「授業」と一致するもの

 留学してから二ヵ月が経ち、まだ慣れないこともありますが、とても楽しく生活しています。

 10月は、国慶節に天津に遊びに行ったり、週末は中国人の友達と、映画を見に行ったり、北京動物園に行ったり、北京ダックを食べたりして、ツアーで古水北鎮・司馬台長城などにも行き、あっという間に一ヵ月が過ぎていきました。

 北京動物園は、学生証を出すことで日本円で160円くらいで入れました。古水北鎮・司馬台長城は世界遺産の申請をしている所で、どこかヨーロッパの雰囲気を感じさせられました。暗くなってから、お店や長城がライトアップされていて、とても綺麗でいい経験になりました。

 ルームメイトとは、日に日に中国語で会話する時間が増え、2人で夜遅くまで色々な話をしていて、とても楽しいです。

 授業は、初めの頃よりも少し難しくなってきて、毎日覚えなければいけない単語や文法があります。しかし、授業の雰囲気に慣れてしまい、予習・復習の手を抜いてしまうことがあるので、気を引き締めなければと思っています。

 中級中国語の''聴いて話す''授業では、三人一組で、四つのテーマの中から一つを選んで、そのテーマに合わせて三人で文章を考えて会話をする、という中間テストのようなものがあったのですが、授業で使われた文法を必ず五つ使って、一人2分~3分は話し、全体で約6~9分間の会話にしなくてはならないという条件があり、私ともう一人の日本人の友達とトルコ人の友達と、カフェに毎日行って話し合って練習を重ねました。

 日本人の友達とは、トルコ人の友達が日本語が分らないので、基本的に日本語は使わないと決めて、三人で「今しゃべるの早かったからゆっくりしゃべろう」「次は下書きを見ないようにしよう」「感情を込めて!!」など、''ここはもっとこうした方がいい''と、お互いアドバイスをしながら練習をしました。

 そのおかげで当日は、とても緊張して少し早口になってしまいましたが、先生から、時間配分もよく、聞きやすかったと言っていただいて、とても嬉しかったです。最初はみんな意見を出すことができなかったけれど、話し合っていくうちに親しくなった今では、とても仲良くなりました。

 中級中国語の授業では、討論や自分の意見などを言う機会が多くなってきており、もともと積極的に話すタイプじゃないので苦戦していますが、発言ができた時はとても楽しいです。最近一気に寒くなってきたので、風邪をひかないよう体調に気をつけて頑張りたいと思います。

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 留学してから二ヵ月が経ち、まだ慣れないこともありますが、とても楽しく生活しています。

 10月は、国慶節に天津に遊びに行ったり、週末は中国人の友達と、映画を見に行ったり、北京動物園に行ったり、北京ダックを食べたりして、ツアーで古水北鎮・司馬台長城などにも行き、あっという間に一ヵ月が過ぎていきました。

 北京動物園は、学生証を出すことで日本円で160円くらいで入れました。古水北鎮・司馬台長城は世界遺産の申請をしている所で、どこかヨーロッパの雰囲気を感じさせられました。暗くなってから、お店や長城がライトアップされていて、とても綺麗でいい経験になりました。

 ルームメイトとは、日に日に中国語で会話する時間が増え、2人で夜遅くまで色々な話をしていて、とても楽しいです。

 授業は、初めの頃よりも少し難しくなってきて、毎日覚えなければいけない単語や文法があります。しかし、授業の雰囲気に慣れてしまい、予習・復習の手を抜いてしまうことがあるので、気を引き締めなければと思っています。

 中級中国語の''聴いて話す''授業では、三人一組で、四つのテーマの中から一つを選んで、そのテーマに合わせて三人で文章を考えて会話をする、という中間テストのようなものがあったのですが、授業で使われた文法を必ず五つ使って、一人2分~3分は話し、全体で約6~9分間の会話にしなくてはならないという条件があり、私ともう一人の日本人の友達とトルコ人の友達と、カフェに毎日行って話し合って練習を重ねました。

 日本人の友達とは、トルコ人の友達が日本語が分らないので、基本的に日本語は使わないと決めて、三人で「今しゃべるの早かったからゆっくりしゃべろう」「次は下書きを見ないようにしよう」「感情を込めて!!」など、''ここはもっとこうした方がいい''と、お互いアドバイスをしながら練習をしました。

 そのおかげで当日は、とても緊張して少し早口になってしまいましたが、先生から、時間配分もよく、聞きやすかったと言っていただいて、とても嬉しかったです。最初はみんな意見を出すことができなかったけれど、話し合っていくうちに親しくなった今では、とても仲良くなりました。

 中級中国語の授業では、討論や自分の意見などを言う機会が多くなってきており、もともと積極的に話すタイプじゃないので苦戦していますが、発言ができた時はとても楽しいです。最近一気に寒くなってきたので、風邪をひかないよう体調に気をつけて頑張りたいと思います。

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 カナダに来て一ヶ月になり、生活に少しづつ慣れて来たように思います。

 10月の始めに、学校主催の1泊2日の旅行に参加し、カナディアンロッキーの方に行きました。そこでは、ラフティングをやったり、馬に乗って山の中を散策したりしました。これらのアクティビティは高度な英語力を必要としないので、周りと同じように楽しむことができました。

 夜にはバーに行き、知らない人にたくさん話しかけられたり、無理やり踊らされたりしましたが、楽しかったです。ただ、暗かったり、音がうるさかったりしたので、顔や名前を全然覚えられなかったことを、少し後悔しています。

 また、サンクスギビングデーという祝日には、着物を着て夕食パーティーに参加しました。アジア系の人にはウケました。夕飯の大半が甘いものばかりで、カナダの人に聞いたら、カナダの一般的な料理だと言っていたので、カナダの料理は甘いんだなと思いました。

 10月半ばになると、ESLのクラスにも慣れてきて、授業前などにクラスメイトと世間話をすることもあります。ただ、1対1の会話なら何とかなりますが、グループワークやディスカッションになると、やはり皆についていけず、全然話せないことがあります。単純に何を言っていいの分らなくて、結局黙ってしまうのです。

 先月は友人を作れず困っていましたが、今月に入り、クラスメイトをマキーワンのアイスホッケーに誘ってみました。遊びに行くまではそこまで話したっことなかったのですが、「いいよ。」と言ってもらい、一緒に遊びました。そこに来た彼の友人と仲良くなり、チャットしたり車で遊びに連れて行ってもらいました。

 また、ここに長くいるESLの中国の人と仲良くなり、10月の末に運動会のようなものに一緒に参加しました。マキーワンの生徒やエドモントンに住んでいる方々と、様々な競技で競い、表彰台に上がることはなかったが、色々な人と触れ合うことができるいい機会でした。 

 10月後半になると、こちらの学校の日本語クラスのヘルプに行くようになり、日本について教えています。先生は日本人ですが、学生は日本語を習って今年が二年目で、外で日本語を使う機会も皆無なので、授業はほぼ英語で進み、私が何か説明するときも英語を使うので、なかなか上手く伝わらないこともあります。文法や作文の問題で、あっているか間違っているかの判断は、私は日本人なのでつくのですが、何がどう間違っているのかを、彼らが習ったやり方になぞらえて教えるのはかなり難しいです。

 やる気のある生徒は、授業外でもメッセンジャーなどで日本語についての質問をしてくるので、嬉しく思います。また、来年日本の企業にインターンシップに行くという学生がいて、彼が日本についてかなり興味を示しているので、授業後などに会って会話をしています。 

 10月31日はハロウィーンで、友人がホームステイしている近所を廻り、一緒にトリックオアトリートをし、ほとんどの人が笑顔でお菓子を持ってきてくれました。

 二ヶ月経ち、講義では何を言ってるか大半理解できますが、同級生、特にカナダの人の日常会話にはまだついていけません。何を言っているのか分らない事も多々あります。残り一ヶ月と半分、1日1日を無駄せず、後悔のないように生活していこうと思います。

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 カナダに来て一ヶ月になり、生活に少しづつ慣れて来たように思います。

 10月の始めに、学校主催の1泊2日の旅行に参加し、カナディアンロッキーの方に行きました。そこでは、ラフティングをやったり、馬に乗って山の中を散策したりしました。これらのアクティビティは高度な英語力を必要としないので、周りと同じように楽しむことができました。

 夜にはバーに行き、知らない人にたくさん話しかけられたり、無理やり踊らされたりしましたが、楽しかったです。ただ、暗かったり、音がうるさかったりしたので、顔や名前を全然覚えられなかったことを、少し後悔しています。

 また、サンクスギビングデーという祝日には、着物を着て夕食パーティーに参加しました。アジア系の人にはウケました。夕飯の大半が甘いものばかりで、カナダの人に聞いたら、カナダの一般的な料理だと言っていたので、カナダの料理は甘いんだなと思いました。

 10月半ばになると、ESLのクラスにも慣れてきて、授業前などにクラスメイトと世間話をすることもあります。ただ、1対1の会話なら何とかなりますが、グループワークやディスカッションになると、やはり皆についていけず、全然話せないことがあります。単純に何を言っていいの分らなくて、結局黙ってしまうのです。

 先月は友人を作れず困っていましたが、今月に入り、クラスメイトをマキーワンのアイスホッケーに誘ってみました。遊びに行くまではそこまで話したっことなかったのですが、「いいよ。」と言ってもらい、一緒に遊びました。そこに来た彼の友人と仲良くなり、チャットしたり車で遊びに連れて行ってもらいました。

 また、ここに長くいるESLの中国の人と仲良くなり、10月の末に運動会のようなものに一緒に参加しました。マキーワンの生徒やエドモントンに住んでいる方々と、様々な競技で競い、表彰台に上がることはなかったが、色々な人と触れ合うことができるいい機会でした。 

 10月後半になると、こちらの学校の日本語クラスのヘルプに行くようになり、日本について教えています。先生は日本人ですが、学生は日本語を習って今年が二年目で、外で日本語を使う機会も皆無なので、授業はほぼ英語で進み、私が何か説明するときも英語を使うので、なかなか上手く伝わらないこともあります。文法や作文の問題で、あっているか間違っているかの判断は、私は日本人なのでつくのですが、何がどう間違っているのかを、彼らが習ったやり方になぞらえて教えるのはかなり難しいです。

 やる気のある生徒は、授業外でもメッセンジャーなどで日本語についての質問をしてくるので、嬉しく思います。また、来年日本の企業にインターンシップに行くという学生がいて、彼が日本についてかなり興味を示しているので、授業後などに会って会話をしています。 

 10月31日はハロウィーンで、友人がホームステイしている近所を廻り、一緒にトリックオアトリートをし、ほとんどの人が笑顔でお菓子を持ってきてくれました。

 二ヶ月経ち、講義では何を言ってるか大半理解できますが、同級生、特にカナダの人の日常会話にはまだついていけません。何を言っているのか分らない事も多々あります。残り一ヶ月と半分、1日1日を無駄せず、後悔のないように生活していこうと思います。

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 10月は9月と比べて様々な面でトロントでの生活により慣れてきました。 


 例えば、TTCという公共交通機関がトロントにはあり、どこに行くにも迷わなくなりました。さらに、TTC内でのアナウンスも聞き取れるようになりました。


 また、聴き取るだけでなく飲食店などで注文するとき、サブメニューなど細かいところまで正確にオーダーできるようになりました。 


 学校の授業ではみんなの前に立って、プレゼンテーションをしました。慣れない英語を使ってのプレゼンテーションは、日本語でするプレゼンテーションより緊張しました。プレゼンテーションをして一番驚いたのは、他の学生からの質問の多さ、積極性でした。名古屋学院大学では残念ながら、先生に促されて質問する学生がほとんどで、それにどこか遠慮しています。が、しかし海外では、自分が納得いくまで質問してきます。他の国の学生の質問する姿を見て、日本人らしくしていてはだめだと思いました。 


 また、もう一つ驚いたことがあります。それは、英語習得の目的です。多くの日本人は、ただ英語を話せるようになりたい。将来英語を使った仕事をしたい。このような考えの日本人が多いと思います。


 しかし、他の国から英語を学びに来る学生は、あくまでも英語は手段に過ぎないと言っていました。「料理を学びたいから。」「経営を学びたいから。」「経済を学びたいから。」そして、「その授業はすべて英語で行われる。だから英語を勉強しているんだ。」と言っていました。


 「ESLのプログラムが終わったら、あなたはどうするんだ?」とよく聞かれるので、日本に帰って大学に通いながら英語の勉強を続け、二年後就職すると言うと、みんな驚きます。せっかく英語を勉強しているのだから、海外で進んだ学問を学ぶべきだといいます。自分のこれからの人生を少し考えさせられる会話でした。 


 10月はワンダーランドという遊園地とモントリオールに遊びに行ってきました。私が一番印象に残っているのは、モントリオールです。


 トロントは9割近く英語が第一言語の街ですが、モントリオールはその逆で、9割近くフランス語が第一言語の街でした。レストランや雑貨屋さんに行けばみんな、ボンジュールと話しかけてくれます。街にある看板、標識、地図などは全てフランス語で書かれていて、英語は書かれていない場合が多く、書かれていても端の方に小さく書かれているだけでした。


 モントリオールの地下鉄のアナウンスはフランス語だけだったので、どの駅で降りたらいいのか理解するのがとても大変でした。また、モントリオールの地下鉄はトロントの地下鉄とは違い列車が完全に停止する前にドアが開きます。さらに急発進、急停車がトロント以上に激しかったです。これには度肝を抜かれるほど驚きました。

 

 モントリオールの人たちは、第一言語はフランス語ですが、みんな英語を話すことができ、バイリンガルな人たちが多かったです。私はバイリンガルが羨ましいと思いました。


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 10月は9月と比べて様々な面でトロントでの生活により慣れてきました。 


 例えば、TTCという公共交通機関がトロントにはあり、どこに行くにも迷わなくなりました。さらに、TTC内でのアナウンスも聞き取れるようになりました。


 また、聴き取るだけでなく飲食店などで注文するとき、サブメニューなど細かいところまで正確にオーダーできるようになりました。 


 学校の授業ではみんなの前に立って、プレゼンテーションをしました。慣れない英語を使ってのプレゼンテーションは、日本語でするプレゼンテーションより緊張しました。プレゼンテーションをして一番驚いたのは、他の学生からの質問の多さ、積極性でした。名古屋学院大学では残念ながら、先生に促されて質問する学生がほとんどで、それにどこか遠慮しています。が、しかし海外では、自分が納得いくまで質問してきます。他の国の学生の質問する姿を見て、日本人らしくしていてはだめだと思いました。 


 また、もう一つ驚いたことがあります。それは、英語習得の目的です。多くの日本人は、ただ英語を話せるようになりたい。将来英語を使った仕事をしたい。このような考えの日本人が多いと思います。


 しかし、他の国から英語を学びに来る学生は、あくまでも英語は手段に過ぎないと言っていました。「料理を学びたいから。」「経営を学びたいから。」「経済を学びたいから。」そして、「その授業はすべて英語で行われる。だから英語を勉強しているんだ。」と言っていました。


 「ESLのプログラムが終わったら、あなたはどうするんだ?」とよく聞かれるので、日本に帰って大学に通いながら英語の勉強を続け、二年後就職すると言うと、みんな驚きます。せっかく英語を勉強しているのだから、海外で進んだ学問を学ぶべきだといいます。自分のこれからの人生を少し考えさせられる会話でした。 


 10月はワンダーランドという遊園地とモントリオールに遊びに行ってきました。私が一番印象に残っているのは、モントリオールです。


 トロントは9割近く英語が第一言語の街ですが、モントリオールはその逆で、9割近くフランス語が第一言語の街でした。レストランや雑貨屋さんに行けばみんな、ボンジュールと話しかけてくれます。街にある看板、標識、地図などは全てフランス語で書かれていて、英語は書かれていない場合が多く、書かれていても端の方に小さく書かれているだけでした。


 モントリオールの地下鉄のアナウンスはフランス語だけだったので、どの駅で降りたらいいのか理解するのがとても大変でした。また、モントリオールの地下鉄はトロントの地下鉄とは違い列車が完全に停止する前にドアが開きます。さらに急発進、急停車がトロント以上に激しかったです。これには度肝を抜かれるほど驚きました。

 

 モントリオールの人たちは、第一言語はフランス語ですが、みんな英語を話すことができ、バイリンガルな人たちが多かったです。私はバイリンガルが羨ましいと思いました。


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 インドネシア・アチェ州へ留学にきて、あっとゆう間に2ヶ月経ちました。 2ヶ月住んでいると、こちらの環境がとてもよく分かります。 

 最近とても停電が多いです。停電になると寮の隣の喫茶店で、みんなでコーヒーを飲んでおしゃべりをしています。なので、停電は全く怖くなく、むしろ楽しんでいます。 

 未だに慣れないこともあります。それは、お風呂です。日によって水が出ない時もあるので、いつも桶に水を溜めるようにしています。このようなことは、現地では普通のことなので、いつも通っていている喫茶店の人たちに相談すると、笑って「これがアチェだ」と返されます。 

 2ヶ月住んでいると、友達とも絆ができ、今では毎日会う仲間も出来ました。毎週、フットサルを一緒にして体を動かしながらコミュニケーションを取れるの楽しいです。来月には、メンバーと一緒に作ったユニフォームが届くので、すごく楽しみにしています。大学の先生対生徒でサッカーの試合もしました。 
 
 インドネシア語でコミュニケーションを取ることができるようになってきたので、現地の言葉であるアチェ語をみんなが教えくれます。嬉しいことですが、かなり難しいので、少しずつ勉強していきたいと思います。 

 いつも行く喫茶店では、日本語と英語とアチェ語を使っていけないというルールをみんなが作ってくれたので、喫茶店にいるだけで、インドネシア語の勉強になります。 

 大学でも少しずつですが、成長していると感じます。Ecology and Environment の授業では、水害問題をどうしたら良くなるか、改善点などに関するプレゼンテーションを行いました。プレゼンテーションをしても笑われることが多いですが、インドネシア語でプレゼンテーションをするとは、2ヶ月前の自分では想像もしていませんでした。まだ、授業はとても難しいですが、学校の宿題を見せると、大学の仲間がゆっくり丁寧に教えてくれるので、とても助かっています。 

 たまに空きコマを使い、日本語を教えることもあります。学生だけで集まり、空いている教室や学校内の喫茶店で、ひらがなを教えたりしています。みんな日本語に興味を持っていて、とても嬉しかったです。来年の春から名古屋学院大学への留学を目指している学生もいます。 

 大学以外では、佐伯先生の力を借りて、国際協力の最前線を見ることができました。去年、インドネシア・スタディツアーで訪れた、チョッ・マンボンという村を再び訪れました。この村は、生活水を十分に得ることができないことが問題とされています。生活水用の水道管を寄付を支援するところに立ち会いました。工事は、全て任せるのではなく、村の人たちができることは自分たちでやっていました。テレビなどでは、そのような現場はみることができないので、初めて知ったことも多かったです。

 ただ、この村支援の説明を受けても、わからない単語が多く全てを理解することはできませんでした。もっと勉強して、専用的な言葉も覚えていきたいと思いました。
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 インドネシア・アチェ州へ留学にきて、あっとゆう間に2ヶ月経ちました。 2ヶ月住んでいると、こちらの環境がとてもよく分かります。 

 最近とても停電が多いです。停電になると寮の隣の喫茶店で、みんなでコーヒーを飲んでおしゃべりをしています。なので、停電は全く怖くなく、むしろ楽しんでいます。 

 未だに慣れないこともあります。それは、お風呂です。日によって水が出ない時もあるので、いつも桶に水を溜めるようにしています。このようなことは、現地では普通のことなので、いつも通っていている喫茶店の人たちに相談すると、笑って「これがアチェだ」と返されます。 

 2ヶ月住んでいると、友達とも絆ができ、今では毎日会う仲間も出来ました。毎週、フットサルを一緒にして体を動かしながらコミュニケーションを取れるの楽しいです。来月には、メンバーと一緒に作ったユニフォームが届くので、すごく楽しみにしています。大学の先生対生徒でサッカーの試合もしました。 
 
 インドネシア語でコミュニケーションを取ることができるようになってきたので、現地の言葉であるアチェ語をみんなが教えくれます。嬉しいことですが、かなり難しいので、少しずつ勉強していきたいと思います。 

 いつも行く喫茶店では、日本語と英語とアチェ語を使っていけないというルールをみんなが作ってくれたので、喫茶店にいるだけで、インドネシア語の勉強になります。 

 大学でも少しずつですが、成長していると感じます。Ecology and Environment の授業では、水害問題をどうしたら良くなるか、改善点などに関するプレゼンテーションを行いました。プレゼンテーションをしても笑われることが多いですが、インドネシア語でプレゼンテーションをするとは、2ヶ月前の自分では想像もしていませんでした。まだ、授業はとても難しいですが、学校の宿題を見せると、大学の仲間がゆっくり丁寧に教えてくれるので、とても助かっています。 

 たまに空きコマを使い、日本語を教えることもあります。学生だけで集まり、空いている教室や学校内の喫茶店で、ひらがなを教えたりしています。みんな日本語に興味を持っていて、とても嬉しかったです。来年の春から名古屋学院大学への留学を目指している学生もいます。 

 大学以外では、佐伯先生の力を借りて、国際協力の最前線を見ることができました。去年、インドネシア・スタディツアーで訪れた、チョッ・マンボンという村を再び訪れました。この村は、生活水を十分に得ることができないことが問題とされています。生活水用の水道管を寄付を支援するところに立ち会いました。工事は、全て任せるのではなく、村の人たちができることは自分たちでやっていました。テレビなどでは、そのような現場はみることができないので、初めて知ったことも多かったです。

 ただ、この村支援の説明を受けても、わからない単語が多く全てを理解することはできませんでした。もっと勉強して、専用的な言葉も覚えていきたいと思いました。
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 インドネシアのアチェに来て2か月が経とうとしています。来た時は食べ物が辛すぎで慣れず、下痢ばかりの日々でした。今は何が辛くない食べ物なのか把握でき、辛くないよう料理を注文もできるようになったので下痢は止まり、健康に過ごしています。 

 しかし、10月に入ってすぐに、昼から夜遅くまでの停電が続き、携帯が使えなくなったり、夜真っ暗な中お風呂に入ったりと、大変な日々が続きました。10月入ってすぐの1週間は、毎日停電になりました。日本にいた頃、停電をそこまで経験したことなかった私にとって、怖いと思うのと同時に、改めて日本はインフラが整っていることを実感しました。

 10月に入ってから雨期になりました。スコールが多く、雨が降っているときのお風呂(水浴び)はとても寒く、井戸も泥水しか出ないので、寒くて泣きそうになることが何回かありました。いつ風邪を引いてもおかしくない状況の中、元気に過ごしているので、ここの環境に徐々に適応してるのだと感じています。 

 大学では課題がよく出るようになりました。特にインドネシア語の授業の課題は、現地の学生ですら難しいと頭を抱えるほどの問題なので、友達や先生に手伝ってもらい、なんとかこなしています。そのあとは復習も兼ねて、分らない単語を調べてまとめています。日常生活の会話は不便なく使いこなせていますが、授業となると難しい言葉ばかりなので、まだまだインドネシア語と格闘しています。 

 イスラム教の授業は10月に入ってからは、教室ではなく、毎週モスクでお祈りと先生のお話を聞いています。いつもは半袖ですが、イスラム教の授業がある時は、モスクに入る為、派手な色ではない長袖の服装で行くことを心がけています。 

 10月2日に2015年インドネシアスタディツアーで訪問したチョッ・マンボンという村を再度訪問してきました。この村はアセアンアチェ肥料社の建設により、土地収用された5つの村500世帯が移転させられた先です。去年、移転時に準備されたという家を案内してもらいましたが、人が住めるようなところではありませんでした。家には国際移住機関(IOM)がつくった井戸がありましたが、黒く濁った水しか出ない状況であり、水に一番困っていると聞きました。 

 今回再度訪れたのは、佐伯先生の協力のもと、水道が通ると聞いたからです。家の裏には、これから水道管が通る道が掘られており、そちらに埋められる水道管一式を見せてもらいました。現在はまだ水が通っていないということなので、近く(近くと言っても、バイクで移動)の川まで毎回行くそうです。イスラム教徒の人たちは、1日5回もあるお祈りの前に手足を洗い清めます。お風呂やお祈り、生活全てにおいて水は欠かせないので、村の人びとは一刻も早く水道が通ることを願っていますが、まだまだ時間がかかると嘆いてたので心配です。

 こうした生活を今でも送っている人たちを見て、去年のスタディツアーで学んできたこと、感じたことを思い出しました。そして自分自身がアチェで生活を始めてみて、水が普通に出るだけでもましなのに、水浴びが寒いから泣きそうになっている自分は甘えていると思いました。そして、何も罪のない人たちが故郷の村を失い、困難ななかで過ごしていると考えると、自分は今インドネシア語を学んでいるだけでいいのか悩みました。

 去年は佐伯先生がいたので、聞きたいことは全て通訳してくれましたが、今回はもちろん佐伯先生はいません。聞きたくても聞けないことがありましたし、話している内容も全て理解できた訳ではありません。理解したつもりで、間違った解釈をしているかもしれません。自分に何ができるのか悩むと同時に、まだまだインドネシア語が十分ではないことへの悔しい気持ちが、インドネシア語ができればもっと答えが見つかるのではないかと勉強に対し良い励みへと変わりました。 

 この経験を通して、9月に比べて大きく変わったのは、暇さえあれば図書館を利用するようになったことです。利用時間は朝9時から12時30分まで。そしてお昼休みをはさんで、午後は14時から16時か17時ぐらいまでです。日本と違い、時間が短くて驚きましたが、寮の近くにイスラムのボーディングスクール(寄宿学校)があり、結構騒がしいため、寮より図書館にいるほうが集中できます。 

 11月も雨季が続くそうなので、体調管理には気をつけ、課題も早く一人でこなせるように努めたいと思います。
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 インドネシアのアチェに来て2か月が経とうとしています。来た時は食べ物が辛すぎで慣れず、下痢ばかりの日々でした。今は何が辛くない食べ物なのか把握でき、辛くないよう料理を注文もできるようになったので下痢は止まり、健康に過ごしています。 

 しかし、10月に入ってすぐに、昼から夜遅くまでの停電が続き、携帯が使えなくなったり、夜真っ暗な中お風呂に入ったりと、大変な日々が続きました。10月入ってすぐの1週間は、毎日停電になりました。日本にいた頃、停電をそこまで経験したことなかった私にとって、怖いと思うのと同時に、改めて日本はインフラが整っていることを実感しました。

 10月に入ってから雨期になりました。スコールが多く、雨が降っているときのお風呂(水浴び)はとても寒く、井戸も泥水しか出ないので、寒くて泣きそうになることが何回かありました。いつ風邪を引いてもおかしくない状況の中、元気に過ごしているので、ここの環境に徐々に適応してるのだと感じています。 

 大学では課題がよく出るようになりました。特にインドネシア語の授業の課題は、現地の学生ですら難しいと頭を抱えるほどの問題なので、友達や先生に手伝ってもらい、なんとかこなしています。そのあとは復習も兼ねて、分らない単語を調べてまとめています。日常生活の会話は不便なく使いこなせていますが、授業となると難しい言葉ばかりなので、まだまだインドネシア語と格闘しています。 

 イスラム教の授業は10月に入ってからは、教室ではなく、毎週モスクでお祈りと先生のお話を聞いています。いつもは半袖ですが、イスラム教の授業がある時は、モスクに入る為、派手な色ではない長袖の服装で行くことを心がけています。 

 10月2日に2015年インドネシアスタディツアーで訪問したチョッ・マンボンという村を再度訪問してきました。この村はアセアンアチェ肥料社の建設により、土地収用された5つの村500世帯が移転させられた先です。去年、移転時に準備されたという家を案内してもらいましたが、人が住めるようなところではありませんでした。家には国際移住機関(IOM)がつくった井戸がありましたが、黒く濁った水しか出ない状況であり、水に一番困っていると聞きました。 

 今回再度訪れたのは、佐伯先生の協力のもと、水道が通ると聞いたからです。家の裏には、これから水道管が通る道が掘られており、そちらに埋められる水道管一式を見せてもらいました。現在はまだ水が通っていないということなので、近く(近くと言っても、バイクで移動)の川まで毎回行くそうです。イスラム教徒の人たちは、1日5回もあるお祈りの前に手足を洗い清めます。お風呂やお祈り、生活全てにおいて水は欠かせないので、村の人びとは一刻も早く水道が通ることを願っていますが、まだまだ時間がかかると嘆いてたので心配です。

 こうした生活を今でも送っている人たちを見て、去年のスタディツアーで学んできたこと、感じたことを思い出しました。そして自分自身がアチェで生活を始めてみて、水が普通に出るだけでもましなのに、水浴びが寒いから泣きそうになっている自分は甘えていると思いました。そして、何も罪のない人たちが故郷の村を失い、困難ななかで過ごしていると考えると、自分は今インドネシア語を学んでいるだけでいいのか悩みました。

 去年は佐伯先生がいたので、聞きたいことは全て通訳してくれましたが、今回はもちろん佐伯先生はいません。聞きたくても聞けないことがありましたし、話している内容も全て理解できた訳ではありません。理解したつもりで、間違った解釈をしているかもしれません。自分に何ができるのか悩むと同時に、まだまだインドネシア語が十分ではないことへの悔しい気持ちが、インドネシア語ができればもっと答えが見つかるのではないかと勉強に対し良い励みへと変わりました。 

 この経験を通して、9月に比べて大きく変わったのは、暇さえあれば図書館を利用するようになったことです。利用時間は朝9時から12時30分まで。そしてお昼休みをはさんで、午後は14時から16時か17時ぐらいまでです。日本と違い、時間が短くて驚きましたが、寮の近くにイスラムのボーディングスクール(寄宿学校)があり、結構騒がしいため、寮より図書館にいるほうが集中できます。 

 11月も雨季が続くそうなので、体調管理には気をつけ、課題も早く一人でこなせるように努めたいと思います。
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