「聖書」と一致するもの

独り子を与えるほどに

「独り子(ひとりご)」

聞きなれない言葉ですよね。

キリスト教で「独り子」といえば主イエス・キリストのことを指しています。

イエスはひとりっ子だと、兄弟がいない子というだけの意味ですが、独り子だと「神のただ独りの子」という意味の、とっても強い表現になるんですねー。同じようにあれやこれや考えられた末の表現が聖書には色々でてきます。

なので、聖書の文章や単語はとっつきにくいものが・・・行間を読むというか・・・暗号を解読するような・・・読んでわからないことは気軽に質問してくださいね。

 

チャペルアワー春学期は残り5回!

明日18日は「独り子を与えるほどに」という題で名古屋キャンパスチャペルにて12時40分から始まります。

ぜひお越しください!

学部長表彰式・名古屋

台風がそれて、午前中は青空ものぞく名古屋キャンパスチャペルにて学部長表彰式が執り行われました。

CIMG1771a.jpg式は前奏、聖書朗読、祈祷によって始まりました。

表彰される学生さん一人一人の名前が呼ばれ、各学部長からの祝辞、表彰と続きました。

学生さんの1年間の努力をねぎらい、ますます向上していけるよう激励の言葉が、出席した学生さんの心にも届いたことと思います。

祝祷、後奏をもって閉式となりました。

 

式の後にはこのようなかんじで↓椅子が並べられ、チャペル前での記念撮影が行われました。本当に晴れてよかったです。

CIMG1777.jpg瀬戸キャンパスでの学部長表彰式の様子はまた後ほどご報告いたします。

おめでとうございます!!!

花とこどもの日

トナリの上司(仮名)さんが書いたように(昨日の記事参照)バラの花が散り始めました。

CIMG1727.jpgCIMG1729.jpg かわりにアジサイは日当たりのいい東側がずいぶん色づいてきました。

CIMG1747.jpg

花といえば、キリスト教の教会では毎年6月の第2日曜日は「花の日・こどもの日」の礼拝が行われています。

これはもともとアメリカでこどもへの伝道を強調する意味合いで「こどものための特別な礼拝」をと始まったものです。アメリカで6月は花が一番咲く月。ということで教会に花をかざり、礼拝でこどもを祝福し、礼拝後にこどもたちが病院や施設に花を届けにいくようになりました。

ただ近年は伝道のためよりも、イエス・キリストがこどもを祝福したことにならって"こどもの祝福"をすることに重点がおかれてきています。

それは、こんな理由があります。イエス・キリストが生きていた時代、こどもと女性は人の数にカウントされていなかったのです。聖書に5千人集まったと書いてあっても、それは大人の男性の人数のことです。人として扱われない、そんなこどもをイエスは祝福しました。こどもも女性も他の差別されている人も対等に一人の人間として祝福し、愛し、共に生きたイエスの姿にならおう。まだ社会には様々な差別や問題があります。でもイエスがされたように生きていこうという気持ちを新たにする日として、こどもの祝福が大切にされてきています。

このイエスの生き方は本学が建学の精神としてかかげる「敬神愛人」そのものだと思います。

 

さて、日本だと6月は花が特に多くない時期になっちゃいますが、アメリカと同じように6月第二の日曜日、つまりあさって9日に花の日・こどもの日の礼拝が行われます。

でも花、アジサイ以外にも色々咲いています。例えばこれ↓とか 

CIMG1761.jpg何の花かというと、学生さんと園児さんが一緒に植えたジャガイモの花です。

CIMG1741.jpgあと花じゃないけれど、かわいい実もありました。

 

CIMG1760.jpg満開!で紹介したアセビ(馬酔木)の実です。

 

週明け10日(月)のオルガンアワーは「花の日・こどもの日」にちなんで、『こどもさんびか』など、こどもの曲を中心にプログラムを予定しています。ぜひ12:40からおこしください。

たまに登場

明日の瀬戸キャンパスでのチャペルアワーのお話の題は「聖書は永遠に」です。チャペルアワーでは聖書が一箇所読まれますが明日はこんな箇所となっています。

「人は皆、草のようで、
 その華やかさはすべて、草の花のようだ。
 草は枯れ、
 花は散る。
 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
 (日本聖書協会 新共同訳 新約聖書:ぺトロの手紙一 1章24節から25節より)

チャペルを包み込んでいる庭には、名古屋キャンパスにも瀬戸キャンパスにも四季折々豊かな花々が咲いては散ってゆきます。そのままずっとそこに咲いていてほしいといくら願っても・・・。今はアジサイやバラがその栄華を競い合っているように見えますが、気がついたらまた地面に落ち、風に吹かれてどこかへ行ってしまうでしょう。


イエス・キリストの使徒ペテロは、いつまでも枯れなくて散らない言葉がこの世に存在することを人類に示してします。それは、永遠に残る聖書の言葉です。私の中にもそんな聖書の言葉がいくつか刻み込まれていて、枯れることも散ることもなく、私に寄り添い、力づけてくれます。名古屋学院大学の建学の精神「敬神愛人」も永遠に変わることのない聖書を基にしています。この言葉が私たちの中にいつも変わることなく存在するとき、その力やエネルギーに支えられて成長してゆことができます。名古屋学院大学のチャペルにはそのような永遠に変わることがなく人を成長へと導いてくれる聖書が全席に設置されています。時にはゆっくりじっくり聖書をチャペルで読んでみませんか? 

明日は是非「聖書は永遠に」を聴きに来てください。リハビリテーション学部の先生がお話を担当されます。(たまにブログに登場するトナリの上司でした)。

〇〇〇の男

6月に入りましたね。

今月最初のチャペルアワーは名古屋キャンパスチャペルにて明日6/4(火)12:40~です。

奨励題は「ゲラサの男」です。

 

え?

 

ゲ・・・ラサ?

 

ゲラサって何!?

 

というようにゲラサがよくわからない方は出席するか、新約聖書マルコによる福音書5章1~20節をご覧ください。

 

わからないからといって、そのへんのネコに聞くと...

CIMG1047a.jpgCIMG1047b.jpg題「だってネコだもん」

 

となりますので、どうぞご自分でお確かめいただければと・・・。

お待ちしております。

薄氷を踏むよりも

5月最後のチャペルアワーが明日31日瀬戸キャンパスチャペルにて13時から行われます。

奨励題は「薄氷を踏むよりも」

 

どんな話でしょうかねー。

「薄氷を踏む思い」薄くてわれやすい氷を踏む時のひやひやする思いですよね。

聖書箇所のマタイによる福音書14章22~33節には薄氷を踏む・・・よりもっとスリリングなんじゃないか?というチャレンジをした人の話が書いてあります。

 

では明日は瀬戸キャンパスチャペルでお会いしましょう。

目を上げて

いよいよ5月も最後の週ですね。

毎週火曜日の12:40から30分間、名古屋キャンパスチャペルではチャペルアワーを行っていますが、月ごとに歌う讃美歌が変わります。

5月に歌っている讃美歌21の351番「聖なる聖なる」も今週で最後。

三位一体の讃美歌として一番有名な曲ですから、ぜひ歌い収めにご出席ください。

 

そんな明日5月27日(火)のチャペルアワーの奨励題は「目を上げて見渡しなさい」です。

聖書は創世記13章1~18節。

見渡した先になにがあるのか・・・お楽しみに。

わたしのもとに来なさい

久しぶりのアニメ

題「わたしのもとに来なさい」

 

s01a.gif終わり・・・

 

ではなく(これだけで終わったら、今回のブログは何の意味もないアニメを載せただけになってしまう)明日5/24(金)の13時から瀬戸キャンパスで行うチャペルアワーの奨励題が「わたしのもとに来なさい」なのです。

聖書箇所はマタイによる福音書11章25~30節

ぜひ皆様チャペルのもとに来・・てくださいね!

変容、光を帯びる者へ

いよいよ聖霊降臨節に入りました。

のっけからなんのこっちゃ?と思われたかもしれませんが、キリスト教の暦は「春・夏・秋・冬」ではなく「待降節・降誕節・復活前節・復活節・聖霊降臨節」というもので動いているのです。

そしてこれが均等に3ヶ月とかではなく、短かったり長かったりします。

この聖霊降臨節が12月頃まで続く一番長い季節になるんです。

 

そんな新しい季節さいしょのチャペルアワーが明日(5/21)名古屋キャンパスチャペルにて12時40分から行われます。

奨励題「変容、光を帯びる者へと」

聖書箇所はマタイによる福音書17章1~9節

 

なんだかこの奨励題を見ていたらこんな写真↓思い出しちゃいました。

 

題して

変容、光を帯びる者・・・?

 

 

P1040953a.jpg瀬戸キャンパスチャペルにて発光してしまったトナリの上司(仮名)さん。

ペンテコステ

5月19日はペンテコステ、日本語でいうと聖霊降臨日です。

クリスマス、イースターとならぶキリスト教にとって重要な日です・・・といっても知名度が他2つに及ばず盛り上がりにかけがちなのがこのペンテコステです・・・。

 

・イエス・キリストが生まれたことを記念するのがクリスマス。

・イエス・キリストが十字架の死から復活したことを記念するのがイースター。

・弟子たちに聖霊が降って宣教活動を始めたことを記念するのがペンテコステ。

 

んー、説明も???となってしまいがちです。

聖書、使徒言行録2章1節にその様子が記されています。

炎の舌のようなものが頭のうえにきて、弟子達が聖霊に満たされてイエスの福音をいろいろな国の言葉で語り出します。

 

ペンテコステイメージ画2013年バージョン

pent.pngついでに2012年度バージョン

 

pente.jpg聖霊に満たされると勉強しなくても外国語がしゃべれるの!!?便利!!!私にも聖霊を!!!とテスト中の中高生の頃は祈ったものです・・・。もちろんこれっぽっちも聖霊は降りませんでした。ということはさておき、いろいろな国の言葉を話す、コミュニケーションのことでちょっと思うことがあります。

 

どれだけ正しい言葉を使っても心がなければコミュニケーションはとれません。

心があっても言葉が使えなければコミュニケーションはとれません。

正しい言葉を使う技術は勉強して身につけることができます。

でも肝心の心はどうすれば?

 

弟子達がやっていたことは熱心に祈ることでした。

そこに大切な意味があるように思います。

 

それではみなさま良い週末を!

5/20月曜日の名古屋キャンパスチャペルのオルガンアワーではペンテコステの曲を中心に予定しています。

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