みんなで輪になっての授業で、和気あいあいとしたゼミのようです!
今日のテーマは、「食の地域特性」。
話題は、「名古屋めし」からはじまります。
今回は、より実況中継に近い形でお届けいたしますので、
実際に先生にお話を聞いているつもりで読み進めていただければと思います。
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食にこだわる
『前回、食は生活の基本であり、食文化というのは、民族や宗教によっても様々で、それは単に食材が違うだけではなく、食べ方が違う、あるいは宗教儀式としてやってはいけないこと、しなければならないことがある、というお話をしました。
同じ宗教でも、宗教的に均一になっているかというと、それだけではなくて、そこに地域的な特色があるはずなんですね。地域の特色として知っておくべきことなのだろうと思います。
さて、地域の特色を考える上で、写真が6枚あります。 これが何かわかるでしょうか?』
先生にこう問われて、履修者のみなさんは、資料の写真について、あれやこれやと話し出します。
(※写真は、「名古屋メシ」で画像検索して出てきたものを、6枚並べてあります。)
『これは何かわかるか?』
「あんかけスパゲッティ」
「これなんだろう?ネギがのっていませんか?・・・牛丼ですか?」
「ひつまぶしじゃない?」
「これはお弁当ですけれど、上にのっているのはエビフライと・・・コロッケかな?」
「それ、みそかつが載っているんだって」
『学食でエビフライ定食があると、「名古屋や」と思うで。京都にはなかった。』
『シロノワール!ある店の有名スイーツやね。今コレ、東京に飛び火してるんやってね。』
「マウンテンのスイーツパスタ!」
「いちごパスタとかありますよね、あんこが載っていたり。」
「それって美味しいの・・・?」
それとともに広がってきたのが「米(コメ)を食べる」という表現やね。
「ご飯」じゃなくて「米を食べる」という。
"米"っていうんは、調理前の食材のことで、調理をすると「ご飯」になる。
食へのこだわりが薄れてくると、ネーミングも段々ずれていってしまうんやね。
「米」でも「メシ」「ご飯」でも同じやないかと言ってしまえばそれまでだけれど、
そこに違いがあるのを文化というんやと思うんやね。』
『あなたがたと僕だと、40歳以上歳が違いますから、食生活そのものが違っていました。
例えば、僕はこどものころ、「スバゲッティ」は食べたことがなかった。
ご飯・味噌汁・焼き魚や煮魚、これでおしまい。
「肉」といわれると「すごい!!」と喜んだけれど、よく分からないミンチのような
肉っぽいものが出てきて、しっかりした「お肉」は、よほどの事がないと食べられなかったです。
貧しかったということもあるけれど、日常生活で贅沢はせず、ちゃんと3食工夫をして食べていました。
それでいうと、キッチン用品は何にも無かったけれど、台所に唯一あったのが、
ミンチをつくる機械です。
こんな鉄の塊で、上から肉を入れてぐるぐる取っ手を回すと、ミンチができる。
イカなんかきれいにできましたね。
鰯をつかえば鰯のミンチ。
安い切り落としのお肉があれば、「今日はお肉!」と。
そんなことをせっせとやってましたね。
お料理に洒落た名前なんてなくて、「お母ちゃん今日は何?」って聞くと、
「今日はイカのミンチよ」って・・・見たまんま(笑)』
『じゃあ、僕が高級なものは一切知らないかというと、そうではなくて、
特別な日に一家で外食に行くのです。
それは、お父ちゃんにお金が入った日だったり、いわゆるハレの日だったり・・・
その日は、「何かのついで」に外でご飯を食べるのではなくて「外食しに」行くんです。
外食っていうと、やっぱり夕食で、そういう日は決まって、お昼に映画を見て、それからご飯にいくんです。そういう時は、ちょっと高価なものを食べる。
京都だと、「わらじトンカツ」というのがあって、薄いけれど大きな、それこそ"草鞋"のようなトンカツで。そんなのをごくたまに食べると、大感激するんですよ。「どっから食べよう?」ってわくわくしてね。
お店の人が、子供の僕が食べやすいよう気を遣って箸を持って来たりするんだけれど、
子供心にお箸は使わないのね。
だって、洋食屋さんで、せっかく目の前にトンカツがあって、ソースもあって・・・
(お茶碗ではなく)お皿にご飯がのってる(笑)
そうすると、子供でも流石に、「心改まって食べなければ」と思う(笑)
それが、食の文化なんですね。』
『現代はそれを失いつつあります。
というのも、「いつでも・どこでも・なんでも」食べられる。
大学の学食を見るだけでも、何でもありますよね。
コンビニでも、取り合わせを色々選べる。おにぎり一つでも、何種類もある。』
『みんなお昼ご飯は何食べた?』
「コンビニでみつくろって。予算に合わせて買えるから。」
「お弁当です。昨夜作った中華丼の具で作って・・・卵やウィンナーを朝焼いて・・」
『昔は、「ハレの日」は決まっていて、自分でコントロールできるようなものじゃなかったけれど、今は、『今日は自分へのご褒美』とか言って、自分でハレの日を作ることができるようになったよね。今は、何でも食べるものはありますから、お金さえあれば手に入るし、黙っていたら流されるんですよ。
私たちは「ご飯を食べるかどうか」「食にこだわる」ということを意識的にできているでしょうか。』
どこで食べるか、何を食べるか
『四十数年前にも、インスタント食品はあったし、外食もできたけれど、僕みたいなずぼらな人間でも食材を買ってきて何か作ろうと思ったよね。下宿をかわると、周りの風景が変わって、初めての八百屋さんや魚屋さんがあって、そこで買ったものを調理する。
京都を離れて初めて犬山に越してきたときに、どんなに探しても魚屋がなくて、随分がっかりしたんですけれど、なぜか鶏肉屋さんがいっぱいあって、なんとそこに魚があるじゃないですか!
僕はあんまり鶏肉が好きではなかったので、気づかなかったんですが、驚きましたね。
今思うと、お魚と一緒に売って衛生的にええんかなと思いますけれども。
その土地々々にあるものを上手く見つけて、マッチングしたもの・・・
例えば、名古屋だったら"名古屋めし"と呼ばれるものを作り出してきた。
これをわざわざ「文化」と呼ばない人もいるけれども、我々の文化の原点だと思うんですね。』
『海の近くに住んでいる人が、魚に詳しいかというと、必ずしもそうではないこともあって。
何十年も前の話ですが、広島の宮島に住んでいる僕の友人が愛知県に遊びにきたんです。
丁度魚屋に活きのいいハマチがあって、丸一匹買ってきて、刺身にして出したら、「ハマチみたいに脂臭いものは食べられない」という。「そんなことないと思うよ、騙されたと思って食べてみたら?」といって食べさせたら、「ハマチって美味しいんだ!」と驚いているわけです。
当時、広島の養殖ハマチというのは、広島湾内のあまりきれいでない海で育って、しかも運動不足だったんですね。で、彼は思ったわけです。「木村君(先生)は京都の生まれで、魚のことなんか知らないし、愛知県にきて、ろくなものを食べていないに違いない。自分は海辺で魚をずっと見て育って、魚のことはずっとよく知っているから、ハマチなんて不味い魚は食べない。」と。だから、ハマチの刺身の美味しさにえらく感動して帰りましたね。
で、彼は、「僕はハマチが好きになったんだ」と言って、今度は僕が広島に行った時に、わざわざお寿司屋さんでハマチを頼んだんですね。残念ながら、その時は旨くなくて(笑)
・・・そりゃそうですよ、名古屋で(広島湾で獲れたものでない)ハマチを食べたから旨かったわけでしょう(笑)
つまり、どこで何を食べるか、ということなんです。』
食の地域性
『名古屋(あるいは地元)で美味しいものって何?』
「みそかつ」
「みかん」
「静岡出身なので、お茶」
「油そば」
「油そば」は、どのようなものか知らないメンバーも多く、どんなものかみんな興味津々。
「味噌煮込みうどんは、なんであんなに堅いの?」「うなぎは庶民の味ではダメ。」など、ひとしきり名古屋めしの話で盛り上がりました。
『名古屋だけじゃなくって、東京に行けば東京の"ご当地の味"があるわけです。
明日から東京で学会があるんです。
参加者は、東京に住んでいる人は7割くらいかな。他は地方から来ている。
ところが、懇親会があると、「江戸前●●の店に行きましょう」とはいかなくて、某有名居酒屋チェーン店とかになるんですよ。遠いところから時間とお金を掛けて来ているのに(泣)
僕なら、名古屋に来てもらったら、名古屋ならではのものが食べられるお店に連れて行って、「名古屋って、ええ店あるなぁ」って思ってもらいたいんだけれど・・・。
食って、そういう「循環」なんですよ。
チェーン店に行けば、どこへ行っても同じものが食べられるという安心感はありますし、
それも1つの文化なんだと思いますけれど。
アメリカなんかでも、どこへ行ってもチェーン店ってありますけれども、お客さんが来たときにチェーン店に連れていったりはしないんですね。
やっぱり、その土地ならではの味を楽しんだり、地域性にどれだけこだわるか、ということなんだと思います。』
粉食と粒食の文化的な違い
『日本人は「主食」という感覚が強いですが、例えばアメリカ人は、日本人と比べるとあまり「主食」という感覚がないんですね。
アメリカ人は、ピザとベーグル食べて生きています・・・というのは極論ですが(笑)
そういうものが多いよね?
日本人にとっては、ピザは、ご飯とか麺類とかと同じ「主食」の分類でしょ?
ピザ屋さんでコースを頼むと、パスタが出てきて、ピザが出てきて、ちょっとソーセージが出てきて・・・「いったいどれが主食か?」と日本人は困ってしまうんです。
そこが粉食と粒食の文化の違いで、粉食文化の人は、あまり主食副食の区別をつけないんですね。ご飯(お米)を食べる地域の方が、圧倒的に主食と副食を分けるんです。
粒食の中で工夫をしようと思うと、例えばヨーロッパではパエリアとか、アジアではお粥とか。フォーみたいなものもありますけれど、お粥が一番一般的で、お粥の何が良いかというと、なんでも具材を入れられる。パエリアと比べると大分派手さが違いますけれど(笑)
中国の田舎にいくと、朝街角でお粥を炊いていたりするんです。
見た目に派手さはないけれど、これがうまいよ!
粉食の方が、様々な形に加工がしやすくて、色々な形になります。
パスタって、我々スパゲッティやマカロニくらいしかぱっと思い付かないですけれど、パテにして加工するものは何でも言うんですね。
そして、全部名前が付いている。
イタリアでパスタを頼もうとすると、僕がメニューを見て分かるものは、スパゲッティくらいしかない。
それだけ考えても、粉食の文化を全然知らないということがわかりますね。
逆に、日本に来た外国のかたも、どれを見てもうどんにしか見えないかもしれない(笑)
そうめんとひやむぎの違い、わかりますか?
そもそも練り方から違うんですよ。
粉食にしても粒食にしても、色々な工夫をして、作られてきたわけです。
例えば、チベットやモンゴルには、ハダカムギや大麦、あるいは小麦で作る、「ツァンパ」という料理があります。
これが主食で、全部粉にして、バターやお湯で溶いて冷ますと粘土状になるんですよね。
チベットは、農耕民族なので、自分たちで小麦を育てて加工しますが、モンゴルは遊牧民だから、自分で小麦は作らないんです。
僕、前に内モンゴルに行って驚いたのが、遊牧民って農耕民をバカにするんです。
あんな土にへばりつく生き方をしないって。
そういいながら農耕民の作った小麦を食べている(笑)
羊の毛かなんかと交換して。
食べるけれども、頑として自分たちでは作らない。
「そんな文化がどうできあがったのだろう」と、とても驚くのだけれど。
日本人は、圧倒的に、米を作って、しかもそれを炊いてご飯にして食べるという文化にこだわってきたんですけれど、これには「粘り気」が必要なんですよ。
面白いことにヨーロッパもインド南米も、この粘り気がダメで、できるだけパラパラとした長粒米を好むんです。
みなさん南米に行ったら泣きますよ。
だって「おにぎり」ができないですから。
にぎったらパラパラで寂しいよ(笑)
我々がいかに日本米にこだわって生きてきたかということですね。
けして豪華な食べ物だけが記憶に残っている訳じゃないと思うんです。
高価ではないかもしれないし、嬉しい時に食べたものでもないかもしれない。
周りの環境と、自分の気持ちと、食材とはワンセットになって記憶に残っている。
これはすごいことだと思いますよ。
・・・長くなりましたが、生き方との関係、地域、歴史と伝統、そこには「それしかない」という問題・・・そういう色々なものから各地の"ご当地めし"ができあがっているんですね。』
図書から読み解く食文化
ここからは、図書を使って、授業が進みます。
履修者は、事前に指定されたページを読んで授業に臨みます。
今日のテーマは、「敗者の味」(『もの食う人びと』 辺見庸 角川文庫 1997 116頁)。
一人一人に感想を聞き、そのエピソードの歴史的・文化的背景などを補足しながら、食文化を読み解きます。
「ポーランド前大統領(ヤルゼルスキ)が出てくるけれど、冷戦当時の社会情勢や政治的背景がちょっと難しくて分かりにくかった。ヤルゼルスキは軍人の様な質素な生活をしてきて、大統領を辞めたあとに"食べる楽しさ"を知った。家族と楽しく食べたり、美味しいものを食べたり、お菓子を食べたり、それが楽しいことは私達には当たり前だけれど、それを恥ずかしいという感覚になるというのが不思議というか・・・」
『ヤスゼルスキは、冷戦時代に社会主義だったポーランドという国の大統領だった人ですね。社会主義国家では、労働者が働いて得る生活の糧というのは、生きていくために必要だから得るのであって、その生活を楽しむとか、食べること自体を楽しむとか、味を比べてこっちが美味しいとかいうことは、道徳的に良くないことだ・・・堕落だ、と思い込まされてきたわけだね。
じゃあ、それをポーランドに強いていたソビエトの指導者たちもそうだったというと、そんなことはないんですよ。クレムリン宮殿なんかでは、めちゃくちゃ豪華な食堂があって、世界でもっとも高価な食事が饗されているわけだけれど、労働者階級にはそういうことをしてはいけないと。それは、ポーランドやロシアだけではなくて、つい最近まで中国も同様ですね。
日本はというと、江戸時代から「食を楽しむ」ことはあったんだけど、時として、普通の食事をちょっと超えると、もう「贅沢」という言葉が付いて回ってしまうということが起こるわけやね。
例えば、名古屋の食堂で"海老ふりゃぁ"が出たら、今なら普通だけれど、40年前は子供たちは飛び上がって喜んだわけですよ。それ以外の最高の料理だと、ハムカツ。ハムカツ知ってる?他の肉類なんて、そんなに出てこないけれども、そういうものが出てくると、貧乏な国でも楽しめる、喜べる。
ところが、社会主義の国家においては、そうではない。生活の為に食べるのであって、美味しそうに食べるべきではない、禁欲を貫かなければならないと。これは完全に曲がっているし、間違っているんだけれど、このヤルゼルスキは、指導者としてそれを国民に押し付けてきた立場にあったんだね。クレムリンの最高指導者は、その様子を尻目に豪遊していたわけです。だから崩壊していくわけだけれど。
で、ヤルゼルスキは、一市民にもどってみると、「飯を食う」ということは、ちょっと良いものだな、と思い始めるわけですよ。今までは、質素な食事で、ちょっと飢えているという状態が好ましかったのに、ちょっと良いもの食べて、ちょっと甘いものを食べて。
これと対極にあったのが、マリー・アントワネットが言ったといわれる「パンが無いのならお菓子を食べたらいいじゃない」というセリフですね。でも、そこには、悪気はないんやで。パンを食べられない、という状況が、わからなかったんだな。「私の部屋にもパンはないけれど、お菓子ならあるからお菓子を食べるわ」というわけで。
我々の感覚から言うと、飢えているだとか飽食だとか、あるいは喜びを持つか持たないかということは、本当に、生き方によって変わってくるよね。できることなら、みなさんには、食事は単なるエネルギー源ではなくて、食べる喜びに近付いてほしいと思いますね。
まぁ、話はそれましたけど、食の楽しみ方すら制限されていた、という状況が、当時のポーランドにはあった、ということやな。』
「 "敗者の味"っていうくらいなんでオチはどうなるのかと思っていたんですけれど、最後は割と良いじゃないですか。著者自身も、"敗者の味"もそんなに悪くない、と言っていますし。この話は難しいですけれど、短くまとめると、「食というものは、人生を左右する」ということだと思って。どんな食べ物でも、時間の無い時に食べる食べ物と、時間があって気分が高揚しているときに食べる食べ物って、同じものでも全然感じ方が違うじゃないですか。それと同じことを感じる話だな、って思いました。」
『この話の"敗者"っていうのは、ヤルゼルスキ元大統領のことですよね。社会主義政権を一生懸命守らなければいけないと思っていた指導者が、労働者階級のほうから攻撃されて、潰れていくんですよ。で、労働者はもっと民主化を望んでいるんだということがわかって。そういう意味では、国全体としては良い方向に向かっているわけやな。ただし、国が良い方向に民主化したからといって、経済が良くなるとは限らない。社会主義政権の時の方が、経済は統制されているから、必要最低限のものはみんなに行きわたっていたんです。ところが、民主化されると、それを簡単に手にできる人もいるけれど、職にも就けず、食事にもありつけない人も一方で出てくるわけです。だから、ヤルゼルスキは、自分の望んでいた方向とは違ったけれども、国全体はいい方向に向かっていて、「敗者」なんだけれども、「自由」というものを彼は確認する・・・ちょっとええ話やと僕は思っていますね。』
「ヤルゼルスキは、冷戦という緊張状態・・・いつソ連が介入してくるかもしれない中で、民主的な運動が起こり、ハンガリーの例や"プラハの春"のように軍事介入によって国が壊滅的になってしまうのを防ごうと思って、ポーランドを守るために独立自由管理労働組合「連帯」をおさえこむ戒厳令を出して・・・その中で『食べることは、飢えをしのぐのが目的だった』と語るのが、とても印象的でした。冷戦が終わって、罪に問われたりもしているけれど、家族と食べる楽しさを、やっと今、味わえているのが、幸せなことだなと思いました。」
「この大統領は戦争に負けてしまった人で、でも負けてしまったが故に家族と食べる幸せを手に入れたから、結果的に良かったと思います。」
『この話の当時は、国境の向こうにはソ連の戦車がいっぱい並んでいて、そういう状態の中で「連帯」が動き出していて・・・「連帯」って、造船労働者・鉄鋼労働者ですからね。本来は一番、ポーランドという国を支えてきた人達なわけですよ。その社会主義を守ってきた人達、そこから目覚めていったということです。そうすると、ヤルゼルスキから見ると、自分たちの足元を固めてくれていた人達、あるいは、彼らの為に僕は大統領をやっていると思っていたら、足元からどんどん雪解けしていくわけです。ふっとみたら、ソ連はこっち向けて、今にも攻撃しようとしている。そんな中で、自分から指導者としての色々な権限を放棄していく。すると、今度は一転、今まで人民を騙してきたとか、抑圧してきたということで、犯罪者になってしまう。個人的に悪い人でもなんでもないんだよね。だけど政治の流れの中でそうなっていって。そういう歴史をかみしめながら、家族と飯を食うのは、やっぱりええもんだな、と。』
『名古屋学院大学は、ポーランドとか中欧にスタディツアーをやっていますけれど、僕も一遍見てみたいと思いますね。ヤルゼルスキの時代というのは、報道でしか知らないしね。そこから雪解けをしたけれども、ポーランドは、今また経済的に厳しい状況にあるわけです。これからドイツが移民問題で経済的にしんどくなってくると、一番とばっちりを受けるのはポーランドだから、また同じ事が繰り返されないとも限らない。ひと時の雪解けを家族とともに楽しんでおかなきゃ、と思ったりしますね。』
『はい、今日は名古屋飯から始まって、ヤルゼルスキで終りましたけれど、食の地域特性の話でした。来週のテーマは、「食の自由・不自由」となっています。今日と似ているようで、ちょっと違いますから。』
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・・・いかがでしたでしょうか。
木村先生のお話は大変興味深く、次週が楽しみになりました。普段何気なく行っている「食」が、歴史や文化の積み重ねで築かれたものだと思うと、手元の小さなお皿から、世界が広がっていくようです。
「文化交流論」は、国際文化学部の選択科目です。
興味のわいた国際文化学部生の方は、履修してみてくださいね。
チョッパー子