「キリスト教」と一致するもの

学情、冬

こんにちは!学生サポーターのJINです!




12月に入りましていよいよあの時期ですね。


そう、クリスマス。



その言葉を聞いてウキウキしたり、落ち込んだりは


人それぞれだと思いますが、「クリスマス」って


なんの行事か知っていますか?クリスマスの意味とは?



クリスマスは「キリストのミサ」という意味で、一部の教派が行う


イエス・キリストの降誕祭。あくまで誕生を祝う日であって、


イエス・キリストの誕生日ではない


キリスト教国以外でも、年中行事として親しまれている。



・・・だそうです。ひとつ知識が増えました!


ということで、学情も冬期仕様に変身しましたよ!


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電飾でキラキラ飾り付け。クリスマス感!

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小物にもご注目!可愛いでしょ!



以上、JINでした~。

この犯人、まさに"猟奇的"である。

こんにちは、そば粉です。

いよいよ、今年も残すところ一ヶ月を切りましたね。
2020年がこうも早いとは、正直驚いています。
悔いのないよう、残りの2019年を過ごしていきましょう。

話は変わって、皆さんは「七つの大罪」というものをご存知でしょうか。
最近だと、週刊少年マガジンにて連載されている作品として、名前を知る人は多いと思いますが、本来はキリスト教の用語であることは知っていましたか?

七つの大罪とは、キリスト教の西方教会、おもにカトリック教会における用語で、ラテン語や英語での意味は「七つの死に至る罪」なんだそうです。「罪」そのものというより、人間を罪に導く可能性があるとみなされてきた欲望や感情のことを指すもので、日本のカトリック教会では七つの罪源(ななつのざいげん)と訳しているのだとか。(Wikiより抜粋)

「暴食」 「色欲」 「強欲」 「憂鬱」 「憤怒」 「怠惰」 「虚飾」 「傲慢」

以上、七つの罪が定められており、人間による最も重い罪であるとされています。
今回は、そんな七つの大罪をモチーフとした、とある殺人鬼を追う二人の刑事の映画をご紹介します。

デヴィッド・フィンチャー監督の映画「セブン(se7en)」です。

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<あらすじ>
奇妙な怪奇殺人事件を追う、ベテラン刑事サマセット(モーガン・フリーマン)と志願して殺人課に転属してきた新人刑事ミルズ(ブラッド・ピット)。

やがてその事件は、キリスト教の「七つの大罪」になぞらえたものだと判明する。果たして犯人はだれなのか?そしてその犯行の理由は?捜査を進めていくうちに、やがて事件は思わぬ方向に舵を切っていく...。

ネットではよく「ラストに衝撃!」的なまとめで紹介されることのある、割と有名な映画です。
この映画から「七つの大罪」という存在を知った映画ファンも多いかと思われます。私そば粉も、この映画から始めて知りました。

この映画の見どころは、殺人鬼ジョン・ドゥの猟奇的な思考です。
作中で、ジョン・ドゥは七つの大罪にちなんだ殺害を繰り返しているのですが、何の目的で、なぜ七つの大罪に因んだ殺人を繰り返すのか、それこそがこの映画の最大の謎であり、最大の見どころでもあります。その殺害方法も残酷でえぐいものばかりです。例えば「暴食」の殺人は、肥満体系の男性に対し、「食べ続けなければ殺す」として食料を食べさせ続け、最後には被害者が窒息と食道の破裂をして死亡...という最期を迎えさせるのです。これを思いつくジョン・ドゥは本当に頭がキレていますね。褒めてないですけど。
最終盤でその意図が明かされるのですが、恐らくこの映画を初めて観た人のほとんどは、そのオチにびっくりするはず。
 
彼は最終的に七つの大罪による殺人を"完成"させるのですが......??
ラスト15分。まばたきは禁止です。
 
というわけで、今回は映画セブンをご紹介しました。
この作品は、学術情報センターにて取り扱っているため、いつでも学情で視聴可能です。お時間のある方、または度肝を抜かれるようなラストが観たいという方、おすすめです。是非とも見てほしいと思います。
 
以上、年明けの年越しそばが待ち遠しい、そば粉でした。
 

月チャペの『質問箱』

久しぶりのブログ更新です!

さて、今回は月曜日のチャペルアワーの宣伝をしておきますね。

毎週月曜日12:25~12:50、たいほうコミュニティリンクを会場として「チャペルアワー」を開催しています。
(火曜日と木曜日は、しろとりチャペルが会場となりますのでご注意を!)

月曜日のチャペルアワーも他の曜日と同様、奨励(お話)の時間があるのですが、月曜日の場合は、皆さんから寄せられた"キリスト教"に関する疑問や質問に、キリスト教センターの職員がお答えする「Q&A形式」となります。

「聖書って面白いの?」、「キリスト教って宗教だけど怖くないの?」、
「食べてはいけない物はあるの?」
...といった素朴な疑問から、

「カトリックとプロテスタントって仲良いの?悪いの?」、
「キリスト教って進化論を否定しているんでしょ?」、
「知り合いから教会に誘われて困っています。どうやって断れば良いですか?」など、
キリスト教の信者でも答えに窮するような質問まで、何でもお寄せください!

質問は、下記のサービス『質問箱』で受け付けています(匿名で質問できるので安心してください)。

https://peing.net/ja/kirisen

※質問には、毎週のチャペルアワー(月曜日)の中でお答えしていきます。採用されなかった場合はご了承ください。
※チャペルアワーで扱ってほしくない質問や相談事に関しては、直接、キリスト教センターまでお越しください。

というわけで、皆さんからの質問・疑問、お待ちしています!
あ、そうそう。質問を送るだけじゃなくて、チャペルアワーにもぜひお越しくださいね!笑

2018年度学位記授与式を行いました


皆さんこんにちは。大学院事務室です。

桜が見ごろの季節になりましたね。キリックス丸の内ビルの近くでも、綺麗な桜が咲きはじめました。

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そして3月23日(土)には、2018年度の大学院学位授与式(修了式)が名古屋キャンパスしろとりのチャペルで行われました。

キリスト教主義の大学として、授与式では讃美歌や聖書朗読、オルガン演奏などが行われ、荘厳な雰囲気の中で進められました。

修士及び博士前期課程修了者28名、博士学位取得者1名がアカデミックガウンに身を包み、笑顔で修了式を迎えられました。

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修了式後の大納会では、お世話になった先生方や、ともに学んだ仲間たちと語り合い、アットホームな雰囲気の中で

楽しげなひと時を過ごされていました。

また、通信の修了生は遠方の方も多い中、8名の方にご参加いただきました。

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修了された皆さん、おめでとうございます!

今後の益々のご活躍を期待しています。

大学院事務室にも、ぜひ遊びに来てくださいね。

新年度を迎える前にデザインチェンジ

ブログの背景色を、春っぽくピンク色にしてみました。

そして、ヘッダー画像を「瀬戸」と「名古屋」両キャンパスのチャペルにしてみました!

しろとりのチャペルは、瀬戸チャペルを模して設計されたそうなんですが、
やはりこうして見比べてみると、よく似てますね~。

どちらも本学にとって大切なキリスト教主義のシンボルです。

※デザインが変わってない場合はブラウザの更新ボタンを押してください。

代表的日本人

今日から定期的に岩波文庫の本をを紹介していきたいと思います。
岩波文庫というのは、ほとんどが古典の本です。古今東西のあらゆるところからラインナップされています。
岩波書店は戦前からある出版社です。昔から古典や学術書、格式の高い本、まあいってみれば難しい!本を出し続けています。
手を出すには、気合をいれて読まねばならぬ、という本も多いです。
ですが、勉強するためには、まったく読まずにはいられない。避けては通れない。
まさに大学生が読むべきである、という種類の古典文庫です。
初めはこの本にしました。

代表的日本人』内村鑑三
原題で『Japan and the Japanese』
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内村鑑三は、明治人として活躍した敬虔なキリスト教思想家として知られていますが、この大学の前身の学校で、教鞭をとっていた人でもあります。
この図書館にも彼の絵があります。
内村は、明治人として活躍したひとに特有な、幕末~明治へ、伝統社会~近代へ、古いものから新しいものに変わっていく激動の時代を生き、その後の時代を作った人です。
武士の家に育った彼は、武士道精神を持ったまま明治時代をむかえ、学生時代にキリスト教と出会い、最初は反発していたが、やがてキリスト教に転向する。
武士道精神とキリスト教思想が彼の中でうまく結びついたのです。
近代国家として世界に登場した明治日本は、西洋に日本とはどんな国なのか、示す必要がありました。
そこで1900年前後、三人の日本人が日本の紹介として英語の本を出版した。
『武士道』新渡戸稲造、『茶の本』岡倉天心、
そして『代表的日本人』
ほとんど同時期です。
『代表的日本人』で紹介したのは内村にとって特別な五人の日本人でした。
西郷隆盛
上杉鷹山
二宮尊徳
中江藤樹
日蓮

内村は宗教というものを、キリスト教からではなく、彼らから学んだのでした。
文武両道で模範的な政治家であった薩摩の英雄、西郷
ドラマ「西郷どん」を見て、西郷隆盛の魅力を知った方は、これを読むとすらすらと入ってくるでしょう。
米沢藩を財政危機から救った封建領主、鷹山
山形県民で彼の名を知らぬ人はいないというくらいの人。
ケネディは、尊敬する日本人に上杉鷹山の名を上げたと言う。
農業指導者として江戸時代の農業を救った、相模の農民聖者、尊徳
日本人の勤勉性というのはこの人の影響が大きいと言われます。
儒学を教育の根本として村の教育を支えた、近江の教師、藤樹
西洋人にとって、非西洋である日本の教育水準の高さというものには驚きがあったでしょう。
日本の伝統仏教を支え、日本の仏教の形成期としては最後に登場した宗派である、日蓮
「法華経」ですね。

徳や武士道をもったこの五人は、いわば「代表的宗教人」であって、内村は、日本の近代以前にもキリスト教に優るような宗教が根付いていた、ということを示したかったのでしょう。
それも内外に。
宗教の本質は、キリスト教もほかの宗教も変わらないと考えたのだと思います。
しかし、はじめキリスト教と出会ったとき、内村は反発しました。ところがほとんど強制的に改宗させられた。ほかの同級生はほとんど反発せずに改宗したのですが、内村の中には武士道があったので抵抗した。(内的葛藤)
その抵抗した内村がその後、真のキリスト教徒として活躍し、逆に反発せずすぐ受け入れたほかの同級生たちはその後、あっさりキリスト教を捨てました。
これが僕が好きなエピソードです。
新しいものを、外部からやってきたものを無批判に受け入れる、ということをせず、抵抗する。こういう姿勢って必要じゃないかなと思います。

内村自身の書籍は全集をはじめ、ほとんどの著書が図書館に入っていると思います。
岩波文庫から出ている本も多く、あるいは、内村についての本もいろんな人が書いていたりします。
講義の内容を本にしたものもけっこうあるので、そのようなものは割に読みやすくなっています。

最後になりますが、
いまこの本を読むと、ここまでやりきったか、と思えるような過去の日本人がいたんだ...というような実感が沸いてくる、きっとそう思うひとが多いと思います。
それは今となっては内村自身も。
この五人に加えて、いま「代表的日本人」とは、内村鑑三自身なのかもしれません。

図書館SA あっきー




いりゃあせミーティング!

今日は「名古屋いりゃあせツアー」のリーダー会(ミーティング)でした。

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「名古屋いりゃあせツアー」とは、東日本大震災で被災され、放射能の影響で今も外で自由に遊べないでいる福島の子どもたちやその親御さんを対象にした"保養プログラム"です。4泊5日、自然豊かな瀬戸キャンパスと、名古屋の都会の雰囲気を満喫していただきます。

昨年に続けてボランティアに関わりたいという意思をもった学生さんたちが、既に新年度に向けて準備を進めています。

子どもと遊ぶのが好き、東日本大震災の復興に少しでも役に立ちたい。
そんな思いを持っている学生さんがいれば、ぜひ仲間に加わってくださいね!
申込、問い合わせの窓口は「キリスト教センター」です。

ぶっちゃけ!聖書☆研究会

キリスト教センターでは、学生の皆さんを対象にした聖書研究会、
「ぶっちゃけ!聖書☆研究会」を開いています。
(春休み中はお休みやけどね)

毎回、キリスト教教師の資格を持つキリスト教センターの職員が聖書の解説をし、それに対して参加者が質問を投げかける形式なのですが、とにかくえげつない質問が飛び交い、そして解説者もえげつないくらいホンネで答える、まさに「ぶっちゃけトーク満載」の聖書研究会なのです。

そんな「ぶっちゃけ!聖書☆研究会」をより一層盛り上げていくために、今回、聖書の注解書(解説書)と聖書辞典を購入しました。誰でも自由に開いて読めるように、キリスト教センターの談話室に置いています。

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聖書研究会のメンバーくらいしか読みに来ることはないんじゃないかとは思いますが、興味がある人は一度キリスト教センターの談話室に来て、開いてみてくださいね。

受難節 と 3.11

先週の水曜日から、キリスト教の暦では「受難節」という期間に入りました。

受難節というのは、他にも教派によって「四旬節」や「大斎節」など様々な呼び方があるのですが、今回は「受難節」という名称を使っておこうと思います。

「イースター」(イエス・キリストが死から復活されたことをお祝いする日)までの40余日、教会では、イエスの苦しみと十字架上での死を覚えつつ、悔い改めの心をもって過ごしていくこととなります。

受難節の期間は「紫色」がテーマカラーとなります。「紫」というのは、キリスト教では、高貴な色であるとともに、"回心"や"悔い改め"を表す色としても理解されており、この時期には祭服や会堂の飾りなど様々なところに用いられます。本学のチャペルの講壇掛けも、ご覧のとおり「紫」に変えておきました。

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無実であったイエスが十字架上で処刑されたのは、人間の心の弱さの象徴であった...。キリスト教という宗教が「十字架」というものをシンボルとして掲げているのは、イエスの死と復活を覚えるのと同時に、人間と言う存在がいかに小さく弱いかを表しているとも言えるのかもしれません。悔い改めの期間である「受難節」の日々を、自らを省みる時として過ごせますように。


ところで、今日は3月11日。2011年の今日、この日本を「東日本大震災」という未曽有の出来事が襲いました。今日で8年が経過したことになります。

地震によって引き起こされた津波は、東北の街を次々に飲み込んでいき、車や建物と共に、たくさんの尊い命をさらっていきました。

避難生活を余儀なくされている方々は、昨年よりも2万人以上減り、5万4000人と発表されています。けれどもこれは、自主避難者の人数を計算に含めないようになったからであり、正確な数字とは言えません。

原子力発電所の事故により、東北の地は放射能によって汚染され、人が住めない環境に変えられました。現在、避難生活者の人々を中心にして、国と電力会社を相手取り損害賠償を求めて集団訴訟が行われています。なお、放射線量が高い地域に住んでいた人々の半数は、もう故郷には戻らない(戻りたくても戻れない)と考えているそうです。

いよいよ来年に開催される予定の「東京オリンピック」。これは元々、承知の段階から「復興五輪」という大きなテーマを掲げ、世界に声高に呼びかけたはずでした。けれども、今となっては「復興五輪」という言葉を見聞きすることはほとんどなくなってしまいました。東北の復興とオリンピックの開催は、いつから別々のものとして考えられるようになってしまったんでしょうか。「東京オリンピック」とは、一体何のために開催されるのでしょうか...。

地震や津波は、人間の力ではどうすることもできません。
けれども、その後に起こった「原発事故」などの"人災"は、(上記の集団訴訟で判決が下されているように)あらかじめ予知できたはずです。また、あのような恐ろしい事故を起こしてしまったにもかかわらず、各地の原子力発電所は、何事もなかったかのように次々に再稼働されていっています(2018年度には新たに5基が再稼働され、現在9基が運転を再開しています)。

「東日本大震災」という出来事自体、時間の経過と、また毎年のように起こる各地の災害により、徐々に人々の記憶から忘れ去られようとしています。けれども、避難生活者の方々や、この先何十年何百年も収束することがないであろう放射能汚染、東北の復興を後回しにしている国の現状を想うとき、「東日本大震災」は、今も継続して起こり続けている出来事であると言わざるを得ません。

回心と悔い改めの期間である「受難節」、そして9回目の3.11を迎えている今日この日、いま一度、人間の力の弱さを自覚しつつ、本当に神さまの御目に適う生き方を目指して、歩みを進めていく決意を新たにしたいと願います。

私たち一人一人の心の目が開かれますように。
そして何よりも、被災された人々、避難生活をされている人々、復興や支援のために力を注いでおられる人々の平安を心からお祈りしております。

3月の聖書の言葉

キリスト教センターは、毎月ちがった聖書の言葉が書かれたポスターを学内(しろとり)の数箇所に掲示しています。


3月の聖書の言葉はこちら!

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「隠れたことを見ておられる神が、
        あなたに報いてくださる。」

(新約聖書 マタイによる福音書6章4節より)


上の言葉はイエス・キリストの教えの一部です。次のような文脈で語られています。

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いが受けられない。だから、施しをするときには、偽善者たちが人から褒められようと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを隠すためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイによる福音書6章1~4節)


・・・あれ?聖書の方では「」になってるけど、"3月の聖書の言葉"の方は「」になってるやん!
そうです。分かりやすいように「神」に変えておきました。というのも、聖書には「神」という存在を「父」と表現する記述が度々出てくるのですが、聖書のことをあまり知らない人たちが「隠れたことを見ておられる父」っていう言葉を見たら、「え、覗きが趣味のお父さんでもいるの?きも~い」と勘違いしちゃいますよね。なので、分かりやすいように「神」に変えておいたのです。


さてさて、聖書の言葉の解説については、ポスター画像の下段に書いてあるものをお読みいただければと思いますが、ちょっとだけ補足しておきましょうか。

1~4節の言葉の中に「偽善者」っていう単語が出てきますね。これ、「ヒュポクリテース」というギリシャ語の日本語訳なんですが、ヒュポクリテースは元々、「答える者(説明する者)」とか「舞台俳優」という意味があって、人前で講演したり演じたりする人を指す言葉でした。それが「自分を偽る者」というように捉えられるようになって、聖書の中では「偽善者」として使われるようになったみたいです。

「自分を偽る」...と言うと悪い印象を受けてしまいますが、人間って、何か"善いこと"をしようとするとき、大抵自分を「偽って」ませんか? あるいは、良い人であろうと「演じて」ませんか? 「本当は自分なんてそんなキャラじゃないけど...」と思いつつ。

それって、全然悪いことじゃないと思うんですよ。むしろ、善い行いをするためには"悪い自分を押さえつける"ことも時には必要。だから、周りから「偽善者だ」と罵られようとも、自分でそう感じようとも、それが今自分のなすべき"正しい行い"なんだ!と思ったなら、全力で「良い人を演じたら」いいじゃないですか!

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もちろん、それが自己顕示欲を満たすためだけに行なわれるのであれば、イエス・キリストが仰ったように注意しないといけませんけどね。

「隠れたことを見ておられる神が、あなたに報いてくださる。」
神さまは、あなたの行動や表面的な部分だけを見ておられるのではなく、あなたの心の中に目を注いでおられる。そのことを覚えておきたいですね。


それではまた次回!
(来週は1週間、管理人が不在のため更新するかどうかは未定です。)
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