「授業」と一致するもの

★Bridge★No.36 佐藤 菜穂子 先生


学生と先生を繋ぐ連続企画★Bridge★、今回の先生は・・・


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リハビリテーション学部 佐藤 菜穂子(さとう なほこ)先生です。

 

佐藤先生は、生体工学評価論」「理学療法学研究法演習Ⅰ・Ⅱ」「運動学演習」「物理療法学演習」

などの科目を担当されています。

  

それでは、先生の思いをご紹介★


 どんな思いをもって、授業(ゼミ)に臨んでいらっしゃいますか? 


リハビリテーション学部の授業は、難しいというか、すごく専門的で、

学生は学年を追うごとに授業に着いていけなくなることも多いんです。

ですから、授業の中でよく学生と話すようにしています。


何につまずいているのか分からないと、教える側もどこを説明したらいいのか分からないので、

授業の中で分からないことを聞ける雰囲気作りを大事にしています。


「なになに、どこが分からないの?」と掘り下げて聞いていくと、一年生の最初で習った初歩が

分かっていなくて、その積み重ねで理解ができないんだな、ということが分かったりするんです。


リハの授業って、例えば1年次の「解剖学」や「運動学」で学んだ内容が、その後の全授業に

繋がっているので、最初でつまずくと、ずっと訳が分からなくなっちゃうんです。


わからないから、ひとまずテスト前だけ暗記して忘れて...っていう悪循環になってしまうので、

できるだけ理解できるようにと思って授業をしているつもりですけれども、ど、どうだろう?(笑



■佐藤先生のご担当科目について教えて下さい。


私が担当しているのは、「運動学演習」や、「生体工学評価論」といった科目です。


1年次「運動学」という科目があって、そこで習った内容について、実際にデータをとってみる

のが「運動学演習」です。例えば、"歩く時の人の関節はこうなっているんだよ"とか、"ここの

関節を動かなくしたら、こんな歩き方になるよね"ということを見て、患者さんの「動き」について

の理解を深めるんです。


「生体工学評価論」も同じような感じで、人の動きに対してどんな力がかかっているのか、

ということを学びます。



■分析をするときには、どのようにされるのですか?


大学の中にある設備...例えば"モーションキャプチャーシステム"を使って人の動きを撮ります。

すると、その動きが、ゲームで使われているスティック人形のような形で、3次元的にデータで

出てくるんです。そこから学生は、動きについて考察したり、関節の角度を計算したり、データ

を自分のパソコンで分析していきます。ほとんどグループワークですね。1クラス80人くらい

ですが、9グループくらいに分かれてグループ毎にデータを取って、みんなでレポートをまとめる

ことになりますね。


■もしかして、グループの中の誰かの動きをキャプチャーするのでしょうか?


そうそう、そうです! 被験者も全部自分たちでやるんですよ。


■ちょっと気恥ずかしいですね。


そうなんです。

動きを撮るときには、ピッタリしたスパッツとか穿かなくちゃいけなくて(笑)

モーションキャプチャーって、結果的には棒人間のような動きしか見られないんですが、

その人の動きの癖なんかもわかるんです。よく見ると「これは誰々だ!」って分かったりする

ので、そういうところを患者さんを診るときのヒントにしてほしいですね。


癖が分かるということは、動きを評価する時の鍵となりますので、

そういうポイントがちょっとずつ分かってくれたらいいなと思っています。



■面白そうですね。


面白いと思います!

机上で学んだことが、実際に目で見られるようになる授業ですから。

私自身の研究も同じようなことをしていて、モーションキャプチャシステムを使っています。

私は、すっごい、研究大好きなんですよ!(笑)

大好きなので、この面白さを伝えたいな、っていうのは、ありますね。


ただ、テストが難しくて、単位を落としてしまう学生が多い授業でもあるんです。

結局、「こういう動きをしていたら、どう考えますか?」ということを理論的に書く形式の

試験にしているので、ちゃんとした日本語で自分の考えを表現しなくてはいけません。

1年生の時は暗記でなんとかクリアしていても、ここでは理論的な文章での解答を求めます

から、それは学生にとってはすごく苦手なことなんですよね。



■先生の授業で、面白さにハマる学生もいるのでは?


そうですね。2年次に、先にお話しした授業がありますので、3年次の卒業ゼミ選択の際には、

こういった分野に興味のある学生が希望して来てくれますね。



■先生のゼミはどんなゼミですか?


私は、2016年9月までオーストラリアに長期研修に行っていたので、

2017年度からまたゼミをもつことになります。


私の専門が"スポーツバイオメカニクス"なので、

先ほどから話しに出てくるモーションキャプチャーシステムなどで

スポーツの動作について研究するゼミです。


今までの傾向だと、アクティブな子たちが結構多くて、

「じゃあ、とりあえずみんなで集まってスポーツやってみようか!」ということもあります(笑)

かなり活気があって、「スポーツのリハビリをやりたい」という学生も集まってきます。


私のゼミでは、培ってほしいことが3つあります。

何に対しても疑問に思うこと

自分の考えを持つこと

③自分の意見をいうこと


ゼミって、3・4年の2年間、10人程度で同じメンバーの小さなクラスですよね。

その中で自分の意見が言えなかったら、社会に出てからも言えないと思うんです。

ですから、失敗してもいいから、ゼミでこれらの能力を培っていこう、というのが

私のゼミのテーマというか、大事にしていることなんです。



■具体的には、ゼミはどのように運営されるのでしょうか?


基本は研究をしているので、例えばある学生が「こういう研究をやりたい」って持ってきた

研究テーマに対してゼミ生みんなでディスカッションをして、「これはどう思う」とか

「これはどうなっている」とか積極的に学生同士で話をする時間にしています。


■ご指導をされていて、学生が「難しい」と感じるところは、どこだと思われますか?


学生は、自分の意見を持ったり、人に意見を言ったりすることは、結構できるようになるんです。

でもやっぱり、「文章で書く」とか「自分の考えを論理的に言う」というところでつまずいている

と思います。


やはり研究ですから、先行研究があって、自分の取ったデータがあって、

その上で自分の行ったことの説明や自分の意見を述べないといけないので、「論理的に」っていう

ところがすごく難しいんですね。


それと、学生は、頭の中に色々な考えがあっても、頭の中だけで考えていて情報整理ができて

いないせいで、文章として理論的にまとめられずにいることも多いんです。


そんな時は、真っ白な紙を渡して、それにひとつずつ


「このような現象がありました」

「だからこうです」


というのを絵に描いて整理するように指導しています。

この絵をもとに、こういう順番で論文を書きなさい、と教えると、みんな比較的良くなりますね。


★おまけショット★

IMG_balanceball.jpg

↑座り仕事の時は、バランスボールで体幹を

鍛えることも。腰痛対策にもGood!


■「これだけは学生に伝えたい」ということは何ですか?


興味を持つ」ということをしてほしいと、すごく思いますね。

実は私、大学の頃はそんなに情熱をもって勉強していたわけではないんです。

でも、理学療法士として働き始めて、「あ、こんなこともあるんだ!」と興味をそそられることが

出てきて。興味を持った内容の研究のために大学院に入り直して、今に繋がっているんです。


興味が全ての原動力だと思うので、何かに興味を持ってほしい。

嫌々やってたら、勉強も全然楽しくないし、覚わらないですよね。

でもみんな、好きなゲームのこととか、すごくよく知っているじゃないですか。

それと同じくらい情熱をかたむけられるものが大学の時にあると良いと思います。

今まで自分のやってきたことと、これからやっていくことを結び付けられたらより良いですね。



■先生がこの分野にハマったきっかけは?


私は、大学時代からずっとヒップホップダンスをやっていて、

研究も「ヒップホップダンスの動きを知りたい」っていうところから始まったんです。


「ヒップホップの動きを知りたい」

        ↓

「じゃあ、動きを知るにはどうしたらいいか」

        ↓

「モーションキャプチャーだ!」

        ↓

「だったらスポーツをモーションキャプチャーで研究できる大学院に入ろう!」

 

...っていう感じです(笑)


私の場合は、こんな風に他の興味のあることからうまく研究に繋がったので、

学生も、理学療法の難しいことに興味を持つというよりは、

自分のやってきたことや趣味をうまく自分の研究と繋げて考えられるようになれば、

楽しく勉強できると思うんです。


ですから、ゼミでも、そんな「きっかけ」を提供できればいいな、と思っています。


スポーツの動作といっても色々ありますので、例えば、今までどんなスポーツをやってきたのか

聞いてみて、"その競技の上手な人と自分を比べた時に、動きにどんな違いがあるんだろうか?"

といったきっかけを提供して、興味のあることからテーマを引き出して研究に繋げるように

しています。


■お話を伺っていると、本当に楽しそうですね。


楽しいですね!

私も楽しんでいるから、多分学生も楽しんでくれているんじゃないかな、と思っています。

瀬戸の大学祭では、学生と一緒にヒップホップダンスを踊っていますよ(笑)



■ 先生のお薦め本 


今回は、" アプリ "のご紹介です!

podcast.jpg


Podcastで「バイリンガルニュース」を聴こう!


Podcastは、iphoneにはデフォルトで入っているアプリのようです。

Androidではデフォルト設定されていませんが、自分でPodcastを聞くためのアプリをダウンロード

することはできます。

「バイリンガルニュース」と検索すると、たくさん再生リストが出てきました。


お薦めポイントについて、先生はこんな風におっしゃっていました。


「再生すると、女性(日本語)と、男性(英語)の会話が流れてきます。

題材として研究が扱われていたり、 "こういう研究チームはこんなことを発表した"といったことを

ディスカッションしたり...日本語と英語で聞けるので、学生のみなさんが聞いたら楽しいと思います。」


まさに、大学生の英語学習にはもってこいですね。

是非お試しあれ。



 今日の一枚 


今日の1枚は、 " 先生の宝物 " です!

giftfromstudents.jpg

誕生日にゼミ生にもらった、名前入りの焼酎


佐藤先生はお酒がお好きなのだそうです。

自分の好きなものをゼミ生が覚えていてくれて、誕生日に贈ってくれたら感激ですね

(しかも名前入り!)。


もったいなくて開けられず、研究室に置いてあるそうです。

先生は、

「お酒を贈ってくれたゼミ生たちと、卒業後に集まった時に開けたいな。卒業式でもいいな。」

嬉しそうにお話し下さいました。






佐藤先生は、とても明るく、前向きなオーラあふれる方でした!

何より、研究が本当にお好きで、お話を伺っていると、聞き手もその面白さに触れて

みたくなります。

履修生だけでなく、先生のように自分の情熱を傾けて研究がしたい方、ヒップホップや

オーストラリア(パース)に興味のある方は、一度先生の研究室を訪れてみては

いかがでしょうか。



次回の★Bridge★も、お楽しみに!

 


チョッパー子4年

5月初め、大学内がテスト前で落ち着かない様子になった。自分が履修しているクラスの最終試験は筆記テストではなく、動画作成やスピーチだったので、自分はその準備に追われていた。動画作成は、クラスでグループを作り、出された課題についての動画を皆で作成するというものであった。コメディが好きなフィリピン人は、どの動画も面白おかしく作っていて、見ていて飽きなかった。グループでの作業ということで、割と皆が手伝ってくれたので、そんなに大変な作業でもなかった。



山本泰裕053.jpg


コミュニケーションクラスの最終課題は、10秒スピーチというパッと聞いた感じで、簡単そうな感じがした。しかしその課題は、自分が後世に残したい言葉を10秒に納めて伝えるというものだった。


体育(フィールドホッケー)では最後にクラス別の大会があり、自分のチームは優勝を逃したものの、三位入賞という十分な成績を残した。今までしたことがないスポーツに挑戦するのはとても刺激になり、そのスポーツが生まれた国の文化や考えを、そのスポーツを通して感じられる事を嬉しく思う。



山本泰裕051.jpg


この長期留学を通して、フィリピンという異国にて外国語を使って勉強をすることの難しさや楽しさを感じるという、日本の大学ではできない、とても貴重な経験ができた。更に授業を通して、日本人にはない独特のユーモアや考え方も感じられた。


テストも終わりに近づき、落ち着いてきた5月半ばあたりに、留学生で学期終わりの打ち上げをした。その後、10か月を共に過ごしてきた仲間たちがどんどん帰国していった。やはり、外国という右も左もわからない場所で出会った仲間は、自分が感じていた以上に存在が大きく、その分別れも辛い。



山本泰裕052.jpg


自分の帰国は来月6月初めである。大学内での生活は終わったが、語学留学のほかに目的としていた課外活動を、5月の後半から開始した。課外活動として当初ボランティアを予定していたが、縁があり、クバオという場所にあるクヤセンターという孤児院で、子供たちと生活をすることにした。この孤児院は男の子だけの孤児院で、10人近くの子供たちが生活している。子供達はとてもパワーがあり活発で、自分の老いを感じた。報告書を書いている今現在はこの孤児院に来て2日目であり、今後は色々な子供たちにインタビューをする予定である。


この留学を終えて、フィリピンという国、言語、文化の深さをしみじみと感じた。自分が滞在したマニラは、フィリピンという国単位で見れば小さな場所である。しかし、今後もフィリピンという国に携わって、より良い国にしていける人材になれるように頑張りたい。

5月初め、大学内がテスト前で落ち着かない様子になった。自分が履修しているクラスの最終試験は筆記テストではなく、動画作成やスピーチだったので、自分はその準備に追われていた。動画作成は、クラスでグループを作り、出された課題についての動画を皆で作成するというものであった。コメディが好きなフィリピン人は、どの動画も面白おかしく作っていて、見ていて飽きなかった。グループでの作業ということで、割と皆が手伝ってくれたので、そんなに大変な作業でもなかった。



山本泰裕053.jpg


コミュニケーションクラスの最終課題は、10秒スピーチというパッと聞いた感じで、簡単そうな感じがした。しかしその課題は、自分が後世に残したい言葉を10秒に納めて伝えるというものだった。


体育(フィールドホッケー)では最後にクラス別の大会があり、自分のチームは優勝を逃したものの、三位入賞という十分な成績を残した。今までしたことがないスポーツに挑戦するのはとても刺激になり、そのスポーツが生まれた国の文化や考えを、そのスポーツを通して感じられる事を嬉しく思う。



山本泰裕051.jpg


この長期留学を通して、フィリピンという異国にて外国語を使って勉強をすることの難しさや楽しさを感じるという、日本の大学ではできない、とても貴重な経験ができた。更に授業を通して、日本人にはない独特のユーモアや考え方も感じられた。


テストも終わりに近づき、落ち着いてきた5月半ばあたりに、留学生で学期終わりの打ち上げをした。その後、10か月を共に過ごしてきた仲間たちがどんどん帰国していった。やはり、外国という右も左もわからない場所で出会った仲間は、自分が感じていた以上に存在が大きく、その分別れも辛い。



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自分の帰国は来月6月初めである。大学内での生活は終わったが、語学留学のほかに目的としていた課外活動を、5月の後半から開始した。課外活動として当初ボランティアを予定していたが、縁があり、クバオという場所にあるクヤセンターという孤児院で、子供たちと生活をすることにした。この孤児院は男の子だけの孤児院で、10人近くの子供たちが生活している。子供達はとてもパワーがあり活発で、自分の老いを感じた。報告書を書いている今現在はこの孤児院に来て2日目であり、今後は色々な子供たちにインタビューをする予定である。


この留学を終えて、フィリピンという国、言語、文化の深さをしみじみと感じた。自分が滞在したマニラは、フィリピンという国単位で見れば小さな場所である。しかし、今後もフィリピンという国に携わって、より良い国にしていける人材になれるように頑張りたい。

★ Ami-29★「我が道を行く」

 

学生が頑張る学生さんを紹介していくアミーゴの輪、

前回マキバオー君を紹介するとお伝えしていましたが、

今回は内容を変更して、僭越ながら前回軽く自己紹介をいたしました

私たっピー編集員が、指名させてもらいます。

 

 

 今回のアミーゴは...


Ami29>経済学部2年 野場悠介 くん


Ami29_1.jpg

笑顔の素敵な野場くん



彼は小学校の頃から車が大好きだったそうです。



Ami29_2.jpg

Favorite carマツダコスモスポーツ     

 出典:GATAGフリー画像・写真素材集4.0

著作者:  contri



自動車関係の仕事に就くこと。


彼の夢です。

しかし、そんな夢を一度手放しかけたそうです...。

 

 

高校時代、成績に不安があり文系を選択。

車=工学=理系」と考えていたため、

自分の目標を見失ってしまった野場くんは、

勉強に身が入らず第一志望ではなかったこの名古屋学院大学に来ることに。



「こんなところ来るはずじゃなかった...。」



そんな失意の底にあった野場くん。


しかし、車への熱意は残っていました。



やっぱり車に携わりたい‼



しかし、どうすればいいのか......悩んだそうです。

 



大学二年生になり、ゼミの担当教員である児島先生に悩みを打ち明けました

先生は野場くんの話を聴き、

キャリアセンターを紹介して下さったり、

資格の取得についてアドバイスして下さったそうです。


 

そのおかげで、自動車メーカーへ別のアクセスの仕方や就職ができること、

他の携わり方があるのではないかと

広い視野で将来について考えられるようになったそうです。

 



そんな野場くんは今、

 


「ボランティアやサークルに参加してコミュニケ―ション能力の向上、

  人間関係を広く持ち、人間力を高めるように努めながら

  自分の道を見つけたい。」


 

と強い思いを語ってくれました。


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 皆さんも、一度は夢破れてしまうような経験をしたことが

あるのではないでしょうか。


僕も以前は、「バンダイに入ってガンプラを作りたい」と夢見ていたのですが

受験で失敗した今となってはもう叶わない...と思っていました。

 


 

でも、そう思いこんでいただけなのかもしれません。

自分の可能性についてもっと考えていきたいと思います!

 



「自分とは何で、どこへ向かうべきか、問い続ければ見えてくる」


「人生のすべてに意味があるから、恐れずにあなたの夢を育てて」




ある歌の歌詞です。

 

 

なんとなく学校に来て なんとなく授業を受けて 帰ってバイト...。


 

そんな生活している学生さん、

もう少しだけ自分と夢について考えてみませんか?

 

 





最後に、ブログ更新が遅くなってしまいすみませんでした。。。

 

たっピー編集員。


今回は、経済学部 松本浩司先生の専門基礎演習にお邪魔してきました!


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松本先生の専門基礎演習の授業では、開始10分間、学生は「演習ログカード」を書きます。前回の授業からの1週間における授業の取り組みの状況や、将来に向けた取り組みに関して、自己・他己両面から評価します。みなさん一生懸命書いていました。


さて、「演習ログカード」を書き終わると、今日の本題「ブルサ」が始まります。


本日は日本取引所グループ株式会社東京証券取引所が学校向けに提供しているボードゲーム型の教材「ブルサ」を使った授業です。

(※写真が「ブルサ」です。)

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「ブルサ」とは、教科書で学ぶ経済や金融のしくみを、具体的なニュースによる株価の変動を通じて学べるボードゲーム型の教材です。様々な経済事象に基づく株価変動を通じて、経済の具体的な動きを理解できるようになっています。


まずは「ブルサ」のルールについて先生から説明されます。各々、250万円の資金を元手に株式投資など、資産を運用します。投資対象となる3つの企業(自動車製造、スーパー、アパレル生産販売)の特徴が読み上げられると、みなさんしっかりメモしていました。

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前提条件が整ったらいよいよゲーム開始です。順次具体的なニュースが読み上げられます。


1つ目のニュースは「太陽電池で走る車、量産化決定」です。

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ニュースをきいて3つの企業の株価の変動を予想し、株を売買します。

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「株価が変化するところもあれば、変化しないところもある」と途中で先生がヒントをはさんでいらっしゃいました。


全ての班が予想し、株の売買を終えたところで、結果と解説が発表されます。


松本先生は「解説中に出てきたわからない単語についてはメモして後で調べるように」と、指示をされていました。これを着実に行えば、より授業内容が身につきますね。


2つ目のニュースは「景気回復、GDP拡大、ボーナスが上がる」です。先生は「景気が回復するとはどういうことか?」と用語解説をしてくださいました。


先生の解説で特に印象に残ったのは「景気の『気』は、気持ちの『気』でもある。景気は人の気持ちとも連動している」というお話です。経済学は一般人からすると難しそうなイメージですが、「人の気持ち」と言われると身近で親しみやすい印象を受けますね。


学生は、自分の予想した株価の変動と結果が違ったときには積極的に先生に質問していて、意欲を感じました。


その後ニュースが3つ目、4つ目...と続いたところで、今度は「人生カード」を引きます。人生ゲーム同様、カードの指示が資産に影響し、ゲームの結果を左右します。


その後5つ目、6つ目のニュースが続き、

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最後は「金利が下がってきた」というニュースです。このフレーズだけでも経済学の要素がたくさん含まれています。

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「金利を操作する機関は?」

「どうやって金利を操作する?」


学生に質問を交えながら、金利に関する基本も先生がしっかり解説してくださいました。


最後の最後にまた「人生カード」を引き、色々な声が聞こえる中、株の売買の時間は終了しました。


最終的に残った個々の資産を計算し、順位付けをしてみると、1位の学生はなんとスタート時の250万円から1600万円台まで資産を増やしていました。

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1位の学生に感想をきいたところ、「みんなと(株に対する)素質が違う」と鼻高々!?


今回の「ブルサ」を通して株の売買にとどまらず、経済の基本もしっかり復習できたようでした!


 4月は多くの授業が終わりに差し掛かってきました。ライティングの授業では、最後の大きな宿題であるQuestionnaireを完成させました。テーマは自由で、毎日行くほどスターバックスが好きだったので、スターバックスでコップに名前を書かれるのが好きか、それとも番号かというテーマにし、最高点をもらいました。


 また、これまで取り組んできた宿題を授業以外の人にも見てもらうということで、Brochure, Case studyQuestionnaireでショーケースに参加しました。何よりも嬉しかったのが、宿題で取り組んできた私の大好きなよさこいが、アメリカ人にもっと知ってもらえる機会を持つことができたことです。


 スピーキングの授業では、ファイナルのための最後のプレゼンテーションに取り組みました。テーマは、この一学期で改善した英語スキルで、三部構成の最後のパートでは、もし自分が先生だったらという設定で、実際に考えたアクティビティをプレゼン中に皆とするというものでした。この一学期で改善した英語スキルについて深く考える機会がなかったので、そのことについて考える良い経験になりました。


 中国語の授業では相変わらず、楽しく友達と授業を受け、クラスメートがイベントを開くということで、私は書道をやりました。また、同じ大学からの留学生と先輩と共に、中国の有名な曲である茉莉花を一緒に歌いました。とても恥ずかしかったです。中国の凧も皆と広場であげました。子どもに戻ったようで、アメリカでは日本でやりそうなのにやってこなかったことを色々体験し、とても良い経験になりました。


 映画の授業では、最後の映画としてカルト映画を見たのですが、最後には生徒皆でスタンディングオベーションをするという前代未聞のことが起こりました。


 授業以外のことだと、スターバックスで三日間限定のユニコーンフラペチーノというものが発売されました。ピンクと青色という、とても独特な色味で、長蛇の列ができていたので私も試しに買ってみました。凄く酸っぱくて、凄くまずくて、半分も飲まないぐらいで捨ててしまいました。


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 4月の最後の金曜日には、二学期間入っていたグローバルビレッジの最後のイベントがありました。皆でアイスクリームを食べにダウンタウンに行くというものでした。その日までは自分がもうすぐ帰るという実感がなかったのですが、同じイベントに参加をしていた私よりも先に日本に帰る留学生を見るたびに、次帰るのは私なのかと実感し、そのイベント中は笑顔がなく、最後のイベントなのに全然楽しめなく終わってしまいました。


積真美052.jpg

 同日、ジャパニーズクラブで仲良くなった人の家でパーティーがあったので参加しました。最初の方はすごく楽しかったのですが、徐々に皆帰っていき、そのたびに悲しさでいっぱいになりました。自分の寮に戻り、早めに片付けようと思って冬物の服をまとめていたら、ルームメイトが「大丈夫?皆まみのことが大好きだよ。」と声をかけてくれ、部屋を去っていきました。その瞬間涙があふれ、とても悲しい気持ちになりました。本当に良い友達ができたのだなと実感しました。残りの一週間は、皆と長く一緒に入れたらなと思います。



 4月は多くの授業が終わりに差し掛かってきました。ライティングの授業では、最後の大きな宿題であるQuestionnaireを完成させました。テーマは自由で、毎日行くほどスターバックスが好きだったので、スターバックスでコップに名前を書かれるのが好きか、それとも番号かというテーマにし、最高点をもらいました。


 また、これまで取り組んできた宿題を授業以外の人にも見てもらうということで、Brochure, Case studyQuestionnaireでショーケースに参加しました。何よりも嬉しかったのが、宿題で取り組んできた私の大好きなよさこいが、アメリカ人にもっと知ってもらえる機会を持つことができたことです。


 スピーキングの授業では、ファイナルのための最後のプレゼンテーションに取り組みました。テーマは、この一学期で改善した英語スキルで、三部構成の最後のパートでは、もし自分が先生だったらという設定で、実際に考えたアクティビティをプレゼン中に皆とするというものでした。この一学期で改善した英語スキルについて深く考える機会がなかったので、そのことについて考える良い経験になりました。


 中国語の授業では相変わらず、楽しく友達と授業を受け、クラスメートがイベントを開くということで、私は書道をやりました。また、同じ大学からの留学生と先輩と共に、中国の有名な曲である茉莉花を一緒に歌いました。とても恥ずかしかったです。中国の凧も皆と広場であげました。子どもに戻ったようで、アメリカでは日本でやりそうなのにやってこなかったことを色々体験し、とても良い経験になりました。


 映画の授業では、最後の映画としてカルト映画を見たのですが、最後には生徒皆でスタンディングオベーションをするという前代未聞のことが起こりました。


 授業以外のことだと、スターバックスで三日間限定のユニコーンフラペチーノというものが発売されました。ピンクと青色という、とても独特な色味で、長蛇の列ができていたので私も試しに買ってみました。凄く酸っぱくて、凄くまずくて、半分も飲まないぐらいで捨ててしまいました。


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 4月の最後の金曜日には、二学期間入っていたグローバルビレッジの最後のイベントがありました。皆でアイスクリームを食べにダウンタウンに行くというものでした。その日までは自分がもうすぐ帰るという実感がなかったのですが、同じイベントに参加をしていた私よりも先に日本に帰る留学生を見るたびに、次帰るのは私なのかと実感し、そのイベント中は笑顔がなく、最後のイベントなのに全然楽しめなく終わってしまいました。


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 同日、ジャパニーズクラブで仲良くなった人の家でパーティーがあったので参加しました。最初の方はすごく楽しかったのですが、徐々に皆帰っていき、そのたびに悲しさでいっぱいになりました。自分の寮に戻り、早めに片付けようと思って冬物の服をまとめていたら、ルームメイトが「大丈夫?皆まみのことが大好きだよ。」と声をかけてくれ、部屋を去っていきました。その瞬間涙があふれ、とても悲しい気持ちになりました。本当に良い友達ができたのだなと実感しました。残りの一週間は、皆と長く一緒に入れたらなと思います。



~小説教室~

 

どうも、メガネを外して見たら「小説教室」が「小室哲也」に見えた伊藤です。


さて、本学に在学されている方の中には小説が好きな方がいらっしゃると思います。

しかしひとえに「好き」と言っても

読むのが好きな方。

書くのが好きな方。

...大きく分けても二つほどに分類は分かれるでしょう。

前者である「読むのが好きな方」には是非とも

学術情報センター3階図書館にお越しいただければと思います。

 

......と、言うことで今回は「書くのが好きな方」へ向けて本をご紹介をしたいと思います。

私がオススメするのはこちらの一冊

実践小説教室:伝える揺さぶる基本メゾット』です。





その名の通り、小説の書き方を記した一冊となっております。

とはいえ中身は文法等の固い内容ではなく、

自分の思い描くものをどう伝えるか、形にするか。

そういったことを書き記した読みやすい一冊となっております。

 

小説を書くのが好きな方は本学にも在籍しているかと思われますが、

気恥ずかしさもあってか、あまりそのことを周囲に伝えている方はいないと思います。

そして小中高、そして大学でも小説の書き方を教える授業や講義は殆どありません。

ですので「小説を書いているor書きたいけど......」という方は是非、こちらの一冊を

学術情報センター3階で借りられてはいかがでしょうか。 



学術情報センター学生サポーター:伊藤

 インドネシアに来て8ヶ月が経ちました。4月は毎日停電が1日1回は起きています。停電が起きると、自分はインドネシアという発展途上国にいるのだと改めて感じさせられます。寮にいる間、もし停電になれば寝るしかありません。慣れた今はもう「またか。3時間後ぐらいに戻るかな」と思うぐらいです。夜停電なら寝る、携帯やパソコンは常に充電をしておく、などと臨機応変に対応できるようにしていたので、特に困ったことはありません。

 ですが、陽が出ている明るい日中の停電には困らされました。その時、文化社会基礎の授業に参加をしており、日本についてプレゼン発表する時、パワーポイントを使用できなかったためです。写真を見せながら発表した方が分かりやすいと思い、パワーポイントでのたくさんの写真を使ってプレゼンの資料を作っていました。停電がこの授業に影響するとは思ってもいなかったので、少しパニックになりながらも何とかプレゼンを終わらせました。タイミングが悪かったのは仕方がないですが、写真に頼っていた部分があったので、不十分なインドネシア語だけの説明となってしまい、心残りができてしまいました。それでも、先生もクラスメイトも一生懸命私のプレゼンに耳を傾けてくれました。 

 行政村落管理の授業が遅れること、4月に始まりました。しかし、初回の授業で教室がどこか分らず、キャンパス内をさまよっていて遅刻をしました。教室に入ると、先生が他の学生に「どこの国の人?」と聞いているのが聞こえました。初めての留学生受け入れだからか、アルムスリム大学側が私が履修した授業を各先生にまったく知らせていなかったのか、先生も戸惑っていました。「自分から説明しなければ」と思いましたが、このクラスには一緒に経済の授業を履修している学生が多く居たので、彼女たちが説明してくれました。そして、私が日本人だと分かると、先生が知ってる日本語を話して授業が盛り上がりました。その後、この授業では、授業内容と関係なくても、日本と関わりのあることをしばしば先生が話してくれます。

 例えば、原爆についてインドネシア人は皆、「広島・長崎」の地名を知っています。知っている内容が戦争であろうが、アニメや食べ物であろうが、日本のことについて知ってくれてるのが嬉しかったです。反対に私は、インドネシアに初めて来る前は、正直バリ島、ジャカルタ、スマトラ島といえばスマトラ沖地震ぐらいの知識しかありませんでした。この報告書や毎月大学の方で掲載されているブログを通して、少しでも多くの日本人の人にインドネシアを知って欲しいと思いました。 

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 留学生活も残り3ヶ月となり、遅ればせながらアルムスリム大学の方で日本語クラブをつくりました。北スマトラ大学の日本語学科を卒業したばかりのアユさんと私が、週2日、14時から17時ぐらいまで日本語を教えています。今はまだ5人しか参加者は居ませんが、ひらがなや簡単な挨拶からスタートしました。アルムスリム大学には日本語学科はありませんが、名古屋学院大学に留学にできるチャンスがあるので、このクラブを通して日本に興味を持ってもらえれば嬉しいです。 

 更に今月は、インドネシアに来て初めて、アチェ州以外の場所に出かけました。アユさんが日本語を勉強していた北スマトラ大学がある、北スマトラ州メダンに行きました。アユさんが4月27日から3日間開かれていた日本語学科生の学祭、その名も日本語の「BUNKASAI」に誘ってくれたからです。日本領事館もあるメダンは、スマトラ島で最大の都市であり、インドネシアで第4番目に人口が多い都市です。ムスリムだけでなく、インドネシア人でもクリスチャンの人や多くの中華系の人々が住んでいます。アチェ州、特に私が住んでいるマタンでは、私が一歩外を歩くと、ジルバブを被っていない私をすれ違う人皆が見てきます。しかし、メダンで全く見られてると思うことがありませんでした。小さなことと思われるかもしれませんが、8ヶ月アチェで過ごしてきた私にとっては、同じインドネシアでもこんなにも世界が違うのかと驚きました。

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 マタンでの移動はバイクが多く、信号もありますが(1つや2つぐらい)あってもないようなものです。メダンでは車ばかりで、渋滞がひどかったです。大きなショッピングモールもたくさんあり、日本食レストランもありました。お寿司にも感動しましたが、日本のラーメン屋に豚肉がありました。アチェではムスリムがほとんどなので、豚肉が全くありません(イスラムでは豚肉は禁じられているため)。お店ではハラール(イスラム法で認められているもの)のメニュー、つまり豚肉やお酒を使用していない、ムスリムが安心して食べれるものもありましたが、ハラール商品と非ハラール商品のキッッチンが同じということで、ムスリムの友達はお店に入りませんでした。ハラールの商品があっても、非ハラールを扱うのと同じキッチンでは、ムスリムは安心してお店に入ることもできないということを初めて目の当たりにしました。


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 目的であった北スマトラ大学には、日本語学科があり、現在日本人の先生は居ないらしいのですが、お餅つき大会やコスプレ大会が開かれていたり、日本の食べ物を売っていたり、浴衣の着付け体験ができたり、本格的な日本満載の学祭でした。

 歩いていると「すみません〜、すみません〜」と後ろから聞こえたので振り返ると、満面の笑みで、「日本人ですか?!」と女子高生に話しかけられました。学校の課題で、この学祭で日本人を探して日本語でインタビューをしてくるという課題があったそうです。なので日本語で「すみません」と言いながら歩いていたと聞き、すごく良い探し方だなと感心しまいました。そして何より、大学生だけでなく、彼女のように日本語を勉強している高校生も学際に参加をして、日本を知ろうとしてくれているということは、嬉しいことでした。 

 学祭当日は、SNSを通じて知りあった日本人の方が紹介してくれた方が、学祭を案内してくれました。残念ながらSNSで知りあった日本人の方はちょうど日本に帰国中ということで、会うことはできませんでした。しかし、その方が開いているメダンお掃除クラブという団体のブースで、1人の日本人学生の方に会いました。インドネシアに来て初めて、日本の方に会えたのと、その方も私と同じく日本人がいない大学で留学生活を送っているということで意気投合しました。彼はインドネシア政府の奨学金制度を利用しメダンの大学に通っているそうです。お互いにどういった経緯で今インドネシアに居るのか、話しているうちにあっという間に時間が来てしまいました。

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 初めて会ったのに「同じスマトラ島の場所は違っても、日本人1人で頑張っている人が居るんだな」と思うと、今まであった孤独感がなくなりました。初めてインドネシアで会った日本人の方に、とても良い刺激をもらい、今まで自信がないとばかり思い込んでいた自分に、少しは自信が持てるようになりました。バスでの移動に10時間かかり、「次メダンに来る機会はいつのことかな」と思っていましたが、帰りのバスでは留学中にもう一度行ってみようと思いました。 インドネシアで過ごすのもあと2ヶ月。断食月が最後の異文化体験となるので楽しみです。
 インドネシアに来て8ヶ月が経ちました。4月は毎日停電が1日1回は起きています。停電が起きると、自分はインドネシアという発展途上国にいるのだと改めて感じさせられます。寮にいる間、もし停電になれば寝るしかありません。慣れた今はもう「またか。3時間後ぐらいに戻るかな」と思うぐらいです。夜停電なら寝る、携帯やパソコンは常に充電をしておく、などと臨機応変に対応できるようにしていたので、特に困ったことはありません。

 ですが、陽が出ている明るい日中の停電には困らされました。その時、文化社会基礎の授業に参加をしており、日本についてプレゼン発表する時、パワーポイントを使用できなかったためです。写真を見せながら発表した方が分かりやすいと思い、パワーポイントでのたくさんの写真を使ってプレゼンの資料を作っていました。停電がこの授業に影響するとは思ってもいなかったので、少しパニックになりながらも何とかプレゼンを終わらせました。タイミングが悪かったのは仕方がないですが、写真に頼っていた部分があったので、不十分なインドネシア語だけの説明となってしまい、心残りができてしまいました。それでも、先生もクラスメイトも一生懸命私のプレゼンに耳を傾けてくれました。 

 行政村落管理の授業が遅れること、4月に始まりました。しかし、初回の授業で教室がどこか分らず、キャンパス内をさまよっていて遅刻をしました。教室に入ると、先生が他の学生に「どこの国の人?」と聞いているのが聞こえました。初めての留学生受け入れだからか、アルムスリム大学側が私が履修した授業を各先生にまったく知らせていなかったのか、先生も戸惑っていました。「自分から説明しなければ」と思いましたが、このクラスには一緒に経済の授業を履修している学生が多く居たので、彼女たちが説明してくれました。そして、私が日本人だと分かると、先生が知ってる日本語を話して授業が盛り上がりました。その後、この授業では、授業内容と関係なくても、日本と関わりのあることをしばしば先生が話してくれます。

 例えば、原爆についてインドネシア人は皆、「広島・長崎」の地名を知っています。知っている内容が戦争であろうが、アニメや食べ物であろうが、日本のことについて知ってくれてるのが嬉しかったです。反対に私は、インドネシアに初めて来る前は、正直バリ島、ジャカルタ、スマトラ島といえばスマトラ沖地震ぐらいの知識しかありませんでした。この報告書や毎月大学の方で掲載されているブログを通して、少しでも多くの日本人の人にインドネシアを知って欲しいと思いました。 

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 留学生活も残り3ヶ月となり、遅ればせながらアルムスリム大学の方で日本語クラブをつくりました。北スマトラ大学の日本語学科を卒業したばかりのアユさんと私が、週2日、14時から17時ぐらいまで日本語を教えています。今はまだ5人しか参加者は居ませんが、ひらがなや簡単な挨拶からスタートしました。アルムスリム大学には日本語学科はありませんが、名古屋学院大学に留学にできるチャンスがあるので、このクラブを通して日本に興味を持ってもらえれば嬉しいです。 

 更に今月は、インドネシアに来て初めて、アチェ州以外の場所に出かけました。アユさんが日本語を勉強していた北スマトラ大学がある、北スマトラ州メダンに行きました。アユさんが4月27日から3日間開かれていた日本語学科生の学祭、その名も日本語の「BUNKASAI」に誘ってくれたからです。日本領事館もあるメダンは、スマトラ島で最大の都市であり、インドネシアで第4番目に人口が多い都市です。ムスリムだけでなく、インドネシア人でもクリスチャンの人や多くの中華系の人々が住んでいます。アチェ州、特に私が住んでいるマタンでは、私が一歩外を歩くと、ジルバブを被っていない私をすれ違う人皆が見てきます。しかし、メダンで全く見られてると思うことがありませんでした。小さなことと思われるかもしれませんが、8ヶ月アチェで過ごしてきた私にとっては、同じインドネシアでもこんなにも世界が違うのかと驚きました。

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 マタンでの移動はバイクが多く、信号もありますが(1つや2つぐらい)あってもないようなものです。メダンでは車ばかりで、渋滞がひどかったです。大きなショッピングモールもたくさんあり、日本食レストランもありました。お寿司にも感動しましたが、日本のラーメン屋に豚肉がありました。アチェではムスリムがほとんどなので、豚肉が全くありません(イスラムでは豚肉は禁じられているため)。お店ではハラール(イスラム法で認められているもの)のメニュー、つまり豚肉やお酒を使用していない、ムスリムが安心して食べれるものもありましたが、ハラール商品と非ハラール商品のキッッチンが同じということで、ムスリムの友達はお店に入りませんでした。ハラールの商品があっても、非ハラールを扱うのと同じキッチンでは、ムスリムは安心してお店に入ることもできないということを初めて目の当たりにしました。


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 目的であった北スマトラ大学には、日本語学科があり、現在日本人の先生は居ないらしいのですが、お餅つき大会やコスプレ大会が開かれていたり、日本の食べ物を売っていたり、浴衣の着付け体験ができたり、本格的な日本満載の学祭でした。

 歩いていると「すみません〜、すみません〜」と後ろから聞こえたので振り返ると、満面の笑みで、「日本人ですか?!」と女子高生に話しかけられました。学校の課題で、この学祭で日本人を探して日本語でインタビューをしてくるという課題があったそうです。なので日本語で「すみません」と言いながら歩いていたと聞き、すごく良い探し方だなと感心しまいました。そして何より、大学生だけでなく、彼女のように日本語を勉強している高校生も学際に参加をして、日本を知ろうとしてくれているということは、嬉しいことでした。 

 学祭当日は、SNSを通じて知りあった日本人の方が紹介してくれた方が、学祭を案内してくれました。残念ながらSNSで知りあった日本人の方はちょうど日本に帰国中ということで、会うことはできませんでした。しかし、その方が開いているメダンお掃除クラブという団体のブースで、1人の日本人学生の方に会いました。インドネシアに来て初めて、日本の方に会えたのと、その方も私と同じく日本人がいない大学で留学生活を送っているということで意気投合しました。彼はインドネシア政府の奨学金制度を利用しメダンの大学に通っているそうです。お互いにどういった経緯で今インドネシアに居るのか、話しているうちにあっという間に時間が来てしまいました。

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 初めて会ったのに「同じスマトラ島の場所は違っても、日本人1人で頑張っている人が居るんだな」と思うと、今まであった孤独感がなくなりました。初めてインドネシアで会った日本人の方に、とても良い刺激をもらい、今まで自信がないとばかり思い込んでいた自分に、少しは自信が持てるようになりました。バスでの移動に10時間かかり、「次メダンに来る機会はいつのことかな」と思っていましたが、帰りのバスでは留学中にもう一度行ってみようと思いました。 インドネシアで過ごすのもあと2ヶ月。断食月が最後の異文化体験となるので楽しみです。
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