「聖書」と一致するもの

探しなさい。そうすれば、見つかる。

チャペルの扉が閉じないように押さえるドアストッパーが1つ迷子になっています。

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もし見つけたらキリスト教センターにお知らせください。

暇な人はチャペルまで探しに来てくれても良いです。
暇じゃなくても是非探しに来てください。
恐らくチャペルの館内にあるはずなので。
見つけてくれたら素敵なプレゼントがあるかもしれません。

こんな時、聖書を読んでる人なら絶対にこの言葉を思い出すはずです。

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
(新約聖書 マタイによる福音書 7章7〜8節)※聖書協会共同訳

冷たいか熱いかであってほしい

神さま曰く、「どちらでもない」は嫌いなのだそうです。

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「ラオディキアにある教会の天使に、こう書き送れ。『アーメンである方、忠実で真実な証人、神に造られたものの源である方が、こう言われる。「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。熱くも冷たくもなく、生温いので、私はあなたを口から吐き出そう。あなたは、『私は裕福で、満ち足りており、何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。そこで、あなたに勧める。豊かになるように、火で精錬された金を私から買うがよい。自分の裸の恥をさらさないように、身にまとう白い衣を買い、また、見えるようになるために目に塗る薬を買うがよい。私は愛する者を責め、鍛錬する。それゆえ、熱心であれ。そして悔い改めよ。見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう。勝利を得る者を、私の座に共に着かせよう。私が勝利し、私の父と共に玉座に着いたのと同じように。耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい。」』」
(新約聖書 ヨハネの黙示録 3章14~22節)※聖書協会共同訳

ファインディング・ニコデモ

昨日、本学の学術情報センターさんのブログ(http://blog.ngu.ac.jp/gkjblg/)で
「ファインディング・ニモ」という映画の紹介がされていたので、
勝手にパクr......ネタを拝借してこんなクイズを作ってしまいました。
(学術情報センターの皆さんすみません!)

題して、

「ファインディング・ニコデモ」!笑

※「ニコデモ」って何?と思った人はクイズの下の解説をお読みください!


下の図から「ニコデモ」という文字列を探し出してください。
なお、"ななめ"はありません。縦(上から下)か、横(左から右)で探してくださいね。

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「ニコデモ」
ニコデモは、新約聖書の「ヨハネによる福音書」に登場するユダヤ人。イエスに共鳴した人物として描かれている。
ヨハネ福音書によればニコデモはファリサイ派で最高法院の議員であったが、イエスに敬意を払っており、夜ひそかにイエスを訪れ、問答をする。(ヨハネ3章1~21節)
ユダヤ人指導者たちがイエスを非難する場では「我々の律法では、罪の証が無ければ裁かないではないか」と、彼を弁護している。(ヨハネ7章51節)
イエスの処刑後は、使徒や他の弟子たち、アリマタヤのヨセフとともにイエスの遺体を引き取って、埋葬している。
(Wikipedia「ニコデモ」より)

続・イエスはなぜ泣いたのか!?

~前回までの内容~

・聖書の中で最も短い一節は「イエスは涙を流された。」(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)
・イエスにはラザロという知人がいたが、ある時、彼が病気であることがイエスに伝えられた。
・イエス一行がラザロのもとに到着したときには既に彼は亡くなって4日が経っていた。
・しかしイエスは出発する前からラザロが死んだことに気付いていた。
・このあとイエスは墓に眠るラザロを奇跡によって「復活」させる。
・でも人を甦らせる力があるなら、どうして「涙を流された」のか?

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『Jesus Wept』(イエスは涙を流された)1886~1896年
作者:ジェームズ・ティソ
(本名:ジャック=ジョゼフ・ティソ、1836年10月15日~1902年8月8日、フランス)



さて、3回にわたってご紹介してきた聖書の言葉「「イエスは涙を流された」についてですが、今回で最終回にしたいと思います!笑
人を甦らせることができるにもかかわらず(にわかには信じがたい話ですが...)、なぜイエスはラザロの死を想って涙を流したのか? 皆さんはどう思われるでしょうか。


そのことを考える前に、主に二つのことを確認しておかなければいけません。

一つは、「人々は、イエスに関していろんなイメージを持ってきた」ということ。
イエスという人物については、彼が生きていた時から、人々の間で様々な見方がなされてきました。めちゃくちゃ頭が切れる"普通の人間"として見る人もいましたが、一方で、神的な力を持った"超人"「神の子」として見ている人たちもいました。そのようなイメージは、イエスの死後、イエスのことを直接知らない人々もいるコミュニティの間で膨張していき、もはや実際のイエスがどんな存在だったのか分からないぐらいになっていったと考えられます。

もう一つは、「『福音書』には、いろんな"イエス像"が描かれている」ということ。
イエスについて書かれている書物を『福音書』と呼ぶのですが、それらの書物はイエスが十字架につけられて死んでから30年もの時を経てようやく成立しました。しかも福音書の作者はいずれも"生前のイエス"と出会っていないと言われています。なので、彼ら福音書の著者たちは、イエスに関する様々な資料(人々の間で広く共有されている情報から単なるうわさ話まで)をかき集めて、それぞれの福音書を完成させたのです。


では、以上の2点を踏まえつつ、「イエスは涙を流された」(ヨハネ11:35前後)を見てみたいと思います。

前回述べたとおり、何と言ってもイエスは人を甦らせる力を持っています!(ババーン)

・・・まぁ、それが真実かどうかはさておき、「人を甦らせることができる」というのは、先ほどの話にもありましたが、イエスに対する「超人的なイメージ」の典型例ですよね。そんなこと普通の人間はできませんから(というか誰にもできない...)。人々の間では、イエスがどんな人間だったかということよりも、イエスがどんなことをしたかという情報の方が多く共有されていたのだろうと思います。偉人に関する話というのは大抵そうですよね。その人の"人間性"よりも、その人が残した"功績"などの方が伝えられていくものです。

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『ラザロの復活』1514~1519年
作者:フアン・デ・フランデス(1465~1519年、フランドル)


この福音書を書いた「ヨハネ」という人も、独自の取材で様々なイエスに関する情報を各地から収集したのだろうと思います。しかし、著者ヨハネさんが偉いのは、たくさん存在するイエスの奇跡物語や偉人伝説だけではなく、その中に埋もれてしまっている "人間としてのイエス"の姿 もなんとかして福音書の中に書き残そうとしたところなんですね。

そのため、この「ラザロの死と復活」の物語に登場するイエスには、矛盾ともとれる二つのキャラクターを見ることができます。一つは、超人としてのイエス。もう一つは、普通の人間としてのイエスです。

お墓に向かう際、そのあと彼のことを甦らせることになるとは言え、そこに眠るのは、心から愛していた友人ラザロ。そのことを思うと、どうしてもこみ上げてくる感情を抑えることができず、つい涙を流してしまったのでしょう。聖書の読者は、そこにこそ、イエスの本当の愛を感じ取ることができます。ラザロの姉妹や仲間たちが、彼の死を悼んで泣いている。そのそばで、イエスもまた、共に涙を流された・・・。喜びも悲しみも、一緒に共有してくださるお方だからこそ、キリスト教の信者たちはイエスという人に対して信頼を置き、共に人生を歩んでくださるよう願うのかもしれません。

ちなみに、アメリカのオクラホマシティには『And Jesus Wept』(イエスは涙を流された)と題された像が建てられています。1995年に起こった「オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件」で亡くなった168名の方々を覚えて設置された、非常に珍しい姿をしているイエスの像です。まさに「泣く者と共に泣いてくださる」(ローマの信徒への手紙12章15節)イエス・キリストに対する人々の信頼がそこには表されています。
https://www.encirclephotos.com/image/and-jesus-wept-memorial-to-oklahoma-city-bombing-in-oklahoma-city-oklahoma/(英文)


というわけで、長々と書いてまいりましたが・・・
「聖書の中で最も短い一節」の中に秘められた、説明し出すとキリがないほどの"奥深さ"について、
皆さん、お楽しみいただけたでしょうか??笑

次回からは、再び単発の記事を投稿していきますので、また読んでくださいね~。それでは!

イエスはなぜ泣いたのか!?

昨日の記事では「聖書の中で最も短い一節」をご紹介しました。

「イエスは涙を流された。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)

っていう箇所でしたね。新約聖書の元々の言語であるギリシャ語では...
ἐδάκρυσεν ὁ Ἰησοῦς(エダクルセン ホ イェースース)
たった3単語でした。ギリシャ語を勉強するならまずはこの箇所からですね 笑


さて!というわけで今回は、
どうしてこの箇所でイエスは涙を流したのか!?
ということについて解説していきたいと思います。


イエスが涙を流すまでの経緯はこうです。直前の34節までを見てみましょう。


1 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロと言った。
3 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
〜中略〜
14 そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。
15 私がその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」
17 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られてすでに四日もたっていた。
〜中略〜
31 家でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に行って泣くのだろうと思い、後を追った。
32 マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足元にひれ伏して、「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。
33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、憤りを覚え、心を騒がせて、
34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章1〜34節より)



この後、ビックリすることが起こります。何とイエスは、奇跡によってお墓の中のラザロを復活させてしまうのです!
これまで、様々な奇跡を起こして人々を驚かせてきたイエスだったんですが、この場面では遂に「死んだ人を生き返らせる」という"最もありえない"奇跡を起こしてしまうことになるんですね!


・・・ん?

な〜んだ、死んだ人を蘇らせることができるんやったら、ラザロが死んでも全然悲しくないやん!


そうなんです、本当はそのはずなんです。でも、何故かイエスは、ラザロのお墓を見に行く前に「涙を流された」んですね。


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皆さんは、どうしてイエスが涙を流したのか、想像できますか?
ぜひ考えてみてください。明日更新の記事で更に真相に迫っていきます!(まだ続くんか〜い)

聖書の中で最も短い一節【キリスト教豆知識】

聖書にはこんな風に「章番号」と「節番号」が付けられているのを知っていますか?


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これは最初から聖書の本文に付いていたものではありません。「章番号」は、イギリスのカンタベリー大司教を務めた「スティーヴン・ラングトン」(1150年頃~1228年)によるものと言われています。その一方「節番号」はというと、約300年後、フランスで印刷業者を営んでいた「ロベール・エティエンヌ(ラテン語名:ステファヌス)」(1503年頃~1559年)が付けました。その時代は、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究が盛んに行われており、エティエンヌもまた古典学者でもあったため、当時広く教会で使われていた「ラテン語聖書」ではなく、原典に立ち返る形で"ギリシャ語の新約聖書"を出版しました。その第4版を出版する際に、エティエンヌはその本文に節番号を付けたのです。

さて、そのようにして「章」と「節」に区分された聖書ですが、ご存知の通り、聖書は分厚い!それだけ聖書の本文は長いということです。「節」に関しては、何と31,000を超えています 笑 それに、エティエンヌは単語数や長さで区切ったわけではないので、長い節もあれば短い節もあるわけなんですね。


そんな中で、今日の本題。「聖書の中で最も短い一節は?

・・・とその前に、比較の対象ある方が分かりやすいと思うので「聖書の中で最も"長い"一節」をお伝えしておきますね。こちらです↓

その時、第三の月、すなわちシワンの月の二十三日に、王の書記官たちが呼ばれた。そしてユダヤ人たちに宛てて、またインドからクシュに至るまでの百二十七州にいる総督たち、地方長官たち、諸州の高官たちに宛てて、モルデカイが命じたとおりにすべて書き記された。それは州ごとにその州の書き方で、民族ごとにその民族の言語で、ユダヤ人には彼らの書き方と言語で書き記された。(旧約聖書 エステル記 8章9節)

ん~、長さというよりかは、その内容が気になっちゃいますね。「民族ごとに違う書き方や言語で文書が送られた」というような内容が書かれてあるこの一節が、今や世界中で様々な言語に翻訳されている『聖書』の中で"一番長い節"・・・。何か運命的なものを感じます。


と言うわけで、ここでようやく「聖書の中で最も短い一節」の発表です!
"最も長い一節"と見比べてみてください。こちらです↓



「イエスは涙を流された。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)



短い!(´;ω;`)ブワッ


英語では Jesus wept. たった2単語!
新約聖書の原語であるギリシャ語でも ἐδάκρυσεν ὁ Ἰησοῦς(エダクルセン ホ イェースース)3単語!

それにしても、イエス・キリストも涙を流すことがあるんですねぇ。
何でイエスは涙を流したのか。それについては明日更新の記事をご覧ください!お楽しみに!

教会でカレーうどん食ってきた

いつもブログでふざけたことばかり書いている僕ではありますが、実は超マジメで敬虔なクリスチャンなので(場内ざわめき)、毎週ほぼ欠かさず教会に行って礼拝に出席しています。

普段は栄の「オアシス21」の向かいにある「プロテスタント」教会に通っているのですが、別にゼッタイそこの教会に行かなければならないわけではないので、この前の日曜日は気分転換のために、そことは別の、「聖公会」という教派の教会に行ってみました。


【キリスト教Q&A】プロテスタントって何?聖公会って何?
「プロテスタント」とは、16世紀、ローマ・カトリック教会の影響下で起こった宗教改革により生まれた教派。マルティン・ルターというドイツの司祭が当時の教会の働きに疑義を唱えたことがきっかけ。プロテスタントは「抗議する輩、抗議派」という意味。プロテスタントの中には様々なグループが存在している。
「聖公会」は、上記のプロテスタントとは異なる形でローマ・カトリック教会と袂を分かった教派。16世紀、イングランド国王のヘンリー八世が自らを教会の首長とし、ローマ・カトリック教会から分離して成立した。



で、今回はその「聖公会」の聖餐式に出席してきた感想を書くわけではありません。いずれまた、いろんな教会の礼拝の雰囲気とかをリポートする企画もやってみたら面白いとは思うのですが、もう少し先の話になりそうです。

そうではなくて、今回皆さんに見ていただきたいのがコチラ↓


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カレーうどん!!!!


こちらの教会では、毎週、聖餐式のあとにみんなで食事をしているそうで、この日のメニューは、そう、「カレーうどん」だったのです!

皆さんのキリスト教のイメージって、きっとこんな感じでしょう↓

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純白に包まれたチャペル(結婚式場の写真ですが...)。
でもそこにカレーうどんが乗っかると・・・?

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雰囲気ブチ壊し!!!!笑

そうなのです。教会とカレーうどんって、どう考えてもイメージ的に"合わない"んですね。


しかし、初めてその教会でお昼ごはんをいただいた僕は、全然びっくりしませんでした。なぜなら、プロテスタントのクリスチャンである僕にとって、礼拝後にみんなでご飯を食べるのは当たり前のことだからなのです。と言うのも、多くのプロテスタント教会では、礼拝が終わったあと、このようにお昼ごはんが出るんですね。メニューは大抵、「うどん」や「カレー」。チラシ寿司の日もあったりします。値段は200~300円でとってもリーズナブル。若い人にはチョット多めに入れてくれることも!?(「若いんだから食べて食べてハラスメント」もしばしば起こります 汗)

聖公会は厳密にいえばプロテスタントとは違うのですが、僕が行った教会では、毎週お昼ごはんが提供されているそうです。もちろん、メッチャ美味しかったですよ。

キリスト教では、古くから"いろんな人と一緒に食事をする"ことが習慣として大切にされています。それは、イエス・キリストが様々な背景を持っている人たちを皆食卓に招いて一緒に食事をしたことに由来していると思われます。今回、聖公会で出席した「聖餐式」では、一人ひとり聖壇の前まで行って「ホスチア」と呼ばれるウェハースのようなものをワインに浸して食べる...という行為をしたのですが、これも元々は、イエス・キリストを中心とした食卓(食事)に由来しているものなんですね。早くから"儀式化"してしまっていたようですが、元を辿るとそれは、いろんな人とワイワイ喋りながら楽しく過ごしていた食事の時間だったのだろうと想像します。

それにしても、どうして教会のお昼ごはんには「カレー」や「うどん」が良く出されるのでしょうか。

もしかして『聖書』の中に「カレー」とか「うどん」が出てくるのかな?と思って、念のため調べてみました。


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そら、そうやわな。
きっと作るのが簡単で、なおかつ大量に作ることができるから「カレー」や「うどん」が選ばれているのだろうと思います。

気が向いたら「教会のお昼ごはん版 食べログ」でもやってみようかな。
おしまい。また来週!

2月13日は何の日?【キリスト教豆知識】

突然ですが、皆さんに残念なお知らせがあります(ハンカチのご用意をお願いいたします)。

まず、これらの絵に描かれた人物のこと、皆さんなら当然ご存知ですよね。

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そう...言わずと知れた、あの「イエス・キリスト」と呼ばれる人物です。

約2000年前、現在のパレスチナの地域に生まれ、"神さま"のことを人々に教えていた人物なのですが、イエス・キリストの死後、彼の弟子たちの働きを通じて、後に彼は、信奉者たちから「神のひとり子」「救い主」「真の神であり、真の人であるお方」というように信じられるようになっていきました。そして、彼の教えを基に体系化されていった「キリスト教」という宗教は"世界宗教"として、何と、今では世界中に20億人以上の信者を抱える超巨大な宗教にまで発展することとなりました。

日本においても、キリスト教の信者は190万人以上存在するとされており、日本全国にある「教会」の数は4,300を超えています。この名古屋学院大学も、キリスト教の宣教師クラインによって建てられた学校から生まれた"キリスト教主義大学"です。

そういうわけで、僕らはこの「イエス・キリスト」と呼ばれる人物について、多少なりとも知っているわけですけれども、先ほど冒頭でも触れましたように、本日は皆さんに大変残念なことをお伝えしなければならないのです。皆さんのことをガッカリさせてしまいそうで、「伝えるべきかな、いや、でも止めておこうかな・・・」と散々悩んだのですが、やはり真実をお伝えするのがこのキリスト教センターブログの使命ではないか!と考え、本日この場で皆さんにお知らせすることにいたしました。


皆さん、心の準備をお願いします。実はですね・・・

この「イエス・キリスト」っていう名前の「キリスト」って・・・

苗 字 じ ゃ な か っ た ん で す !!!!!!!!

(一同騒然)

皆さん落ち着いてくださいね(ここで水を飲む)。
ちゃんと今からご説明しますので、まずは深呼吸してください(会場を見渡す)。


僕らが"苗字"(ファミリーネーム)だと思い込んできた、この「キリスト」という言葉。これは、言ってみれば「称号」のようなものなんです。「キリスト」とは、日本でもしばしば「救世主」という意味で使われている「メシア」(ヘブライ語)という言葉のギリシャ語訳で、意味は「油を注がれた者」という意味です。聖書の主な舞台である古代イスラエルでは、王様や祭司、預言者と呼ばれる人々を任命するとき、油を塗る習慣がありました。それを受けて、イエスという人物のことを「救い主」とか「この世のどんな王様にも勝る王様」というように信じた人々は、彼のことを「メシア」「キリスト」というように呼ぶようになったんですね。

なので「イエス・キリスト」とは、「キリスト家のイエスさん」ではなくて「キリスト(称号)であるイエス」という意味の呼び名だったんですね。皆さん、ぜひ覚えておいてくださ~い。


さて、それにしても何で今日はこんなお話をしているのかと言いますと、ちゃんとこれには理由があります。

それは、本日「2月13日」という日が、1875年2月13日に、明治政府によって「平民苗字必称義務令」が出されたことを記念する「苗字制定記念日」と呼ばれる日だからです。これによって、すべての国民が「苗字」を名乗ることを義務付けられることとなりました。

そう。ただ「苗字」の話と「キリスト教」の話を絡めたかっただけ。

そ れ だ け ! おしまい。

キリ絵 de 大喜利 No.03

(なんでトイレットペーパーにはシングルとダブルがあるんやろ・・・)

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『預言者 ヨエル』(1508~1512)

作者:ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(1475~1564)


ヨエルは、十二小預言者と呼ばれる旧約聖書の預言者の一人。彼の残した預言は『ヨエル書』として旧約聖書に収録されています。預言の中心テーマは、神の裁きが敵国や神に逆らう者たちにもたらされ、神の民には救いが与えられるとされる、いわゆる「主の日」について。たった4章しかない短い預言書なので、簡単に読むことができます。

作者は、かの有名な芸術家であるミケランジェロ。西洋美術史上、あらゆる分野に大きな影響を与えたイタリアの彫刻家、画家、建築家、詩人です。彫刻作品としては、十字架上で息を引き取ったイエスを母マリアが抱く姿をかたどった『ピエタ』や、イスラエルの王『ダビデ像』などが良く知られています(どちらも20代の時に制作!)。また、2つのフレスコ画『システィーナ礼拝堂天井画』と『最後の審判』は見る者を圧倒します。

キリ絵 de 大喜利 No.02

天使「『U.S.A.』の振り付けは右腕と右足が同時に出る...って何回言ったら分かるんやッ!左腕は下げとくねん、ほんで、右腕をこう前に出して...出してこい、前にッ!親指は「いいね」にしとかんかいッ!...いや、だから右足を前に出してこいって言っとるやろッ!!」


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『天使と格闘するヤコブ』(1955年)

作者:ポール・ギュスターヴ・ドレ(Paul Gustave Doré、1832年1月6日~1883年1月23日


フランスのイラストレーター、画家。15歳の時から絵の世界で活躍し、主に挿絵画家として知られています。ダンテの『神曲』の挿絵が代表作。版画や彫刻、風刺画、幻想画、肖像画など、1万を超える様々なジャンルの素描やイラストなどの作品を残したことで、多くの画家たちに強い影響を与えました。旧約聖書や新約聖書の物語を描いた作品も多く存在しており、この『天使と格闘するヤコブ』もそのうちの一つ。ヤコブは、ユダヤ人の祖先であるイスラエル民族の族長の一人で、彼の十二人の息子から生まれた子孫たちが、イスラエル民族を形成していったとされています。創世記32章において、ヤコブと夜通し格闘(レスリング?)した神の御使いは、ついに降参し、彼のことを「イスラエル」(神に勝つ者という意味)と名付けました。


創世記32章23~33節(日本聖書協会『新共同訳聖書』)

その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。

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