「キリスト教」と一致するもの

聖書の中で最も短い一節【キリスト教豆知識】

聖書にはこんな風に「章番号」と「節番号」が付けられているのを知っていますか?


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これは最初から聖書の本文に付いていたものではありません。「章番号」は、イギリスのカンタベリー大司教を務めた「スティーヴン・ラングトン」(1150年頃~1228年)によるものと言われています。その一方「節番号」はというと、約300年後、フランスで印刷業者を営んでいた「ロベール・エティエンヌ(ラテン語名:ステファヌス)」(1503年頃~1559年)が付けました。その時代は、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究が盛んに行われており、エティエンヌもまた古典学者でもあったため、当時広く教会で使われていた「ラテン語聖書」ではなく、原典に立ち返る形で"ギリシャ語の新約聖書"を出版しました。その第4版を出版する際に、エティエンヌはその本文に節番号を付けたのです。

さて、そのようにして「章」と「節」に区分された聖書ですが、ご存知の通り、聖書は分厚い!それだけ聖書の本文は長いということです。「節」に関しては、何と31,000を超えています 笑 それに、エティエンヌは単語数や長さで区切ったわけではないので、長い節もあれば短い節もあるわけなんですね。


そんな中で、今日の本題。「聖書の中で最も短い一節は?

・・・とその前に、比較の対象ある方が分かりやすいと思うので「聖書の中で最も"長い"一節」をお伝えしておきますね。こちらです↓

その時、第三の月、すなわちシワンの月の二十三日に、王の書記官たちが呼ばれた。そしてユダヤ人たちに宛てて、またインドからクシュに至るまでの百二十七州にいる総督たち、地方長官たち、諸州の高官たちに宛てて、モルデカイが命じたとおりにすべて書き記された。それは州ごとにその州の書き方で、民族ごとにその民族の言語で、ユダヤ人には彼らの書き方と言語で書き記された。(旧約聖書 エステル記 8章9節)

ん~、長さというよりかは、その内容が気になっちゃいますね。「民族ごとに違う書き方や言語で文書が送られた」というような内容が書かれてあるこの一節が、今や世界中で様々な言語に翻訳されている『聖書』の中で"一番長い節"・・・。何か運命的なものを感じます。


と言うわけで、ここでようやく「聖書の中で最も短い一節」の発表です!
"最も長い一節"と見比べてみてください。こちらです↓



「イエスは涙を流された。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)



短い!(´;ω;`)ブワッ


英語では Jesus wept. たった2単語!
新約聖書の原語であるギリシャ語でも ἐδάκρυσεν ὁ Ἰησοῦς(エダクルセン ホ イェースース)3単語!

それにしても、イエス・キリストも涙を流すことがあるんですねぇ。
何でイエスは涙を流したのか。それについては明日更新の記事をご覧ください!お楽しみに!

2月18日は何の日?【キリスト教豆知識】

2月18日は何の日?
・・・・・・「マルティン・ルター」が亡くなった日です!

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マルティン・ルター(1483年11月10日~1546年2月18日)

幼い頃から恵まれた教育環境のもとに育ったルターは、上昇志向の強かった父の期待通り、法学を学ぶために大学に入学し、いわゆる"エリートコース"を進んでいました。ところが、あるとき命の危機を感じる事態に遭遇した彼は、人間の"生と死"について強く意識するようになり、その出来事から約2週間後には、大学を離れ、当時最も厳しかった「アウグスティノ隠修士会」に入り修道士になります。その後、2年後には叙階を経て司祭となり、また数年後には神学博士として大学で教鞭をとるようになります。

ルターの名が知られるようになったのは、当時ローマ教会が販売していた「贖宥状(贖宥符、免罪符とも)」と、それに対して1517年に彼が提示した「95箇条の提題」がきっかけです。これによって、宗教改革が急激に推し進められていくこととなります。しかし、しばしば誤解されているように、ルターはローマ教会を批判したわけではなく、また、ローマ教会を変えてやるという強い意志を持っていたわけでもなく、ただ「『贖宥状』を購入することで人間が"神の救い"を得られるのはおかしいと思うので議論の場を設けてほしい」と教会側に求めただけだったのです。残念ながらルターの要求は教会側に拒まれ、それどころか「95箇条」の内容を撤回することを迫られたため、ルターと教会との間には大きな隔たりが生まれ、ルターはカトリックの神学から離れ、独自の神学を打ち立てていくこととなります。

ルターによる宗教改革は、彼が一から行なっていったものではありません。当時のヨーロッパ社会においては、周辺諸国の台頭による「神聖ローマ帝国」の弱体化が顕著にみられ、それに伴いローマ教会の力も衰退、ヒエラルキーによる教会組織の在り方にも反対の声が相次ぎ、帝国(教会)内部も崩壊の一途を辿っていました。それに加えて、当時はペストの流行などによって、誰もが死と隣り合わせで生きていると感じる状況が生じており、そんな中で「生きるとは、死ぬとは」と多くの人々が考えるようになっていました。そう考えると、死後"神の救い"を得られると謳う「贖宥状」を民衆が買い求めた理由も分かるような気がします。こういうわけで、16世紀に起こった「宗教改革」は、決してルターの思い付きで始められたものではなく、まさに起こるべくして起こった出来事であったと言えるのです。

なお、宗教改革から500年が経過した今でもなお、カトリック教会とプロテスタント教会双方から、相手側の教義に関して「それは間違っている。誤りだ」という声が聞こえてくるのは非常に残念なことです。お互いに長い歴史を過ごしてきたのですから、一致する部分もあれば、違う部分、相容れない部分もあって当然なのです。そのことを理解している人々は既に、新たな500年に向かって歩み始めています。ルターもきっと今は、カトリック教会や他教派・他宗教の人々とも、楽しく過ごしているのではないでしょうか。

教会でカレーうどん食ってきた

いつもブログでふざけたことばかり書いている僕ではありますが、実は超マジメで敬虔なクリスチャンなので(場内ざわめき)、毎週ほぼ欠かさず教会に行って礼拝に出席しています。

普段は栄の「オアシス21」の向かいにある「プロテスタント」教会に通っているのですが、別にゼッタイそこの教会に行かなければならないわけではないので、この前の日曜日は気分転換のために、そことは別の、「聖公会」という教派の教会に行ってみました。


【キリスト教Q&A】プロテスタントって何?聖公会って何?
「プロテスタント」とは、16世紀、ローマ・カトリック教会の影響下で起こった宗教改革により生まれた教派。マルティン・ルターというドイツの司祭が当時の教会の働きに疑義を唱えたことがきっかけ。プロテスタントは「抗議する輩、抗議派」という意味。プロテスタントの中には様々なグループが存在している。
「聖公会」は、上記のプロテスタントとは異なる形でローマ・カトリック教会と袂を分かった教派。16世紀、イングランド国王のヘンリー八世が自らを教会の首長とし、ローマ・カトリック教会から分離して成立した。



で、今回はその「聖公会」の聖餐式に出席してきた感想を書くわけではありません。いずれまた、いろんな教会の礼拝の雰囲気とかをリポートする企画もやってみたら面白いとは思うのですが、もう少し先の話になりそうです。

そうではなくて、今回皆さんに見ていただきたいのがコチラ↓


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カレーうどん!!!!


こちらの教会では、毎週、聖餐式のあとにみんなで食事をしているそうで、この日のメニューは、そう、「カレーうどん」だったのです!

皆さんのキリスト教のイメージって、きっとこんな感じでしょう↓

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純白に包まれたチャペル(結婚式場の写真ですが...)。
でもそこにカレーうどんが乗っかると・・・?

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雰囲気ブチ壊し!!!!笑

そうなのです。教会とカレーうどんって、どう考えてもイメージ的に"合わない"んですね。


しかし、初めてその教会でお昼ごはんをいただいた僕は、全然びっくりしませんでした。なぜなら、プロテスタントのクリスチャンである僕にとって、礼拝後にみんなでご飯を食べるのは当たり前のことだからなのです。と言うのも、多くのプロテスタント教会では、礼拝が終わったあと、このようにお昼ごはんが出るんですね。メニューは大抵、「うどん」や「カレー」。チラシ寿司の日もあったりします。値段は200~300円でとってもリーズナブル。若い人にはチョット多めに入れてくれることも!?(「若いんだから食べて食べてハラスメント」もしばしば起こります 汗)

聖公会は厳密にいえばプロテスタントとは違うのですが、僕が行った教会では、毎週お昼ごはんが提供されているそうです。もちろん、メッチャ美味しかったですよ。

キリスト教では、古くから"いろんな人と一緒に食事をする"ことが習慣として大切にされています。それは、イエス・キリストが様々な背景を持っている人たちを皆食卓に招いて一緒に食事をしたことに由来していると思われます。今回、聖公会で出席した「聖餐式」では、一人ひとり聖壇の前まで行って「ホスチア」と呼ばれるウェハースのようなものをワインに浸して食べる...という行為をしたのですが、これも元々は、イエス・キリストを中心とした食卓(食事)に由来しているものなんですね。早くから"儀式化"してしまっていたようですが、元を辿るとそれは、いろんな人とワイワイ喋りながら楽しく過ごしていた食事の時間だったのだろうと想像します。

それにしても、どうして教会のお昼ごはんには「カレー」や「うどん」が良く出されるのでしょうか。

もしかして『聖書』の中に「カレー」とか「うどん」が出てくるのかな?と思って、念のため調べてみました。


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そら、そうやわな。
きっと作るのが簡単で、なおかつ大量に作ることができるから「カレー」や「うどん」が選ばれているのだろうと思います。

気が向いたら「教会のお昼ごはん版 食べログ」でもやってみようかな。
おしまい。また来週!

か・・・顔!

2月14日......

バレンタイン......

チョコレート......

カカオ......



か・・・顔ッ!!!!


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聖骸布(せいがいふ、トリノの聖骸布、Holy Shroud)は、キリスト教でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている。イエス・キリストの風貌を写したという布には、聖ヴェロニカの聖骸布やマンディリオンなど複数あったといわれる。(Wikipediaより)

2月13日は何の日?【キリスト教豆知識】

突然ですが、皆さんに残念なお知らせがあります(ハンカチのご用意をお願いいたします)。

まず、これらの絵に描かれた人物のこと、皆さんなら当然ご存知ですよね。

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そう...言わずと知れた、あの「イエス・キリスト」と呼ばれる人物です。

約2000年前、現在のパレスチナの地域に生まれ、"神さま"のことを人々に教えていた人物なのですが、イエス・キリストの死後、彼の弟子たちの働きを通じて、後に彼は、信奉者たちから「神のひとり子」「救い主」「真の神であり、真の人であるお方」というように信じられるようになっていきました。そして、彼の教えを基に体系化されていった「キリスト教」という宗教は"世界宗教"として、何と、今では世界中に20億人以上の信者を抱える超巨大な宗教にまで発展することとなりました。

日本においても、キリスト教の信者は190万人以上存在するとされており、日本全国にある「教会」の数は4,300を超えています。この名古屋学院大学も、キリスト教の宣教師クラインによって建てられた学校から生まれた"キリスト教主義大学"です。

そういうわけで、僕らはこの「イエス・キリスト」と呼ばれる人物について、多少なりとも知っているわけですけれども、先ほど冒頭でも触れましたように、本日は皆さんに大変残念なことをお伝えしなければならないのです。皆さんのことをガッカリさせてしまいそうで、「伝えるべきかな、いや、でも止めておこうかな・・・」と散々悩んだのですが、やはり真実をお伝えするのがこのキリスト教センターブログの使命ではないか!と考え、本日この場で皆さんにお知らせすることにいたしました。


皆さん、心の準備をお願いします。実はですね・・・

この「イエス・キリスト」っていう名前の「キリスト」って・・・

苗 字 じ ゃ な か っ た ん で す !!!!!!!!

(一同騒然)

皆さん落ち着いてくださいね(ここで水を飲む)。
ちゃんと今からご説明しますので、まずは深呼吸してください(会場を見渡す)。


僕らが"苗字"(ファミリーネーム)だと思い込んできた、この「キリスト」という言葉。これは、言ってみれば「称号」のようなものなんです。「キリスト」とは、日本でもしばしば「救世主」という意味で使われている「メシア」(ヘブライ語)という言葉のギリシャ語訳で、意味は「油を注がれた者」という意味です。聖書の主な舞台である古代イスラエルでは、王様や祭司、預言者と呼ばれる人々を任命するとき、油を塗る習慣がありました。それを受けて、イエスという人物のことを「救い主」とか「この世のどんな王様にも勝る王様」というように信じた人々は、彼のことを「メシア」「キリスト」というように呼ぶようになったんですね。

なので「イエス・キリスト」とは、「キリスト家のイエスさん」ではなくて「キリスト(称号)であるイエス」という意味の呼び名だったんですね。皆さん、ぜひ覚えておいてくださ~い。


さて、それにしても何で今日はこんなお話をしているのかと言いますと、ちゃんとこれには理由があります。

それは、本日「2月13日」という日が、1875年2月13日に、明治政府によって「平民苗字必称義務令」が出されたことを記念する「苗字制定記念日」と呼ばれる日だからです。これによって、すべての国民が「苗字」を名乗ることを義務付けられることとなりました。

そう。ただ「苗字」の話と「キリスト教」の話を絡めたかっただけ。

そ れ だ け ! おしまい。

2/11 信教の自由を守る日

皆さん、3連休をどのように過ごされましたか?いつも通り過ごしたという人もいれば、せっかくだから遠出したという人もいるかもしれませんね。


さて、3連休の最終日である211日は「建国記念の日」という"国民の祝日"でした。


国の建国を記念する日は、その国によって異なります。例えば、アメリカ合衆国だと「独立記念日」(74日)がそれにあたり、ドイツだと、1990年にドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国が再統一した日(103日)となります。このように、ほとんどの国では、その国の歴史的出来事をもとにして建国記念日が定められているんですね。


では、日本はどうなのか。日本国憲法が施行された日かな? そう思った人、なかなか良いセンス!でも...違うんですね 笑 それは「憲法記念日」という別の祝日として定められています(建国日を決めるとき、実際にそういう意見もありました)。


実は日本の場合、歴史的な出来事ではなく、"神話"に基づいて「建国記念の日」が定められたんです。かつて、211日は「紀元節」と呼ばれていました。これは、奈良時代の歴史書『日本書紀』に記されている、初代天皇である神武天皇の即位日に由来する祝日のことで、旧暦では、この日が11日とされていました。ただし、この祝日は、第二次世界大戦後、GHQによって廃止されることとなりました。天皇を神と教え、日本の国民を戦争へと駆り立てた原動力である"国家神道"を徹底的に排除することを目指したためです。


しかし、国家神道は根絶されることはありませんでした。そして、かつての「紀元節」復活を求める勢力の働きにより、"建国記念日"を制定する法案が幾度となく提出され、何度も退けられたものの、最終的には、紀元節をその日に定めることで成立することとなったのです。


ただし、ここで注意していただきたいのは、この祝日は「建国記念"の"日」であって「建国記念日」ではないということです。これは、とても大事なことなんです。と言うのも、由来となった紀元節(つまり神話の登場人物である神武天皇の即位日)は、歴史的事柄ではないために「建国記念日」と呼ぶのはふさわしくありません。そして、「の」という語を入れることで、"国が建国されたという事象そのものを記念する日"として解釈できる余地を残しているわけなんです。神話に基づいて「建国記念の日」が定められたことは変わらないんですけどね...


ところで、今回の記事のタイトルは「2/11 信教の自由を守る日」としました。「信教の自由を守る日」は、日本のキリスト教界にとって非常に大切な日です。


先に述べたように、「建国記念の日」(211日)は、国家神道の核となる日本神話を由来とする祝日です。言わば、天皇制を保持し続けるこの国を象徴する日であるわけです。皆さんご存知の通り、天皇を神と崇めていたこの国は、先の大戦において、"別の神"を信仰するキリスト教を迫害・弾圧してきました。信者たちは、天皇を崇拝することを強要され、監視され、ある者たちは逮捕され、獄中死など命を落とした人々もいました。すなわち、日本のキリスト教の信者たちは、自分たちの神を信じて生きていく自由を侵されていたのです。


1966年に「建国記念の日」が制定されるとすぐに、日本のキリスト教諸教会は、その日を「信教の自由を守る日」と呼んで各地で反対運動が行われるようになりました。国民の生活の中に天皇制を保ち続けようとするこの国の在り方に異議を唱え、日本国憲法によって保証されている「思想・良心の自由」「信教の自由」を守っていくためです。


皆さんの中には、"宗教"と聞くと、抵抗を感じたり、あるいは「そもそも宗教なんて興味ない」という人が少なくないと思います(...そんな人たちが、ここまで読んでくれてるのかな?笑 長々と書いてきましたけど読んでくれてありがとう!みんな大好き!)。


それは決して悪いことではありません。宗教に興味がある人もいれば、興味ない人もいる。当然のことです。それに、宗教に悪いイメージを持ってしまう(皆さんに持たせてしまっている)のは、キリスト教を含め全ての宗教に責任があるとも言えるかもしれませんね。


しかし皆さん、考えてみてください。宗教に興味が無い、あるいは宗教なんて無くなれば良いとさえ思っている、はたまた何らかの宗教を心の拠り所としている私たちの生活が、実は、天皇を中心とする「国家神道」というれっきとした"宗教"の影響を大きく受けている。そして、その宗教に基づいて、この国の建国日が定められていたり、また、何年かに一度、元号と呼ばれる暦が変えられたり、更には私たち自身の"政治に対する見方"も影響を受けたりする。そして何より、天皇と国のために、かつて多くの人々が洗脳され、数えきれないほどの命が失われてきた。また同じことが起こる可能性が無いわけではない。


...何かそれっておかしくないですか?「信教の自由」をはじめとした私たちの「自由」って、本当に保証されているのでしょうか。


「キリスト教」という"一宗教"の思想を根底に据える本学に、今、皆さんは繋がっています。言わば、世界や国、社会、更には私たち一人ひとりの生活を左右する力を持つ「宗教」という分野について学ぶのに最適な環境がここにはあるのです。これからの時代を生きていく全ての人々のために、また"あなた自身"のために、「宗教」と「自由」について一緒に考えていきませんか?


ーー「建国記念の日」そして「信教の自由を守る日」を覚えて綴った、チャペルの牧師の個人的なコメントでした。

2月6日は何の日?【キリスト教豆知識】

2月6日は何の日?

・・・・・・「アンパンマン」の誕生日です!


え?アンパンマンって誕生日があるの?そう思われた方も多いと思います。実は、アンパンマンの作者である やなせたかし さん(1919年2月6日 - 2013年10月13日)が、かつて、子どもにアンパンマンの誕生日を尋ねられたとき、自分の誕生日を答えたことに由来するそうです。だから今日は やなせたかし さんのお誕生日でもあるんですね。


さて、小さい子からおじいちゃん・おばあちゃんまで、みんな知ってる国民的キャラクター「アンパンマン」。ちなみに、ウチの息子(1歳4か月)も、アンパンマンの人形を見て「チャンチャンチャン」(アンパンマンって言ってるつもり)って呼んでます。でもね、僕、いつも不思議に思うんですよ。アンパンマンって、そんなにカッコいい姿でもないし、逆に可愛らしいカラーリングというわけでもないし、それに、空を飛んだりアンパンチは繰り出せるけど正直それぐらいしか特殊な力は無いのに、なんでこんなにも人々から愛されるんやろ・・・って。


皆さんも、ちょっと一緒に考えてみてください。


アンパンマンの姿というのは、マントを付けて空を飛び、悪役として登場する「ばいきんまん」からみんなを守る、いかにも昔ながらのヒーロー像だと言えると思うんですよね。でも、他のヒーローとは異なる点が一つだけあります。それは、ばいきんまんに"とどめを刺さない"こと。正義のヒーローって、悪を根絶するために戦うじゃないですか。アンパンマンだって、他のヒーローたちと同じように、悪いことばかりする ばいきんまん をやっつけてしまえば、世界に平和が訪れるんじゃないの?・・・そのようについ思ってしまうんですが、アンパンマンはそうはしないんです。ばいきんまんにアンパンチをお見舞いし(遠くに吹っ飛ばして)それでおしまい。


なんで、ばいきんまんにとどめを刺さないのか。それは、アンパンマンが悪を滅ぼすためではなく、みんなを守るために戦っているからです。そのため、ばいきんまんが反省してくれさえすれば、それ以上、ばいきんまんのことを懲らしめる必要はないと考えているのでしょう。アンパンマンにとっては、「みんなを守る」という言葉の「みんな」の中に、ばいきんまんも入っているのかもしれませんね。ばいきんまんのためにも、アンパンマンは戦っていると言えるのではないでしょうか。


それに、アンパンマンの最大の特徴と言えば、やっぱり「自分の顔をお腹が減っている人に分け与えてあげる」ことですよね。この特徴は、作者の やなせたかし さんが最も大切にしている部分です。「アンパンマン」は、当初、戦うヒーローではなく、作品の主人公である売れない青年漫画家がお腹を空かして倒れそうになっているところに突如現れ、自分の顔を食べさせてあげるというキャラクターとして登場していました。その主人公は、やなせさん自身を投影したキャラクターとして描かれたのだそうですが、それ以降、アンパンマンの性格や喋り口調などは変化していったものの、自分の顔を食べさせてあげるという特徴は、けっして変わることなく、今に至るまで受け継がれてきました。


作者である やなせ さんは、戦争を体験し(中国に出征し、最終的には陸軍軍曹の地位にまで就きました)、その中で本格的な飢え苦しみを味わい、また、戦後漫画家として働き続ける中でも、なかなかヒット作を生み出せず生きていく厳しさを経験しました。きっと、そういった経験があったからこそ、人間にとって本当に必要なことは「食べる」ことであり、正義とは、悪と戦うことではなく「みんなの命を守る」ことだと、やなせさんは受けとめ、「アンパンマン」というヒーローを誕生させたのだろうと思います。


やなせさんが亡くなった時、「やなせさんはキリスト教の信者だった」と報じられたのですが(のちに誤報として訂正された)、やなせさんの正義観、そして「アンパンマン」という作品にみられる愛の精神は、充分に、「キリスト教」という宗教が大切にしているイエスの教えと通ずるところがあります。お腹を空かせた人々にパンを分け与え、また弟子たちに「これはわたしの体である」と言いつつパンを裂き、そして、自分たちの正義と異なる者たちの正義がぶつかるとき、「敵を愛しなさい」(ルカ5:44)と教えられたイエス・キリストの愛を、「アンパンマン」という作品から読み取ることができるのではないでしょうか。


「アンパンマン」が世代を超えて愛されている理由が分かるような気がしますね。

2月の聖書の言葉

キリスト教センターは、毎月ちがった聖書の言葉が書かれたポスターを学内(しろとり)の数箇所に掲示しています。


2月の聖書の言葉はこちら!

「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。」

(新約聖書 使徒言行録10章4節より)


これは、イエスの弟子たちが彼の死後、その教えを世に広める様子を書いた「使徒言行録」と呼ばれる書物の中の一句です。その昔、「イタリア隊」というローマ帝国の軍隊を率いる隊長コルネリウスという人物がいたのですが、彼は、支配下にあったユダヤ人たちに対して寛容に接し、多くの施しをするなど、正しい人として知られていました。そんな彼のもとに、神の天使がやってきてこう告げたのです、「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた」と。


支配の対象であったユダヤ人たちと親しくする彼の姿を、仲間たちは白い目で見ていたかもしれない。けれども、コルネリウスは自分が正しいと思うことを堂々と行なっていたのですね。


ポスターの解説部分には、上記とは違う解説も載せています。

ぜひそちらもお読みくださ~い。


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ハナ、トゥル、セッ!

今日は、1月23日。「1・2・3」の日ですね。

韓国語では、「いち・に・さん」のことを「ハナ・トゥル・セッ」と言います。

これ、写真を撮るときの掛け声としても使われるんですよ。日本では「はい、チーズ」ですよね。


さて、どうして今日は突然「韓国」の話をしているのかと言いますと...、なんと実は今日、しろとりチャペルに韓国からお客さんが来てくださったんです!


商学部の神山美奈子先生のご紹介で、「東海監理教会」(監理=メソジスト)というキリスト教会から、約20名の中高生や牧師さんたちが来てくださいました。チャル オショッスムニダ~(ようこそお越しくださいました~)。


訪れてくれたみんなも、韓国語が全然分からない僕も、お互いに緊張していたようですけれども、チャペルに入ると、韓国語と日本語で『花も』という賛美歌を歌い、牧師さん(韓国語で「モクサンニム」あるいは、先生という意味で「ソンセンニム」といいます)が、名古屋学院大学のことを神さまにお祈りしてくださいました(多分!)


その時の映像がこちら(映像は韓国語のみ)。


その後は、チャペル前で記念撮影。

親指と人差し指でハートを作る韓国発祥のポーズで、「ハナ、トゥル、セッ」!

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短い時間でしたが、とても楽しい交流のひと時でした。カムサハムニダ!また来てね~!


#牧師の服でダッシュできるもん

いまネット上で話題のハッシュタグ「#僧衣でできるもん」。皆さん知ってますか?

たくさんのお坊さんが「僧衣」(そうい・そうえ)を着て、様々なパフォーマンスをして動画をアップしている一風変わったムーヴメントです。海外のニュースでも取り上げられたみたいですね。

そういえば、この大学にはキリスト教の牧師(伝道師)さんがいますよね。
せっかく"宗教"がちょっとしたブームになってるのに、あの人たちはキリスト教の服を着て何かやらへんの?

...
...
...や り ま し た。 やりましたとも。

でもお坊さんたちみたいに「バク転」や「ジャグリング」なんかは出来へんから(お坊さんたち多才よね!)、とりあえず 全力ダッシュ してみましたよ。

その時の映像がこちら。学生たちにも手伝ってもらいました。



キリスト教の僧衣(ガウン)を着ていても、全然動けるもんですな!
いつかお坊さんたちとも競争してみたい!笑

ただの悪ふざけか、それともこの動画には意味があるのか。
それは受け取り方次第!それではまた来週!


※ちなみに動画の撮影・編集はすべて休憩中に行いましたので業務をサボって遊んでいたわけではありません。
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