本にまつわる話: 2013年6月アーカイブ
■機関リポジトリの拡大
図書館では、雑誌論文を複写する業務をあつかっています。大学図書館の場合、所属する学生・教職員からの依頼に基づき、自大学が所蔵していない文献の複写を他大学から取り寄せています。また、他大学からの依頼により文献を複写して郵送しています。これを文献複写サービスと呼んでいます。
最近、このサービスが変わりつつあります。雑誌、特に大学紀要が機関リポジトリ(以下、リポジトリ)というネット上の倉庫に保存されていて、ここから全文をとりだすことが増えてきたのです。統計から見ても、リポジトリに登録された文献の増加は明らかです。国立情報学研究所によると、国内のリポジトリ登録文献数は2007年4月に33,784件でした。これが6年後の2013年4月には1,156,595件となったといいます(IRDBコンテンツ分析による)。実に6年間で34倍に増加したことになります。
ではリポジトリは、なぜ生まれたのでしょう。そして国内の大学図書館がリポジトリの構築に懸命になっている理由はどこにあるのでしょうか。
■電子ジャーナルとリポジトリ
大学図書館では、研究や学習を支援するために電子ジャーナルを契約しています。私たちの大学でも、EBSCO、SpringerLink、ScienceDirectなどと契約し、学内で利用できるようにしています。その契約金額は図書館予算のなかで大きな割合を占めており、しかも毎年上昇しています。この状況は海外でも変わらず、世界の図書館関係者にとって頭の痛い問題となっています。
大学における研究には、学術雑誌が欠かせません。研究者は専攻分野の学術雑誌から最新情報を入手し、論文を書きます。論文は査読を経て、一定の水準に達したものが雑誌に掲載されます。そして、別の研究者が引用という形で、その成果を活用します。研究者にとって自分の論文が多くの人に読まれることは大切ですが、同時に他人の研究成果を自由に参照できることも重要です。個人が論文などで新しい表現をおこなうためには、まず他人がどのように表現しているかを知る必要があるのです。
電子ジャーナル登場とその価格の上昇により、結果的に一部出版社による学術情報の寡占が発生することになりました。資本の論理によって生まれた電子ジャーナルは、利便性を発揮する一方で研究の自由と相反する状況を生んだといえます。このような状況の中、その対抗手段としてオープンアクセス(無料で読める)論文を収録したリポジトリが、まず欧米で現れました。
この学術情報の寡占は、日本国内でも研究の妨げとなりました。日本学術会議は、これに対処するため、「学術誌問題の解決に向けて」とする提言を2010年にまとめました。同会議は、電子ジャーナルへのアクセス確保と同時に、高品質なオープンアクセス論文の統合サイトを国内で構築することで、日本の学術情報の国際的な地位の向上を提言したのです。つまり、リポジトリの構築で、学術雑誌の寡占に対抗しようというのです。科学技術・学術審議会でも、2012年「学術情報の国際発信・流通力強化に向けた基盤整備の充実について」とする文書を発表しました。同文書では、科学研究費補助金研究成果公開促進費をうける学術雑誌をオープンアクセスとし、リポジトリを活用して発信することを提言しています。そして、リポジトリは大学図書館が中心となって担っていくべきものとしています。
■知る自由と図書館
学術雑誌のオープンアクセスを推進するには、個々の研究者が自分の論文をホームページに登録するセルフアーカイブという方法でも可能です。著者が直接論文をネットに公開すれば、時間も節約できるでしょう。著作権者が自らの論文をネットに登録すれば、権利関係の手続きも簡略化できます。
では、図書館は、なぜリポジトリを担おうとしているのでしょう。図書館がオープンアクセス論文をリポジトリに登録し、著作物を無料で提供することに、どのような意味があるのでしょう。それは、電子書籍が普及し、パソコンで本を読むようになった現代でも変わらない図書館の機能と関係しています。つまり、国民の基本的人権である"知る自由"と大きく関わっていると考えられます。知る自由は、表現の自由と表裏一体となすもので、図書館は国民の知る権利を保障する機関であるのです(「図書館の自由に関する宣言」参照)。
図書館は、リポジトリを構築することで、ネット上においても知る自由と係わろうとしていると言ってよいでしょう。図書館がリポジトリをつくるのは、だれもが自由な表現ができるよう、著作を入手する手段を自分たちで維持していくことでもあるのです。それは、図書を収集し、検索可能にして利用者に提供してきた図書館の歴史と重なります。それゆえ、図書館が構築するリポジトリには、客観的で公平な視点が求められます。図書館員は知る自由を理解した上でリポジトリを構築する必要がある、と言えそうです。
参考文献
倉田敬子. 機関リポジトリとは何か. MediaNet (13), 2006.
レイム・クロウ. 機関リポジトリ擁護論: SPARC声明書. 2002
(瀬戸のスタッフ りんたろう)
暑い日が続くと思ったらもう梅雨入り、体が慣れるまでは大変ですね。
気温の上昇に合わせるかのように、学生さんの服装もダークな色から鮮やかな色が多くなりました。はつらつとした感じ。
学生時代、同じ専攻に本当にきれいな人がいました。センスも抜群で(というか、何を着ても似合う。ファッションがすり寄ってくるんですね)、いつもホーッと見とれていました。
彼女もそれがわかっているのでシモジモの私たちに少し近づこうとしたのか、ある日、「コーダカだもんでなかなか合う靴がないだよ。」(口を開くと三河弁)と言うのです。
"コーダカ?"初めて聞く言葉でした。そう、"甲高"のことです。ぼんやりと生きていた私は、足には大きさがあるだけで、いろいろなタイプがあることを知りませんでした。人により甲の高さや足幅、親指が長いとか人差し指が長いとかいった足の形状に違いがあることを知ったのはずいぶん大人になってから。バレエシューズを履いた時、みんなも甲にこんもりとお肉が盛り上がっていると思ってたけど違うんだぁ... 軽いショック。
さて、『西洋靴事始め~日本人と靴の出会い~』(稲川實著 現代書館)
草創期の靴づくりのあれこれが書かれています。
日本で靴がつくられるようになったのは1870年(明治3年)だそうです。外国人の手を借りながらどのように日本人が靴を作るようになったのか、靴はどのようにして売られ広まっていったのか...
オーダーできるお金持ちはともかく、発展の途上ではお店も少なく、一般の人々は履いて試すこともままならず、通信販売や店頭注文で取り寄せた靴に(足に靴を合わせるのではなく)靴に足を合わせて履く・・・ 足もかわいそうだっただろうなぁと思います。そんな事情も描かれています。今思えば私の子供のころでさえひどいものでした(昭和生まれです)。新しい靴を履くと決まって靴擦れができました。今は甲高が多いといった日本人の足の特徴や足のトラブルに対応した靴もたくさんありますしサイズ展開も豊富、柔らかい素材や足を守る機能も満載だし、売り場にはシューフィッターもいるけど。
あ、伊藤博文や乃木希典の足のサイズなんかもわかります。それが驚くほど小さい。
そして清国公使夫人は5文2分(12.5㎝)。纏足(てんそく)だったそうです。ずーっと前に中国でゆっくり歩いているおばあさんを見たことがあります。(今は○○㎝と言うけど、そういえばウチのおばあさんも○文って言い方をしていました。)
(瀬戸スタッフ P.K.)