生の短さについて

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あまりにも現在とか現代にどっしりと浸かっているとだんだんと息苦しくなってきますから...、一度遠い場所、遠い時代へいってしまいましょう、気分だけでも。「本」はそんな気持ちを叶えてくれるものであります。(現実逃避)

といってあまりにも原始人すぎては困るので、文明のレベルを下げすぎずに...という望みにこたえてくれるのが「古代ローマ」

2000年も前なので生活の想像や人々が何をしてどんなことを考えてたのか想像がつきにくいのですが、やはりご承知の通り文明の高さは本当のようでして、意外とわれわれのとやっていることが同じなのです。

なんだ2000年前のやつらもだいたい同じことを考え、同じことに悩んでいるではないかと、驚きとともに、少々安心するところもあります。

この時代の賢人に、たずねてみましょう、本日の紹介本です。

生の短さについて』 セネカ

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 タイトルから想像すると、人生がいかに短いかということを語る、悲観的なもののように思えますが、人生は上手く活用すれば長くすることができる、という希望の書でもあるのです。

いつの世も賢人は、世の中の成り立ちについて適格な分析をしているものですが、セネカの考えは時や場所を越えて人間社会を俯瞰しているようです。

古代ローマも現代と同じく、多くの人が忙しく行き交い、喧騒に満ちた都市生活があった。人々は日々の忙しさに追われ、心の余裕というものを失い、人生についての不満が多く出てきた。

「なぜ、人生は短いのか?」

このころから、我々の誰もが抱く問題が出てきたのですが、それにセネカは静かに答えた。

セネカはストア派の哲学者で、主に皇帝ネロの家庭教師についたりして、激動の時代を生き、そこで人々の忙しさ、心の平穏のないところに不満を持ち、なぜそうなるのかを考えた。

「我々にはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。」

 多くの人間は、「時間」というものを当たり前に存在しているものと思い込み、簡単に使い果たす、お金を稼ぐためには惜しみない努力をし、無駄使いをなるべくしないように節制するのに、趣味や快楽にはありったけの時間を費やすのに、「時間」そのものの価値については、まるで無関心である、自分自身の時間を浪費してしまう...

そう我々は、

「誰もが他人の誰かのためにみずからを費消しているのである。」

「誰もが現在あるものに倦怠感を覚えて生を先へ先へと急がせ、未来への憧れにあくせくするのである。だが、時間を残らず自分の用のためだけに使い、一日一日を、あたかもそれが最後の日ででもあるかのようにして管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。」

時々どきっとさせられるような言葉がでてきて、まいったなという気分に‥。

「生きることにとっての最大の障害は、明日という時に依存し、今日という時を無にする期待である。」

常に何らかの用事に忙殺されてしまっている私たち現代人は、今日という日、今という時を失っているように見えます。

既に確定して変更が効かない過去と、不確定な未来に引っ張られてる、だから今を失う

つまり、「今しかない」のです。

時間がないという人、忙しすぎて心が落ち着かない人

この小さな昔の書で、生き方が少しかわるきっかけになるかもしれません。

一応「哲学書」ですが、特に難しい表現もなく難しいことを言ってるわけでもないので、誰でも読めます。

ああ、現実逃避のはずが、ますます現実に引き戻されてしまいました‥‥‥‥‥‥‥‥(笑)。


図書館SA あっきー

 

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