スタッフ: 2014年9月アーカイブ

プロ野球の名脇役

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大記録・大スターの影には、必ず影の立役者がいる。

・天才イチローとオリックス時代コンビを組んだ名外野手

・長島、王の後を打った5番打者

・ゴジラ松井が「顔もを見るのも嫌」と語った"松井キラー"の左投手

 

事実や証言を通して名脇役の存在が語られていて、おもしろかった。

選手だけでなくコーチ・スタッフ編も。

個人的には、"松井キラー"遠山奨志の章が印象的だった。

「今でも野球に関わる仕事ができるのは松井のおかげ。遠山といえば"松井キラー"と覚えてもらえている。

ファンにとっても僕にとっても松井は偉大な男です」

松井が「顔も見たくない!」と言ったのは、遠山にとっては最高の賛辞だった。

 

華々しいスターを影で支える名脇役にも注目して、もっと野球を楽しもう!!

ブログ用.png

 

プロ野球の名脇役

 

 

 

 

 

 

 

 

(瀬戸のスタッフ emirin)

最近、アメリカを中心に「アイス・バスケット・チャレンジ」という

チャリティーイベントが著名人の間に流行しているそうです。

 

この「アイス・バスケット・チャレンジ」とは、指名されたひとが

バケツに入った 氷水 を頭からかぶることで、

難病 ALS(筋萎縮性側策硬化症)

のことを広くしってもらうためのチャリティー活動。

 

指名された人は24時間以内に 氷水 をかぶるか、

100ドル(最低35ドル?)を寄付するかを選択する

仕組み。

 

すでに日本でも「山中伸弥教授」や歌手の「浜崎あゆみ」さんなど

多くがチャレンジしているようです。

 

私は、先ごろ ALS(筋萎縮性側策硬化症)を患い、

15年間闘病していた知人を見送りました。

このチャリティーの輪が広がり、新薬の開発や有効な治療法に

つながることを期待しています。

 

 (瀬戸のスタッフ:スージー)

「敬神愛人」の系譜

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   2014年は名古屋学院大学創立50周年です。前身である名古屋英和学校の創立された1887年から数えると127年になります。私たちが建学の精神としている「敬神愛人」とはどのような言葉なのでしょう。創立者F.C.クラインが生きた明治に思いを馳せてみましょう。

■「敬神愛人」の意味
 「敬神愛人」――人間のおごりを戒め人との調和を説くこの言葉は、名古屋学院大学の建学の精神として、1964年の創立以来もちいられています。F.Cクライン(1857~1926)は、1887年(明治20年)、名古屋英和学校を設立し「敬神愛人」を校訓としました。その教えが今も生きているのです。
 新約聖書『マタイによる福音書』第22章37節から39節には、「律法の中でどの掟が最も重要でしょうか」との問いに対して、イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」。第2に重要な掟として「隣人を自分のように愛しなさい」と答えています。「敬神愛人」は、聖書の考えを端的に表したものです。
 私たちは「敬神愛人」を本学独自の理念であると思いがちですが、今回1800年代に設立されたミッションスクールの歴史を調べてみると、「敬神愛人」およびそれに類する言葉を掲げているのは、表1のとおりいくつもあることがわかりました。

01_表1_建学の精神.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■「敬神愛人」の歴史
 このように考えると、名古屋英和学校が開校した1887年当時、「敬神愛人」という語句は、すでに日本のキリスト教関係者の間で広く知られていたと考えられます。
 日本メソジスト教会の初代監督で、1890年(明治23年)から17年間青山学院の院長を務めた本多庸一(1849~1912)は、1874年東奥義塾の塾長に就任した際、建学の精神を「敬神愛人」と定めています。本多が揮毫した「敬神愛人」は、1878年ごろのもの(井上琢智による)で、書としては最も古いものです(図1)。
 その14年後、1892年(明治25年)、東北学院の開院式において、巌谷修の揮毫「敬神愛人」(図2)が掲げられています。名古屋中学校・高等学校が所蔵する「敬神愛人」は、奥野昌綱(1823~1910)によって1906年(明治39年)1月に揮毫されたものです。奥野は、日本最初の牧師として、またヘボン式ローマ字の創始者J.C.ヘボンの日本語教師として、知られています。


<図1>

01_図1_本多庸一揮毫の「敬神愛人」(1878年ごろ).jpg



  <図2>

 01_図2_巌谷修揮毫の「敬神愛人」(1892年ごろ).jpg

 

 

 



■「敬神愛人」の起源
 「敬神愛人」という言葉は、いつごろから使われるようになったのでしょうか。本多庸一が東奥義塾の建学の精神を「敬神愛人」としたのは、1874年でした。その6年前、1868年(明治元年)に儒学者中村敬宇は『敬天愛人説』を著しています。
 敬宇はイギリスの繁栄をキリスト教精神にあると考え、儒教の「天」によってその精神を理解しようと、「天を敬す。故に人を愛す。吾が同胞を愛すは、吾父を敬するに由る」と書きました(原文は漢文)。その後、彼は次第にキリスト教に傾き、1874年に宣教師G.コクランから受洗しています。敬宇が亡くなったとき、巌本善治はその追悼文において「明治八九年の頃、先生屡ば基督教を講じ、日曜日はカクラン師を招聘して同人社三百の書生に敬神愛人の道を聴聞せしむ」(「女学雑誌269号1891)と書いています。
 敬宇は、儒教者としてまた新しい「文明国家」建設を望む者として西洋をとらえようと試み、次にキリスト者として西洋に近づこうとしました。私たちが身近で触れている「敬神愛人」には、中村敬宇・コクラン・本多庸一ほか当時のキリスト者たちの活動と、キリスト教を受容しながら西洋社会に目を向けつつあった明治の社会情勢とが背後に存在したと見ることができます。

  

  

(参考文献)
1) 井上琢智.吉岡美国と敬神愛人(5)・(6).関西学院史紀要 (10)・(12).2004・2006
2) 荻原 隆.中村敬宇研究:明治啓蒙思想と理想主義.早稲田大学出版部,1990
3) 東奥義塾九十年史.東奥義塾,1967
4) 展示録.東北学院資料室,2010

(せとのスタッフ りんたろう)

大掃除奮戦記!!

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皆様こんにちわ!夏休み後半いかがお過ごしですか?

 

9/4(木)・9/5(金)の2日間、学術情報センター(白鳥学舎)では

大掃除を行ないました!

2日間かけて、学情内を学生サポーターさんたちがピッカピカに

してくれましたよ!!

 

1日目は学情4Fを大掃除。

パソコンやキーボード、机や椅子、

DVDを楽しむためのイヤホンの清掃などなど...

力仕事もいっぱいこなしてくださいました。

(この日の様子は9/4の学情ブログをチェック!)

 

2日目は学情3F(図書館)がメイン。

ブラウジングコーナーの椅子もゴシゴシ...

大掃除2.jpg 

 

 

 

 

 

机もふきふき...

大掃除3.jpg 

 

 

 

 

 

 

棚も本を並べ替えたり、ホコリをとったり...

大掃除4.jpg

 

 

 

 

 

 

皆様が心地よく学情を利用してくれますように!!

いっぱいいっぱい願いをこめて (人´∀`*).。:*+゜゜+*:.。.*:+☆

 

当日センターをご利用頂いていた皆様には

物音など、ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。

学生サポーターの皆さん、ホントにホントにお疲れ様でした&ありがとう!

 

(名古屋のスタッフ:るん)

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