麥粒No.121 2013.Springが完成しました!!!
内容は・・・
・人のために学ぶ
・「届け物受け取った?」
・本当の糧になるもの
・大学時代の海外旅行を勧める3つの理由
です。
Spring号ということで「新入生の皆さんへ」というとして本学の建学の精神「敬神愛人」についても掲載されています。
先日発行したNo.120とあわせてぜひお手にとってください!
麥粒No.121 2013.Springが完成しました!!!
内容は・・・
・人のために学ぶ
・「届け物受け取った?」
・本当の糧になるもの
・大学時代の海外旅行を勧める3つの理由
です。
Spring号ということで「新入生の皆さんへ」というとして本学の建学の精神「敬神愛人」についても掲載されています。
先日発行したNo.120とあわせてぜひお手にとってください!
ひさしぶりにレント、受難週について。
前回まではこちら↓をご参照ください。
今回は洗足木曜日について。
レオナルド・ダ・ヴィンチ作品で有名な『最後の晩餐』はこの日の出来事を描いたものです。
キリスト教の大切な儀式に聖餐式というものがあります。
イエスの十字架と復活が救いのためにおきたと信じている、そのように告白するために行われるとても大切な儀式です。それはこの最後の晩餐の中に出てきます。
「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 」
『日本聖書協会 新共同訳聖書』 マタイによる福音書26章26~28節
・・・ということとは別で"洗足木曜日"と呼ばれるのは・・・こんなエピソードがあったからです。
晩餐の後、イエスは逮捕され、十字架にかけられます。
イエスは自分の運命を知っていました。だからこの晩餐が弟子達ととる最後の食事になることもわかっていました。弟子達はそんなこととはつゆしらず、誰が一番弟子の中で偉いのかときそいあっていました。
そこでイエスは弟子の足を洗いました。
当時は舗装してない道をサンダルみたいな靴で歩いて移動していましたから、足はとっても汚い部分でした。そして↓のように言われました。
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
『日本聖書協会 新共同訳聖書』 ヨハネによる福音書 13章34節
本学の建学の精神「敬神愛人」とはどういうことだろう?と考える時に大切な場面の一つだと思います。
今回はまじめにイエス・キリストの十字架の苦しみをおぼえるレント解説シリーズ!
そもそも無実のイエスが、なんでよりによって最も苦しい十字架で処刑されるはめになってしまったのでしょうか?
それは・・・↓の図のような事情があったのです。
宗教指導者たちが「律法を守る」ことを重視したのに対して、イエスは「愛」を重視しました。
この「愛」は、神を愛し人を愛する、本学の建学の精神「敬神愛人」です。
イエスは形だけ律法を守っても愛がなければ幸せになれないと説きました。
宗教指導者たちはイエスの支持が高まるにつれ、民衆が自分達の言うことを聞かなくなることを恐れました。
そこで民衆を扇動してまんまとイエスを処刑の場へと送り込むことにしたわけです。
これがイエスが十字架にかけられる大まかな流れです。
ということで今回はここまで。
2月22日は猫の日ですねー。
このブログも猫の日スペシャルでおおくりしま・・・せんよ。
キリスト教関係団体の名古屋YWCAさんからいただいたカレンダー。
月ごとに聖句と、聖句を表現する漢字一字の書がのっています。
2月はマタイによる福音書22章37~40節がのってます。
箇所を聞いただけでどんな聖句かわかりますか?
わかったかた素晴らしい!!!
箇所だけいわれても「?」となった方...私と一緒ですね!
それで正解は、本学の建学の精神「敬神愛人」の箇所です!
ほら
もいっちょ
この聖句にあわせてどんな漢字一文字が書いてあるかというと・・・
「礎」
いしずえでした。
つまり
「すべての物事の根本」
てことですね。
「敬神愛人」が
本学の礎であることはもちろん、学生のみなさん、教職員の生き方の礎になりますように。
さー、今回のブログは長くなりそうです。
建学の精神「敬神愛人」の「愛人」に関わるからです。
創世記2章~ その5の続きです。
『主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」』
日本聖書協会『聖書 新共同訳』創世記 2章 18節
ということで動物がつくられました。
しかしアダムは動物のなかに"自分に合う助けるもの"を見つけられませんでした。
そこで神はアダムが眠ると、彼のあばら骨の一部をぬきとって、その骨で女(エバ)をつくりました。
目覚めたアダムはエバと出会います。彼は独りではなくなり、自分に合う助けるものと出会いました。
これを男女関係だのアレコレ抜きにして考えるとすごく大切なことが含まれています。
ある"平和"についての話しの中で、
もし世の中の人間がたった一人だったら平和だろうか?
という提議がありました。
戦争は一人じゃおこしようがないし。
人と傷つけあうことがないのが平和なら、一人じゃできないから、平和じゃない?と・・・
でも一人じゃこれっぽっちも幸せになれそうにないなー。そんなん平和じゃない。
一人ぼっちの平和なんてイヤじゃないですか?
その時にこの「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」に注目しました。
なんで一人じゃなく、独りなんだろう?
もし一人じゃなく何人もいても、独りじゃ意味がないってこと???
平和って争いがないこと、ではなく、みんなが独りじゃないことで、
敬神愛人の「愛人」って、人を独りにしないことじゃないかな。
独りでいる人によりそうことが隣人として共に生きていく愛なら、 敬神愛人を実行することは平和を実現することになる。
そんな想いを創立者のクライン博士はもっていたのでしょうか。
ひとまず創世記2章はここまで。
1章では、光→天(空)→海と地と植物→太陽と月→魚と鳥→動物と人間の順番で世界が創られたのに・・・
2章からは天地→アダム(男性)→植物→動物→エバ(女)の順で創造されています。
これについての解釈やら、他にもあれやこれや???なとことかありますが、それはまた別の機会に・・・あ、キリスト教センターでは随時『聖書を読む会』がありますので、気になる方はどうぞご利用ください。