「十字架」と一致するもの

十字架ってCool!

今日のチャペルアワーの告知です。

4月16日(火)13:00~13:30
@名古屋キャンパスしろとりチャペル

奨励題:「十字架ってCool!」
奨励者:草地大作(名古屋中央教会牧師)

※聖歌隊賛美あり

なんだか面白そうなタイトルですね!どんなお話か、気になるでしょ?

今日の13時~はぜひチャペルでお過ごしください!

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受難節 と 3.11

先週の水曜日から、キリスト教の暦では「受難節」という期間に入りました。

受難節というのは、他にも教派によって「四旬節」や「大斎節」など様々な呼び方があるのですが、今回は「受難節」という名称を使っておこうと思います。

「イースター」(イエス・キリストが死から復活されたことをお祝いする日)までの40余日、教会では、イエスの苦しみと十字架上での死を覚えつつ、悔い改めの心をもって過ごしていくこととなります。

受難節の期間は「紫色」がテーマカラーとなります。「紫」というのは、キリスト教では、高貴な色であるとともに、"回心"や"悔い改め"を表す色としても理解されており、この時期には祭服や会堂の飾りなど様々なところに用いられます。本学のチャペルの講壇掛けも、ご覧のとおり「紫」に変えておきました。

紫の講壇かけ.jpg

無実であったイエスが十字架上で処刑されたのは、人間の心の弱さの象徴であった...。キリスト教という宗教が「十字架」というものをシンボルとして掲げているのは、イエスの死と復活を覚えるのと同時に、人間と言う存在がいかに小さく弱いかを表しているとも言えるのかもしれません。悔い改めの期間である「受難節」の日々を、自らを省みる時として過ごせますように。


ところで、今日は3月11日。2011年の今日、この日本を「東日本大震災」という未曽有の出来事が襲いました。今日で8年が経過したことになります。

地震によって引き起こされた津波は、東北の街を次々に飲み込んでいき、車や建物と共に、たくさんの尊い命をさらっていきました。

避難生活を余儀なくされている方々は、昨年よりも2万人以上減り、5万4000人と発表されています。けれどもこれは、自主避難者の人数を計算に含めないようになったからであり、正確な数字とは言えません。

原子力発電所の事故により、東北の地は放射能によって汚染され、人が住めない環境に変えられました。現在、避難生活者の人々を中心にして、国と電力会社を相手取り損害賠償を求めて集団訴訟が行われています。なお、放射線量が高い地域に住んでいた人々の半数は、もう故郷には戻らない(戻りたくても戻れない)と考えているそうです。

いよいよ来年に開催される予定の「東京オリンピック」。これは元々、承知の段階から「復興五輪」という大きなテーマを掲げ、世界に声高に呼びかけたはずでした。けれども、今となっては「復興五輪」という言葉を見聞きすることはほとんどなくなってしまいました。東北の復興とオリンピックの開催は、いつから別々のものとして考えられるようになってしまったんでしょうか。「東京オリンピック」とは、一体何のために開催されるのでしょうか...。

地震や津波は、人間の力ではどうすることもできません。
けれども、その後に起こった「原発事故」などの"人災"は、(上記の集団訴訟で判決が下されているように)あらかじめ予知できたはずです。また、あのような恐ろしい事故を起こしてしまったにもかかわらず、各地の原子力発電所は、何事もなかったかのように次々に再稼働されていっています(2018年度には新たに5基が再稼働され、現在9基が運転を再開しています)。

「東日本大震災」という出来事自体、時間の経過と、また毎年のように起こる各地の災害により、徐々に人々の記憶から忘れ去られようとしています。けれども、避難生活者の方々や、この先何十年何百年も収束することがないであろう放射能汚染、東北の復興を後回しにしている国の現状を想うとき、「東日本大震災」は、今も継続して起こり続けている出来事であると言わざるを得ません。

回心と悔い改めの期間である「受難節」、そして9回目の3.11を迎えている今日この日、いま一度、人間の力の弱さを自覚しつつ、本当に神さまの御目に適う生き方を目指して、歩みを進めていく決意を新たにしたいと願います。

私たち一人一人の心の目が開かれますように。
そして何よりも、被災された人々、避難生活をされている人々、復興や支援のために力を注いでおられる人々の平安を心からお祈りしております。

キリ絵 de 大喜利 No.04

手の中で 片栗粉 を混ぜてみま~す。


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『手を洗うピラト』(1624~1625年)
作者:ヤン・リーフェンス(Jan Lievens、1607年10月24日~1674年6月4日)

ヤン・リーフェンスは、17世紀に活躍したオランダの画家。12歳から早くも一人前の画家として活動し、その若き才能は多くの人々から評価されていました。かの有名なレンブラント・ファン・レインと同世代で、1626年から約5年間、レンブラントと共に工房を構えていましたが、二人は1631年に別れ、レンブラントはアムステルダムに、リーフェンスはイングランドにそれぞれ拠点を移しました。(ソース元:Wikipedia)

本作に描かれている「ピラト」(本名:ポンティウス・ピラトゥス)という人物は、紀元後1世紀のローマ帝国のユダヤ駐在の5代目代官(在任:26~36年)で、イエス・キリストの処刑に深く関与した人物として知られています。作中でピラトが手を洗っているのは、ユダヤ人たちによる"イエス処刑"の要求について、自分はもうこれ以上関与しないという意思表明のためであり、当然、片栗粉と水を混ぜてスライムを作ろうとしているわけではありません。


以下、本作の題材となった聖書箇所。

ところで、祭りの度に、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。時に、バラバ・イエスと言う名うての囚人がいた。ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアと言われるイエスか。」人々がイエスを引き渡したのは、妬みのためだと分かっていたからである。ピラトが裁判の席に着いているとき、その妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人に関わらないでください。その方のために私は今日、夢で非常に苦しみました。」しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。ピラトが、「では、メシアと言われているイエスのほうは、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったい、どんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは手の付けようがなく、かえって騒動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血は、我々と我々の子らの上にかかってもいい。」そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。(新約聖書 マタイによる福音書 27章15~26節)※聖書協会共同訳

続・イエスはなぜ泣いたのか!?

~前回までの内容~

・聖書の中で最も短い一節は「イエスは涙を流された。」(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)
・イエスにはラザロという知人がいたが、ある時、彼が病気であることがイエスに伝えられた。
・イエス一行がラザロのもとに到着したときには既に彼は亡くなって4日が経っていた。
・しかしイエスは出発する前からラザロが死んだことに気付いていた。
・このあとイエスは墓に眠るラザロを奇跡によって「復活」させる。
・でも人を甦らせる力があるなら、どうして「涙を流された」のか?

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『Jesus Wept』(イエスは涙を流された)1886~1896年
作者:ジェームズ・ティソ
(本名:ジャック=ジョゼフ・ティソ、1836年10月15日~1902年8月8日、フランス)



さて、3回にわたってご紹介してきた聖書の言葉「「イエスは涙を流された」についてですが、今回で最終回にしたいと思います!笑
人を甦らせることができるにもかかわらず(にわかには信じがたい話ですが...)、なぜイエスはラザロの死を想って涙を流したのか? 皆さんはどう思われるでしょうか。


そのことを考える前に、主に二つのことを確認しておかなければいけません。

一つは、「人々は、イエスに関していろんなイメージを持ってきた」ということ。
イエスという人物については、彼が生きていた時から、人々の間で様々な見方がなされてきました。めちゃくちゃ頭が切れる"普通の人間"として見る人もいましたが、一方で、神的な力を持った"超人"「神の子」として見ている人たちもいました。そのようなイメージは、イエスの死後、イエスのことを直接知らない人々もいるコミュニティの間で膨張していき、もはや実際のイエスがどんな存在だったのか分からないぐらいになっていったと考えられます。

もう一つは、「『福音書』には、いろんな"イエス像"が描かれている」ということ。
イエスについて書かれている書物を『福音書』と呼ぶのですが、それらの書物はイエスが十字架につけられて死んでから30年もの時を経てようやく成立しました。しかも福音書の作者はいずれも"生前のイエス"と出会っていないと言われています。なので、彼ら福音書の著者たちは、イエスに関する様々な資料(人々の間で広く共有されている情報から単なるうわさ話まで)をかき集めて、それぞれの福音書を完成させたのです。


では、以上の2点を踏まえつつ、「イエスは涙を流された」(ヨハネ11:35前後)を見てみたいと思います。

前回述べたとおり、何と言ってもイエスは人を甦らせる力を持っています!(ババーン)

・・・まぁ、それが真実かどうかはさておき、「人を甦らせることができる」というのは、先ほどの話にもありましたが、イエスに対する「超人的なイメージ」の典型例ですよね。そんなこと普通の人間はできませんから(というか誰にもできない...)。人々の間では、イエスがどんな人間だったかということよりも、イエスがどんなことをしたかという情報の方が多く共有されていたのだろうと思います。偉人に関する話というのは大抵そうですよね。その人の"人間性"よりも、その人が残した"功績"などの方が伝えられていくものです。

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『ラザロの復活』1514~1519年
作者:フアン・デ・フランデス(1465~1519年、フランドル)


この福音書を書いた「ヨハネ」という人も、独自の取材で様々なイエスに関する情報を各地から収集したのだろうと思います。しかし、著者ヨハネさんが偉いのは、たくさん存在するイエスの奇跡物語や偉人伝説だけではなく、その中に埋もれてしまっている "人間としてのイエス"の姿 もなんとかして福音書の中に書き残そうとしたところなんですね。

そのため、この「ラザロの死と復活」の物語に登場するイエスには、矛盾ともとれる二つのキャラクターを見ることができます。一つは、超人としてのイエス。もう一つは、普通の人間としてのイエスです。

お墓に向かう際、そのあと彼のことを甦らせることになるとは言え、そこに眠るのは、心から愛していた友人ラザロ。そのことを思うと、どうしてもこみ上げてくる感情を抑えることができず、つい涙を流してしまったのでしょう。聖書の読者は、そこにこそ、イエスの本当の愛を感じ取ることができます。ラザロの姉妹や仲間たちが、彼の死を悼んで泣いている。そのそばで、イエスもまた、共に涙を流された・・・。喜びも悲しみも、一緒に共有してくださるお方だからこそ、キリスト教の信者たちはイエスという人に対して信頼を置き、共に人生を歩んでくださるよう願うのかもしれません。

ちなみに、アメリカのオクラホマシティには『And Jesus Wept』(イエスは涙を流された)と題された像が建てられています。1995年に起こった「オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件」で亡くなった168名の方々を覚えて設置された、非常に珍しい姿をしているイエスの像です。まさに「泣く者と共に泣いてくださる」(ローマの信徒への手紙12章15節)イエス・キリストに対する人々の信頼がそこには表されています。
https://www.encirclephotos.com/image/and-jesus-wept-memorial-to-oklahoma-city-bombing-in-oklahoma-city-oklahoma/(英文)


というわけで、長々と書いてまいりましたが・・・
「聖書の中で最も短い一節」の中に秘められた、説明し出すとキリがないほどの"奥深さ"について、
皆さん、お楽しみいただけたでしょうか??笑

次回からは、再び単発の記事を投稿していきますので、また読んでくださいね~。それでは!

キリ絵 de 大喜利 No.03

(なんでトイレットペーパーにはシングルとダブルがあるんやろ・・・)

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『預言者 ヨエル』(1508~1512)

作者:ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(1475~1564)


ヨエルは、十二小預言者と呼ばれる旧約聖書の預言者の一人。彼の残した預言は『ヨエル書』として旧約聖書に収録されています。預言の中心テーマは、神の裁きが敵国や神に逆らう者たちにもたらされ、神の民には救いが与えられるとされる、いわゆる「主の日」について。たった4章しかない短い預言書なので、簡単に読むことができます。

作者は、かの有名な芸術家であるミケランジェロ。西洋美術史上、あらゆる分野に大きな影響を与えたイタリアの彫刻家、画家、建築家、詩人です。彫刻作品としては、十字架上で息を引き取ったイエスを母マリアが抱く姿をかたどった『ピエタ』や、イスラエルの王『ダビデ像』などが良く知られています(どちらも20代の時に制作!)。また、2つのフレスコ画『システィーナ礼拝堂天井画』と『最後の審判』は見る者を圧倒します。

R&E Week前半のイベントのご報告

R&E Week前半のイベントが終了しました。
月曜日は聖歌隊によるゴスペルを中心とした礼拝でした。

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伝統的な讃美歌とはまた違った賛美の声がチャペルに響きました。

本日は日本聖公会司祭のヨセフ 下原 太介先生をお招きして聖公会の礼拝の形式の中から「昼の祈り」による礼拝を執り行っていただきました。

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チャペルアワーの様子

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ヨセフ 下原 太介先生

十字架とろうそくを用意してくださり、雰囲気の違う礼拝になりました。
同じキリスト教だけれど見た目から違いを感じた学生さんもいたようです。
奨励の中で、違いがある、でも同じであるということを忘れてはいけないというメッセージに、R&E Weekのテーマである様々なキリスト教の在り方を体験し、その中にある"信仰の一致"を肌で感じる機会になりました。

R&E Week後半の行事は
11月1日(木)
12:40~13:10 (名古屋)  グレゴリイ 伊藤 慶郎 氏
(名古屋ハリストス正教会)
11月2日(金)
13:00~13:30(瀬戸)  ブー・カイン・トゥオン 氏
(カトリック多治見教会)
となります。
入場無料。学外の方も歓迎いたします。ぜひご家族やお知り合いの方をお誘いあわせの上お越しください。

クイズの答え合わせ

 クイズdeレント 第7問の答えは続きを読むからご覧ください。

2018夏 名古屋いりゃあせツアーも本日が最終日です。
ツアーの様子は名古屋YWCAさんのフェイスブックで随時発信されています。
https://www.facebook.com/nagoyaywca
ぜひご覧ください。


クイズdeレント 第7問(最終問題)

 クイズdeレント 最終問題の第7問です。

問題、これはなんと読むでしょう。

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ヒント:イエス・キリストが息をひきとった丘の名前ですよ。

クイズdeレント 第6問の答えは続きを読むからご覧ください。



クイズdeレント 第5問

なんだか今日は爽やかな夏!ですね。なんだかちょっと前の生きるエネルギーも蒸発するような暑さとは違って力が湧いてきますね。

それではクイズdeレント 第5問

さてこれはなんと読むでしょう?

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ヒント:ペトロが3回「イエスを知らない」と否定する場面に関係する生き物ですよ。

クイズdeレント 第4問の答えは続きを読むからご覧ください。



クイズの夏がきた!

さてさて、授業期間が終わりテスト期間になったので明日から恒例になりました、聖書クイズの連載を開始します。
クイズは2018年2月15日から連載した十字架への道のりシリーズからの出題です。
ぜひ予習復習してご参加ください!あ、正解しても目に見える報酬はなにも出ませんけどね。
ではお楽しみに。

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