「聖書」と一致するもの

創世記2章~ その6

さー、今回のブログは長くなりそうです。

建学の精神「敬神愛人」の「愛人」に関わるからです。

創世記2章~ その5の続きです。

 

『主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」』

日本聖書協会『聖書 新共同訳』創世記  2章 18節

 

ということで動物がつくられました。

しかしアダムは動物のなかに"自分に合う助けるもの"を見つけられませんでした。

そこで神はアダムが眠ると、彼のあばら骨の一部をぬきとって、その骨で女(エバ)をつくりました。 

 

目覚めたアダムはエバと出会います。彼は独りではなくなり、自分に合う助けるものと出会いました。

これを男女関係だのアレコレ抜きにして考えるとすごく大切なことが含まれています。

 

ある"平和"についての話しの中で、

もし世の中の人間がたった一人だったら平和だろうか?

という提議がありました。

戦争は一人じゃおこしようがないし。

人と傷つけあうことがないのが平和なら、一人じゃできないから、平和じゃない?と・・・

 

 

でも一人じゃこれっぽっちも幸せになれそうにないなー。そんなん平和じゃない。

一人ぼっちの平和なんてイヤじゃないですか?

 

 

その時にこの「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」に注目しました。

 

なんで一人じゃなく、独りなんだろう?

もし一人じゃなく何人もいても、独りじゃ意味がないってこと???

 

平和って争いがないこと、ではなく、みんなが独りじゃないことで、

敬神愛人の「愛人」って、人を独りにしないことじゃないかな。

 

独りでいる人によりそうことが隣人として共に生きていく愛なら、 敬神愛人を実行することは平和を実現することになる。

そんな想いを創立者のクライン博士はもっていたのでしょうか。 

 

 

ひとまず創世記2章はここまで。

1章では、光→天(空)→海と地と植物→太陽と月→魚と鳥→動物と人間の順番で世界が創られたのに・・・

2章からは天地→アダム(男性)→植物→動物→エバ(女)の順で創造されています。

これについての解釈やら、他にもあれやこれや???なとことかありますが、それはまた別の機会に・・・あ、キリスト教センターでは随時『聖書を読む会』がありますので、気になる方はどうぞご利用ください。

創世記2章~ その5

天地をつくり、アダムをつくり、エデンの園をつくり、植物をつくり・・・次にできたのは・・・

 

獣と鳥です。

 

エッ!?ってかんじですよね。

進化論どこいった!!?ってかんじですよね。

クリスチャンはこの流れをそのまま信じてるわけではないので・・・。じゃあ信じてないものをなぜ信じるのかとか・・・・訂正しないかというと・・・その文章に込められているメッセージが大切だからです。

文脈を読むってやつです。

でも読み方は人それぞれだから唯一の正解なんてありません・・・考え方、読み方、とらえ方は無数にあると思います。

 

 

さて

動物がつくられる前、アダムは世界で唯一の生き物でした。

そしてそんなアダムを見て・・・

 

主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

日本聖書協会『聖書 新共同訳』創世記  2章 18節

 

ということで動物がつくられました。

ここから長くなりそうなので続きはその6にて。

創世記2章~ その3

いよいよ春ですね!

立春だから春ですよね!

でも寒い!毎年のことだけど!

 

前回に 引き続き、創世記2章の内容を・・・

 

最初の人間、アダム。

神はアダムを住ませるために、エデンの園をつくりました。

園には色々な果物の木をはやし、まん中には"命の木"と"善悪の知識の木"が植えられました。

 

エデンの園が出てきましたー。楽園の代名詞?絶対に戻れない楽園ってことでインスピレーションがわくのか題名やらあれやこれやに使われる「エデン」

これも聖書がもとになってるんですよー。

 

さて、エデンの園に流れてる川は途中でピション、ギホン、チグリス、ユーフラテスの4つの川に分かれたと書いてあります。

 

チグリス川、ユーフラテス川は今もあるやつです。

世界地図を頭に浮かべると、エデンの園は今のイスラエルの位置とはずいぶん違うようです。

ピションとギホンという川はどこの川か不明ですそのために・・・エデンの園ってドコらへんだったんだ?という研究が色々されているようです。

 

アルメニアやトルコ辺りだとか、ペルシャ湾あたりだったとか、ピジョン川とギホン川をナイル川やインダス川にあてはめてみたり、色々説があるようです。

伝説の場所ですからねー。

その4に続く・・・

創世記2章~ その2

前日に引き続き、創世記その2。

ここから天地創造ver.2の始まりでございます。こっちの方が有名な気がします。

誰でもなんとなーく聞いたことがあって、なんとなーくこんな意味かなーって思って、なんとなーく使ったことがあるかもしれない言葉が出てくるところです。

 

ver.2、最初にあっさりと地と天が創られます。

次に人間が創られます。

その人間、誰かというとアノ超有名人(?)です。

 

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」

日本聖書協会『聖書 新共同訳』創世記 2章 7節

 

そう、ここで出てくるのが最初の人、「アダム」です。

色んなジャンルの作品に出てくる名前、ここがモトだったんですよーーー。

 

ちなみに、 

"命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった"

人ってなんだろう、って思った時に頭に浮かぶ箇所です。

創世記2章~ その1

1月が終わりますねー。

もう2013年が1ヶ月も過ぎてしまいました。2013年の目標(5つ立てた)が手つかず・・・マズイ。ないようである、あるようで使わなきゃなくなってしまうのが時間ですねー。

学生のみなさんは春休みですね。時間、有効に使いましょう。

 

話は変わって、久しぶりに聖書を開いてみたいと思います。

前回、旧約聖書創世記1章~2章3節では、 光→天(空)→海と地と植物→太陽と月→魚と鳥→動物と人間の順番で世界が創られたという内容でした。

↓前回のログ

  世界の最初の1週間1/7

  世界の最初の一週間2日目

  世界の最初の一週間3日目

  世界の最初の一週間4日目

  世界の最初の一週間5日目

  世界の最初の一週間6日目

  世界の最初の一週間7日目

 

その続き、創世記2章4節ではどうなるかというと・・・。

 

「主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。」

日本聖書協会『聖書 新共同訳』創世記2章4b~5節

 

・・・・なんか変だと思いませんか?

植物も人間もさっき(1ページ前に)創ったって書いてあったのに、いきなり「なかった」とか書いてます。さっきまでのはなんだったのか。「アノ話はなかったのことに」とか「記憶にございません」なのか・・・。前の流れを完全無視です。全否定です。一回聖書を読んでみようと開いて1ページ読んで2ページ目にいきなりコレだから、聖書わけわかんないってくじけそうになります。

実は聖書は1人の人が全部通して書いてたわけじゃなくて、色んな時代、色んな人が書いた資料が組み合わさって一つになっているからなんです。こういう「!??」なことがけっこうあります。

というわけで、もうおわかりかと思いますが、なんと、なんと、ななななななぁーんと、2章でもう一回というか、別バーションの天地創造が始まります!

 

そんなわけで明日からちょっと創世記をひもといていきたいと思います。

おもいこみ

思い込みって怖いです。

 

ちょっと前のこと、うっかりエアコンの設定が除湿になっていることに気がつかず、2時間ぐらい「寒い」「冷える」をトナリの上司(仮名)さんとつぶやくはめに・・・・そりゃ暖房にしないと暖かくならないですよねー。

前日までは暖房の設定だったから、まさか除湿になってるなんて・・・。

コレ「いつもどおり」だろうっていう思い込み。

 

 

今と前とは違うのに、その違いをムシして「いつもどおり」やってしまう。

「ずっとこうやってきたから」「いつもこうだから」と確認もしないでやると失敗するんですねー。でもアレコレ全部確認してたら疲れちゃうし、むずかしいトコロです。

 

人間関係とか色々なことで「いつもどおり」っていう思い込みが邪魔をすることがあります。

「いつもどおり」って楽だけど、ワクワクしないし、何かが変わっていても気が付かない。

「いつもどおり」って思い込んでいるうちに、気が付いたら大失敗なんてことも。

 

イエス・キリストは旧約聖書で神から示された約束の救い主でした。ユダヤの人々はその救い主をずっとずっと待っていました。

でも千年単位で待っていたせいで、待つことが「いつもどおり」になってしまいました。

いざ救い主が誕生しても気が付かずに「いつもどおり」待ち続けてしまった。待つことが目的になってしまって、なんで待っているのか、なにを待っているのかがわからなくなってしまったという話を聞いたことがあります。

「いつもどおり」って思い込みは、一番大切なことも忘れさせてしまうんです。

 

なぜ?

どうして?

なんのため?

一番大切なことってなに?

たまに失敗した時は、いろんな「いつもどおり」を最初の最初からみなおしてみるといいかも。そしたら大切なことを思い出せるかも。と、自省をこめてご提案。

人はパンだけで生きるものではない・・・

イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書4章 4節

 

ここのところ節制を心がけているためか、毎日、夕方に激しくおなかがへります。

そんな時はこの聖句を思い出し、おやつをガマンすれば体にたくわえたアレコレが消費されるんだと言い聞かせ、耐えしのんでいます・・・・。それにしてもおなかへった・・・・。

ちなみにこの聖句はイエスが40日断食して(!!?)お腹がへった時に「石をパンにして食べたらとうだ」と誘惑してきた悪魔に対して言った一言です。

"40"という数が、聖書の中によく登場します。"40"は"長い間"というニュアンスの時に使う表現です。んーことわざの「人の噂も七十五日」の七十五日みたいなもんです。厳密に75日じゃないけど、だいたいそんな感じです。

数字ネタ、またブログでちょくちょくご紹介しますねー。

1.2.3.

本日は1月23日。

1・2・3!!!

 

123にちなんで、詩編123編をご紹介。

詩編は聖書をだいたい真ん中で開けると出てくる"詩集"です。

 

「わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでください。わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。

平然と生きる者らの嘲笑に

傲然と生きる者らの侮りに

わたしたちの魂はあまりにも飽かされています。」

日本聖書協会『聖書 新共同訳』    詩編123編3、4節

 

「主よ憐れんでください」をラテン語で「キリエ・エレイソン」といいます。

讃美歌21の30~35番までがキリエ・エレイソンの歌です。歌詞もほぼ「キリエ・エレイソン」ばっかり。とても大切にされている祈りの言葉です。

雨のフシギ

ひさしぶりの雨ですねー。

聖書の時代、雨ってどうやって降るのか、どう考えていたかというと・・・

 

ノアの箱舟の物語で、天の窓が開かれて洪水が起きたと書いてありました。

ame.gif↑こんなかんじですかねー。

 

ツッコミをいれながら聖書を読むと興味深いです。

雪と・・・

明日からセンター試験がはじまりますね。

名古屋のあたりはセンター試験につきものの(?)雪の心配はなさそうです。

受験生の皆さまにとって大切な日、これまで積み重ねたものが発揮できますように。

 

さて、雪といえば。

 

聖書の舞台、イスラエルは中東にあります。お隣はエジプト。

地図でみると、だいたい九州・・・宮崎県あたりを真横にいったあたり。

雪とは無関係そうな気もしますが、一番高い山には万年雪があって、スキーもできるようです!びっくり。

そのため聖書にたまに「雪」が出てきます。

暑くてカラッカラな砂漠みたいなイメージのイスラエルだけど、意外に雪が身近なんですねー。

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