「授業」と一致するもの

 4月は多くの授業が終わりに差し掛かってきました。ライティングの授業では、最後の大きな宿題であるQuestionnaireを完成させました。テーマは自由で、毎日行くほどスターバックスが好きだったので、スターバックスでコップに名前を書かれるのが好きか、それとも番号かというテーマにし、最高点をもらいました。


 また、これまで取り組んできた宿題を授業以外の人にも見てもらうということで、Brochure, Case studyQuestionnaireでショーケースに参加しました。何よりも嬉しかったのが、宿題で取り組んできた私の大好きなよさこいが、アメリカ人にもっと知ってもらえる機会を持つことができたことです。


 スピーキングの授業では、ファイナルのための最後のプレゼンテーションに取り組みました。テーマは、この一学期で改善した英語スキルで、三部構成の最後のパートでは、もし自分が先生だったらという設定で、実際に考えたアクティビティをプレゼン中に皆とするというものでした。この一学期で改善した英語スキルについて深く考える機会がなかったので、そのことについて考える良い経験になりました。


 中国語の授業では相変わらず、楽しく友達と授業を受け、クラスメートがイベントを開くということで、私は書道をやりました。また、同じ大学からの留学生と先輩と共に、中国の有名な曲である茉莉花を一緒に歌いました。とても恥ずかしかったです。中国の凧も皆と広場であげました。子どもに戻ったようで、アメリカでは日本でやりそうなのにやってこなかったことを色々体験し、とても良い経験になりました。


 映画の授業では、最後の映画としてカルト映画を見たのですが、最後には生徒皆でスタンディングオベーションをするという前代未聞のことが起こりました。


 授業以外のことだと、スターバックスで三日間限定のユニコーンフラペチーノというものが発売されました。ピンクと青色という、とても独特な色味で、長蛇の列ができていたので私も試しに買ってみました。凄く酸っぱくて、凄くまずくて、半分も飲まないぐらいで捨ててしまいました。


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 4月の最後の金曜日には、二学期間入っていたグローバルビレッジの最後のイベントがありました。皆でアイスクリームを食べにダウンタウンに行くというものでした。その日までは自分がもうすぐ帰るという実感がなかったのですが、同じイベントに参加をしていた私よりも先に日本に帰る留学生を見るたびに、次帰るのは私なのかと実感し、そのイベント中は笑顔がなく、最後のイベントなのに全然楽しめなく終わってしまいました。


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 同日、ジャパニーズクラブで仲良くなった人の家でパーティーがあったので参加しました。最初の方はすごく楽しかったのですが、徐々に皆帰っていき、そのたびに悲しさでいっぱいになりました。自分の寮に戻り、早めに片付けようと思って冬物の服をまとめていたら、ルームメイトが「大丈夫?皆まみのことが大好きだよ。」と声をかけてくれ、部屋を去っていきました。その瞬間涙があふれ、とても悲しい気持ちになりました。本当に良い友達ができたのだなと実感しました。残りの一週間は、皆と長く一緒に入れたらなと思います。



 4月は多くの授業が終わりに差し掛かってきました。ライティングの授業では、最後の大きな宿題であるQuestionnaireを完成させました。テーマは自由で、毎日行くほどスターバックスが好きだったので、スターバックスでコップに名前を書かれるのが好きか、それとも番号かというテーマにし、最高点をもらいました。


 また、これまで取り組んできた宿題を授業以外の人にも見てもらうということで、Brochure, Case studyQuestionnaireでショーケースに参加しました。何よりも嬉しかったのが、宿題で取り組んできた私の大好きなよさこいが、アメリカ人にもっと知ってもらえる機会を持つことができたことです。


 スピーキングの授業では、ファイナルのための最後のプレゼンテーションに取り組みました。テーマは、この一学期で改善した英語スキルで、三部構成の最後のパートでは、もし自分が先生だったらという設定で、実際に考えたアクティビティをプレゼン中に皆とするというものでした。この一学期で改善した英語スキルについて深く考える機会がなかったので、そのことについて考える良い経験になりました。


 中国語の授業では相変わらず、楽しく友達と授業を受け、クラスメートがイベントを開くということで、私は書道をやりました。また、同じ大学からの留学生と先輩と共に、中国の有名な曲である茉莉花を一緒に歌いました。とても恥ずかしかったです。中国の凧も皆と広場であげました。子どもに戻ったようで、アメリカでは日本でやりそうなのにやってこなかったことを色々体験し、とても良い経験になりました。


 映画の授業では、最後の映画としてカルト映画を見たのですが、最後には生徒皆でスタンディングオベーションをするという前代未聞のことが起こりました。


 授業以外のことだと、スターバックスで三日間限定のユニコーンフラペチーノというものが発売されました。ピンクと青色という、とても独特な色味で、長蛇の列ができていたので私も試しに買ってみました。凄く酸っぱくて、凄くまずくて、半分も飲まないぐらいで捨ててしまいました。


積真美041.jpg

 4月の最後の金曜日には、二学期間入っていたグローバルビレッジの最後のイベントがありました。皆でアイスクリームを食べにダウンタウンに行くというものでした。その日までは自分がもうすぐ帰るという実感がなかったのですが、同じイベントに参加をしていた私よりも先に日本に帰る留学生を見るたびに、次帰るのは私なのかと実感し、そのイベント中は笑顔がなく、最後のイベントなのに全然楽しめなく終わってしまいました。


積真美052.jpg

 同日、ジャパニーズクラブで仲良くなった人の家でパーティーがあったので参加しました。最初の方はすごく楽しかったのですが、徐々に皆帰っていき、そのたびに悲しさでいっぱいになりました。自分の寮に戻り、早めに片付けようと思って冬物の服をまとめていたら、ルームメイトが「大丈夫?皆まみのことが大好きだよ。」と声をかけてくれ、部屋を去っていきました。その瞬間涙があふれ、とても悲しい気持ちになりました。本当に良い友達ができたのだなと実感しました。残りの一週間は、皆と長く一緒に入れたらなと思います。



~小説教室~

 

どうも、メガネを外して見たら「小説教室」が「小室哲也」に見えた伊藤です。


さて、本学に在学されている方の中には小説が好きな方がいらっしゃると思います。

しかしひとえに「好き」と言っても

読むのが好きな方。

書くのが好きな方。

...大きく分けても二つほどに分類は分かれるでしょう。

前者である「読むのが好きな方」には是非とも

学術情報センター3階図書館にお越しいただければと思います。

 

......と、言うことで今回は「書くのが好きな方」へ向けて本をご紹介をしたいと思います。

私がオススメするのはこちらの一冊

実践小説教室:伝える揺さぶる基本メゾット』です。





その名の通り、小説の書き方を記した一冊となっております。

とはいえ中身は文法等の固い内容ではなく、

自分の思い描くものをどう伝えるか、形にするか。

そういったことを書き記した読みやすい一冊となっております。

 

小説を書くのが好きな方は本学にも在籍しているかと思われますが、

気恥ずかしさもあってか、あまりそのことを周囲に伝えている方はいないと思います。

そして小中高、そして大学でも小説の書き方を教える授業や講義は殆どありません。

ですので「小説を書いているor書きたいけど......」という方は是非、こちらの一冊を

学術情報センター3階で借りられてはいかがでしょうか。 



学術情報センター学生サポーター:伊藤

 インドネシアに来て8ヶ月が経ちました。4月は毎日停電が1日1回は起きています。停電が起きると、自分はインドネシアという発展途上国にいるのだと改めて感じさせられます。寮にいる間、もし停電になれば寝るしかありません。慣れた今はもう「またか。3時間後ぐらいに戻るかな」と思うぐらいです。夜停電なら寝る、携帯やパソコンは常に充電をしておく、などと臨機応変に対応できるようにしていたので、特に困ったことはありません。

 ですが、陽が出ている明るい日中の停電には困らされました。その時、文化社会基礎の授業に参加をしており、日本についてプレゼン発表する時、パワーポイントを使用できなかったためです。写真を見せながら発表した方が分かりやすいと思い、パワーポイントでのたくさんの写真を使ってプレゼンの資料を作っていました。停電がこの授業に影響するとは思ってもいなかったので、少しパニックになりながらも何とかプレゼンを終わらせました。タイミングが悪かったのは仕方がないですが、写真に頼っていた部分があったので、不十分なインドネシア語だけの説明となってしまい、心残りができてしまいました。それでも、先生もクラスメイトも一生懸命私のプレゼンに耳を傾けてくれました。 

 行政村落管理の授業が遅れること、4月に始まりました。しかし、初回の授業で教室がどこか分らず、キャンパス内をさまよっていて遅刻をしました。教室に入ると、先生が他の学生に「どこの国の人?」と聞いているのが聞こえました。初めての留学生受け入れだからか、アルムスリム大学側が私が履修した授業を各先生にまったく知らせていなかったのか、先生も戸惑っていました。「自分から説明しなければ」と思いましたが、このクラスには一緒に経済の授業を履修している学生が多く居たので、彼女たちが説明してくれました。そして、私が日本人だと分かると、先生が知ってる日本語を話して授業が盛り上がりました。その後、この授業では、授業内容と関係なくても、日本と関わりのあることをしばしば先生が話してくれます。

 例えば、原爆についてインドネシア人は皆、「広島・長崎」の地名を知っています。知っている内容が戦争であろうが、アニメや食べ物であろうが、日本のことについて知ってくれてるのが嬉しかったです。反対に私は、インドネシアに初めて来る前は、正直バリ島、ジャカルタ、スマトラ島といえばスマトラ沖地震ぐらいの知識しかありませんでした。この報告書や毎月大学の方で掲載されているブログを通して、少しでも多くの日本人の人にインドネシアを知って欲しいと思いました。 

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 留学生活も残り3ヶ月となり、遅ればせながらアルムスリム大学の方で日本語クラブをつくりました。北スマトラ大学の日本語学科を卒業したばかりのアユさんと私が、週2日、14時から17時ぐらいまで日本語を教えています。今はまだ5人しか参加者は居ませんが、ひらがなや簡単な挨拶からスタートしました。アルムスリム大学には日本語学科はありませんが、名古屋学院大学に留学にできるチャンスがあるので、このクラブを通して日本に興味を持ってもらえれば嬉しいです。 

 更に今月は、インドネシアに来て初めて、アチェ州以外の場所に出かけました。アユさんが日本語を勉強していた北スマトラ大学がある、北スマトラ州メダンに行きました。アユさんが4月27日から3日間開かれていた日本語学科生の学祭、その名も日本語の「BUNKASAI」に誘ってくれたからです。日本領事館もあるメダンは、スマトラ島で最大の都市であり、インドネシアで第4番目に人口が多い都市です。ムスリムだけでなく、インドネシア人でもクリスチャンの人や多くの中華系の人々が住んでいます。アチェ州、特に私が住んでいるマタンでは、私が一歩外を歩くと、ジルバブを被っていない私をすれ違う人皆が見てきます。しかし、メダンで全く見られてると思うことがありませんでした。小さなことと思われるかもしれませんが、8ヶ月アチェで過ごしてきた私にとっては、同じインドネシアでもこんなにも世界が違うのかと驚きました。

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 マタンでの移動はバイクが多く、信号もありますが(1つや2つぐらい)あってもないようなものです。メダンでは車ばかりで、渋滞がひどかったです。大きなショッピングモールもたくさんあり、日本食レストランもありました。お寿司にも感動しましたが、日本のラーメン屋に豚肉がありました。アチェではムスリムがほとんどなので、豚肉が全くありません(イスラムでは豚肉は禁じられているため)。お店ではハラール(イスラム法で認められているもの)のメニュー、つまり豚肉やお酒を使用していない、ムスリムが安心して食べれるものもありましたが、ハラール商品と非ハラール商品のキッッチンが同じということで、ムスリムの友達はお店に入りませんでした。ハラールの商品があっても、非ハラールを扱うのと同じキッチンでは、ムスリムは安心してお店に入ることもできないということを初めて目の当たりにしました。


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 目的であった北スマトラ大学には、日本語学科があり、現在日本人の先生は居ないらしいのですが、お餅つき大会やコスプレ大会が開かれていたり、日本の食べ物を売っていたり、浴衣の着付け体験ができたり、本格的な日本満載の学祭でした。

 歩いていると「すみません〜、すみません〜」と後ろから聞こえたので振り返ると、満面の笑みで、「日本人ですか?!」と女子高生に話しかけられました。学校の課題で、この学祭で日本人を探して日本語でインタビューをしてくるという課題があったそうです。なので日本語で「すみません」と言いながら歩いていたと聞き、すごく良い探し方だなと感心しまいました。そして何より、大学生だけでなく、彼女のように日本語を勉強している高校生も学際に参加をして、日本を知ろうとしてくれているということは、嬉しいことでした。 

 学祭当日は、SNSを通じて知りあった日本人の方が紹介してくれた方が、学祭を案内してくれました。残念ながらSNSで知りあった日本人の方はちょうど日本に帰国中ということで、会うことはできませんでした。しかし、その方が開いているメダンお掃除クラブという団体のブースで、1人の日本人学生の方に会いました。インドネシアに来て初めて、日本の方に会えたのと、その方も私と同じく日本人がいない大学で留学生活を送っているということで意気投合しました。彼はインドネシア政府の奨学金制度を利用しメダンの大学に通っているそうです。お互いにどういった経緯で今インドネシアに居るのか、話しているうちにあっという間に時間が来てしまいました。

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 初めて会ったのに「同じスマトラ島の場所は違っても、日本人1人で頑張っている人が居るんだな」と思うと、今まであった孤独感がなくなりました。初めてインドネシアで会った日本人の方に、とても良い刺激をもらい、今まで自信がないとばかり思い込んでいた自分に、少しは自信が持てるようになりました。バスでの移動に10時間かかり、「次メダンに来る機会はいつのことかな」と思っていましたが、帰りのバスでは留学中にもう一度行ってみようと思いました。 インドネシアで過ごすのもあと2ヶ月。断食月が最後の異文化体験となるので楽しみです。
 インドネシアに来て8ヶ月が経ちました。4月は毎日停電が1日1回は起きています。停電が起きると、自分はインドネシアという発展途上国にいるのだと改めて感じさせられます。寮にいる間、もし停電になれば寝るしかありません。慣れた今はもう「またか。3時間後ぐらいに戻るかな」と思うぐらいです。夜停電なら寝る、携帯やパソコンは常に充電をしておく、などと臨機応変に対応できるようにしていたので、特に困ったことはありません。

 ですが、陽が出ている明るい日中の停電には困らされました。その時、文化社会基礎の授業に参加をしており、日本についてプレゼン発表する時、パワーポイントを使用できなかったためです。写真を見せながら発表した方が分かりやすいと思い、パワーポイントでのたくさんの写真を使ってプレゼンの資料を作っていました。停電がこの授業に影響するとは思ってもいなかったので、少しパニックになりながらも何とかプレゼンを終わらせました。タイミングが悪かったのは仕方がないですが、写真に頼っていた部分があったので、不十分なインドネシア語だけの説明となってしまい、心残りができてしまいました。それでも、先生もクラスメイトも一生懸命私のプレゼンに耳を傾けてくれました。 

 行政村落管理の授業が遅れること、4月に始まりました。しかし、初回の授業で教室がどこか分らず、キャンパス内をさまよっていて遅刻をしました。教室に入ると、先生が他の学生に「どこの国の人?」と聞いているのが聞こえました。初めての留学生受け入れだからか、アルムスリム大学側が私が履修した授業を各先生にまったく知らせていなかったのか、先生も戸惑っていました。「自分から説明しなければ」と思いましたが、このクラスには一緒に経済の授業を履修している学生が多く居たので、彼女たちが説明してくれました。そして、私が日本人だと分かると、先生が知ってる日本語を話して授業が盛り上がりました。その後、この授業では、授業内容と関係なくても、日本と関わりのあることをしばしば先生が話してくれます。

 例えば、原爆についてインドネシア人は皆、「広島・長崎」の地名を知っています。知っている内容が戦争であろうが、アニメや食べ物であろうが、日本のことについて知ってくれてるのが嬉しかったです。反対に私は、インドネシアに初めて来る前は、正直バリ島、ジャカルタ、スマトラ島といえばスマトラ沖地震ぐらいの知識しかありませんでした。この報告書や毎月大学の方で掲載されているブログを通して、少しでも多くの日本人の人にインドネシアを知って欲しいと思いました。 

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 留学生活も残り3ヶ月となり、遅ればせながらアルムスリム大学の方で日本語クラブをつくりました。北スマトラ大学の日本語学科を卒業したばかりのアユさんと私が、週2日、14時から17時ぐらいまで日本語を教えています。今はまだ5人しか参加者は居ませんが、ひらがなや簡単な挨拶からスタートしました。アルムスリム大学には日本語学科はありませんが、名古屋学院大学に留学にできるチャンスがあるので、このクラブを通して日本に興味を持ってもらえれば嬉しいです。 

 更に今月は、インドネシアに来て初めて、アチェ州以外の場所に出かけました。アユさんが日本語を勉強していた北スマトラ大学がある、北スマトラ州メダンに行きました。アユさんが4月27日から3日間開かれていた日本語学科生の学祭、その名も日本語の「BUNKASAI」に誘ってくれたからです。日本領事館もあるメダンは、スマトラ島で最大の都市であり、インドネシアで第4番目に人口が多い都市です。ムスリムだけでなく、インドネシア人でもクリスチャンの人や多くの中華系の人々が住んでいます。アチェ州、特に私が住んでいるマタンでは、私が一歩外を歩くと、ジルバブを被っていない私をすれ違う人皆が見てきます。しかし、メダンで全く見られてると思うことがありませんでした。小さなことと思われるかもしれませんが、8ヶ月アチェで過ごしてきた私にとっては、同じインドネシアでもこんなにも世界が違うのかと驚きました。

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 マタンでの移動はバイクが多く、信号もありますが(1つや2つぐらい)あってもないようなものです。メダンでは車ばかりで、渋滞がひどかったです。大きなショッピングモールもたくさんあり、日本食レストランもありました。お寿司にも感動しましたが、日本のラーメン屋に豚肉がありました。アチェではムスリムがほとんどなので、豚肉が全くありません(イスラムでは豚肉は禁じられているため)。お店ではハラール(イスラム法で認められているもの)のメニュー、つまり豚肉やお酒を使用していない、ムスリムが安心して食べれるものもありましたが、ハラール商品と非ハラール商品のキッッチンが同じということで、ムスリムの友達はお店に入りませんでした。ハラールの商品があっても、非ハラールを扱うのと同じキッチンでは、ムスリムは安心してお店に入ることもできないということを初めて目の当たりにしました。


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 目的であった北スマトラ大学には、日本語学科があり、現在日本人の先生は居ないらしいのですが、お餅つき大会やコスプレ大会が開かれていたり、日本の食べ物を売っていたり、浴衣の着付け体験ができたり、本格的な日本満載の学祭でした。

 歩いていると「すみません〜、すみません〜」と後ろから聞こえたので振り返ると、満面の笑みで、「日本人ですか?!」と女子高生に話しかけられました。学校の課題で、この学祭で日本人を探して日本語でインタビューをしてくるという課題があったそうです。なので日本語で「すみません」と言いながら歩いていたと聞き、すごく良い探し方だなと感心しまいました。そして何より、大学生だけでなく、彼女のように日本語を勉強している高校生も学際に参加をして、日本を知ろうとしてくれているということは、嬉しいことでした。 

 学祭当日は、SNSを通じて知りあった日本人の方が紹介してくれた方が、学祭を案内してくれました。残念ながらSNSで知りあった日本人の方はちょうど日本に帰国中ということで、会うことはできませんでした。しかし、その方が開いているメダンお掃除クラブという団体のブースで、1人の日本人学生の方に会いました。インドネシアに来て初めて、日本の方に会えたのと、その方も私と同じく日本人がいない大学で留学生活を送っているということで意気投合しました。彼はインドネシア政府の奨学金制度を利用しメダンの大学に通っているそうです。お互いにどういった経緯で今インドネシアに居るのか、話しているうちにあっという間に時間が来てしまいました。

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 初めて会ったのに「同じスマトラ島の場所は違っても、日本人1人で頑張っている人が居るんだな」と思うと、今まであった孤独感がなくなりました。初めてインドネシアで会った日本人の方に、とても良い刺激をもらい、今まで自信がないとばかり思い込んでいた自分に、少しは自信が持てるようになりました。バスでの移動に10時間かかり、「次メダンに来る機会はいつのことかな」と思っていましたが、帰りのバスでは留学中にもう一度行ってみようと思いました。 インドネシアで過ごすのもあと2ヶ月。断食月が最後の異文化体験となるので楽しみです。
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