「キリスト教」と一致するもの

新年度を迎える前にデザインチェンジ

ブログの背景色を、春っぽくピンク色にしてみました。

そして、ヘッダー画像を「瀬戸」と「名古屋」両キャンパスのチャペルにしてみました!

しろとりのチャペルは、瀬戸チャペルを模して設計されたそうなんですが、
やはりこうして見比べてみると、よく似てますね~。

どちらも本学にとって大切なキリスト教主義のシンボルです。

※デザインが変わってない場合はブラウザの更新ボタンを押してください。

代表的日本人

今日から定期的に岩波文庫の本をを紹介していきたいと思います。
岩波文庫というのは、ほとんどが古典の本です。古今東西のあらゆるところからラインナップされています。
岩波書店は戦前からある出版社です。昔から古典や学術書、格式の高い本、まあいってみれば難しい!本を出し続けています。
手を出すには、気合をいれて読まねばならぬ、という本も多いです。
ですが、勉強するためには、まったく読まずにはいられない。避けては通れない。
まさに大学生が読むべきである、という種類の古典文庫です。
初めはこの本にしました。

代表的日本人』内村鑑三
原題で『Japan and the Japanese』
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内村鑑三は、明治人として活躍した敬虔なキリスト教思想家として知られていますが、この大学の前身の学校で、教鞭をとっていた人でもあります。
この図書館にも彼の絵があります。
内村は、明治人として活躍したひとに特有な、幕末~明治へ、伝統社会~近代へ、古いものから新しいものに変わっていく激動の時代を生き、その後の時代を作った人です。
武士の家に育った彼は、武士道精神を持ったまま明治時代をむかえ、学生時代にキリスト教と出会い、最初は反発していたが、やがてキリスト教に転向する。
武士道精神とキリスト教思想が彼の中でうまく結びついたのです。
近代国家として世界に登場した明治日本は、西洋に日本とはどんな国なのか、示す必要がありました。
そこで1900年前後、三人の日本人が日本の紹介として英語の本を出版した。
『武士道』新渡戸稲造、『茶の本』岡倉天心、
そして『代表的日本人』
ほとんど同時期です。
『代表的日本人』で紹介したのは内村にとって特別な五人の日本人でした。
西郷隆盛
上杉鷹山
二宮尊徳
中江藤樹
日蓮

内村は宗教というものを、キリスト教からではなく、彼らから学んだのでした。
文武両道で模範的な政治家であった薩摩の英雄、西郷
ドラマ「西郷どん」を見て、西郷隆盛の魅力を知った方は、これを読むとすらすらと入ってくるでしょう。
米沢藩を財政危機から救った封建領主、鷹山
山形県民で彼の名を知らぬ人はいないというくらいの人。
ケネディは、尊敬する日本人に上杉鷹山の名を上げたと言う。
農業指導者として江戸時代の農業を救った、相模の農民聖者、尊徳
日本人の勤勉性というのはこの人の影響が大きいと言われます。
儒学を教育の根本として村の教育を支えた、近江の教師、藤樹
西洋人にとって、非西洋である日本の教育水準の高さというものには驚きがあったでしょう。
日本の伝統仏教を支え、日本の仏教の形成期としては最後に登場した宗派である、日蓮
「法華経」ですね。

徳や武士道をもったこの五人は、いわば「代表的宗教人」であって、内村は、日本の近代以前にもキリスト教に優るような宗教が根付いていた、ということを示したかったのでしょう。
それも内外に。
宗教の本質は、キリスト教もほかの宗教も変わらないと考えたのだと思います。
しかし、はじめキリスト教と出会ったとき、内村は反発しました。ところがほとんど強制的に改宗させられた。ほかの同級生はほとんど反発せずに改宗したのですが、内村の中には武士道があったので抵抗した。(内的葛藤)
その抵抗した内村がその後、真のキリスト教徒として活躍し、逆に反発せずすぐ受け入れたほかの同級生たちはその後、あっさりキリスト教を捨てました。
これが僕が好きなエピソードです。
新しいものを、外部からやってきたものを無批判に受け入れる、ということをせず、抵抗する。こういう姿勢って必要じゃないかなと思います。

内村自身の書籍は全集をはじめ、ほとんどの著書が図書館に入っていると思います。
岩波文庫から出ている本も多く、あるいは、内村についての本もいろんな人が書いていたりします。
講義の内容を本にしたものもけっこうあるので、そのようなものは割に読みやすくなっています。

最後になりますが、
いまこの本を読むと、ここまでやりきったか、と思えるような過去の日本人がいたんだ...というような実感が沸いてくる、きっとそう思うひとが多いと思います。
それは今となっては内村自身も。
この五人に加えて、いま「代表的日本人」とは、内村鑑三自身なのかもしれません。

図書館SA あっきー




いりゃあせミーティング!

今日は「名古屋いりゃあせツアー」のリーダー会(ミーティング)でした。

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「名古屋いりゃあせツアー」とは、東日本大震災で被災され、放射能の影響で今も外で自由に遊べないでいる福島の子どもたちやその親御さんを対象にした"保養プログラム"です。4泊5日、自然豊かな瀬戸キャンパスと、名古屋の都会の雰囲気を満喫していただきます。

昨年に続けてボランティアに関わりたいという意思をもった学生さんたちが、既に新年度に向けて準備を進めています。

子どもと遊ぶのが好き、東日本大震災の復興に少しでも役に立ちたい。
そんな思いを持っている学生さんがいれば、ぜひ仲間に加わってくださいね!
申込、問い合わせの窓口は「キリスト教センター」です。

ぶっちゃけ!聖書☆研究会

キリスト教センターでは、学生の皆さんを対象にした聖書研究会、
「ぶっちゃけ!聖書☆研究会」を開いています。
(春休み中はお休みやけどね)

毎回、キリスト教教師の資格を持つキリスト教センターの職員が聖書の解説をし、それに対して参加者が質問を投げかける形式なのですが、とにかくえげつない質問が飛び交い、そして解説者もえげつないくらいホンネで答える、まさに「ぶっちゃけトーク満載」の聖書研究会なのです。

そんな「ぶっちゃけ!聖書☆研究会」をより一層盛り上げていくために、今回、聖書の注解書(解説書)と聖書辞典を購入しました。誰でも自由に開いて読めるように、キリスト教センターの談話室に置いています。

注解書他.jpg

聖書研究会のメンバーくらいしか読みに来ることはないんじゃないかとは思いますが、興味がある人は一度キリスト教センターの談話室に来て、開いてみてくださいね。

受難節 と 3.11

先週の水曜日から、キリスト教の暦では「受難節」という期間に入りました。

受難節というのは、他にも教派によって「四旬節」や「大斎節」など様々な呼び方があるのですが、今回は「受難節」という名称を使っておこうと思います。

「イースター」(イエス・キリストが死から復活されたことをお祝いする日)までの40余日、教会では、イエスの苦しみと十字架上での死を覚えつつ、悔い改めの心をもって過ごしていくこととなります。

受難節の期間は「紫色」がテーマカラーとなります。「紫」というのは、キリスト教では、高貴な色であるとともに、"回心"や"悔い改め"を表す色としても理解されており、この時期には祭服や会堂の飾りなど様々なところに用いられます。本学のチャペルの講壇掛けも、ご覧のとおり「紫」に変えておきました。

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無実であったイエスが十字架上で処刑されたのは、人間の心の弱さの象徴であった...。キリスト教という宗教が「十字架」というものをシンボルとして掲げているのは、イエスの死と復活を覚えるのと同時に、人間と言う存在がいかに小さく弱いかを表しているとも言えるのかもしれません。悔い改めの期間である「受難節」の日々を、自らを省みる時として過ごせますように。


ところで、今日は3月11日。2011年の今日、この日本を「東日本大震災」という未曽有の出来事が襲いました。今日で8年が経過したことになります。

地震によって引き起こされた津波は、東北の街を次々に飲み込んでいき、車や建物と共に、たくさんの尊い命をさらっていきました。

避難生活を余儀なくされている方々は、昨年よりも2万人以上減り、5万4000人と発表されています。けれどもこれは、自主避難者の人数を計算に含めないようになったからであり、正確な数字とは言えません。

原子力発電所の事故により、東北の地は放射能によって汚染され、人が住めない環境に変えられました。現在、避難生活者の人々を中心にして、国と電力会社を相手取り損害賠償を求めて集団訴訟が行われています。なお、放射線量が高い地域に住んでいた人々の半数は、もう故郷には戻らない(戻りたくても戻れない)と考えているそうです。

いよいよ来年に開催される予定の「東京オリンピック」。これは元々、承知の段階から「復興五輪」という大きなテーマを掲げ、世界に声高に呼びかけたはずでした。けれども、今となっては「復興五輪」という言葉を見聞きすることはほとんどなくなってしまいました。東北の復興とオリンピックの開催は、いつから別々のものとして考えられるようになってしまったんでしょうか。「東京オリンピック」とは、一体何のために開催されるのでしょうか...。

地震や津波は、人間の力ではどうすることもできません。
けれども、その後に起こった「原発事故」などの"人災"は、(上記の集団訴訟で判決が下されているように)あらかじめ予知できたはずです。また、あのような恐ろしい事故を起こしてしまったにもかかわらず、各地の原子力発電所は、何事もなかったかのように次々に再稼働されていっています(2018年度には新たに5基が再稼働され、現在9基が運転を再開しています)。

「東日本大震災」という出来事自体、時間の経過と、また毎年のように起こる各地の災害により、徐々に人々の記憶から忘れ去られようとしています。けれども、避難生活者の方々や、この先何十年何百年も収束することがないであろう放射能汚染、東北の復興を後回しにしている国の現状を想うとき、「東日本大震災」は、今も継続して起こり続けている出来事であると言わざるを得ません。

回心と悔い改めの期間である「受難節」、そして9回目の3.11を迎えている今日この日、いま一度、人間の力の弱さを自覚しつつ、本当に神さまの御目に適う生き方を目指して、歩みを進めていく決意を新たにしたいと願います。

私たち一人一人の心の目が開かれますように。
そして何よりも、被災された人々、避難生活をされている人々、復興や支援のために力を注いでおられる人々の平安を心からお祈りしております。

3月の聖書の言葉

キリスト教センターは、毎月ちがった聖書の言葉が書かれたポスターを学内(しろとり)の数箇所に掲示しています。


3月の聖書の言葉はこちら!

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「隠れたことを見ておられる神が、
        あなたに報いてくださる。」

(新約聖書 マタイによる福音書6章4節より)


上の言葉はイエス・キリストの教えの一部です。次のような文脈で語られています。

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いが受けられない。だから、施しをするときには、偽善者たちが人から褒められようと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを隠すためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイによる福音書6章1~4節)


・・・あれ?聖書の方では「」になってるけど、"3月の聖書の言葉"の方は「」になってるやん!
そうです。分かりやすいように「神」に変えておきました。というのも、聖書には「神」という存在を「父」と表現する記述が度々出てくるのですが、聖書のことをあまり知らない人たちが「隠れたことを見ておられる父」っていう言葉を見たら、「え、覗きが趣味のお父さんでもいるの?きも~い」と勘違いしちゃいますよね。なので、分かりやすいように「神」に変えておいたのです。


さてさて、聖書の言葉の解説については、ポスター画像の下段に書いてあるものをお読みいただければと思いますが、ちょっとだけ補足しておきましょうか。

1~4節の言葉の中に「偽善者」っていう単語が出てきますね。これ、「ヒュポクリテース」というギリシャ語の日本語訳なんですが、ヒュポクリテースは元々、「答える者(説明する者)」とか「舞台俳優」という意味があって、人前で講演したり演じたりする人を指す言葉でした。それが「自分を偽る者」というように捉えられるようになって、聖書の中では「偽善者」として使われるようになったみたいです。

「自分を偽る」...と言うと悪い印象を受けてしまいますが、人間って、何か"善いこと"をしようとするとき、大抵自分を「偽って」ませんか? あるいは、良い人であろうと「演じて」ませんか? 「本当は自分なんてそんなキャラじゃないけど...」と思いつつ。

それって、全然悪いことじゃないと思うんですよ。むしろ、善い行いをするためには"悪い自分を押さえつける"ことも時には必要。だから、周りから「偽善者だ」と罵られようとも、自分でそう感じようとも、それが今自分のなすべき"正しい行い"なんだ!と思ったなら、全力で「良い人を演じたら」いいじゃないですか!

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もちろん、それが自己顕示欲を満たすためだけに行なわれるのであれば、イエス・キリストが仰ったように注意しないといけませんけどね。

「隠れたことを見ておられる神が、あなたに報いてくださる。」
神さまは、あなたの行動や表面的な部分だけを見ておられるのではなく、あなたの心の中に目を注いでおられる。そのことを覚えておきたいですね。


それではまた次回!
(来週は1週間、管理人が不在のため更新するかどうかは未定です。)

2月28日は何の日?【キリスト教豆知識】

2月28日は何の日?
・・・・・・宣教師「ロバート・モリソン」が中国伝道のためイギリスを発った日です!

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ロバート・モリソン(1782年1月5日~1834年8月1日)

16歳のときに洗礼を受けキリスト教の信者になったモリソンは、19歳で宣教師になることを決意し、訓練を受けた末に中国に派遣されることとなります。25歳になった時、彼は牧師として任命され、すぐにイギリスを発ち、アメリカ・ニューヨーク経由で中国に到着(当時、イギリス東インド会社では中国行きの船には宣教師を乗せない規則があったため、別のルートで向かわざるを得なかったのです)。

中国に到着した彼は、布教と研究に励みますが、なかなか宣教師として期待される結果は出せず、信者になった中国人もわずか数名でした。彼の死後、27年が経過していよいよ本格的に中国伝道が進められていくこととなるのですが、その当時、中国人の信者は10名しかいなかったそうです。

では、信者を増やすことができなかったモリソンの中国伝道は完全に失敗に終わったのか。決してそうではありません。実は、日本史にも出てくる「モリソン号事件」(1837年)の船名「モリソン号」は彼の名前からとられたものです。そのことからも分かるように、彼の業績は高く評価され、多くの人々の尊敬を受けることとなったのです。

モリソンの伝道は中国ではあまり受け入れられなかったものの、中国人の助けを借りて、新約聖書の中国語への翻訳を開始し、また1819年には、モリソンのことを助けるためにやって来たウィリアム・ミルン宣教師と共に、聖書全文の中国語訳を完成させました。ミルンはその出版を見届けることなく1822年に死去しましたが、翌年の1823年に、初の中国語聖書『神天聖書』が出版されることとなりました。この中国語聖書は、その後、聖書を初めて日本語に翻訳したドイツ人宣教師「カール・ギュツラフ」(1803~1851年)にも大きな影響を与えました。

モリソンとミルンは、聖書の翻訳と同時に、漢文教書など多くの文書を頒布し、またマラッカに私費を投じて英華学校を開設。更には「漢英・英漢辞典」の編纂を手がけました(17~23年)。このようなモリソンの業績が、後に活発に行われていくこととなる中国伝道の礎を築くこととなったのです。

人間は、自分や他者が期待していた結果ではなく、全く別の、しかし非常に価値のある結果を生み出すことがあります。モリソンもその一人であったと言えるでしょう。たゆまぬ努力、そして信じる心が、未来を切り拓いていくのです。

探しなさい。そうすれば、見つかる。

チャペルの扉が閉じないように押さえるドアストッパーが1つ迷子になっています。

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もし見つけたらキリスト教センターにお知らせください。

暇な人はチャペルまで探しに来てくれても良いです。
暇じゃなくても是非探しに来てください。
恐らくチャペルの館内にあるはずなので。
見つけてくれたら素敵なプレゼントがあるかもしれません。

こんな時、聖書を読んでる人なら絶対にこの言葉を思い出すはずです。

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
(新約聖書 マタイによる福音書 7章7〜8節)※聖書協会共同訳

続・イエスはなぜ泣いたのか!?

~前回までの内容~

・聖書の中で最も短い一節は「イエスは涙を流された。」(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)
・イエスにはラザロという知人がいたが、ある時、彼が病気であることがイエスに伝えられた。
・イエス一行がラザロのもとに到着したときには既に彼は亡くなって4日が経っていた。
・しかしイエスは出発する前からラザロが死んだことに気付いていた。
・このあとイエスは墓に眠るラザロを奇跡によって「復活」させる。
・でも人を甦らせる力があるなら、どうして「涙を流された」のか?

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『Jesus Wept』(イエスは涙を流された)1886~1896年
作者:ジェームズ・ティソ
(本名:ジャック=ジョゼフ・ティソ、1836年10月15日~1902年8月8日、フランス)



さて、3回にわたってご紹介してきた聖書の言葉「「イエスは涙を流された」についてですが、今回で最終回にしたいと思います!笑
人を甦らせることができるにもかかわらず(にわかには信じがたい話ですが...)、なぜイエスはラザロの死を想って涙を流したのか? 皆さんはどう思われるでしょうか。


そのことを考える前に、主に二つのことを確認しておかなければいけません。

一つは、「人々は、イエスに関していろんなイメージを持ってきた」ということ。
イエスという人物については、彼が生きていた時から、人々の間で様々な見方がなされてきました。めちゃくちゃ頭が切れる"普通の人間"として見る人もいましたが、一方で、神的な力を持った"超人"「神の子」として見ている人たちもいました。そのようなイメージは、イエスの死後、イエスのことを直接知らない人々もいるコミュニティの間で膨張していき、もはや実際のイエスがどんな存在だったのか分からないぐらいになっていったと考えられます。

もう一つは、「『福音書』には、いろんな"イエス像"が描かれている」ということ。
イエスについて書かれている書物を『福音書』と呼ぶのですが、それらの書物はイエスが十字架につけられて死んでから30年もの時を経てようやく成立しました。しかも福音書の作者はいずれも"生前のイエス"と出会っていないと言われています。なので、彼ら福音書の著者たちは、イエスに関する様々な資料(人々の間で広く共有されている情報から単なるうわさ話まで)をかき集めて、それぞれの福音書を完成させたのです。


では、以上の2点を踏まえつつ、「イエスは涙を流された」(ヨハネ11:35前後)を見てみたいと思います。

前回述べたとおり、何と言ってもイエスは人を甦らせる力を持っています!(ババーン)

・・・まぁ、それが真実かどうかはさておき、「人を甦らせることができる」というのは、先ほどの話にもありましたが、イエスに対する「超人的なイメージ」の典型例ですよね。そんなこと普通の人間はできませんから(というか誰にもできない...)。人々の間では、イエスがどんな人間だったかということよりも、イエスがどんなことをしたかという情報の方が多く共有されていたのだろうと思います。偉人に関する話というのは大抵そうですよね。その人の"人間性"よりも、その人が残した"功績"などの方が伝えられていくものです。

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『ラザロの復活』1514~1519年
作者:フアン・デ・フランデス(1465~1519年、フランドル)


この福音書を書いた「ヨハネ」という人も、独自の取材で様々なイエスに関する情報を各地から収集したのだろうと思います。しかし、著者ヨハネさんが偉いのは、たくさん存在するイエスの奇跡物語や偉人伝説だけではなく、その中に埋もれてしまっている "人間としてのイエス"の姿 もなんとかして福音書の中に書き残そうとしたところなんですね。

そのため、この「ラザロの死と復活」の物語に登場するイエスには、矛盾ともとれる二つのキャラクターを見ることができます。一つは、超人としてのイエス。もう一つは、普通の人間としてのイエスです。

お墓に向かう際、そのあと彼のことを甦らせることになるとは言え、そこに眠るのは、心から愛していた友人ラザロ。そのことを思うと、どうしてもこみ上げてくる感情を抑えることができず、つい涙を流してしまったのでしょう。聖書の読者は、そこにこそ、イエスの本当の愛を感じ取ることができます。ラザロの姉妹や仲間たちが、彼の死を悼んで泣いている。そのそばで、イエスもまた、共に涙を流された・・・。喜びも悲しみも、一緒に共有してくださるお方だからこそ、キリスト教の信者たちはイエスという人に対して信頼を置き、共に人生を歩んでくださるよう願うのかもしれません。

ちなみに、アメリカのオクラホマシティには『And Jesus Wept』(イエスは涙を流された)と題された像が建てられています。1995年に起こった「オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件」で亡くなった168名の方々を覚えて設置された、非常に珍しい姿をしているイエスの像です。まさに「泣く者と共に泣いてくださる」(ローマの信徒への手紙12章15節)イエス・キリストに対する人々の信頼がそこには表されています。
https://www.encirclephotos.com/image/and-jesus-wept-memorial-to-oklahoma-city-bombing-in-oklahoma-city-oklahoma/(英文)


というわけで、長々と書いてまいりましたが・・・
「聖書の中で最も短い一節」の中に秘められた、説明し出すとキリがないほどの"奥深さ"について、
皆さん、お楽しみいただけたでしょうか??笑

次回からは、再び単発の記事を投稿していきますので、また読んでくださいね~。それでは!

聖書の中で最も短い一節【キリスト教豆知識】

聖書にはこんな風に「章番号」と「節番号」が付けられているのを知っていますか?


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これは最初から聖書の本文に付いていたものではありません。「章番号」は、イギリスのカンタベリー大司教を務めた「スティーヴン・ラングトン」(1150年頃~1228年)によるものと言われています。その一方「節番号」はというと、約300年後、フランスで印刷業者を営んでいた「ロベール・エティエンヌ(ラテン語名:ステファヌス)」(1503年頃~1559年)が付けました。その時代は、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究が盛んに行われており、エティエンヌもまた古典学者でもあったため、当時広く教会で使われていた「ラテン語聖書」ではなく、原典に立ち返る形で"ギリシャ語の新約聖書"を出版しました。その第4版を出版する際に、エティエンヌはその本文に節番号を付けたのです。

さて、そのようにして「章」と「節」に区分された聖書ですが、ご存知の通り、聖書は分厚い!それだけ聖書の本文は長いということです。「節」に関しては、何と31,000を超えています 笑 それに、エティエンヌは単語数や長さで区切ったわけではないので、長い節もあれば短い節もあるわけなんですね。


そんな中で、今日の本題。「聖書の中で最も短い一節は?

・・・とその前に、比較の対象ある方が分かりやすいと思うので「聖書の中で最も"長い"一節」をお伝えしておきますね。こちらです↓

その時、第三の月、すなわちシワンの月の二十三日に、王の書記官たちが呼ばれた。そしてユダヤ人たちに宛てて、またインドからクシュに至るまでの百二十七州にいる総督たち、地方長官たち、諸州の高官たちに宛てて、モルデカイが命じたとおりにすべて書き記された。それは州ごとにその州の書き方で、民族ごとにその民族の言語で、ユダヤ人には彼らの書き方と言語で書き記された。(旧約聖書 エステル記 8章9節)

ん~、長さというよりかは、その内容が気になっちゃいますね。「民族ごとに違う書き方や言語で文書が送られた」というような内容が書かれてあるこの一節が、今や世界中で様々な言語に翻訳されている『聖書』の中で"一番長い節"・・・。何か運命的なものを感じます。


と言うわけで、ここでようやく「聖書の中で最も短い一節」の発表です!
"最も長い一節"と見比べてみてください。こちらです↓



「イエスは涙を流された。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)



短い!(´;ω;`)ブワッ


英語では Jesus wept. たった2単語!
新約聖書の原語であるギリシャ語でも ἐδάκρυσεν ὁ Ἰησοῦς(エダクルセン ホ イェースース)3単語!

それにしても、イエス・キリストも涙を流すことがあるんですねぇ。
何でイエスは涙を流したのか。それについては明日更新の記事をご覧ください!お楽しみに!
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