オススメ本: 2011年11月アーカイブ

最近、わたしが眠る前に心を穏やかに、そしてそっと弾ませてくれている本がこちら。

 

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あしたも、こはるびより。: 83歳と86歳の菜園生活。はる。なつ。あき。ふゆ。

 

 

現在、愛知県春日井市高蔵寺ニュータウンで自給自足の生活を送っている夫婦、

しゅういちさん(86歳)とひでこさん(83歳)の菜園生活が記された本。

おふたりは、86歳と83歳とは思えないほど、ハツラツとした毎日を送っている。

 

 

しゅういちさんは、高蔵寺ニュータウンを設計した人でもある。

おふたりの家は、1975年に作ったワンルームの丸太小屋。

設計したのは、しゅういちさん。

お湯は出ない台所だけど、そこには"キッチンガーデン"という200坪の庭がある。

180本のいろんな種類の木々に囲まれ、70種類の野菜と50種類の果実が育つ庭。

春にはさくらんぼが実って、夏には麦茶の大麦を摘んで、秋は栗でくりきんとん、

冬はゆべしと保存食作り。毎月の恒例は、餅つきの日、手作りベーコンの日・・・。

本に載っている写真をみていると、おなかがグゥとなりそうなくらい美味しそう!

 

 

ふたりの暮らしは、しゅういちさんが考えた工夫と遊び心にも溢れている。

「ガスがついてますよ、忘れないで!」「アテンションプリーズ!」などと書かれた

うっかり防止の伝言板があったり、何にでもお手製の名札をつけたり

デザインも洗練されている。

 

人をもてなすことが大好きなひでこさんがとれたての野菜や果実で

作る料理とお菓子は、ひでこさんが少しずつ集めたお気に入りの器たちに盛られて、

お客さまたちへふるまわれるのだそう。

 

 

菜園生活は、野菜と果物を育てあげるまでに、きっと様々な大変なことも

あるのだろう。天候とか害虫とか・・・。

でも、それ以上に人生をこんな風に軽やかに楽しんでいる86歳と83歳のご夫婦が

いるなんて、とても楽しい気持ちになる。

"憧れる"なんていったら、おこがましい気もするが、お手本にしたいような生き方。

 

「あしたも、こはるびより」って思うような毎日、いいなあ。

 

 

(なごやのスタッフ 春)

 堀孝彦名誉教授から、1冊の著書が送られてきた。『開国と英和辞書―評伝・堀達之助』(2011年9月、港の人発行)がそれである。

 

 

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 堀達之助(1823~1894)は、幕末明治の通詞として歴史に名を残している。1853年、ペリー来航時に、達之助は"I can speak Dutch!(私はオランダ語が話せる)"と公式の場で初めて英語を発した。この時が、日本における外国語がオランダ語から英語に転換した瞬間だったと言える。達之助は、1859年蕃書調所の翻訳方に就任すると、本邦初の本格的な英和辞書『英和対訳袖珍辞書』を編纂し、1862年に刊行した。

 『開国と英和辞書』の巻頭は、あるエピソードから始まっている。2007年3月12日、高崎市の古書店主・名雲純一氏から堀氏へ電話があった。その時の様子を、名雲氏は、次のように書いている。
           * * *
 なるべくゆっくり静かな口調で『英和対訳袖珍辞書』の原稿を発見したことを告げると、堀氏は電話の向こうで相当に驚いた様子で動悸が治まらないからちょっと待ってくれとのことだった。さっそく翌日現物を見に来てくれた。やはり本物に間違いないことを確認した上で一言、「あぁ! 生きてて良かった」とおっしゃった。実に古本屋冥利につきる言葉である。 
           * * *

 この原稿の発見には、前段がある。1994年4月、本学図書館に届けられた名雲書店の古書目録に『英和対訳袖珍辞書』(文久2年版)が掲載されていたのだ。このことを知らせると、堀氏はすぐに高崎の同書店に向かった。古書価が700万円ということもあって、入手はかなわなかったが、その時以来、同書店とのつきあいがつづいていたものと想像される。

 また、古書目録で『辞書』を見つけたのと同じ頃、大英図書館にも『辞書』が保存されていることが判明した。『大英博物館所蔵和書目録』の記載を元に同館に手紙を出したことで、同館の館員によって現物が確認された。大英図書館蔵本は、のちに文部大臣となった外山正一(1848~1900)が幕府派遣留学生として英国に留学するときに持参したものと推察された。幕府からイギリスに派遣された外山正一は、留学中に幕府の瓦解を知り、日本からの送金を絶たれることとなった。その時の外山の心境は、どのようなものだったのだろう。大英図書館蔵の『辞書』には、筆で書いたと思われる"Japan where I can not"いう書き込みがあった。彼は「日本よ何処へ」と日本とその未来を案じていたに違いない(注1)。

 『辞書』が海外で見つかったことは、堀氏の英学史研究にある変化をもたらした。『辞書』は、明治維新直前に誕生し、その後の日本の変革期を見つづけてきた。その編者である堀達之助もまた歴史に翻弄されたひとりであった。『辞書』は、英単語の意味を調べるという辞書としての役割を超えて、所有者とともに数奇な運命をたどることになった。『辞書』を探すことが、日本の開国という経験を照らすことにもつながっていった。

 海外嫌い(?)の堀氏だったが、ついに2004年、オランダ、イギリスへと、堀達之助ゆかりの地を訪ねる旅にでた。『辞書』は、その所有者とともに波乱の時代を生きた。そして、その『辞書』を研究する側の人生にも、また少なからぬ影響を与えたに違いない。

(瀬戸のスタッフ りんたろう)

注1 堀孝彦、遠藤智夫 『英和対訳袖珍辞書』の遍歴―目で見る現存初版15本.
辞游社, 1999.6

自分は食べ物に関しては、かなり保守的な方だと思う。
食べたことがないものにはなかなか手が出ないので、食わず嫌いも結構多い。
他に食べるものがあるなら、あえて"初めて"には挑戦しないだろう。
でも、未知の食べ物しかなかったらどうする?

 

熊田忠雄 『拙者は食えん!: サムライ洋食事始』

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幕末から明治初期、開国間もない日本から海を渡ったサムライたちの、
「洋食との出会いと闘い」を、当時の日記や手紙からたどっていく歴史エッセイ。

ほとんどの人は慣れない味や食感にとまどいながらも、徐々に慣れていった
けれど、中には「絶対に無理!」という人ももちろんあったわけで、
味の許容範囲の狭い私などは、たぶん後者だろうなと思う。
そう考えると、「何でできてるかわからないパンとか気味悪いし、どれもこれも
油の匂いがしてなじめないし、味薄いしなんか甘い?物足りないよね味付け」とか
言って、一切口にできず、すさまじい空腹感に苦しむ姿を決して笑ったりはできない。

そして、狂おしいまでの醤油への渇望。
「ここに醤油さえあれば・・・」「どうしても醤油じゃなきゃダメなんだ!」
それほどまでに日本人の舌は醤油に依存しているのか。もしかして今も?
(海外からやって来て、日本の空港に降り立つと醤油の匂いがするという話も
まんざら嘘ではないのかも。)

そうは言っても食べなきゃ飢えて死んでしまう。
ついには肉の臭みをごまかすために、石灰の粉を振りかけて食べるという、
今なら絶対そっちの方が無理でしょという荒業におよぶなど、とにかく必死。
まさに"闘い"と呼ぶのがふさわしい。

ちなみに、かの福澤諭吉センセイは、洋食問題なし!すぐ慣れたとか。
さすが。こんなとこでも大物。

 

(瀬戸のスタッフ くり)

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