「十字架」と一致するもの

緑は今が旬!

9月25日(木)12:40~13:10に名古屋キャンパスチャペルでカレッジアワーが
行われます。秋学期最初のカレッジアワー、ぜひご出席ください。

ところで前回の記事、奨励をされている石田聖実先生をアップにすると

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おお!街中ではけっして見かけない服です!!
チャペルアワーでも牧師用のシャツまたは黒のガウン着用の先生が多いので新鮮にうつったのではないでしょうか?

せっかくなので後から全身を撮影させていただきました。

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1.全身を覆う白いローブ
2.腰にはチングルム等と呼ばれるロープのような紐
3.首からはストール
  刺繍は十字架と棕櫚(ナツメヤシ)の葉

奨励のなかでメソジスト運動の始まりにふれたためか聖公会風とのこと。(本学のルーツであるメソジストは聖公会からわかれた教派です)
腰紐は結ぶ動作一つ一つに決まったお祈りを唱えるなど、着方にもきまりがあるそうですよ!!プロテスタントには服装規定はないのですが、他のローマ・カトリック、正教会、聖公会などには服装に決まりがあるようです。

ストールの色はキリスト教の季節の色、今は聖霊降臨節(または三位一体節)の緑色です。これがアドヴェントなら紫、クリスマスは白、などと季節にあわせてかえていきます。先生のストールの色が変わると「ああ○○の季節だなー」とまるで風物詩のような感覚で見ていました。11月または12月にはアドヴェント(待降節)に紫色のストールにかわります。
ちなみに黒のガウンの上にストールをかけるスタイルが本学の教派では多いですよ。

石田先生からは他にも真夏にガウンやローブを着る時の暑さ対策など、牧師ならではのお話をうかがうことができました。今まで服については知らないことだらけでした。このブログで何度か季節の色についてご紹介してきましたが、やはり本物を見ないとピーンときませんよね。本当に今回は勉強になりました。

石田先生ご協力ありがとうございました。

まじめ(?)なブログ

今度の日曜日が"ぺんてこすて"ですよー。

ぺんてこすて

またまた登場しましたよ、聞きなれないキリスト教のコトバ!
"ぺんてこすて"を変換したところ"ペンてこ捨て"ってなりましたー。


そうそう、"ぺんてこすて"とは ペン と てこ を 捨てるキリスト教のお祭りです。

 

 

違います。

 

 

そんなわけありませんよー。

ペンはともかくてこって...てこの原理のてこか!そうか!そうかじゃないですね。まるっきり間違っているんですよー。

"ペンテコステ"とカタカナで一発変換して欲しかった...。
"くりすます"だったら栗巣枡なんて変換せずにクリスマスって変換されるのに...、そう、ペンテコステはまだまだマイナーなんです。

 

キリスト教の三大祭りの一つ、大切な日です。
日本語では"聖霊降臨祭"と書きます。読んで字のごとく、聖霊が降臨したことを記念する日なんですが...まったくピンとこないのでクリスマスやイースターとちがってマイナーなままです...。

どんな出来事があったかというと...

 

ことは約2000年前、イエスが十字架で死を遂げ、復活し、天へ昇った後に起きました。
イエスの弟子たちは、イエスのことを伝道したいのに、自分たちもイエスと同じように捕まって処刑されるのではないかと、みんなで家に閉じこもっていました。五旬祭というユダヤのお祭りのころ、弟子たちが祈っていると、天から炎の舌のような聖霊がおりてきました。すると、それまで閉じこもっていた弟子たちが街へ出て行って力強く伝道を開始しました。

 

これがペンテコステ(聖霊降臨祭)のおおまかな出来事です。
伝道を開始した=教会の誕生日 として大切にされています。
時期はイースターから50日目と決まっているので2014年は6月8日(日)になります。
ブログのTop画像も来週ペンテコステ使用に変更しますよー。
それでは今回はこの辺で。

受難日

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
日本聖書協会 『新共同訳聖書』フィリピの信徒への手紙 2章 6~8節

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本日は受難日、イエス・キリストが十字架にかけられて亡くなったことを思う日です。

鞭打たれ、十字架をかつがされて街をひきまわされ、ゴルゴタという丘で他の二人の死刑囚と一緒に十字架にかけられました。十字架刑というのは長時間の苦痛のすえに死にいたるという大変残酷な極刑だそうです。説明をきくとアクセサリーなんかで身に着けるのをためらってしまいますよ。

そして4月20日の日曜日はイエス・キリストが死から復活したことを喜ぶイースター(復活祭)です。タマゴさがしをしたりする習慣があります。

 

4月21日(月)のオルガンアワーではイースターの曲を予定しています。

12:40から名古屋キャンパスチャペルにて行います。どうぞご予定ください。

受難日になので断食(朝だけ)をしてみたところ...お昼ご飯をいっぱい食べてしまって、なにがなにやら...食べ過ぎにつき夜も断食かな...。

レアものの大学グッズ

みなさん、こんにちは。
大学院事務室安東です。

今週はお天気が続きました。さて明日はどうでしょうか。


大学院事務室のあるさかえサテライトには、「名古屋学院大学同窓会事務局」があります。

昨日、同窓会事務局の方から、こんなものをいただきました。


タイピン.jpg


ネクタイピンです。


NAGOYA GAKUIN UNIVERSITY の文字。
十字架を首にかけたハト。
おそらく、昔の大学グッズらしい、とのこと。

一瞬「・・・・・。」・・・言葉失いましたが、よーく見てみると、
描かれたハトのイラストの微妙な感じや、色合い、そして、この金色。
全体のバランスが、私のツボにはまりました。

これはもしかすると、イカしているのでは。



つけてもらってみました。

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つけてみると、そんなに目立たないし、色合い的にも悪くなかったです。


よくよく話を聞いてみると、大学創立20周年グッズとしてつくられたものとのこと。
今年(2014年)は、大学50周年ですから、30年!!
年輪感じます。

せっかくいただいたので大切に保管しようと思っています。


大学院も創立20周年が近いので、何かイベントができたらいいなあ、と思ったりします。














まちがい探し

名古屋キャンパスチャペル
2013年度バージョン

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2014年度バージョン

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2013年度と2014年度では1つ大きなちがいがあります。


さーて、どこが違うでしょう?

 






テン!

 

答えはオルガンの向きです!!!


角度にして約90度違います。

qq.jpg

見え方だけじゃなく、音の聞こえ方が変わったはず...です。

週明け月曜日にはオルガンアワーが始まります。
名古屋キャンパスチャペルにて12:40~13:10です。
オルガンの音色に耳を傾ける静かな時間です。レントの曲を予定しています。(レントについては→灰の水曜日 レントその1 ムラサキの季節 レントその2 血しおしたたる レントその3 なんで十字架に? レントその4 受難週 レントその5 洗足木曜日 レントその6 受難日 レントその7の記事をご参照ください)


曲の間の出入り自由ですので、気が向いたら入ってきてくださいね。

それでは良い週末をお過ごしください。

たった3年で世界が変わった。

今の時期はイエス・キリストの受難を覚えて過ごすということを頻繁に書いていますが、イエスが十字架刑になったのは33歳頃といわれています。

学生時代はずっとずっと先の年齢だと思っていた30代...学生の皆さん、あっという間に30代になってるんですよ...時間を大切に...という話も大事だと思いますが、今回はその33年のイエスの生涯をちょこっと深めていきたいと思います。


33年の生涯のうち、イエスが宣教を始めて十字架刑になるまでは3年ほどといわれています。

つまり、イエスは30歳まで無名の一青年だったわけです。

3年で権力者、宗教指導者から恐れられる存在になり、十字架にかけられることになったわけですが...

2000年後の今、世界中に大きな影響を与えているキリスト教ですが、おおもとのイエスの実質的な活動がたったの3年とは予想外という方もいらっしゃいませんか?


そういうことも含めて、次回のブログからイエス・キリストの生涯をたどっていく予定です。

パッションフルーツ

前回の記事でも取り上げた『ショコラ』はレントの期間の過ごし方を題材にしていますが、イエス・キリストの受難をまっこうから取り上げた作品もたくさんあります。

音楽作品ではマタイ受難曲(バッハ)、ヨハネ受難曲(バッハ)が有名です。
ミュージカルでは『ジーザス・クライスト・スーパースター』、映画は『パッション』が有名です。
そうそう、"パッション"は「受難」の意味で、「情熱」じゃないんです。

パッションという言葉を調べるまで知らなかったのですが"パッションフルーツ"のパッションは「情熱」じゃなくて「受難」の意味だったんです。
どうも実をつける前の花(時計草)が十字架上のイエス・キリストを現しているように見えることからパッションと呼ばれるようになったそうです。
てっきり南国の果物だから情熱的なのかと思っていました...まだまだ知らないことがいっぱいあります。

カーニバル

今日はカーニバル最終日です。
それというのも3月5日からキリスト教ではレントというものに入るからです。
レントは日本語で受難節といいます。受難、なんだか不穏な響き...それもそのはず、受難とはイエス・キリストが十字架で死刑になる苦しみを覚えて過ごす期間(40日間)なんです。喪に服すというのに近いでしょうか。そうなると遊んで贅沢して呑んで騒いでなんてちょっと...となりますよね。

つー、まー、りー、今日が騒ぎ納めということで、きっと世界各地のカーニバルが盛り上がっているはずです。

ちなみにレントは毎年日程が変わります。
レントがいつからかというと、春分の...(中略)...がレントです。



あ、正確に書くと長いから思わず(中略)してしまいました。



気合を入れなおして記載しますので覚悟して読んでください...


春分の日の後の最初の満月の後の日曜日の前日の土曜日から間の日曜日を除く40日間がレントです。


レントの初日のことは「灰の水曜日」と呼ばれています。
ちょうど明日3月5日です。
下線部はイースター(復活祭)の日程で、イエス・キリストが死から復活したことを記念する日です。今年は4月20日になります。

蝉の抜け殻と十字架3

二日前にチャペル庭園のアカメの木の葉にしがみついていた、蝉の抜け殻がどうなっているか気になったので、お昼休みに足を運んでみた。昨日の雨に打たれたにもかかわらず、形がそのままだったので何故かほっとした。

事務室に戻る途中、礼拝堂の外壁にふと目をやると、雨のかからないコンクリートに、虫の抜け殻がへばりついていた。

 

CIMG2363.jpg大きさは、人の小指の先ほど。どんな生き物がそこで育ち、殻を破って出て行ったのだろう。そのまま、あたりに目を這わすと、その殻はほかにもあった。中には殻がぐちゃぐちゃに破れているものもあった。

人は古い自分から脱却し常に成長する。

その古かった自分から脱皮するとき、さらりときれいに抜け殻を置いてゆく人もいるだろう。しかし、中にはうまく出ることが出来ず、もがいているうちに、ぐちゃぐちゃになって、その自分の姿をやむを得ず置いてくる人もあるだろう。私はどちらと言えは、後者。とくに大学生のころの抜け殻は、破れて、ぐちゃぐちゃで人にお見せできるものでもない。でも人はどんな抜け殻を置いてこようと、今、喜びに生きるよう十字架の愛の殻を通して、イエスは私たちに教えている。

ここ数日、チャペル周辺の生き物の抜け殻からいろいろ学んだ。聖書は実は、神さまが作られた、この世界からいろいろ学ぶよう教えている。

「獣に尋ねるがよい、教えてくれるだろう。空の鳥もあなたに告げるだろう。大地に問いかけてみよ、教えてくれるだろう」(旧約聖書ヨブ記12章7~8節)

 イエスも、自然から神様の心を学ぶことの大切さを教えていてくださっている。そんなことが書かれている「新約聖書マタイによる福音書6章25~34節」を、学生さんには一度ぜひ読んでほしい。

トナリの上司(仮)より

蝉の抜け殻と十字架2

チャペルの庭園で見た蝉の抜け殻のことを考えていたら、昨年の暮れに見たヘビの抜け殻を思い出してしまった。ヘビは、瀬戸キャンパスチャペル事務部室の私の机の下で暮らしていたようだ。

昨年クリスマスがちかくなったある日、礼拝堂に立てる鋳物のキャンドル立てを足元の布きれを被せてあったダンボール箱から出していたら、白くほそ長いものがヒモのようにダンボール箱の中にあった。

(こんなところに、ヒモを入れたはずがないのに)

そう思いながら、そのヒモのようなものを指先で避けながらキャンドル立てを次々に箱から出して椅子においていたら、その白っぽいヒモの先にヘビの頭が見えてきた。ヘビの抜け殻だったのだ。私は、ヘビが苦手である。反射的にチャペルから箱をもって飛び出て、山に捨てた。

 私の机のそばで脱皮したのかと思うと悔しい反面、私自身の脱皮について考えさせられた。

もうずいぶん長く生きてはきたが、私は未熟な自分から少しは脱皮できたらだろうかと。イエスは古い教えから脱皮された。そして、私たちに新しく生まれ変わり愛に生きるようにと、教えてくださっている。

トナリの上司(仮名)より

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