チェルノブイリと福島原発事故

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 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は、地震と津波による被害だけでなく、原発事故をも引き起こした。東京電力福島第一原子力発電所は地震と津波により全電源を喪失、炉心溶融と水素爆発が発生した。原子炉からは放射性物質が放出され、土壌や大気、海水を汚染した。当初半径2Km以内の住民が、ついで20Km圏内の周辺住民が避難を余儀なくされている。その後、20Km圏外にも計画的避難区域が指定された。

 放射性物質の影響を受けて子どもが甲状腺がんになることは、1986年、当時のソビエト連邦でおきたチェルノブイリ原発事故の調査で明らかになっている。福島県は、7月、地震発生時18歳以下だった県民36万人を対象に、甲状腺がん検査を生涯実施することを決めた。

"チェルノブイリに近いベラルーシでは、事故前の10年間で7名であった小児甲状腺がんの患者が、事故後の10年で424名に激増したことが報告された"(要約)と、菅谷昭著『チェルノブイリ診療記』(晶文社、1998)には記されている。菅谷は、1996年から5年半、ベラルーシに滞在し、医療活動にたずさわった。信州大学助教授の職を辞めての決断だった。
 現地での甲状腺がんの手術は、劣悪な医療事情に加えて、異文化との戦いでもあった。看護師がひとり休んだというだけで、手術が中止になってしまう。旧ソ連時代を引きずる職場規律に愕然としながらも、「あせりは禁物」と菅谷は現地に適応していく。

 ベラルーシでは、原発事故が原因であることさえ知らない子どもたちが病に苦しんでいた。菅谷が「チェルノブイリ事故は悲しみと不幸以外の何ものでもない」と書いてから13年後、この言葉はそのまま福島原発事故に向けられることになってしまった。

 菅谷は、帰国後、松本市長に推され、2004年3月当選。現在、2期目となった。『チェルノブイリ診療記』は、福島原発事故を受けて、急遽、文庫に加わった。 『新版チェルノブイリ診療記―福島原発事故への黙示』(新潮社、2011.6)として。

 ■参考 すげのや昭公式ホームページ

 

(瀬戸のスタッフ りんたろう)

 

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