『これは何かわかるか?』
「あんかけスパゲッティ」
「これなんだろう?ネギがのっていませんか?・・・牛丼ですか?」
「ひつまぶしじゃない?」
「これはお弁当ですけれど、上にのっているのはエビフライと・・・コロッケかな?」
「それ、みそかつが載っているんだって」
『学食でエビフライ定食があると、「名古屋や」と思うで。京都にはなかった。』
『シロノワール!ある店の有名スイーツやね。今コレ、東京に飛び火してるんやってね。』
「マウンテンのスイーツパスタ!」
「いちごパスタとかありますよね、あんこが載っていたり。」
「それって美味しいの・・・?」
「コンビニでみつくろって。予算に合わせて買えるから。」
『名古屋(あるいは地元)で美味しいものって何?』
「みそかつ」
「みかん」
「静岡出身なので、お茶」
『ヤスゼルスキは、冷戦時代に社会主義だったポーランドという国の大統領だった人ですね。社会主義国家では、労働者が働いて得る生活の糧というのは、生きていくために必要だから得るのであって、その生活を楽しむとか、食べること自体を楽しむとか、味を比べてこっちが美味しいとかいうことは、道徳的に良くないことだ・・・堕落だ、と思い込まされてきたわけだね。
じゃあ、それをポーランドに強いていたソビエトの指導者たちもそうだったというと、そんなことはないんですよ。クレムリン宮殿なんかでは、めちゃくちゃ豪華な食堂があって、世界でもっとも高価な食事が饗されているわけだけれど、労働者階級にはそういうことをしてはいけないと。それは、ポーランドやロシアだけではなくて、つい最近まで中国も同様ですね。
日本はというと、江戸時代から「食を楽しむ」ことはあったんだけど、時として、普通の食事をちょっと超えると、もう「贅沢」という言葉が付いて回ってしまうということが起こるわけやね。
例えば、名古屋の食堂で"海老ふりゃぁ"が出たら、今なら普通だけれど、40年前は子供たちは飛び上がって喜んだわけですよ。それ以外の最高の料理だと、ハムカツ。ハムカツ知ってる?他の肉類なんて、そんなに出てこないけれども、そういうものが出てくると、貧乏な国でも楽しめる、喜べる。
ところが、社会主義の国家においては、そうではない。生活の為に食べるのであって、美味しそうに食べるべきではない、禁欲を貫かなければならないと。これは完全に曲がっているし、間違っているんだけれど、このヤルゼルスキは、指導者としてそれを国民に押し付けてきた立場にあったんだね。クレムリンの最高指導者は、その様子を尻目に豪遊していたわけです。だから崩壊していくわけだけれど。
で、ヤルゼルスキは、一市民にもどってみると、「飯を食う」ということは、ちょっと良いものだな、と思い始めるわけですよ。今までは、質素な食事で、ちょっと飢えているという状態が好ましかったのに、ちょっと良いもの食べて、ちょっと甘いものを食べて。
これと対極にあったのが、マリー・アントワネットが言ったといわれる「パンが無いのならお菓子を食べたらいいじゃない」というセリフですね。でも、そこには、悪気はないんやで。パンを食べられない、という状況が、わからなかったんだな。「私の部屋にもパンはないけれど、お菓子ならあるからお菓子を食べるわ」というわけで。
我々の感覚から言うと、飢えているだとか飽食だとか、あるいは喜びを持つか持たないかということは、本当に、生き方によって変わってくるよね。できることなら、みなさんには、食事は単なるエネルギー源ではなくて、食べる喜びに近付いてほしいと思いますね。
まぁ、話はそれましたけど、食の楽しみ方すら制限されていた、という状況が、当時のポーランドにはあった、ということやな。』
「 "敗者の味"っていうくらいなんでオチはどうなるのかと思っていたんですけれど、最後は割と良いじゃないですか。著者自身も、"敗者の味"もそんなに悪くない、と言っていますし。この話は難しいですけれど、短くまとめると、「食というものは、人生を左右する」ということだと思って。どんな食べ物でも、時間の無い時に食べる食べ物と、時間があって気分が高揚しているときに食べる食べ物って、同じものでも全然感じ方が違うじゃないですか。それと同じことを感じる話だな、って思いました。」
『この話の"敗者"っていうのは、ヤルゼルスキ元大統領のことですよね。社会主義政権を一生懸命守らなければいけないと思っていた指導者が、労働者階級のほうから攻撃されて、潰れていくんですよ。で、労働者はもっと民主化を望んでいるんだということがわかって。そういう意味では、国全体としては良い方向に向かっているわけやな。ただし、国が良い方向に民主化したからといって、経済が良くなるとは限らない。社会主義政権の時の方が、経済は統制されているから、必要最低限のものはみんなに行きわたっていたんです。ところが、民主化されると、それを簡単に手にできる人もいるけれど、職にも就けず、食事にもありつけない人も一方で出てくるわけです。だから、ヤルゼルスキは、自分の望んでいた方向とは違ったけれども、国全体はいい方向に向かっていて、「敗者」なんだけれども、「自由」というものを彼は確認する・・・ちょっとええ話やと僕は思っていますね。』
「ヤルゼルスキは、冷戦という緊張状態・・・いつソ連が介入してくるかもしれない中で、民主的な運動が起こり、ハンガリーの例や"プラハの春"のように軍事介入によって国が壊滅的になってしまうのを防ごうと思って、ポーランドを守るために独立自由管理労働組合「連帯」をおさえこむ戒厳令を出して・・・その中で『食べることは、飢えをしのぐのが目的だった』と語るのが、とても印象的でした。冷戦が終わって、罪に問われたりもしているけれど、家族と食べる楽しさを、やっと今、味わえているのが、幸せなことだなと思いました。」
「この大統領は戦争に負けてしまった人で、でも負けてしまったが故に家族と食べる幸せを手に入れたから、結果的に良かったと思います。」
『この話の当時は、国境の向こうにはソ連の戦車がいっぱい並んでいて、そういう状態の中で「連帯」が動き出していて・・・「連帯」って、造船労働者・鉄鋼労働者ですからね。本来は一番、ポーランドという国を支えてきた人達なわけですよ。その社会主義を守ってきた人達、そこから目覚めていったということです。そうすると、ヤルゼルスキから見ると、自分たちの足元を固めてくれていた人達、あるいは、彼らの為に僕は大統領をやっていると思っていたら、足元からどんどん雪解けしていくわけです。ふっとみたら、ソ連はこっち向けて、今にも攻撃しようとしている。そんな中で、自分から指導者としての色々な権限を放棄していく。すると、今度は一転、今まで人民を騙してきたとか、抑圧してきたということで、犯罪者になってしまう。個人的に悪い人でもなんでもないんだよね。だけど政治の流れの中でそうなっていって。そういう歴史をかみしめながら、家族と飯を食うのは、やっぱりええもんだな、と。』
『名古屋学院大学は、ポーランドとか中欧にスタディツアーをやっていますけれど、僕も一遍見てみたいと思いますね。ヤルゼルスキの時代というのは、報道でしか知らないしね。そこから雪解けをしたけれども、ポーランドは、今また経済的に厳しい状況にあるわけです。これからドイツが移民問題で経済的にしんどくなってくると、一番とばっちりを受けるのはポーランドだから、また同じ事が繰り返されないとも限らない。ひと時の雪解けを家族とともに楽しんでおかなきゃ、と思ったりしますね。』
『はい、今日は名古屋飯から始まって、ヤルゼルスキで終りましたけれど、食の地域特性の話でした。来週のテーマは、「食の自由・不自由」となっています。今日と似ているようで、ちょっと違いますから。』
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・・・いかがでしたでしょうか。
木村先生のお話は大変興味深く、次週が楽しみになりました。普段何気なく行っている「食」が、歴史や文化の積み重ねで築かれたものだと思うと、手元の小さなお皿から、世界が広がっていくようです。
「文化交流論」は、国際文化学部の選択科目です。
興味のわいた国際文化学部生の方は、履修してみてくださいね。
チョッパー子