「花」と一致するもの

 8月末からの留学生活がちょうど半年という区切りになりました。季節は変わらず平均5度くらいだと思います。


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 2月といえばバレンタインデーです。カナダの文化と日本の文化にはかなり違いがあり、日本では女性から男性にチョコを送るのが主流ですが、カナダでは男性から女性にバラを送るのが主流です。そのため、駅などではバラの花束を持った男性を見かけました。とてもロマンチックな習慣だなと思いました。ちなみにホワイトデーは日本だけの習慣です。 

 レベル6のクラスは中間地点で、リーディングの内容が漁獲量、自閉症そして発明についての話などで、専門用語がたくさん出てくるようになり、要約するのが日に日に大変になっています。

 最終のプレゼンテーションはペチャクチャプレゼンテーションと言って、スライドには写真だけで文字は必要最低限、そして本番では自動的に写真が切り替わり、ひたすら話し続けるというプレゼンテーションがありました。私たちのクラスのトピックは発明で、私は日本の新幹線について発表しました。話を聞いている限りでは難しくなさそうだと感じましたが、実際にやってみるとスライドを気にしてしまい、思うように言葉が出てこなくて難しかったです。私は日本語であっても人の前で話し続けること、話にアドリブのように自分の意見を加えて話すことは苦手で、英語はより緊張しうまくできなかったので、このレベルをパスできたか不安でしたが、何とかパスすることができました。

 次のレベル7では、ビジネス、ホスピタリティ、レギュラーコースからホスピタリティを選びました。ホスピタリティはレベル6からの延長線上のような感じで、リーディングの記事がよりホスピタリティの内容になり、ホテルマネージメント、ツーリスト、シェフ、ベイキングなどを学べます。私は名古屋学院大学でもホスピタリティの授業を取っていましたし、ホテルやツーリストなどに興味があるため、日本とのホスピタリティの違いを知ることができそうで、とても楽しみです。


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 そして、月曜は通常リスニングクラスのところを、Globalizationという本コースの人たちが取るクラスを登録しました。恐らく、レベル6の時より予想以上に難しく毎日が大変になると思います。しかしパスできるようにしたいと思います。 

 また、2月には学校のイベントで、私の趣味の1つでもあるスノーボードのトリップに参加しました。場所は、トロントで有名なブルー・マウンテンではなくビバーバレーでした。日本よりも雪質が良い印象を受けました。海外のスノーボードは滅多に体験できないので、良い経験になりました。

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  このタームで日本人はほとんどいなくなります。私は留学し始めの9月に日本人の多さに困惑していました。しかし今では、この6ヶ月間は日本人が居てくれて良かったと感じています。共に英語を習得しようと切磋琢磨し、日本語と英語の表現の仕方で困ったとき、日本人の存在はとても重要でした。英語力が伸びたのは、外国人と英語で会話することだけでなく日本人のお陰でもあります。なので残りの2ヶ月、今まで培った英語を活かして、まだまだ新しいことにチャレンジしていこうと思います。

 8月末からの留学生活がちょうど半年という区切りになりました。季節は変わらず平均5度くらいだと思います。


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 2月といえばバレンタインデーです。カナダの文化と日本の文化にはかなり違いがあり、日本では女性から男性にチョコを送るのが主流ですが、カナダでは男性から女性にバラを送るのが主流です。そのため、駅などではバラの花束を持った男性を見かけました。とてもロマンチックな習慣だなと思いました。ちなみにホワイトデーは日本だけの習慣です。 

 レベル6のクラスは中間地点で、リーディングの内容が漁獲量、自閉症そして発明についての話などで、専門用語がたくさん出てくるようになり、要約するのが日に日に大変になっています。

 最終のプレゼンテーションはペチャクチャプレゼンテーションと言って、スライドには写真だけで文字は必要最低限、そして本番では自動的に写真が切り替わり、ひたすら話し続けるというプレゼンテーションがありました。私たちのクラスのトピックは発明で、私は日本の新幹線について発表しました。話を聞いている限りでは難しくなさそうだと感じましたが、実際にやってみるとスライドを気にしてしまい、思うように言葉が出てこなくて難しかったです。私は日本語であっても人の前で話し続けること、話にアドリブのように自分の意見を加えて話すことは苦手で、英語はより緊張しうまくできなかったので、このレベルをパスできたか不安でしたが、何とかパスすることができました。

 次のレベル7では、ビジネス、ホスピタリティ、レギュラーコースからホスピタリティを選びました。ホスピタリティはレベル6からの延長線上のような感じで、リーディングの記事がよりホスピタリティの内容になり、ホテルマネージメント、ツーリスト、シェフ、ベイキングなどを学べます。私は名古屋学院大学でもホスピタリティの授業を取っていましたし、ホテルやツーリストなどに興味があるため、日本とのホスピタリティの違いを知ることができそうで、とても楽しみです。


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 そして、月曜は通常リスニングクラスのところを、Globalizationという本コースの人たちが取るクラスを登録しました。恐らく、レベル6の時より予想以上に難しく毎日が大変になると思います。しかしパスできるようにしたいと思います。 

 また、2月には学校のイベントで、私の趣味の1つでもあるスノーボードのトリップに参加しました。場所は、トロントで有名なブルー・マウンテンではなくビバーバレーでした。日本よりも雪質が良い印象を受けました。海外のスノーボードは滅多に体験できないので、良い経験になりました。

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  このタームで日本人はほとんどいなくなります。私は留学し始めの9月に日本人の多さに困惑していました。しかし今では、この6ヶ月間は日本人が居てくれて良かったと感じています。共に英語を習得しようと切磋琢磨し、日本語と英語の表現の仕方で困ったとき、日本人の存在はとても重要でした。英語力が伸びたのは、外国人と英語で会話することだけでなく日本人のお陰でもあります。なので残りの2ヶ月、今まで培った英語を活かして、まだまだ新しいことにチャレンジしていこうと思います。

ムラサキの花

 久しぶりに名古屋キャンパスチャペルの花の登場です。
紫のパンジーが満開です。花びらがフリフリしているものもあって、こんなのもあるんだーと驚きました。

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アセビ(馬酔木)も満開で、釣鐘のような小さな花がかわいいです。

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そして1月にレンテンローズ(クリスマスローズ)が咲きはじめました。と記事でも紹介したレンテンローズが満開です。

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花びらのように見える紫の部分はガクなので、これからゆっくりと紫色が退色して緑色になっていきます。アジサイの色の変化によく似ていますね。

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レントの時期にぴったりなムラサキ色の花でいろどられたチャペルになっています。

 1月8日から春学期が始まりました。今学期はESOLライティング、スピーキングの2つと、パブリックスピーキング、哲学、中国語、そして前回に引き続き、太鼓とグローバルビレッジを取りました。中国語の授業は本来は前学期から取っていないと履修できませんが、担当の先生に掛け合って登録をすることができました。おそらく、他の言語のクラスも同じようなシステムだと思います。 


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 私はGAMEという音楽サークルに所属し、日本のアニメの曲をコピーして発表をしています。ボーカル、ピアノ、トランペット、バイオリン、ギター、ベースを使ったアンサンブルのようなものです。1月の第二週末にコロンバスのオハイヨコンというアニメ・ゲームコンベーションで数曲演奏をし、私はギターを担当しました。オハイヨコンは3日間あり、木曜の昼に出発をして、金曜日から日曜日までの3日間、スタッフとしてイベントの運営を手伝いながら発表をしました。私はプレイステーション、X-BOXや、太鼓の達人などのアーケードゲームで無料で遊べるブースの見回りをしました。アルバイト代は出ませんでしたが、ホテル代とご飯代は無料でした。イベント中は、業務をして発表してオハイヨコンを見て楽しみ寝るというのを3日間繰り返し、疲れました。業務は3時間~5時間ぐらいで、初日はゲームに触ったらダメと言われていたのでずっと立ちっぱなしで辛かったですが、2日目からはお客さんが居ない時は遊んでも良いと許可が下り、ゲームブースを存分に楽しませていただきました。 


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 オハイヨコンに参加をした次の週に、新学期になって一回目のジャパニーズクラブがあり、お正月に関するプレゼンテーションをしました。クラブの方がおしるこを用意して下さり、アメリカでおしるこを食べることができました。おいしかったです。1月、2月は日本のイベントが多いので、プレゼンテーションが多くなりそうです。 今年は1月28日にアジアの新年、つまり旧暦の新年を祝うイベントがBGSUのシャッツルホールで行われました。中国語の授業を取っている人は皆、このイベントで、餃子作りのデモンストレーションや中国の音楽の演奏など、何かしらの出し物を披露しました。私はアコースティックギターで茉莉花という歌を弾き語りさせていただきました。他にも、切り絵、習字体験や、焼きそば、炒飯などの食べ物もありました。習字は小中学生以来やる機会がなく、当時は字が滲んだり、墨汁と水の分量が分らなかったりと、苦手意識を持っていましたが、アメリカに来てからジャパニーズクラブとチャイニーズクラブで習字を書く機会が多かったため、習字に対する抵抗が少しなくなってきました。特にジャパニーズクラブで習字をやったときに、アメリカ人が漢字の名前が欲しいと言っていたので、自分なりに考えて書いてみた結果、喜んでくれました。ダンさんに頭領と書いて"ドン"と読むという感じで、少し洒落みたいですが、漢字をあげました。 


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 今年のBGSUは雪がなかなか降らず、気温も例年より暖かいらしいです。しかし一度、50分の中国語のクラスを受講している間に、外が雪で真っ白になっていたのには驚かされました。


 1月8日から春学期が始まりました。今学期はESOLライティング、スピーキングの2つと、パブリックスピーキング、哲学、中国語、そして前回に引き続き、太鼓とグローバルビレッジを取りました。中国語の授業は本来は前学期から取っていないと履修できませんが、担当の先生に掛け合って登録をすることができました。おそらく、他の言語のクラスも同じようなシステムだと思います。 


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 私はGAMEという音楽サークルに所属し、日本のアニメの曲をコピーして発表をしています。ボーカル、ピアノ、トランペット、バイオリン、ギター、ベースを使ったアンサンブルのようなものです。1月の第二週末にコロンバスのオハイヨコンというアニメ・ゲームコンベーションで数曲演奏をし、私はギターを担当しました。オハイヨコンは3日間あり、木曜の昼に出発をして、金曜日から日曜日までの3日間、スタッフとしてイベントの運営を手伝いながら発表をしました。私はプレイステーション、X-BOXや、太鼓の達人などのアーケードゲームで無料で遊べるブースの見回りをしました。アルバイト代は出ませんでしたが、ホテル代とご飯代は無料でした。イベント中は、業務をして発表してオハイヨコンを見て楽しみ寝るというのを3日間繰り返し、疲れました。業務は3時間~5時間ぐらいで、初日はゲームに触ったらダメと言われていたのでずっと立ちっぱなしで辛かったですが、2日目からはお客さんが居ない時は遊んでも良いと許可が下り、ゲームブースを存分に楽しませていただきました。 


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 オハイヨコンに参加をした次の週に、新学期になって一回目のジャパニーズクラブがあり、お正月に関するプレゼンテーションをしました。クラブの方がおしるこを用意して下さり、アメリカでおしるこを食べることができました。おいしかったです。1月、2月は日本のイベントが多いので、プレゼンテーションが多くなりそうです。 今年は1月28日にアジアの新年、つまり旧暦の新年を祝うイベントがBGSUのシャッツルホールで行われました。中国語の授業を取っている人は皆、このイベントで、餃子作りのデモンストレーションや中国の音楽の演奏など、何かしらの出し物を披露しました。私はアコースティックギターで茉莉花という歌を弾き語りさせていただきました。他にも、切り絵、習字体験や、焼きそば、炒飯などの食べ物もありました。習字は小中学生以来やる機会がなく、当時は字が滲んだり、墨汁と水の分量が分らなかったりと、苦手意識を持っていましたが、アメリカに来てからジャパニーズクラブとチャイニーズクラブで習字を書く機会が多かったため、習字に対する抵抗が少しなくなってきました。特にジャパニーズクラブで習字をやったときに、アメリカ人が漢字の名前が欲しいと言っていたので、自分なりに考えて書いてみた結果、喜んでくれました。ダンさんに頭領と書いて"ドン"と読むという感じで、少し洒落みたいですが、漢字をあげました。 


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 今年のBGSUは雪がなかなか降らず、気温も例年より暖かいらしいです。しかし一度、50分の中国語のクラスを受講している間に、外が雪で真っ白になっていたのには驚かされました。


 12月までは風が強い日はめったになかったため、0度近くでも日本と同じくらいの体感気温でしたが、1月はだんだん風の吹く日が増え、噂に聞いている極寒の2月に近づいていると思い知らされる一か月でした。

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 1月は成人式も兼ねて日本に一時帰国しました。トロントに帰ってきてからは、毎週金曜日の夜に友達と美味しい物を食べに行く習慣ができ、学校以外でも充実した時間を過ごしました。

 この留学生活ももう、100日を切ってしまいました。日本に帰ってからのことを考えることも増え、徐々に資格取得に向けての勉強を少しずつ始めています(TOEICはもちろん、秘書検定に加えSPI等)。先月まで同じcollegeにいた日本人学生が、先学期を終えて一気に帰国し、現在は日本語を話す機会が全くなくなり、更に、留学前にお世話になった名古屋学院大学のi-Loungeやサークルの先輩が、私が留学をしている間に卒業してしまったことを考えると寂しく感じますが、今しかできないことを自分はやれているということを忘れず、もっとたくさんのトロント、海外ならではのものを吸収したいと思います。 
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 また、この一か月はとても悩んだ月でもありました。小学生のころから夢だったキャビンアテンダントになりたくて、トロントに留学することを決めたのに、留学を開始した9月から新しいものをたくさん見て感じることで、自然と考え方も変わって、キャビンアテンダントになりたいという気持ちが薄れていることに気ついたからです。今までの唯一の目標がなくなりかけていることに気づいたとき、どうすればいいのか分らず、部屋にこもって生活をした時もありましたが、現在はたくさんのことに目を向けて、興味を持ったものにとりあえず挑戦してみようという気持ちに切り替えることができたので、逆に時間が足りず困っている状況です。 

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 また、辛いことの後には嬉しいこともありました。留学に興味を持った他の大学の友達が、以前から質問をしてくれていたのですが、今月からトロントに一年間留学しに来るのです。これを機に、帰国してからは名古屋学院大学の中で留学のお手伝いをできたらな、と思っています。写真を通して、皆さんにトロントの雰囲気を知ってもらえたら嬉しいです。それでは極寒の二月を頑張って耐えたいと思います。
 12月までは風が強い日はめったになかったため、0度近くでも日本と同じくらいの体感気温でしたが、1月はだんだん風の吹く日が増え、噂に聞いている極寒の2月に近づいていると思い知らされる一か月でした。

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 1月は成人式も兼ねて日本に一時帰国しました。トロントに帰ってきてからは、毎週金曜日の夜に友達と美味しい物を食べに行く習慣ができ、学校以外でも充実した時間を過ごしました。

 この留学生活ももう、100日を切ってしまいました。日本に帰ってからのことを考えることも増え、徐々に資格取得に向けての勉強を少しずつ始めています(TOEICはもちろん、秘書検定に加えSPI等)。先月まで同じcollegeにいた日本人学生が、先学期を終えて一気に帰国し、現在は日本語を話す機会が全くなくなり、更に、留学前にお世話になった名古屋学院大学のi-Loungeやサークルの先輩が、私が留学をしている間に卒業してしまったことを考えると寂しく感じますが、今しかできないことを自分はやれているということを忘れず、もっとたくさんのトロント、海外ならではのものを吸収したいと思います。 
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 また、この一か月はとても悩んだ月でもありました。小学生のころから夢だったキャビンアテンダントになりたくて、トロントに留学することを決めたのに、留学を開始した9月から新しいものをたくさん見て感じることで、自然と考え方も変わって、キャビンアテンダントになりたいという気持ちが薄れていることに気ついたからです。今までの唯一の目標がなくなりかけていることに気づいたとき、どうすればいいのか分らず、部屋にこもって生活をした時もありましたが、現在はたくさんのことに目を向けて、興味を持ったものにとりあえず挑戦してみようという気持ちに切り替えることができたので、逆に時間が足りず困っている状況です。 

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 また、辛いことの後には嬉しいこともありました。留学に興味を持った他の大学の友達が、以前から質問をしてくれていたのですが、今月からトロントに一年間留学しに来るのです。これを機に、帰国してからは名古屋学院大学の中で留学のお手伝いをできたらな、と思っています。写真を通して、皆さんにトロントの雰囲気を知ってもらえたら嬉しいです。それでは極寒の二月を頑張って耐えたいと思います。

クイズ12使徒 その16

 まだまだ寒いのに、花粉が飛び始めているようです...毎年鼻(の粘膜のむずむず)で感づく春の訪れ...鼻は鼻でも春に咲く花の良い香りなんかで春を感じたいです。春本番には鼻が詰まってぜんぜん香りを感じないんですけれどね。というどうでもいい前置きを長く書きましたが、本日もイエス・キリストの弟子の中で特に重要な12使徒をテーマにしたクイズをおおくりしますよ。
では16問目です。
問題、これはある使徒の象徴をしめしています。

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さて、なんのことでしょう。

クイズ12使徒 その15の答えと解説は続きを読むからご覧ください。


クイズ12使徒 その10の答え合わせ

 クイズ12使徒の出題はいったんお休みして、名古屋キャンパスチャペルの庭の様子をご紹介します。レンテンローズ(クリスマスローズ)が咲きはじめました。

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どこに?
という写真になっておりますが、ここ↓のマルで囲った部分など

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にひっそりと咲いています。

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11月~12月に咲くクリスマスローズはヘレボルス・ニゲルといいます。レンテンローズはヘレボルス・オリエンタリスといって2月~3月頃ちょうどレントに咲くのだそうです。レントはイエス・キリストの受難をおぼえる季節のことです。
2017年のレントは3月1日(水)からなのでまだまだ先なんですが・・・
まだギリギリ2月にもなっていないこの時期から咲き始めて3月のレントの頃にはすっかりなくなっているんじゃないかと心配ですが、1か月以上花もちするんですよ。

クイズ12使徒 その10の答えと解説は続きを読むからご覧ください。

 インドネシアに来て4ヶ月が経ちました。12月に入ってすぐの12月7日の朝5時3分に、M6の大きな地震がありました。大きな揺れが長く続き、目覚めましたが怖くてベッドから起き上がることができませんでした。津波警報は出ておらず、その日は普段通り講義はありました。私が住んでいるビルン県マタン・グルンバンドゥアでの大きな被害はありませんでしたが、車で2時間ほどの震源地近くのピディ・ジャヤ県では100名以上の死者がでたそうです。大学では、その日の朝起きたばかりの地震なのに、学生がすでに募金活動をしていました。

 私たちも何かできないかと思い、12月8日に佐伯先生を通じて2015年スタディツアーでお世話になったNGO「Jari Aceh」のニーズ調査に同行させていただきました。 主にモスク(イスラム寺院)に多くの人たちが避難していたので、モスクで話しを聞きました。女性と子どもたちはモスクの外に建てられたテントで窮屈そうに過ごしていました。男性はテントはなく、モスクの壁沿いにもたれかかっていました。

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 インドネシアは1年を通して暑いです。12月は雨季で乾季よりは暑くありませんが、テントや外で過ごすのはもっと大変だと思います。イスラムの女性は、ジルバブ(ベール)を被っており、テント生活ではそれを脱ぐことができず、長い時間被っていなければなりません。また、支援物資の受付にはたくさんの物資がありましたが、それが被災者全員には行き渡っていないようでした。 

 ムルドゥ群クデ・ムルドゥでは、2階建ての長屋式店舗がほぼ全壊しており、捜索・救出作業が続けられていました。こういった光景を目の当たりにし、これから私たちに何ができるのか、"ニーズにあった支援をしていきたい"という気持ちが強くなりました。 

 12月12日には、8日に行ったニーズ調査を元に準備した支援物資を届けに、再度「Jari Aceh」に同行させていただきました。国際協力を勉強していましたが、実際に支援の現場を直接見て考えて行動することは初めてだったので、地震発生からニーズ調査をし、支援を渡すまでの速さと手順を見ることができ、とても勉強になりました。 

 そして名古屋学院大学で募金活動を行うことになりました。私は直接募金活動に参加できませんでしたが、募金活動のチラシを作成しました。活動するために集まってくれた学生のおかげで、8万9162円(12月)の寄付を集めることができました。この募金活動を通して、募金活動をするにあたって大切な知識や手順を勉強することができ、この経験は自分にとっていい実践の勉強の場になりました。

 大学では期末テストが始まりました。イスラム教のテストは難しすぎるということで、特別に受けないで済みました。日本と大きく違うと感じたのは、テスト期間や時間、場所を友達を通して知ることです。事前にテスト日がいつなのか、担当の先生から聞かずにいたので、スピーキングテストの日が過ぎてしまいました。別のテストを受けた帰りにスピーキングの先生に会ったので、その場でいきなりテストを受けました。名古屋学院大学のCCSのありがたみを感じました。 

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 12月といえばクリスマスですが、イスラム教の地域なのでクリスマスはありません。初めてサンタクロースやクリスマスツリーを見ずに、クリスマスを過ごしました。そんなクリスマスの25日に友達が紹介してくれたので、アチェの伝統的な結婚式の衣装を着させてもらいました。メイクに2時間半もかかり、ドレスや頭や体につけるきらびやかなアクセサリーをつけるのに、1時間もかかりました。

 メイクは信じられないぐらい濃く、つけまつげを2枚も重ねたので目が重く前がはっきり見えませんでした。今まで何度か結婚式に行きましたが、いざ自分が体験してみると大変過ぎて準備の段階で疲れてしまい、頭の装飾品のせいで立っているのもつらく、首が痛かったです。良い経験をし楽しかったですが、いざ本当に結婚式となるとこんな大変なドレスと頭の装飾品をつけたまま1日過ごすのかと思い、花嫁さんの大変さを感じました。

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 1月の頭にもテストがあり、その後は2ヶ月の長期休みに入ります。日本には帰国はせず、佐伯先生がアチェに来るので、短いですが先生がいる間は同行させてもらい、被災地ピディ・ジャヤでの支援や、もちろんそ他の活動もしっかり自分の目に焼き付け、積極的に学びたです。2016年は、自分にとってインドネシアに留学に来て表現しきれないほどの経験と思い出ができました。2017年は時間を無駄にしないよう、インドネシア語や被災地への支援も含め、何事にも、有意義にそして積極的に全力で取り組みたいです。
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