目的と日程
2016年1月21日(木)から1月28日(木)の8日間,外国語学部のモロー教授とともに米国に出張しました。目的は名古屋学院大学と国際交流や交換留学制度の協定を結んでいる協定校を訪問し,これまでの協力支援に感謝を述べるとともに,将来に向けた相互の事業強化を図るためです。
具体的な訪問先は,①Pacific University(オレゴン州ポートランド近郊),②North Central College(イリノイ州シカゴ近郊,Naperville市)そして③Coe College(アイオワ州Cedar Rapids市)の3大学です。いずれも,現在,本学の学生を交換留学生として受け入れ,同時に名古屋学院大学へ彼らの学生たちを派遣している大学です。名古屋学院大学が国際交流協定を結んでいる大学の数は,世界に85ほどありますが,その中でもこれら3つの大学との関係は歴史も長く強い絆で結ばれているといって良いでしょう。
出張の日程は次の通りです。初日の1月21日(木)に中部国際空港から羽田経由でサンフランシスコに向かい,そのまま飛行機を乗り継いでオレゴン州ポートランドへ向かう。そこで投宿。翌1月22日(金)にPacific Universityを訪問し,土曜・日曜にシカゴへの移動。1月25日(月)にNorth Central Collegeを訪問。翌1月26日(火)は午前中にシカゴからシーダーラピッズに飛び,午後にCoe Collegeを訪ねる。そして1月27日(水),早朝の飛行機でシーダーラピッズを離れ,テキサス州のダラスフォートワース空港から成田そして名古屋と乗り継いで,1月28日(木)の夜19:45に中部国際空港に帰還。寒い冬に,わざわざ寒い場所を選んだような出張です。
協定大学の印象
(1)Pacific University
Pacific Universityが位置するオレゴン州は,1年の半分は雨が降っている,と言われる地域です。訪問当日は名古屋よりも温かく,雨も降らず,それどころか太陽も顔を見せていて快適な気候でした。広大で,緑溢れるキャンパスは,芝生は青々としているし,樹齢2000年と言われるメタセコイアの大木も生息。その幹や枝はびっしりと苔に覆われています。毎日オゾン浴をしながら学ぶ空間です(これは瀬戸キャンパスと同じか)。アメリカの田舎町にある大学の例にもれず,街全体が大学,大学が街そのものという印象です。普通の民家かと思しき建物が大学の一つの施設であったりして,ヘェ~と驚かされました。
学生のほぼ全員がキャンパス内の学生寮で居住し,図書館や大学施設ほぼ24時間利用可能な状態です。俗世間と隔絶した学習空間は,日本人留学生にとって最初のカルチャーショックであるかもしれません。
留学生受け入れや送り出し業務を行っているスタッフの中に,印象深い日本人のAtsukoさんが居ました。表情豊かで明るく快活。テキパキとかつ親身になって留学生の生活・学習全般の支援をしている彼女を,本学からの留学生も「大変良くして貰っている」と評していました。感謝。
(2)North Central College
North Central College(NCC)はイリノイ州シカゴから電車で40分のNaperville市にあります。Naperville市はシカゴ郊外にありながら,安全なベッドタウンとされ,人口増加を続けています。しかし大陸内部にある街ですから,寒いときには零下20度にもなるそうです。訪問当日はそれほどの寒さではありませんでしたが,道路脇には雪が残り,キャンパスツアーの途中にも雪が舞っていました。
ここでも,国際交流を担当するスタッフの皆さんからとても丁寧なおもてなしを受けました。中でも,国際プログラムのディレクターをしているキンバリー女史には驚嘆させられました。なんと彼女は,3人目の子供の出産を1週刊後に控え,前に大きくそり出たお腹を抱えながら,私たちに半日付き合ってくれたのです。雪が残る歩道を,私たちよりも速く歩いていました。この逞しい女性に深く感謝。
NCCでは学長,副学長とも面談する機会がありました。3,000を越える大学がひしめくアメリカにあって,大学間競争は厳しい。大学改革と新機軸の構築が急務であることなどが語られ,事情は日本と同じかなぁと感じたものです。キャンパス内には新しいセンターの建設工事が進められていました。アメリカの大学にあって学長がなすべき第一の仕事は,こうした新事業を進めるための寄付金集めである,と明言されていたことが印象的です。
(3)Coe College
アイオワ州Cedar Rapidsはシカゴから飛行機で約1時間のところにあります。このあたりは麦とトウモロコシの産地で,朝食に使われるシリアルで有名な食品会社「クウェーカー・オーツ」の基幹工場があり,その大きな看板が目にとまります。
飛行機を降りると辺り一面が銀世界。今回の訪問先の中では最も寒い場所であり,最も寒いタイミングとなりました。空港まで出迎えてくれた国際プログラム・ディレクターのアン・ドレクサーさんは,毎年のように名古屋学院大学を訪問してくれているので,私自身も顔なじみです。キャンパスまでの運転はお母さんのバーバラさん。この方も,本学とCoe大学との交換留学プログラムを長きにわたり支えてくれた功労者です。ほんわか温かい時間が持てました。
しかし,キャンパス内は雪で覆われ,雪と風の中を進むキャンパスツアーは苦役に近いものがありました。感心したのはキャンパス内の室内運動場です。四季や天候に関係なく利用できるように,大規模倉庫とも思しき巨大構築物の中に陸上トラックやテニスコートが入っているのです。雪景色の戸外から窓を通して見える室内温水プールでは,外の寒さに関係なく,何人かの学生たちが悠々と泳いでいました。キャンパス内は,地中に埋められたパイプを通じて温水や蒸気が供給され,それが面としての暖房を担っているということです。流石,エネルギー費用の安いアメリカです。
Coe大学からは夕食会へのお招きを受けていたのですが,モロー先生は参加し,私は欠席しました。私はというと,日本を出る前に罹った風邪が日ごとに悪化し,Coe大学訪問の日には,咳や鼻水だけでなく,ほとんど声も出ない状態だったのです。この状態を英語で言うと「I lost my voice.」。一つ学習しました。モロー先生によればディナーは美味で楽しい時間であったそうです。残念!
NGU留学生たちの様子
今回3つの大学を訪問し,現在本学から派遣されている学生5名と,本学に留学し既に帰国しているアメリカ人学生3名,合わせて8名の学生たちと面談する機会がありました。
本学からの学生たちは,皆,元気でそれぞれの留学生活を楽しんでいました。もちろん,淋しさを感じる時,不満に思うこと,思うようにいかないストレス,そんな話も口に出ました。しかし,総じてアメリカの大学生活に積極的に取組んでいる姿勢を感じさせてくれました。異国で不安やストレスを感じながらも,逞しく学ぶ本学の学生たちの姿を目の当たりにすると,彼ら彼女らへの愛しさが募ります。健気に頑張る幼子を見るようで,不思議と目頭が熱くなるのです。
中には,学部の正規授業を3科目履修していて,その予習に毎回4時間かけていく,こんなに勉強したのは生まれて初めてだ,と吐露する学生もいました。その努力や経験は決して無駄にならない,将来の糧だ,と私。一生懸命にやっている姿,頑張っている姿は,本当に美しい。見る者を楽しくしてくれますね。
一方,名古屋学院大学に留学経験を持つアメリカ人学生たちは,一様に「NGU(Nagoya Gakuin University)の経験は貴重なものであった,NGUの国際センターのスタッフが親切でとても世話になった,楽しかった,名古屋にもう一度いきたい」と語っています。そして,JETプログラム(注)を利用して日本で1年以上生活したい,と言います。その内の一人は,既に日本領事館での面接試験も終えて,合格発表を待つばかりとのことです。再会の日は近い。
今回の協定校訪問では,どの大学でも私達をとても温かく迎えてくれました。それは,訪問校が比較的本学と強い関係を維持している大学であるということも関係しているのでしょう。しかし,「おもてなし」は日本固有のものではなく,形を変えこそすれどこにでもある,そんな印象も持ちました。今後もこの良好な関係を維持していきたいと思います。
(注)JETプログラム:The Japan Exchange and Teaching Program。外国語の指導助手(ALT)などを行う外国青年を招聘する日本政府の事業のこと。
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