側(西側)に天守閣を望み、ひっそりと建つ

立札があり、その裏には石碑が建っております。石碑には「尾張勤王青松葉事件之遺跡」

碑とあります。そして立札には「慶応4年(1868年)1月、前藩主で、藩の実権を

握っていた徳川義勝が佐幕(江戸幕府存続)派の藩士 14人を処刑した。義勝は勤王

(倒幕)派で、家中の佐幕派を一掃したとされる事件で青松葉事件と呼ばれる」との石碑

に関わる説明が書かれています。

この青松葉事件を題材にした歴史小説が「冬の派閥」です。名古屋市出身の作家、

城山三郎が書いた作品です。

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 幕末の徳川幕府においては、最後の将軍、徳川慶喜の大政奉還とその後の蟄居、隠居

だけが、テビドラマ等にも取り上げられ、注目されがちです。しかし、日本中に巻き起

った明治維新の激震は尾張藩においても同様に起こり、尾張藩主 徳川義勝もまた大い

なる渦中にあったのです。彼は当初から勤王(尊王)の立場に立ち、徳川御三家という

もう一つの立場ながら、新政府側につき藩内をまとめて行きます。その過程でこの事件

は起きるのですが、尾張藩はこれによりこの地において、戊辰戦争のような大きな内戦

は起こさず、平和裏に維新を成し遂げます。しかしながら、藩主によるこの粛清事件は

藩内の空気を重くし、そして引きずり、藩主自身の功績もあまり語られることなく、新

しい時代を迎えても活気に欠け、藩全体として天下(中央)への人材の輩出も少ない一因

となったようです。

 物語の後半では、徳川義勝の配慮により、佐幕派の人々が遥か北海道に渡り、新天地

での開拓に新たに取り組んでゆく姿が描かれています。

(しろとり図書館スタッフ 東空)

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