「敬神愛人」と一致するもの

このような様子。

今日は、名古屋キャンパスでチャペルアワーが行われました。

↓今日の様子



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チャペルアワーは名古屋キャンパスでは毎週火曜日12:40から、瀬戸キャンパスでは金曜日13:00からチャペルで約30分行われています。

チャペルアワーって何だろう? と思われるかもしれません。

チャペルは礼拝堂のことです。

町で見かける十字架の付いた建物は一般的に教会と呼ばれますが、学校や病院では礼拝堂のある同じような建物でもチャペルと名づけられています。

そしてチャペルで持たれる礼拝の時間のことを、チャペルアワーと言っています。

チャペルでのお話は約15分です。

今日は18年間も、ある病気にかかっていた女性をイエスさま(イエス・キリスト)が愛によって一瞬のうちに癒されたというお話でした。

名古屋学院大学の建学の精神は「敬神愛人」です。チャペルアワーでは、神様への畏敬が重要であるかや隣人との豊かな関わりの必要性について、多くの先生方がお話をしてくださいます。

これらのお話をチャペルで聴くことは今も将来もきっと役だつでしょう。

学生さんのご参加を心よりお待ちしています。 

ブログはじめました

はじめまして、

名古屋学院大学キリスト教センターです。

 

ブログを通して、皆さまへ情報発信をおこなっていく予定です。

建学の精神である「敬神愛人」、キリスト教のこと、チャペルの活動、その他諸々を時にあつく時にゆるくおとどけします。

 

どうぞよろしくお願い申し上げます。

2012年度の第1回公開講座

 4月12日(木)午後,地域連携センター主催の公開講演会がクラインホールで行われました。2012年度の第1回目の公開講座です。今回の講師は中谷剛(なかたに たけし)さん。講演テーマは「アウシュビッツで起きたこと―なぜ今も語り継ぐ必要があるのか―」でした。中谷さんは,1997年にポーランド国立オシフェンチム博物館(ドイツ語ではアウシュビッツ博物館)の公式ガイド資格を取得され,唯一人の外国人公式ガイドとして歴史の語り部をされています。

 講演テーマの「重さ」から,企画段階では,一般参加者の集まり具合が多少懸念されました。しかし,事前の申し込みは想像以上で,当日も一般参加者200人に加え,多くの学生が聴講したことから,クラインホールは満席でした。

 講演は,前半が映像を用いながらアウシュビッツ収容所の説明(アウシュビッツで起きたこと),後半が現代へのメッセージ(なぜ今も語り継ぐ必要があるのか)でした。最後の15分間を質疑応答の時間としたところ,一般参加者から矢継ぎ早の質問と意見。学生たちは,圧倒されていたようです。

 

なぜ今も語り継ぐ必要があるのか?


 後半の「なぜ今も語り継ぐ必要があるのか?」の問いの答えを,中谷さんの講演の中から拾ってみたいと思います。

 中谷さんのみならず,現在のヨーロッパ諸国の首脳たちは,アウシュビッツで起きたユダヤ人の虐殺は,単にドイツ人だけが責めを負うべきものではなく,傍観者を決め込んでいたヨーロッパ諸国にも責がある,と考えています。第二次大戦の終結から60年が経過した2005年前後から,その傾向が顕著となっているというのです。各国首脳が,ユダヤ人に対して謝罪を表明し始めています。もちろん,一方で,国粋主義的な若者の増大も問題になっているのですが・・・。

 ドイツを敵国としていたフランスや英国といった隣国は,ユダヤ人の人権が蹂躙される姿を見聞きし,知っていたにも拘わらず,直接的に自分とは関係ないことだとして,傍観者を決め込み,何のアクションを起こさなかった。それが,アウシュビッツの悲劇を助長したのだ,という認識と反省に至っているというのです。同様に,ヨーロッパから距離が離れていた日本も傍観者でした(日本はドイツと同盟国でしたが)。そのため,傍観者を決め込んだ日本人もアウシュビッツの悲劇に関係が無いとは言えない,と考えられるのです。

 このメッセージを現在の問題で考えてみましょう。世界には,今でも著しく人権を侵害されている民族や人々が居ます。また,それに立ち向かう活動を展開している,アムネスティのような組織や人々も居ます。彼らの活動が,単に人道主義という言葉だけでは片付けられないものがあるということでしょう。

 

 また,もっと身近な問題で考えてみます。中谷さんは,イジメ問題を取り上げて,傍観者の責任論を語りました。クラス内にいじめる者といじめられる者という2つの当事者グループだけでなく,それを知っている第三者がいて,この問題に関わらないようにしている。同じ共同体の構成員であるにも拘わらず,この傍観という第三者の態度が事態を悪化させてしまう。傍観者が傍観者でなかったなら,イジメは深刻な問題に陥らない可能性があるからです。だから,当事者でなく第三者であったとしても責任はある,というわけです。

 さらに別の例で考えてみましょう。人の道に反し,道徳に反し,傍若無人な行為をしている者が居るとします。例えば,電車の中で,大きな声でケータイ電話で話している人,一人で広い座席を占領している人,混雑車両で脚を組んでいる人,タバコの吸い殻を道路にポイ捨てする人,ハタ迷惑な行為を目にしたとします。このとき,自らに火の粉が降りかからないようにと,黙ってそれを見過ごすべきか,悪行を注意し,人の道から反するから止めなさい,と諭すべきか。昨今では,注意された人が逆ギレして,殺傷事件を起こすケースもありますから,この問いも厄介といえば厄介です。それでも,傍観者にならないで,注意喚起する。そうした態度が求められている,ということです。勇気がいるなぁ~。

 

中谷さんと名古屋学院大学

 ところで,中谷さんと名古屋学院大学との交流は,2年前から始まった「ポーランド・スタディー・ツアー」がキッカケでした。このスタディー・ツアーを企画・運営そして自ら添乗員となって献身的な教育活動を展開しているのが経済学部の家本博一教授(地域連携センター長)です(家本先生,ありがとう!)。スタディー・ツアーのメインイベントがアウシュビッツ博物館の訪問です。学生たちは博物館で中谷さんの説明を聞き,その後,場所を変えて中谷さんと意見交換の機会を持ちます。スタディー・ツアーに参加した学生たちは,アウシュビッツで実際に見たもの,触れたものに加えて,中谷さんとの意見交換で,さらに心を震わされます。

 今回の講演には,過去2回のスタディー・ツアーに参加した学生全てが会場に足を運び,中谷さんの話を改めて伺うと同時に,講演会後の懇親会で彼との再会の機会を得ました。懇親会会場での学生たちの一言トークは,同席していた教職員にとってちょっとした感動モノでした。お題は「アウシュビッツで学んだこと」。

 学生たちは,次のような発言をしていました。ポーランド・スタディー・ツアーが,自分の生き方を見つめ直す機会になった。帰国後から,ボランティア活動に励んでいる。山ほど撮ってきた写真を基に,自分がアウシュビッツで起きたことの日本での語り部役を担いたい。何をしたら良いかは判らないけれど,一生考えていきたい,など。彼ら彼女らの心にアウシュビッツ体験は相当強い刺激を与えたようです。

 私たちは自分の想像を超えた場面に直面した時,ショックを受け,心を震わせ,心に何かの火が灯るのでしょう。その代表事例が旅であり,とりわけ外国体験なのだと思います。アウシュビッツは,想像を超えた人間の悪業を見せつけるわけですから,強烈です。もちろん,こうした体験による心の震えの賞味期限は,人それぞれでしょう。そうだとしても,人の成長には,この心が震える体験が必要なのだと思います。

 

「ラジオ深夜便」と中谷さん

 私事ですが,小生は今回,中谷さんと会えることにワクワクしていました。まだ見ぬ想像上の恋人に会えるような気分です。

 というのは,小生が初めて中谷さんの存在を知ったのは「NHKラジオ深夜便」(「また,ラジオ深夜便かよ」,と言われそうですが・・・)のインタビュー・コーナーでした。かれこれ,1年半前です(注)。「ラジオ深夜便」は,小生の心の友です。夜なべ仕事をしながら,BGM代わりに聞いています。大方は聞き流しですが,時折,自分の耳がダンボになり,仕事が疎かになることがあります。中谷さんが登場した折もそうでした。

 アウシュビッツでガイドをしている日本人。こういう人も居るのか!?ポーランド語は世界でも難解な言語の一つとされるのに,そこで公認ガイドをしている人。しかも毎日,毎日,虐殺現場の説明をするのだ。意志が強い人であるには違いないけれど,何が彼を駆り立てたのだろうか。一体全体どんな人なのだろう?会ってみたいな,見てみたいな。今度ポーランドに行ったら,是非ともアウシュビッツに会いに行こう,と思ったものでした。

 実際に,今回お会いした印象は,笑顔が素敵な優しさが充満しているような人でした。アウシュビッツ行われたような残酷な悪行が繰り返されないためには,人は他者を尊重し,寛容で優しくなくてはいけない。そんな人生訓を体現している雰囲気でした。やっぱり,名古屋学院大学の建学の精神「敬神愛人」は至言です。小生は,少しホッこりとした気分。そうこうしているうちに,城哲哉教授(国際センター長)は,中谷さんの著書を持参して,ちゃっかりサインを貰っていました(ずる~いっ)。

 今回のブログ記事を終えるにあたり,「ラジオ深夜便」(注)で中谷さんが語っていたメッセージを付け加えます。「戦争を考えることは今を考えること,今を考えることは歴史を考えること,歴史を考えるとは人間を考えること,人間を考えることは自分を考えること」です。

 

(注)「NHKラジオ深夜便」2010年10月30日の朝4時「明日へのことば」で放送。

入学式のこと

 2012年4月1日(日)。名古屋国際会議場・センチュリーホールにて,2012年度の入学式が行われました。当日の天候は,晴れのち曇り。「陽春」という言葉がピッタリする柔らかい日差しを肌に感じさせる穏やかな一日となりました。前日が春の嵐で,寒さと雨で凍えるような日でしたから,うって変わった春暖に「今日は,何かいいことありそうな」とスキップしたい気分です。
 名古屋キャンパスの周辺では,熱田公園,堀川の川岸,国際会議場などに林立する桜の木々の蕾が,一斉に膨らみ始めました。気象台によれば,今年,名古屋の桜の開花日は3月30日でしたから,入学式シーズンに付き物の桜の花が,今年は絶好のタイミングで開花し始めました。
 ところで,本学は,世間に比べて桜の花を少し長めに愛でることができます。これは,本学が名古屋市と瀬戸市とに2つのキャンパスを抱えていて,瀬戸キャンパスの桜の開花時期は名古屋のそれに比べて10日から2週間ほど遅いからです。4月第1週目では,瀬戸キャンパスの桜の蕾はまだまだ固い状態でした。今年も瀬戸キャンパスでは4月下旬まで桜の花見を楽しめそうです。

 

 さて,入学式。近年,大学の入学式や卒業式に列席される保護者の数が膨らむ傾向にありましたが,今年は入学式が日曜日と重なったためか,それに輪をかけて多くの保護者の姿が目についたように思います。
 今年は,学部生1,160名,大学院生66名,留学生別科生11名を新たにNGUファミリーとして迎えることができました。真新しいスーツに身を包んだ多くの新入生は,少し緊張気味で式典に臨んでいました。3月の卒業式は,卒業生も保護者の方々もリラックスして,少しザワめいた雰囲気ですが,4月の入学式は一転ピーンと緊張の糸が張った状態で式が進みました。
 新入生たちには,改めて歓迎とお祝いの意を表します。おめでとうございます。若者の特権を活かして,自らの可能性を広げるために,様々なことに挑戦してください。また,保護者の方々には,お子様たちを,本学が責任を持って,有為な若者に育てあげることをお約束したいと思います。
以下は,入学式で,式辞として話た小生の挨拶です。

 

2012年度 入学式式辞

 

 新入生の皆さん,名古屋学院大学へのご入学,おめでとうございます。ご来賓の皆様,保護者の皆様,お忙しい中,ご臨席いただき誠にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
 今日,名古屋学院大学は,学部生1,169名,大学院生66名,留学生別科生11名,合わせて1,236名ほどの,ニューフェイスを迎えることになりました。
 私たち教職員一同は,皆さんがこの大学で学ぶことを通じて,人間として確実に成長し,立派な社会人となって巣立っていくために,全力をあげて支援することをお約束します。そして,卒業時には,名古屋学院大学で学んで良かった,この大学を選んで良かった,と必ずや思って貰えるものと確信しています。
 さて,皆さん,昨夜はよく眠られたでしょうか? 入学式を前に,人生の新しいページが始まるという不安と期待がない交ぜになった高揚感で,良く眠られなかったという人もいるかと思います。私の方は,NHKの「ラジオ深夜便」を聞きながら,徹夜でこの挨拶の原稿を準備していました。ですから,全く寝ていません。新しく名古屋学院大学ファミリーの一員となられた皆さんに,伝えるべき内容を選んでいるうちに,朝を迎えました。
 今朝は,昨日と打って変って,春の暖かい日差しを肌に感じることができます。皆さんの新しいスタートを祝っている様です。
 準備してきた話をします。三つあります。一つ目は,名古屋学院大学の「建学の精神」,二つ目は,「大学での学び方」,三つ目は,「社会人予備軍としての心得」です。

 

 それでは,一番目の「建学の精神」についてです。建学の精神とは,大学を設置する際に,創設者たちが「この大学でこういう人材を育てたい」という熱い思いのことです。
 名古屋学院大学は,「敬神愛人」を建学の精神とするキリスト教主義の大学です。「敬神愛人」は「神を敬い,人を愛する」と書きます。
 昨年,私たちは,戦後最悪の自然災害となった東日本大震災を目の当たりにしました。そして,技術文明が栄えた現代社会でも,人知の及ばぬものがあることを,改めて知らされました。「神を敬い」は,まさに,自然の脅威や人知の及ばぬものに対し,素直に畏怖を覚えよ,ということでしょう。
また,「人を愛する」の方は,言うまでも無く,「汝の隣人を愛せよ」ということです。
 つまり「敬神愛人」は,学ぶ者も教える者も,自らが及ばぬものの存在を怖れ,敬いなさい。そして自らは傲慢になることなく,自己中心的になることなく,謙虚になって,人に優しくありなさい。そうすれば,自らの人格陶冶と人類の平和や福祉が実現される,というものです。名古屋学院大学に学ぶ者は,是非,この「敬神愛人」の四文字熟語を座右の銘として頂きたいと思います。
 これは,皆さんにキリスト教徒になれ,と強要するものではありません。しかし,この精神は,私たちが生きていくうえでの人生哲学そのものです。日本の「武士道の精神」にもこれと通じるものがあります。礼儀を重んぜよ,相手を思いやれ,「自分より相手が先」といった人生訓です。
「敬神愛人」。覚えてください。

 

 それでは,二つ目の「大学での学び方」についてお話ししたいと思います。
 大学生としてあるべき学びのスタイルは,高校までのそれと大きく違います。大学生の学びのスタイルは,自ら求めて学び,自ら考え,自らの意見を持つ,ということです。高校までは,決められた科目をひたすら覚える,「勉強イコール暗記」であったでしょう。実際,暗記能力が高い生徒ほど,試験の成績は良く,優秀だと言われてきました。しかし,大学はそうではありません。求められる学びのスタイルは,自ら学ぶ対象を求め,獲得した知識を活用して,自ら考え,それを表現し,実践することです。
 この理由は,それが大人になることであり,人格を磨くことであるからです。また,就職試験の面接では,自らの経験と,それを基にした自らの考えが,問われるのです。皆さんは,社会人一歩手前の,社会人予備軍であるという自覚をもって,大学生活を送って欲しいと思います。

 勿論大学は,皆さんの人格を磨き,成長する機会を用意し,支援します。授業やゼミナールは言うまでもなく,留学,サークル,ボランティア活動,地域貢献のプロジェクト。こうした機会を大いに利用して,自らを進化させて欲しいと願っています。
 ドイツの哲学者カントは,『啓蒙とは何か』という本の中で,「知る勇気を持て」,「自分の理性を使う勇気を持て」と述べています。そうでないと,何時まで経っても,「未成年の状態のまま」に留まってしまう,というのです。未成年の状態とは,他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができない人間のことです。
 一人の人間として精神的に独立するためには,未成年状態,あたかも家畜のような状態から脱皮して,自ら考えることが必要なのです。
 授業で習い,書物を読み,新しい情報を得たら,鵜呑みをせず,まず自分なりに考え,意見を持つようにして欲しい,と思います。

 

 三番目の話に入ります。「社会人予備軍としての心得」です。社会人予備軍としての「学びのスタイル」については,先ほど述べました。ここでは,行動様式に関わる事柄として,一つだけ,お願いしたい事があります。
 極めて簡単なことです。それは「挨拶」です。「おはよう」,「こんにちは」,「ありがとう」,「さようなら」。
挨拶はコミュニケーションの第一歩です。
 人種のるつぼであるアメリカでは,目と目が合うと,ニコッとしながら「ハ~イッ」と知らない者同士が声を掛けあいます。また,江戸時代の武士も,すれ違いざまに声をかけたり,会釈をしたりしたそうです。それが「私はあなたの敵ではありませんよ」,というサインでもあったのです。
 皆さんは,大学生になったばかりなので,ピンと来ないでしょうが,三年後の就職活動の折には,挨拶ができること,そしてそれにつながるコミュニケーション能力が,採用・不採用の明暗を分けることになりかねません。なぜなら,企業の採用試験では,新卒者に求める能力の第一番目に,「コミュニケーション能力」があげられているからです。企業の採用担当者の中には,「挨拶ができない人間は採用しない」とハッキリ言う人も居ます。
 自ら住み良い世界を築き,さらにそれを発展させていくために,まずは,きちんと挨拶をし,他者とのコミュニケーションを始めましょう。
 大学では,学長の私と学生部長が「あいさつ運動」のリーダーです。新学期早々から,私たちは,正門のところで「朝の挨拶運動」を展開し,皆さんを「おはよう」の挨拶で迎えます。
皆さんも,恥ずかしがらずに挨拶を返して下さい。

 また,朝に限らず,学内に居る教職員,同級生,先輩,外からやってくるお客様たちに,是非,素敵な笑顔で挨拶を交わして欲しいと思います。
 「敬神愛人」の「人を愛すること」は,「挨拶すること」から始まるのです。
 保護者の皆様には,是非,ご家庭の中でも意識的に挨拶を交わして頂くよう,お願いしたいと思います。
 今日,ここで私は三つの話をしました。一番目は,建学の精神の「敬神愛人」。二番目が「主体的に学び,自らの意見を持つこと」。そして,三番目は,「挨拶をしよう」,ということでした。
 皆さんが,自らと日本の未来を切り開いていく若者になるよう,私たち教職員は,皆さんを全身全霊で応援します。皆さんは,大学を大いに利用し,自らの可能性に挑戦してください。

 ご入学,おめでとうございます。

 

2012年4月1日

名古屋学院大学 学長 木船久雄

「敬神愛人」の意味

 

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名古屋英和学校の創立者

 F.C. Klein

(1857-1926)

 最近、訳あって、本学の前身である名古屋英和学校の創立者F.C.クライン博士について調べています。名古屋学院大学が掲げる建学の精神は「敬神愛人」ですが、これはクラインが名古屋英和学校の校訓としたものでした。人間のおごりを戒め、人との調和を説くこの言葉を、私たちは学内のさまざまな場所で目にすることができます。しかし、私たちは、その提唱者であるクラインについて、充分に知っているとは言えません。彼はどんな人だったのでしょうか。『来日メソジスト宣教師事典』で、略歴をみてみましょう(同事典p.145より抜粋・編集)。

   * * *

■Klein, Frederick Charles
1857年5月17日、Washington, DCにて出生。
1880年、Western Maryland Collegeで学士号、1882年、同大で修士号。
1883年8月16日、ピッツバーグにてMary Elizabeth Pattonと結婚。
1883年9月23日、横浜に到着。1883年~1887年、横浜。1887年~1803年、名古屋。
日本メソジスト・ミッションの最高責任者で、このミッションの日本最初の教会及び名古屋学院の創立者。1893年から1908年までペンシルヴァニア州、デラウェア州等の諸教会で牧師。1904年から1908年までメソジスト・プロテスタント教会海外宣教局記録部書記を務め、1908年その最高幹部である通信主事となる。Western Maryland Collegeより名誉神学博士号を贈られる。
1926年12月27日、Berwyn, MDにて癌のため逝去。Lorraine Park Cemeteryに埋葬。

   * * *

 クラインが米国メソジスト・プロテスタント教会から派遣され、横浜に夫人と降り立ったのは26歳の時でした。当初は横浜での伝道強化が目的でしたが、4年後の1887年(明治20年)、クラインはキリスト教未開の地であった名古屋で名古屋英和学校を開校し、校長に就任しました。これが名古屋学院の始まりです。クラインは、校舎の建設、夜間部の開設、教会の設置など事業を拡大しますが、健康を害し、その治療のため日本滞在10年目の1893年4月米国に去ります。

 米国でクラインの墓参りをされた名古屋高校の秋重泉氏によると、墓石には聖書の一節"Not to Be Ministered but to Minister(仕えられるためではなく、仕えるために)"が刻んであったとのことです。秋重氏は、「これを読んで初めて、使命感を持って日本へ来て、そして名古屋までやって来たクラインの気持ちが理解できた」と書いています(注1)。

 今年は、クラインが来日してから129年目、名古屋英和学校が創立されてから125年目に当たります。クラインについては、青山学院大学のジャン・クランメル教授(1932~2006)の研究成果(注2)がありますが、まだ調査すべき資料が米国に残されていることがわかってきました。「敬神愛人」の意味をより深く知るためにも、クラインについて資料を収集する必要があると感じています。

注1) 秋重泉「創立者クライン博士をつき動かしたもの」『麦粒』 111号, p.2-4, 2008注2) 『メソジスト・プロテスタントチャーチ・イン・ジャパン』日本基督教団横浜本牧教会, 2006

(瀬戸のスタッフ りんたろう)

学位記授与式の一日

  3月15日(水)に学位記授与式(卒業式)が名古屋国際会議場・センチュリーホールで行われました。2011年度は,学部卒業生1,075名,大学院の修了生58名が,それぞれ学士・修士・博士の学位を取得しました。また,1964年に大学が開設以来,累計卒業生は,40,085名と4万人を超えました。
  当日の天候は晴れ。春の陽気を感じさせる穏やかな一日でした。女子学生にとって,卒業式は一種のファッションショーの日。着物に袴スタイルの女子学生が多く目に着きます。彼女らの「ハレ舞台」のために,当日の天気が雨でないことを数日前から祈ってきました。ヨカッタなぁ~。
 学位授与式は,10時半にスタートし所要時間は約1時間。私にとっても今日は,学長として初めて学位授与式で式辞を述べる「ハレの舞台」です。前日は,無い知恵を絞りながらも,徹夜で式辞の原稿を作りました。その原稿は,この文章の後半に添付させて貰います。
 学位記授与式が終わると,急いで着替えて教室へ。ゼミ生一人ひとりに学位記を手渡します。「元気で,頑張れ」,「いつでも相談に来いよ」と声をかけます。目をみつめ握手する。少しジ~ンとくる瞬間です。
 ここ数年,卒業生に贈る最後のメッセージは,「アジケン」と決めています。アジケンは,アジア経済研究所の略称「アジ研」では,勿論,ありません。アは挨拶,ジは時間,ケンは健康です。教員としてではなく,人生の一人の先輩として,社会人になったらこの3つに留意しなさい,という教訓を述べます。
 それが済むと,各学部の卒業パーティーがあり,それを渡り鳥のようにハシゴしました。12時15分から経済学部,13時から人間健康学部。このふたつは大学の食堂で行われました。15時から商学部がヒルトンホテル,18時から外国語学部が中日パレス。気の利いた話はできませんが,どこでも「挨拶」のためにマイクの前に立ちます。「学長は典礼要員である」ことを痛感する瞬間です。
 女子学生の比率が高い外国語学部のパーティーは,流石に華やかです。会場は,着物と袴スタイルから艶やかなパーティードレスにお色直しをした若い女性たちの熱気で充満しています。男子学生が圧倒的に多い経済学部の世界に慣れ親しんだ小生としては,異次元の空間に迷い込んだような錯覚を覚えた次第。
 パーティーの最後までは付き合いませんでしたが,お昼過ぎから続いたパーティーのハシゴは,徹夜の身体と頭には厳しい鍛錬の機会でした。疲れたぁ~。
 名古屋学院大学を巣立っていく皆さん,卒業おめでとう。心から,皆さんのご健康と明るい未来を祈っています。大いに羽ばたいてください。そして,たまには大学を尋ねて,近況報告などしてください。
 以下は,学位記授与式で述べた私の式辞です。


学位記授与式の式辞

 今日,ここに,学部を卒業する1,075名のみなさん,大学院を修了する58名のみなさん,卒業,修了おめでとうございます。大学を代表して,みなさんに一言お祝いと激励の言葉を述べたいと思います。
 その前に,ご来賓の方々にお礼を申し上げたいと思います。ご多用の折にも関わらず,私ども学生たちのために,この場にご臨席いただき誠にありがとうございました。
 また,この会場にお運びいただきました保護者の皆様にも,お礼とお祝いの言葉を申し上げなくてはなりません。皆様からお預かりしてきましたご子弟たちは,大学・大学院の教育課程を無事終え,学士として,あるいは修士・博士として,この学び舎を巣立つことになりました。おめでとうございます。皆様の名古屋学院大学への惜しみないご支援とご協力があったればこそ,私どもは,安心して学生たちの教育に力を注ぐことができました。心よりお礼申し上げます。

 さて,ここからは,本学を巣立つ卒業生・修了生の皆さんに贈る言葉です。
 私は,昨年4月に学長に就任しました。そのため,卒業式の式辞を述べるのは,今回が初めてです。何を喋ったら良いものやら,困りました。無い知恵を絞りながら,昨夜も徹夜でこの式辞を考えておりました。
 まずは,自分が大学を卒業する時,学長が卒業式で何をしゃべったか,を思い出そうとしました。もう30年以上も前のことですから,思い出そうとしても何も出てきません。自分が卒業式に出席したのかどうかさえ,定かでないのです。ですから,当然,学長の話の内容など全く覚えていません。
 おそらく,皆さんも2~3日のうちに,あるいは2~3時間後には,私のメッセージは忘却の彼方となることでしょう。しかし,たとえ,賞味期間がこの瞬間だけであったとしても,本学を巣立つ皆さんに心をこめてメッセージを伝えたい,と思います。
  私自身が経験した二つの話をします。一つ目は「人との別れ方」,二つ目は「背伸び」の話です。

 最初の話は,「人との別れ方」です。
 私にとって,名古屋学院大学は3つ目の職場です。最初の職場は,大学を卒業してすぐに就職したとある商社です。そこでは,輸出入のための通関業務が仕事でした。世界と通じる貿易の仕事は面白く,上司や先輩,同期の友人たちにも恵まれて,快適で愉快な会社員生活をしていました。しかし,会社の業務を通じて,貿易実務や関係する法律を学んでいく中で,貿易理論をもっとしっかり勉強したい,という思いが首をもたげてきました。そして会社を辞め,大学院に進学したのです。
 毎年,卒業式の後に,自分のゼミ生たちに向って「『石の上にも3年』というから,入社したら3年は勤め先を辞めるな」と私は言います。しかし,自分自身は,恥ずかしながらわずか1年でその会社を辞め,学生に戻ったのです。
 二番目の職場は,大学院の課程を終えて就職した東京にある民間の研究所でした。現在の経済産業省,当時は通商産業省と呼んでいましたが,その通産省が監督官庁でした。政府からの委託研究が沢山あり,連日のように深夜まで残業していたことを思い出します。その研究所に1992年のバブル崩壊まで,11年間勤め,大きな自由度を求めて大学に移ってきたのです。
 以前の二つの元職場の上司や諸先輩そして同僚たちとは,今でも仲良くおつきあい願っています。
 最初の商社を辞める時には,わずか1年しか居なかったこと,しかも輸出入の申告書類に記名捺印できる通関士の資格をとったばかりということで,上司や先輩たちにも多くのお叱りを頂戴しました。しかし,同時に多くの激励の言葉も頂いて,円満に退社することができました。
 二番目の職場は,私自身が既に管理職になっていたこともあって,かなり退職を慰留されました。とりわけ,理事長からは「辞めさせないぞ」とも言われ,良好な人間関係を保つために,退職後,6年半ほど,非常勤で,その研究所の仕事をお手伝いしてきました。その間,毎週,名古屋―東京を往復していたのです。
 最初の職場の社長とは,通産省のロビーでバッタリ出会い,彼が政府の審議会メンバーであることを知りました。自分の研究領域がその会社のビジネスと深く繋がっていて,彼との交流は,自分にとって生きた教材です。
 また,二番目の職場の理事長は,退職後も,私を幾つかの研究会に誘ってくれました。亡くなられる1か月前にも,電話をかけてきて,別の新しい研究会への参加を薦めてきたほどでした。つくづく,「ありがたい」と感じています。
 私が,こうして以前に働いていた二つの職場の人たちと,今でも良好な関係にあるのは,結果的に,上手い「人との別れ方」をしたからではないか,と思っています。つまり,「別れても好きな人」で居られるように,円満な人間関係を維持しながら別れたからだ,と思うのです。
 あの時,「けんか別れ」していたなら,どうなっていただろう?おそらく自分の活動範囲は,今よりもずっと狭いものになっていることでしょう。「けんか別れ」しなかったからこそ,今でも彼らから刺激を得ることができ,貴重な情報やアドバイスを貰うことができる,と思うのです。
 人との出会いは「縁」であり,離れたと思ってもどこかで繋がっている。だから,一旦出会った人とは,別れる場合でも,良い関係を保つ努力が必要だと思うのです。

 さて,二つ目の話は「背伸び」の話です。
 私が研究所から大学に移ってから,はや20年が経過しようとしています。この間,先に述べた研究所との付き合いは,今でも続いていますが,大学に移ってから,私が研究の対象とする領域は大いに変化しました。
 それまでは,どちらかと言えば,日本国内の経済予測やエネルギー予測という分野が,主たる守備範囲でした。それが大学に移ったのを機に,国際協力の分野にも手が伸びていきました。具体的には,JICA(国際協力機構)の途上国支援プロジェクトに,省エネルギーの専門家として参加するようになったからです。
 当時,国際協力の仕事は,私にとって初体験でしたから,果たして「専門家」と言えたかどうか判りません。それでも,誘ってくれる人が居ましたので,不安はありましたが,「エイヤッ」と,少し勇気を出してこの分野に飛び込みました。
 最初に参加したプロジェクトは,大学に移った1992年のその年で,対象国はイランでした。中東にあるイランは,イスラム教原理主義の国で,当時から,アメリカと敵対する国でした。しかし,日本にとっては,イランは石油を輸出してくれる貴重な国でしたから,良好な外交関係を保つために,政府は技術協力を進めていました。
 中東での仕事は,言葉はもちろん,食べ物も生活習慣も違い,おまけにイスラム教の世界ですから,戸惑うことが沢山ありました。現地の役人は,建て前と本音とが大きく異なり,そのため,交渉ごとは時間のかかる骨が折れるものでした。最初の内は,現地に行くたびに前の話と違っている,ということが度々ありました。
 しかし,今になってみると,こうした経験は自分にとって大変貴重なものであったと思うのです。おかげで,我慢強くなりました。今では途上国に行くことに何の苦もありません。逆に,途上国での仕事を楽しんでいる自分の姿を見つけています。全く知らない現地人と,すれ違いざまに,挨拶を交わすことも平気です。
 国際協力の仕事に誘って貰ったあの時に,エイヤッと背伸びをしたからこそ,自分の視野は広がり,それまでとは違う自分自身の姿を見つけることができたように思います。
 「できないかなぁ,無理かなぁ」と感じることでも,少し無理をして自分をやらざるを得ない局面に追い込んでしまう。そうすると,やらざるをえないから,あれこれ工夫しながらも,やれるようになる。無理だと思うことがやれるようになると,もっと大きな無理も手の届く無理になってくる。
 だから,人が成長するためには,背伸びをすることが必要なのだと思います。背伸びを続けていると,いつの間にか自分の背が伸びてくるのです。

 ドイツの文豪・ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテは,『温順なクセーニエン』という詩集の中で,次のように述べています。
     財貨を失うことは,わずかな損失だ
     名誉を失うことは,多くの損失だ
     勇気を失うことが,すべての損失だ
     生まれなかったほうがよかっただろう,と。

 モノやお金も大切ですが,勇気に比べれば大したものではありません。人生を切り拓いていくのに必要なものは,変化を厭わない勇気であり,挑戦するための「背伸び」なのだと思います。
 今日は卒業式。別れの日です。皆さんは,これからも様々な出会いと別れを重ねていくことでしょう。たとえ,どんな別れであったとしても,円満な人間関係を保ち,背伸びする勇気を出して前に進んでください。
名古屋学院大学の建学の精神「敬神愛人(神を敬い人を愛する)」は,円満な人間関係を進めるうえでも,教訓となる言葉です。どうぞ忘れないでください。
皆さんの,ご健康と明るい未来をお祈りします。
 卒業,修了,おめでとうございます。

                              2012年3月15日
                         名古屋学院大学学長 木船久雄

長い夏休みが終わり,秋学期がスタートしました。学期初めの1~2週間を「マナー向上キャンペーン期間」と位置付け,教務部・学生部と協働しながら,朝の挨拶運動・教室内ルールの徹底・マナー向上のための学内巡回などを行いました。

「朝の挨拶運動」では,1時限目の授業が始まる前の20分間,たくさんの教職員の方々が自主的に大学周辺に立ち,登校してくる学生たちに「おはよう」の声かけをしていただきました。また,教室内ルールの徹底のために,全ての教員が一度は授業中に「守るべき教室内ルール」の説明をしていただいたと思います。さらに,学生部の皆さんには,昼休みを利用してマナー向上のための学内巡回をしていただきました。皆様のご協力に心より,感謝申し上げます。

 

さて,こうしたキャンペーンについて,在学生の皆さんはどう感じているのでしょうか?

大学生にもなって,そんな基本的マナーについて,どうして指導されなきゃいけないんだ?「挨拶運動」なんて小学校でもやってたし,遅刻をしない,ごみはゴミ箱へなんて,そんなの当たり前じゃん。こんな思いや疑問を持った方もいるでしょうね。

ところが,知っていることとそれが出来ることとは違います。実際,企業の採用担当者たちの多くが「(本学の学生に限らず)大学生のマナーがなっていない」と吐露しています。小学生の時にはできたけれども,中学・高校・大学と学年が上がるにつれて,基本的マナーができていない,という現実があるのです。社会人としての基本的なマナーは,条件反射のごとく,意識しないで出来ることが重要です。それには,普段からの実践とその習慣化が求められます。

 

なぜ,基本的マナーが重要か?もちろん就活のためだけではありません。それは,人は一人では生きていくことができず,他人との関係のなかでのみ生きているからです。この他者との関係を円滑にするために,自然発生的に社会のマナーが形成されました。それは,「不必要に敵をつくらず」,「より多くの味方を得る」方策でもあります。他者に配慮し,配慮に基づいた行動が,マナーの基本です。だから,本学の建学の精神「敬神愛人」そのものでもあるのです。

 

円滑な人間関係が構築されれば,人生はもっと楽しくもっと明るくなるに違いありません。挨拶やマナーを守ることは,他の誰のためでもない,自分のために,自分が清々しく快適に生きるために行うのです。逆に,マナーから外れた自分勝手な振る舞いは,他人に迷惑をかけ,他人を不快にさせ,それがひいては,自分を不幸に導いていきます。

 

ニコッと笑顔であいさつ,マナーを守り,自らを幸せにするよう努めましょう。

9月15日,学位記授与式が名古屋キャンパスのチャペルで行われました。その折の挨拶を掲載します。

残暑の日差しが厳しい中,ここに39名の学部生と7名の大学院生が,名古屋学院大学を卒業・修了していきます。大学を代表して,心から皆さんのご卒業・修了をお祝いしたいと思います。
ここでは,主として学部の卒業生に贈る言葉を述べさせて頂きます。
皆さんの卒業時期が,春学期末の9月というのは,大方の日本の大学生たちのそれに比べれば,まだまだ稀なケースです。この時期に卒業となった理由が,意図したものである人もいれば,「不本意にも」という人もいるでしょう。
理由はどうあれ,この時期に卒業していく皆さんは世の中のマイナー集団であるのは間違いありません。しかし,それを卑屈に感じる必要は全くありませんし,それどころか「幸運であった」と考えて良いと思います。
その理由は,こうです。
当然のことですが,人はそれぞれ違います。どんなに仲の良い友人であろうとも,どんなに愛情深い親であろうとも,自分はその友人にも,親のコピーにはなれません。そのため,本来,自分の人生や歩む道は自分で考え,自分で決めなくてはなりません。
しかし,私たちは,たいして考えもしないで,ついと大人が定めたレールや,大きな流れに安穏と乗っかって,なんとはなしに歩んでしまいがちです。そうしてしまうのは,何も考える必要もなく,楽だからです。

ところが,この時期に卒業する皆さんは,少なくても大きな河の流れに身を任せてはきませんでした。やむを得ず,世間の流れに乗れなかった,という場合もあるでしょう。
しかし,それでも,卒業までの時間に,世間平均と比べれば半年,あるいはそれ以上の長さを要してきました。そしてその間に,皆さんは,否応なく「自分は何者だ」と考え,「自分は,既に他の学生とは違う道を歩んでいるのだ」と自覚した筈です。自分は自分だ,他の何者でもない,そして自分の道を歩まざるをえないと,覚悟した筈です。
若い時期の1年や2年の遅れは,年長者からみれば,そして,間違いなく皆さんも歳を取ったときにそれが判ると思いますが,たいした遅れでも何でもありません。それどころか,多感な青春時代に,孤独と戦いながら,自らの生き方,人生の処し方を真剣に考える機会を得たことは幸せであったと言えるでしょう。
自らを真摯に見つめ直す時間を得ることができたこの時間と経験は,皆さんの今後の人生において,大いに意味深いものになる,そう確信しています。

「君たちはいま,自分の生き方を,自分で決める時期に差し掛かっている」。これは私の言葉ではありません。19世紀半ばに,世界的に流行したサミュエル・スマイルズの『自助論:セルフヘルプ』にある言葉です。『自助論』は,「自らを助ける論」と書きます。日本では「天は自ら助くる者を助く」と訳されました。
他の学生たちよりに比べ,自らを見つめ直す時間をより多く持ち,そして自らの意思で己の道を切り拓こうとしている皆さんに,この言葉を贈りたいと思います。
スマイルズは,「成功に必要なのは,実は才能ではなく,勤勉である」。また,「人間の優劣は,その人がどれだけ精一杯努力したかで決まる」とも述べています。
精一杯努力すること,一生懸命にやること。これは,現代の若者たちにとって「格好悪い」ことのように受け止められがちですが,とんでもありません。「一生懸命」は「すばらしく格好良く」て,「価値あること」なのです。自らを助けるために,一生懸命に努力してください。

さて,2011年9月は,皆さんにとっては言うまでも無く,世界の多くの人たちにとっても,記憶に残る時となるでしょう。ニューヨークの貿易センタービルに旅客機が突入した「9.11世界同時テロ」から10年,本年3月の「3.11東日本大震災」から半年が過ぎた時期です。いずれの出来事も,世界を混沌の闇に引き込んでいく契機となり,今でも世界はその闇から抜け出ていません。
こういう時期だからこそ,私たちは名古屋学院大学の建学の精神『敬神愛人』をしっかりと胸に刻まなくてはならないと思います。私たち人間は,傲慢になってはいけない。自らが及ばぬものがあるのだから,神を敬うように,自然や他者に配慮しなくてはならない。他者を愛し,気配りできれば,自分の住む周辺はもちろん,世界全体が平和に住みやすくなる,ということだと思います。
名古屋学院大学を卒業していく皆さんは,是非とも,この機会に『敬神愛人』に思いを馳せて頂くとともに,これを自らの座右の銘として,人生訓として,一生この金言を胸に抱き続けて欲しいと思います。

「敬神愛人」を建学の精神に掲げる名古屋学院大学は,卒業後もまた,皆さんが私たちの貴重な仲間であると考えています。
世界的な大不況のさ中にあって,卒業はするもののまだ就職先が決まっていないという方がいるかもしれません。どうぞ遠慮なく,本学のキャリアセンターをご利用ください。
また,就職後には,改めて慣れない分野の資料を探したり,勉強せざるを得なかったり,という場面も出てくるでしょう。どうぞ,遠慮なく本学の図書館をご利用ください。私たちは,喜んで皆さんの役にたちたいと考えています。

『敬神愛人』の精神を尊重し,そして「天は自ら助くる者を助く」と信じて,豊かで明るい人生を切り拓いていってください。他の人より少し長い時間を大学生として過ごし,孤独にさいなまれながら,真摯に自らと向き合った皆さんです。必ず,それが出来るものと信じています。

皆さんのご健康と,ご活躍をお祈りしています。
卒業,おめでとうございます。

2011年9月15日

名古屋学院大学 学長 木船久雄
9月15日に,留学生別科入学式が名古屋キャンパスのチャペルで行われました。その折,次のようなことを話しました。

On behalf of Nagoya Gakuin University's colleagues, I'd like to express great pleasure to accept you as our students. Welcome to NGU!
 
名古屋学院大学の全ての関係者を代表して,皆さんを心より歓迎します。
「名古屋学院大学へようこそ」

私たちの大学は,キリスト教主義教育を基礎に,1964年に設立されました。建学の精神は,聖書から引用された「敬神愛人」です。これは,「神を敬い,人を愛する」ことを意味しています。つまり,私たちの大学は,「人知の及ばぬものがあること」を認識して,「自らは傲慢になることなく」,「他者に配慮できる」,そんな人材を養成したいと考えているのです。

さて,今回,皆さんがこの時期に日本の留学先として本学を選んだことは,3つの点でラッキーであったと想います。それは,第1に,本学が名古屋と瀬戸の2つのキャンパスを抱えていること,第2に本学が日本列島の真ん中の名古屋市に立地していていること,第3に,皆さんは,日本の歴史的な転換期を目の当たりにできること,です。

第1のラッキーを説明しましょう。約5,300名の学生が学ぶ本学は,規模からみれば,日本の大学の平均的な姿ですが,名古屋と瀬戸に2つのキャンのパスを抱えているという特徴があります。2つのキャンパスで学ぶことを通じて,皆さんは,日本の新しい文化と伝統的な文化の両面を同時に体験できることになります。
2つのキャンパスとは,今皆さんが居るこの「名古屋キャンパス」と,ここから約30キロメートル離れた「瀬戸キャンパス」です。
名古屋キャンパスには,大学本部の他に,経済・商・外国語という伝統的な3学部と留学生別科が配置されています。一方,瀬戸キャンパスには,「スポーツ健康」および「リハビリテーション」という現代的な2つの学部があります。
名古屋と瀬戸の2つのキャンパスは,極めて対照的で,名古屋キャンパスは都市型,瀬戸キャンパスは郊外型と特徴づけることができます。さらに,名古屋キャンパスは現代的な文化・行政・商業施設にアクセスが容易であり,一方の瀬戸キャンパスは,日本の伝統的産業である「窯業・瀬戸物」を代表する都市に立地しているため,伝統工芸に触れる機会が豊富です。
つまり,皆さんは,本学での滞在期間に,新旧の二つの日本の文化を同時に見て,聞いて,体験することができるのです。

第2のラッキーは,本学留学生別科が名古屋に立地していることです。本学が所在する名古屋は,地理的に日本列島の中心に位置し,東京・大阪に続く三大都市圏の一つを形成しています。しかも,名古屋はトヨタをはじめとした日本を代表する製造業の集積地でもあるため,現代日本の社会経済の縮図を見ることができます。
また,名古屋は,東京や大阪の中間点にあることから,両都市のほか古都・京都に出かけるにも便利です。
さらに,名古屋市の人口は約230万人であり,数多くの文化や商業施設を抱える大都市です。しかし大都市でありながら,名古屋の人口密度は東京のそれほどは大きくなく,物価も相対的に安い,といったメリットがあります。

そして第3のラッキーは,現在が,3月11日に起きた東日本大地震と原発事故後の日本の混乱や復興過程をつぶさに観察できる時期であることです。皆さんは,そういう時期に,日本に滞在されているのです。
おそらく皆さんの中には,「何故,原発事故の影響があるこの時期に,日本に行くのか」,「止めたらどうか?」といった忠告やお願いをご家族や知人の方から受けた方もいらっしゃるでしょう。
しかし,今は日本全体で困難から這い上がり,新しい国づくりをスタートさせようとしている画期的な時期なのです。皆さんは,歴史の証人として,その日本を直接観察できるわけです。震災後の復興という難しい時期だからこそ,その姿を直接目の当たりにする今回の日本滞在は,皆さんの人生にとって得難い経験となることでしょう。
皆さんは,「日本の震災復興の生き証人」となる可能性を秘めています。どうぞ,冷静な観察眼を持って,今の日本の姿を見てください。

私たち名古屋学院大学の全てのスタッフは,皆さんの日本滞在が快適なものになるように,また高い学習成果を上げることができるように,全力をあげてサポートします。
判らないこと,困ったことなどがあれば,遠慮なく,私たちにお尋ねください。

今日の緊張した皆さんの顔が,留学生別科の課程を終える半年後あるいは1年後に,どのように変化しているのかを見ることが楽しみです。

実り多い,日本での留学期間であることを祈ります。
ご入学,おめでとうございます。

2011年9月15日

 今年もオープンキャンパスの季節がやってきました。

 本学の最初のそれは,7月23日(土)に名古屋キャンパスで行われました。当日1日の来場者数は1,004人で,前年のオープンキャンパス初日のそれに比べれば,6割強の増加です。ただし,前年は2日間連続で行ったのに対して,今年は1日だけでしたので,単純な比較はできません。

 当日は,いずれのブースも大盛況。熱心に担当者の説明を聞く高校生の姿で溢れていました。来場者を受け入れる大学側の教職員・TA学生は,NGUマーク入りの赤いポロシャツに身を包み,活気あふれる統一感を醸し出していました。事前準備に忙殺された入学センターの皆さん,当日に模擬講義を担当していただいた先生方,相談窓口で対応された教職員の方々,そして,様々な部署で支えてくれた学生諸君,どうも御苦労さまでした。そして,ありがとうございました。

 数年前に比べて,今年の来場者は,落ち着きのある小ざっぱりとした感じの高校生が多かったように思います。世の中の景気や流行(ファッション)とも関係しているのかもしれませんが,既に「敬神愛人」の精神を身につけているのかもしれません(そんなこたぁ~,ないか)。

 ところで,リクルート社の調査によると,現在の大学1年生のうち,高校3年間の内に1度でも大学のオープンキャンパスに参加したことがある学生の割合は,94.0%だそうです(出所,リクルート進学総研:http://souken.shingakunet.com/research/2011sennsasu2.pdf,以下同じ)。要するに大学進学者の9割は,事前に大学見学をしているということです。学年別でみた参加率は,3年生の時が81.1%で最も高く(と~ぜん,ですよね),2年生で66.9%,1年生でも38.1%。

 これらの値は,2009年の前回調査のそれに比べて,いずれの学年でも高まっています。とりわけ,高校1年生の参加率は13.4ポイント上昇していて,早い段階から進学先への関心が高まっている傾向が伺えます。また,男女別でみると,参加率は,全ての学年で女子は男子よりも10ポイント以上高く,一人当たり平均参加校数は,男子の3.5校に対し,女子は4.8校。女子のほうが男子よりも,しっかりと大学を値踏みしているということでしょう。

 確かに,本学のオープンキャンパスでも女子高校生の姿は増え,高校1年生や2年生の顔も多くなりました。しかし,本学経済学部の女子比率は,未だ1割です。女子生徒がちゃんと大学を値踏みしてくれているのであれば,本学経済学部にはもっとたくさんの女子学生が集まってもいい筈なのになぁ~,と思うのは私だけでしょうか?

 エレベーターホールで4人組の男子高校生と立ち話をしました。高校2年生の彼らは,担任の先生に,オープンキャンパスに足を運んで,自分の目でしっかり大学を見てくるようにと指導されたそうです。オープンキャンパス参加は,既に高校の生徒指導の一環です。このイベントが始まったのはわずか10年前ですが,今や大学の年中行事の一つに定着し,高校側もそれを所与として対応する時代です。

 そうだとすれば,これをさらに大学広報の絶好のチャンスとして活用することが求められるように思います。そこで提案。オープンキャンパスが実際の大学紹介の機会であるのだとすれば,入試・教務・就職・奨学金・留学といった学校側の説明だけでなく,学生たちの活動(クラブやサークル,イベント,ボランティア等)も紹介メニューに加えたらどうでしょうか。豊かな学生生活の実像に触れて貰うのです。

 数年前,ある会合で一緒になった早稲田大学の先生に,早稲田のオープンキャンパスでは5万人強が来場するということを伺いました。これはほぼ,同大学の在校生の数です。現在はもっと多くの高校生が集まっているのかもしれません。本学のオープンキャンパスも,集客力として在校生の数並み(5,300人)を期待したいところです。来年には,そうなるかなぁ~。楽しみです。

 今週末の7月30日(土),31日(日)は,瀬戸キャンパスでオープンキャンパスが行われ,8月27日(土)には,再度,名古屋キャンパスでそれが催されます。関係者の皆様のご協力をお願いすると同時に,興味関心のある高校生とご父母の皆様の多数のご来場をお待ちしています。

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