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2017年10月 6日

長期留学報告(華東師範大学 古殿 麻衣)

中国行ったら見える世界が変わった!

2016年9月初旬から2017年6月末まで約1年間、長期交換留学生として中国・上海にある華東師範大学で語学留学をしました。私にとってこの中国での約1年の留学生活は非常に有意義なものであり、自分を今までにないほど大きく成長させた1年であったと思います。

留学を終えた今だからこそ、留学前の自分はあきらかに準備不足だったなと後悔しています。「大学での中国語の講義の評価がすべてS評価だし、現地に行けばすぐに話せるようになって中国人の友達もたくさんできて、充実した留学生活が送ることが出来るのだろうな」と気楽に考えていました。今振り返れば、自分の中国語の力を過信し過ぎていたなと思います。留学初日、中国に着いてすぐにそれを痛感しました。大学の講義で習ったはずの単語や文法が、はじめのうちは現地では驚くほど出てこなかったし、初日に空港に迎えに来てくれた華東師範大学の有志の学生スタッフさんたちが話している中国語は、全く聞き取ることが出来ませんでした。自分が日本で身に付けたと思っていた中国語が、実際には全く身に付いていなかったのだと、留学初日にして天狗になっていた鼻をへし折られ、後悔と反省からスタートした留学生活でした。

時間が十分にあるなら、例えば現地で何年も暮らすということなら、「現地に行けば話せるようになる」も間違いではないと思います。ただ、約1年という限られた時間しかないことを考えたら、「留学は留学前にきちんと勉強して、基礎、土台がある人が行くもの」だと思いました。土台がある人とない人では、スタートラインの違いはその後の努力で縮めることは出来ても、0にはできないと思いました。考えてみれば当たり前のことです。何も分からないまま、自分の本当の実力を知らないまま留学してしまったら、語学力の伸びるスピードに圧倒的な差が生まれるのは当然です。

しかし、留学を終え帰国して留学生活を振り返ると、「充実していた!」と胸を張って言うことが出来ます。それは、現地で悔しい思いをしながら必死に勉強して、留学前の準備不足という反省と後悔をうまくバネにできたからこそ言えるのだろうと思います。始めは、教科書と中国で購入した参考書を使って自分一人で勉強していましたが、話す力が身につかないことに気づいて、大学内の食堂や運動場で自分から中国人の学生に話しかけるなど、あんなに工夫して自分で考えて自分から進んで勉強をしたのは初めてだったと思います。一般的には世界共通語は英語と言われています。当たり前だけど、英語話者はもちろん世界中にいます。しかし、中国語話者もまた世界中にいるのです。それは中国語を母国語とする人ももちろん、華僑として世界中で暮らしている中華系の人々、そして私のように中国語を第二、第三言語として学んでいる人々も含まれます。

留学前、私は「英語は出来ないし、世界中の人と話すなんて無理」「英語が全て」だと思っていました。でも英語に限らず、どの言語でも、その言語を話す人や学ぶ人がいるなら、世界中と繋がりを作ることが出来るのだと、留学をして分かりました。留学をしていなかったら、私は世界中に繋がりを持つことが出来ませんでした。きっと、知り合うことも関わることもなかったであろう国や地域の人々と、繋がることが出来たのです。これは、留学生活で1番大きな収穫だと思います。行きたい国が増えて、その国について知りたいという探求心も湧きました。視野が広がるって、こういうことを言うのだろうなと、今までに味わったことのない感覚を、確かに感じることが出来ました。この感覚が確かにあったからこそ、約1年間モチベーションを保って勉強することが出来たのだと思います。それに加えて、一緒に勉強したクラスメイトや先生方、そして中国人の友人たちには、感謝の気持ちでいっぱいです。中国語を話す訓練が出来たのは、彼らがいたからです。留学が終わっても、連絡を取り続けたいと思える人たちばかりです。約1年という短い時間の中で、素敵な出会いがたくさんありました。そして良い刺激をたくさんもらうことが出来ました。自慢のクラスメイトであり友人です。「あなたと知り合ったから日本に行きたくなった!」と言ってくれた人もいます。私も彼らが住む国に行きたいと思っているし、恩返しが出来たらいいなと思います。中国語をもっと学んで、彼らともっとコミュニケーションが取れるようにと思っています。

留学先で、また帰国してからも必ず聞かれることがあります。それは「なぜ中国を、そして、なぜ中国語を勉強することを選んだのか」という質問です。何度も考えさせられましたが、最終的に私がたどり着いた中国をそして中国語を選んだ理由、それは「中国という国に興味があるから」です。中国の歴史、文化、政治、経済、どれも興味深いなと思います。また、日本で報道される中国と実際の中国の姿には、どれほど違いがあるのかについてはずっと疑問に思っていることです。テレビのニュースやネットニュースを見ていても、「中国」という文字を目にしない日はない昨今の世界情勢。今、中国語を学ぶのは、世界を知るきっかけになると私は思っています。だからこそ、中国という国を選び、中国語を選びました。「中国語を更に学び、中国を学ぶこと。そして世界を知ること。」これが私の留学後の目標です。

今、私はやっと中国語を専攻としている学生、例えば中国語学部や中国語学科の人たちと、同じラインに来ることが出来たところだと思っています。やっと互角に戦えるというか、「中国語を学んでいます!」と言えるところまで来ることが出来たと思っています。しかし、それでもまだ中国語が不自由なく話せるかと言われたら、自信をもってイエスと言えないのが正直な気持ちです。わたしの留学生活は終わりました。でも、留学生活で得た経験や知識を生かすも殺すも、自分自身だと思います。帰国してからは、中国語を聞いたり話したり読んだりする機会は自分で作らないといけなくなりました。帰国後もできるだけ毎日、中国のテレビ番組やドラマを見たり、時間を取ることが出来れば中国人の友人と電話をしたり、中国語に触れることが出来る環境を作っています。帰国直前の自分自身の中国語のレベルより落ちてしまう事がないように、中国で必死に勉強した時のことを思い出しながら過ごしています。留学の前半は、時間がかかって仕方がなかった中国語でネットニュースを見ることも、以前の半分以下の時間でその記事を理解することが出来るようになり、毎日少しずつですが、自分の中国語を確実に伸ばすことが出来ていると思います。これを今以上の質にして、これを続けていけば、留学後の目標として掲げた「中国語を更に学び、中国を学ぶこと。そして世界を知ること。」この目標もまた、少しずつ出来てくると思います。先にも述べたように、留学で得たものを生かすも殺すも自分次第です。これからどうすべきなのか、どのように中国語や中国と向き合っていくのか、それもしっかり頭に入れておくと同時に、自分の専攻である国際協力についても考えながら、日々新しい学びが出来るようにしていきたいと思います。

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長期留学報告(北京語言大学 高橋 美帆)

長くて短い一年間

私は一年間、公費交換留学生として北京語言大学に留学しました。元々中国に興味があり、ずっと留学をしたいと思っていました。そのため、一年間の留学が決まった時は、本当に嬉しかったです。しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。大学に入って一から中国語を始めたこともあり、簡単なように見えて中国語は難しく大変でした。留学が決まり、更に勉強に力を入れましたが、完全に力不足でした。中国に着いたばかりのとき、あんなに勉強したのに、とても簡単な中国語ですら何も分からなくて、今までの勉強は何だったのだろう...と本当にショックでした。そのため最初の半年は、半年留学する同級生二人が居たので、とても心強かったです。今はもうほとんど慣れましたが、中国人の接客態度、言葉は結構きついです。来たばかりの時、とてもたくさんの手続きをしなければいけませんでした。そのため学校内、また学校の外にまで色々しに行きましたが、ゆっくり話してもらっても聞き取れない自分にイライラと悔しさ、中国語が全く出来ない外国人と分かっていながらの態度の冷たさなどから、もう手続きの段階から心は完全に折れ、私は本当にここでやっていけるだろうか、ましてや一緒に来た二人のように半年ではなく一年を選んでしまったから、残り半年私は一人で生きていけるのだろうか、私はまだ留学するのには早かったのではないか、ここに居てはいけないのではないかなどと思いました。今まで海外旅行にはよく行っていたし、三週間ほどオーストラリアにホームステイしたこともあったけど、ホームシックになったことはありませんでした。しかし、今回初めてホームシックになりました。泣きながら親と電話しました。元々泣くつもりはなかったし、ただの状況報告として電話しただけなのに、気が付いたら号泣していました。友達とも電話をしましたが、やはり懐かしさや安心感から号泣してしまいました。ルームメイトには恵まれていて、私が泣きながら電話をしていたら、私も来たばかりの時は同じような感じだったよ、などと日本語で書かれた手紙と、目を冷やしてとパックをくれました。本当に嬉しかったです。

学習面では苦労しました。新学期に入って授業が始まり、このように授業が行われると分かってはいましたが、全て中国語、たまに英語で行われる授業は、中国語はまだろくにできない、英語は全く出来ない私にとっては地獄のようなものに感じました。ステップアップをしたいのなら、クラスは高めを選んだほうが良いと色んな人に言われましたが、私は耐え切れず一つ下に落としました。一つ下に落としたとはいえ、簡単になったのではなく、私はちょうどいいと感じたし、無事単位もとることが出来たので、最終的にはそうして良かったと思いました。

前期は初級だったので、後期は中級に上がりました。どうせ分からないので、私からしたら問題はありませんが、初級の時の先生は中国語で言ってもまだ理解しにくい説明を英語でしてくれていましたが、中級はそうでもなくほとんど全部中国語でした。そして、やはり話すスピードも速くなりました。個人的にはまだ中級のレベルではないのではないか、初級の中でもクラスを一つ下げたのに、本当に大丈夫だろうかと心配でしたが、初級の単位が取れたのなら中級に行くのが条件だったので、選択肢はありませんでした。先生が優しく、何とか後期も全て単位をとることが出来て良かったです。

生活面では色んな体験をすることができ、楽しかったです。私は中国にいる間、上海、山東省、内モンゴル、大連、天津に行きました。上海では、日本の友達がわざわざ中国に来てくれて、念願だった上海ディズニーに行くことが出来て嬉しかったです。内モンゴルには、旅行とボランティアで二回行きました。一回目に旅行で行き、砂漠に行くなど貴重な経験がたくさんでき楽しかったのですが、砂漠が思った以上に過酷で、もう一度モンゴルに行くのは良いけど、砂漠には行きたくないと思っていました。しかし、モンゴルの砂漠に木を植える植林ボランティアを友達に誘われ、また行くことになりました。最後まで行くのを迷いましたが、このボランティアは日中韓の3カ国の人たちで行われるという事、植林なんてそうそうしない体験だからきっと貴重な体験になるということ、もともと中韓で行われていて今回初めて日中韓に変わったため、日本人は全て無料ということから、参加を決めました。やはり砂漠は過酷だったし、旅行の時は春の始めで寒かったですが、ボランティアの時はもうすぐ夏の時で、暑くて正直より辛かったです。ですが、日本のことが好きな韓国人や中国人もたくさんいる中でのボランティアで、とても嬉しかったです。最後のパーティーも楽しく、最終的には行って良かったなって思うことが出来ました。天津も二回行き、一回目は一緒に留学した友達に会いに遊びに行きました。二回目は北京から近いので、学校の行事でクラスのみんなと行きました。山東省へは半年留学の友達と、その子の最後の旅行として行きました。半年間、本当にお世話になったし、帰ってしまうのが本当に寂しかったです。大連は私の最後の旅行として行きました。大連は日本と繋がりがあったりして、地下鉄で日本語のアナウンスが流れたりしたため、なんだか嬉しかったです。夏だったので海を見に行けたり、美味しい海鮮を食べることが出来たり、良い最後の思い出になりました。 

旅行以外のイベントだと、冬休みに十日間ほど、中国語を勉強する日本人と日本語を勉強する中国人と泊まり込みで勉強したりする合宿に参加しました。これは本当に貴重な体験となりました。たくさんの中国人と知り合うことも出来たし、日本大使館で日本人は中国語、中国人は日本語のスピーチ大会をするという貴重な体験をする事が出来ました。十人と一つの部屋で生活をするシステムだったり、設備がそんなに良くなかったり、正直大変なことがたくさんありましたが、日本語を一生懸命勉強する中国人に、たくさん刺激をもらうことが出来ました。その他には様々な交流会もあり、中国人の友達もでき、ご飯に行ったりして楽しかったです。友達の紹介で、語学スクールにも少し通っていました。宿題とかもあり通うのは大変かなと思いましたが、会話力が本当に低く、その向上のためにも通ってみてもいいのではと思い行くことにしました。そこの先生達は学生も多く、歳も近い人もいたため親しみやすく、会話も合うので楽しかったです。発音も教えてくれて、中国語は発音がとても大事なので学ぶことが出来て良かったです。

ハプニングの面では、携帯を学校ですられてしまったことが一番でした。海外は危険というのは良く分かっていたし、注意をしてはいたものの、だんだん生活にも慣れてきてやはり油断をしてしました。しかし、外ではなく学校のエスカレーターですられたことにはよりショックでした。この事件以降、大きなトラブルは無かったし、私は一回も病院に行くような大きな病気や怪我をしなかったので、良かったです。

今回留学をしてみて、学んだことが本当に沢山あるなと思いました。私は実家住まいなので、初めて自分のことを全て自分でしたりして、親のありがたさをとても感じました。留学を経て、もともと中国の文化が大好きな私はたくさん満喫する事が出来たし、ご飯も私の口にはとても合うので、毎日美味しいご飯を食べることができ、おかげで8キロも太ってしまいました。中国というか、韓国人留学生が多いことも関係しているのか、私の学校の周りは韓国料理屋さんも沢山あるなど、韓国に繋がりがある店が多く、韓国も大好きな私はすごく嬉しかったです。日本料理屋さんもちらほらありましたが、私はそんなに日本料理が恋しくならなかったのでそんなに行きませんでしたが、行くと中国ではありますが、他の料理の飲食店よりおもてなしがあり、日本っていいなと感じました。また私の学校は本当に色んな国の留学生が多いことから、中国文化以外の様々な文化を学ぶことが出来たため、それもまた良かったです。日本を離れてみて、改めて日本についてどんな国か考えることが出来ました。中国は日本人から見ると、やはりイメージがあまり良くないと思います。実際私の友達や親も、そんなに中国に良いイメージを持っていません。私自身も中国は好きですが、とても良いイメージを持っているわけではありませんでした。しかし、今回実際に1年間暮らしてみて、中国人に対するイメージは変わりました。そして、日本人に対するイメージも変わりました。私自身も日本人であるため、やはり日本は良い国、日本人は良い人ばかり、そんな良いイメージばかり持っていましたが、正直全て良い国というわけではないと思います。悪いところもよく見ればあるなと思いました。中国人は親切な人やフレンドリーな人結構が多いです。中国に良いイメージは持っていないけど、中国に遊びに来た友達は、思った以上に中国は良い所!思った以上に中国人は良い人!と言ってくれて嬉しかったです。そんなこともあり、日本人には中国の良さを、中国人には日本の良さを、もっと知ってもらいたいとより強く思いました。その気持ちを将来に繋げていこうと思いました。

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中期留学報告(北京語言大学 中村 那由美)

変化と学び

私はこの留学を通して、本当に多くのことを経験し、たくさんのことを学びました。言語が違うだけで、こんなにも他人とコミュニケーションをとるのが大変で、自分の意思を伝えることはこんなにも難しいのだと思わされました。しかしその反面、言語が違うのに冗談を言い合う、文化も生活習慣も母国語も異なる友達と笑い合うことができるなんて、言語は私たちに本当に多くの影響をもたらしてくれると、私はこの留学を通して感じました。初めて中国に来たときは、学校まで自分達で行かなくてはならず、学校に到着後もどうすればいいの分かりませんでした。ですが、北京語言大学に行ったのが三人だったので心強かったです。

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この留学で自分自身ちょっと成長できたと思える部分がありました。優柔不断な性格の私は、何を決めるにも深く考えてしまったり、他人の意見を聞いてしまう人間なので、中国語のクラスを決めるときも、初級にするか中級にするか泣きながら親に相談するくらいでした。ですが、私はこの半年で、その優柔不断という自分の性格が結構改善されたのではないかなと思います。なぜなら、中国人はとてもせっかちで買い物に行ったり屋台で食べ物を買うときに、私は一通り見たいのに「これいいよ!買う?買わない?」とすぐに返事をほしがるので、最初は戸惑いましたが半年もすれば慣れたもんで、自分でもびっくりするくらい即決して買い物などができるようになったからです。

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授業が始まったときは緊張していたということもあり、分からないことがあっても恥ずかしくて先生に聞くことができなかったのですが、慣れてくると分からないことは先生に聞けるようになったし、自分から発言できるようになりました。また、授業が始まったときに勉強したところは、その当時あまり文法の意味などが理解できていませんでしたが、期末テストの勉強で復習したとき以前学んだ内容が簡単に理解できて、自分の語学力が少しでも上がっているのかな!?と思い、本当に嬉しかったです。

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私のルームメイトは韓国人の一個上のお姉さんで、とても優しく、なによりも私たちは性格がとても似ていてので、半年間とても楽しく、とても良い関係を築くことができたと思います。時に一緒に麻辣烫を食べに行ったり、ルームメイトの友達と何人かでメキシコ料理を食べに行ったり、夜遅くまで韓国と日本の価値観の違いについて話したり恋バナをしたりして、私はこの半年ルームメイトに恵まれていたなと、今とても実感しています。また、私が風邪を引いているときはたくさん食べ物をくれてたり、私が授業で悩んでいる時は親身になって相談に乗ってくれたり、ルームメイトには感謝してもしきれません。

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私はこの留学生活の中で印象に残っていることがいくつかあります。その中でも、中国の農村地域にボランティアに行ったこと、語学合宿、山東省に行ったことが特に印象に残っています。

農村ボランティアは北京郊外にある農村地域の小学校に行って、小学生に日本語を教えたり日本の生活について教えたりするもので、中国は農村地域と都市の差が激しいと聞いてきましたが、どのように違うのか自分の目で確かめてみたいと思い、また、農村の小学生と都市の小学生はどう違うのか、生活はどう違うのか気になり、参加することに決めました。

着いた時に最初に思ったことは、もちろん周りは山しかなく高い建物など一つもありませんが、屋台やスーパーなどが結構あって、生活にはそこまで困ってなさそうだなということです。初日は校庭で三チームに分かれて、色んなゲームなどをしました。日本人も小学生も緊張していてなかなかコミュニケーションが取れなかったですが、始まるとそれがうそみたいにみんな笑顔で白熱した試合が繰り広げられ、なんと私たちのチームが優勝して、とても嬉しかったです。二日目は室内遊びをしました。農村の小学生は本当に元気で、どんなことにも興味を持ってくれるので、日本語や折り紙、けん玉を教えてあげました。とても楽しそうに取り組んでくれて、分からなかったら「お姉ちゃん!」と呼んで聞いてくるので、とても可愛くて教えているこちらも楽しめました。最後に小学生のみんなにアンケートを書いてもらったのですが、多くの学生が"日本人と触れ合ってみてどうでしたか?"という質問に対して、「テレビで見たイメージと違って、みんなとても優しくて楽しかった」「テレビのニュースと印象が違った」など、最初はやはり日本に対するマイナスのイメージがありとても悲しくなりましたが、私たちがそのような障害を少しでも取り除くくことができたらいいなと、このボランティアを通して思いました。

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語学合宿は北京市内で行われ、10日間中国人とともに授業に出たり、一緒の部屋で共同生活を送ったりするものでした。私は10人部屋だったのですが私以外は中国人で、最初部屋に入った瞬間、みんなの視線に耐えられえませんでした。でも私がベットに行くとみんなすぐに声をかけてくれて、そこからはもうずっとしゃべっていました。9人とも重慶、湖南省、河南省、広東省など北京外の色んなところから来ていて、毎日一緒にご飯を食べて授業を受け、帰ってきたらみんなで日本語と中国語を使いながらおしゃべりして、同じ時間に寝て同じ時間に起きる。聞いてるだけだと毎日一緒は辛いと思うかもしれませんがそんなことはなく、この時間が終わってしまうのがとても名残惜しかったです。9人とは、また機会があったら誰かのおうちみんなで泊まりで遊びに行きたいと話しています。

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また、二月には山東省に2泊3日で旅行に行きました。もともと四川省に行きたかったのですが、予算の関係で山東省に決めました。山東省は青島があるところで、孔子さんの故郷である曲阜市という所があることで有名です。私たちはその曲阜市と、中国人は一度は登ってみたいという泰山を目的に行きました。曲阜では孔子にまつわる所をめぐり、孔子の一族が住んでいた家やお墓、孔子の神霊を祭る霊所(合わせて三孔と呼ばれている)に行き、孔子の生活に触れてきました。泰山は外国人がおらず、ほとんど中国人でした。泰山はバスとロープウェイがあれば行けるのですが、とても神聖な場所なので、さすがに歩いて行きたいという話になり、バスもロープウェイも使わず登ることに決めました。

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 正直余裕で登り切ることができると思っていましたが、いざ登ってみるとなかなか急で最初は二人とも話しながら登っていたのですが、後半は無言で登りました。中間地点に休憩所がありそこで休み、そこからはロープウェイで頂上まで行くことができ、正直二人とも相当疲れていたためロープウェイに乗ろうという空気だったのですが、せっかく中間まで頑張って登ってきて、ここでロープウェイを使うのは負けだなと思い頑張って6時間かけて登り切りました。頂上前の、後ろを向いたら落ちてしまいそうな1600ものとても急な階段が怖かったので、その階段を登りきり頂上に着いた時は本当に嬉しくて、今までにないくらい達成感を味わうことができ、中間地点で本当にロープウェイに乗らなくてよかったと思いました。泰山は日本人には有名な所ではないけど、この経験はきっと自慢できると思いました。

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この半年で泰山や北京市内の世界遺産をたくさん周り、あらためて中国は広くてとても歴史が長く、その歴史によって日本人の書く漢字や生活が成り立っていると思うと、とても感慨深かったです。

私はこの留学で、中国文化に触れることができ、中国人の友達はもちろん、トルコやインドネシア、韓国の友達もできて本当に嬉しくて、この友達も思い出も一生忘れることはなく、全て私の宝物です。、また、留学を経験して国際的なことにもっと興味がわき、色んな国に自分で行って、自分の目で世界の文化を知りたいと思いました。留学を通して自分の価値観が変わり、物事をもっと視野を広げて見ることができるようになったと思います。半年でしたが、本当に多くのことを学び吸収することができました。ありがとうございました。

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中期留学報告(北京語言大学 勝野 忍)

中国での生活

当初一人で中国に行く予定でしたが、当日名古屋学院大学から同じ北京語言大学に留学する女子二人とたまたま会い、同じ便だったので学校まで一緒に行動することにしました。青島での乗り換えや学校までのタクシーの手配など分からないことがあって不安でしたが、3人で考えながら行動したり教えあったりできたので、一人よりも心強くて良かったなと思いました。一人でも何でも挑戦してみようと思っていましたが、初めての海外留学、留学先が同じ人がいて本当に助かりました。

大学に着いてからは最初の手続きでとても苦労しました。気になっていた授業の選択についてですが、先生が一人いて中国語の学習歴を聞かれます。そして何種類か教科書があり、先生が指定した教科書をどこまで読めるか聞かれ、クラス分けされました。

後日授業が始まる前に、日本人留学生向きにオリエンテーションを開いてくれ、その中で留学生活について教えてくれました。日本人のスタッフさんもいて分からないことは聞けば優しく教えてくれ、学校生活での不安はすぐに無くなりました。

授業ですが、基本的に1クラス20人ほどで構成されていて、その全てが外国人留学生です。メジャーな国はほぼ全て居るといってもいいと思います。パキスタン人と韓国人がクラスにも宿舎にも多いように感じました。クラスによっては十数人パキスタン人ということもあるようで、パキスタン人がなぜか多いなと感じました。各国の方々は年齢も職種もバラバラで、学生はもちろん現役CAから医者の方までいらっしゃいました。基本どの国の人も母国語と同じくらいに英語が話せていて、理由を聞くと「英語も学校で習うから。」との回答が多かったのですが、「え?日本も習うのに・・・(笑)」と思いました。日本やアジア圏を除き、英語を話せる国々の方は比較的容易にコミュニケーションが取れ、友達もすぐ作れているように感じました。とても羨ましかったです。僕はそのあとカタコトの中国語で会話ができるイタリア人とタイ人の友達と仲良くなることができて、留学最後までその友達といつも一緒に居ました。

クラスの皆さんはさすがに中国語を勉強にしに来ているだけあって、積極的に授業に参加していました。自分で文を作って先生に質疑するなど、中国語を学ぶ姿勢に驚かされました。また、どのクラスの先生方も優しく親切で、まさに神です。授業内容は、ゆっくりした中国語で例を出して説明してくれるので、分かりやすいです。教科書の英語が分からなくても、先生の説明を聞けば理解できるので本当に助かります。それでも分からないところは、授業中でも授業後でも質問をしに行けます。

食事は、学内に大きな食堂がありものすごく安く食べられておいしいので、ほぼ毎日のように毎食食堂に行って食べていました。

しばらく経つと一人でタクシーに乗り、買い物に行けるようになりました。なんといっても道路が四車線あったりして車の量が多いし、自分が気を付けないとガチで引かれます。クラクションが鳴りまくるのは当たり前で慣れました。お店にある値札がない服や靴、装飾品などは普通に値切りまくれるので、結構おもしろいです。ですが、外を歩き宿舎に返ってくると、髪の毛がワックスをつけたかのようにベタベタします。お風呂で二回シャンプーしたりします。学校から出た時特にひどいので、原因としてpm2.5というか交通量が多くて、普通に大気汚染のせいだと思います。

10月入ってすぐに、中国全体で一週間くらいのお休みがあったので、私は北京に留学に来ていますが、南の方の蘇州に遊びにいきました。ピンインが打てなくて漢字が打てないのですが、一人で新幹線?電車?みたいなものに乗りました。5時間くらい乗ったのですが、中国人の友達が言うには、中国は広くちょっと離れたとこに行くのに5時間座るのは全く普通だそうです。人がものすごく多くて迷子になりそうになったり、自分の座る席が分からなかったり、そもそもチケットどこでどう買うの?とパニックになりましたが、そこらへんにいる中国人に聞いたり乗務員に聞いたりして、なんとか行けました。あとは帰り道で駅から学校までタクシーに乗ろうと思い、優しいお兄さんに声をかけられ乗った車にメーターがなく不思議に思いましたが、あまりに会話中優しく中国人でもとても優しい人がいるのだと思っていたら、降りる時に行きの3倍くらいお金を請求され、初めてぼったくりに遭いました。そのこともあってなかなか疲れて、本当にしんどかったです。一人で挑戦だと思いましたが、できたら一人で遠くに旅行をするのは遠慮した方がいいと思います。

授業の方は、聞いていてちょっと分からないところはすぐに先生に聞いたり授業後に聞きに行ったりして、極力分からないまま放置しないようにしました。レベルとしては簡単すぎず難しすぎず、ちょうどいいと思います。日本のLINEでいうトークグループのようなものが中国版SNSであり、中には先生やクラスメイトがいて冗談を言い合ったり、分からないことを聞いたり教えたりと、雰囲気はとても良いと思います。いろんな国の人が居るし、性格も個性的な人ばっかりで面白いです。

仲良くなった友達と授業後の帰り道などで、その日に出てきた文法や単語を使って会話したりして、「え?また忘れたの?あなたは毎日ちゃんと復習するべきだよ(笑)」などと言われました。一日の復習や会話練習を楽しくできるし、土日になると早く月曜日にならないかなと、授業に出てクラスメイトに会えるのが楽しみでした。

中期考査が近づくと、学校の図書館へ行っていました。図書館は広く自習室があり、夜10時まで空いていてとても便利です。ですが中にはとてもたくさんの中国人がいつも座っているし、座ってなくてもカバンは置いてあるし、席を確保するのがなかなか難しかったです。10時ギリギリまで普通に人がいっぱいなこともあります。ここで感じることですが、すごくこの大学の人達は勉強熱心だなと思いました。勉強いたい!だけど宿舎だと自習できないし、図書館も空いてない、という場合でも北京語言大学は深夜2時まで開店しているカフェが食堂にあって、そこ勉強できます。こちらは比較的留学生が多く使っています。

11月に入ってすぐ、中間テストのようなものがありました。内容は今までやってきた教科書の中から全て出てきました。試験の前の週に、先生から渡される復習プリントのようなものがあるので、科目によりますが、それをしっかりやれば満点近く取れると思います。気温と天気はすっかり冬で、日中の最高は5,6度、夜は-5,6度で、とても寒くなってきました。12月はどうなってしまうのか不安になりました。

学習面で心配するようなことは特にないのですが、後半になるにつれ生活面で結構苦労しました。私のルームメイトはパキスタン人なのですが、実は留学に来た当初から彼と私との生活習慣にかなりの不一致があり、とてもストレスでした。彼の食べ残しの放置でゴキブリが沸いて出てきたり、夜に電話や彼の友人を部屋に招き入れ喋るので寝不足にしょっちゅうなり、夜遅く寝て朝早く起きて、昼過ぎに帰り昼寝をしての繰り返しで、生活の規律がめちゃくちゃになってしまっていました。そこで部屋を変えたいと寮の係員?に言いに行きましたが、「この日に空くかもしれない。まだ分からないからその日に来てくれ。」と繰り返して一向に変えられず頭が痛かったです。

学校行事としては、クラスでバスに乗って伝統のあるお茶館に行きました。そこではお茶を飲みヒマワリの種を食べながら、中国の文化特有のお面がコロコロ変わる伝統芸能や、お茶を色々な体勢で高いところから注ぐなど、様々な芸を観ることができました。

また、11月11日は中国でインターネット上の大半の商品がかなり値下げされる日なので、ネットでたくさん冬の服や中国でしか食べられないようなお菓子を買ったりして、楽しかったです。次の日に聞けば、周りの友達はもちろん、先生もその日はネットでたくさん物を買ったという話を聞いて面白かったです。

12月に入って本格的に寒くなってきました。もう留学生活も終盤になってきました。学習面では12月後半から1月前半にかけて最後のテストがあるので、それに向けて毎日少しずつ復習していました。1月の飛行機のチケットの買い方が分からなかったのですが、クラスの友達にネットでの買い方を教えてもらって無事に買うことができました。留学最後の日、いつも仲良くしてくれていた友達と、涙ぐみながらお別れの言葉を言い合って別れました。日本に絶対行くからと言ってくれたので、その時は案内すると約束しました。今でもたまに連絡を取っていて、友達が日本に来るのを楽しみにしています。中国生活良い事ばかりではなかったですが、自分を成長させる上で本当に良い経験ができたと心から思っています。

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中期留学報告(天津外国語大学 白川 光)

初めての留学

私は昨年の2016年9月3日から中国の天津外国語大学という学校に、公費留学に行かせていただきました。タイトルにもあるように初めて海外留学を体験をし、半年という決して長くはない期間ですが、学べたことは多いと感じます。

留学する前は準備をする段階でつまずいてしまい、何を持って行ったら良いか分からず、キャリーケースの中がなかなか埋まらなくて友達に何を入れたのか調査したぐらいです。留学当日まで不安が拭えず、飛行機の中ではこれから留学先でやっていけるのかと、泣いてしまいそうになりながら考えていました。

留学先に到着し、大学の留学生専用の寮のラウンジのようなところで手続きをしている最中、次にする事が分からず突っ立っていたら、同じ名古屋学院大学の福田結香さんが丁度ラウンジに来て、私は彼女を見つけた瞬間、今までの不安と寂しさが一気にこみあげてきて、彼女に抱き着いてしまいました。それから、お互い来るまでにどんなことがあったか、どんな人がいたか等、世間話をしていたら、どうやら私の手続きが終わったようで部屋とルームメイトまで決まっていました。私の部屋は一番端の部屋で、ルームメイトはベルギーの女の子でした。ルームメイトは始めおとなしい女の子なのかなと思っていましたが、実はとてもフレンドリーで明るい子でした。母語はフランス語らしく、いつもフランス語を話すらしいのですが英語も話せる女の子で、もうすでに2ヵ国語話せるのに中国語も勉強するなんて、本当にすごいと思いました。残念ながら私は英語が得意ではないので、英語を使ってコミュニケーションを取ることはあまりできませんでしたが、私の下手な英語でも一生懸命聞き取って理解しようとしてくれる優しい子でした。その日は私もルームメイトも疲れており、すぐ就寝しました。次の日は授業がまだ始まらずフリーだったので、福田さんと外に出かけてみることにしました。福田さんは小さい頃に天津に住んでいたことがあるそうで私よりにも地理にずっと詳しかったので、ほとんど福田さんに任せっぱなしで散策し、日本と違うところを沢山発見し楽しかったです。その後数日間は必要品を買ったりして、学校が始まるのを待ちました。その後ようやく授業が始まり、クラスも決まっていきました。

私のクラスは、精読、閲読、口語、聴力という4種類でした。一週間の中で精読の授業が一番多く、授業内容は中国語版の国語のような授業でした。閲読はとにかく文章を読んで問題を解いていく授業で、口語は会話や相手とコミュニケーションを取る授業、聴力は字の通り聴く力を鍛えていく授業で、パソコンとヘッドホンを使った授業が中心でした。閲読はひたすら長い文章を読んでいくのですが、知らない漢字が多く、それらを調べながらだとだいぶ時間を取られてしまうので特に苦手でした。でも時間をかけた分だけ知らない漢字も知らない文法も身についたと感じます。

他にも、中国留学でしかできないような授業を沢山体験できて、クラスメイトの外国の人達ともコミュニケーションを取ることができました。例えば、精読の授業ではパワーポイントを使って故郷の四季について皆の前で発表するという課題が出ました。私は名簿のせいで一番初めに発表しなくてはならず、ひどく緊張しましたが、なんとか乗り切ることができました。パワーポイントの内容は、春夏秋冬の日本ならではのイベントや記念日の催し物等を紹介して、皆にできるだけ興味を持ってもらうもので、私は日本の富士山が映った綺麗な写真を選んだり、分かりやすい画像を載せてみたりしました。クラスメイトはとても優しく反応をしてくれたので、発表しやすかったです。

聴力の授業は、中国のネイティブ会話や曲を聞いて耳をどんどん慣れさせていく授業で、別の授業もそうですが、基本的にずっと中国語で授業なので、耳が中国語に慣れていくスピードが速かったように感じます。

授業内でゲームをしたりクイズを出したりとコミュニケーションを図る授業も多く、口語の授業では、くじを引きグループで出し物をする課題があり、私たちのグループは赤ずきんの劇をやることになり、誰がどの役をやる等の話し合いの時にすごく盛り上がって話が弾んだのを覚えています。私たちのグループは4人しかいなかったのですが配役が5人だったので、誰が兼ね役をやるかじゃんけんをしたところ、私が負けてナレーションとおばあちゃんの役をやることになってしまいました。当日まで皆で時間を合わせて何回か練習を重ね、ついに本番の日、私はおばあちゃんとナレーションの兼ね役なので、ナレーションとおばあちゃんのセリフが前後つながっているところだとナレーションを言ってすぐ腰をかがめておばあちゃんのセリフを言うという、なんとも奇妙な人物になってしまいましたが、なんとかやり切りました。

そんな思い出が多い授業ですが、普段の留学生活でも思い出は多いです。特に食べ物関係の思い出が多く、学校の近くにある東北菜館というご飯屋さんには本当にお世話になりました。一週間に4回行くこともあり、食堂と東北菜館を交互で行ったりもしていました。ご飯ももちろんおいしいのですが、店長のお母さんがすごく良い人で、いつ行っても笑顔で友達のように接客してくれました。帰国前日も行って明日帰ると伝えると、「さみしくなるね。また天津きたらいつでもおいでね」と暖かい言葉をくれました。たった半年なのにそんな風に思ってくれる優しい人で、そんな人に出会うことができて留学して良かったなと改めて実感しました。

食べ物以外にも色んな思い出があり、例えば中国の交通にはひどく驚き、慣れるまでに時間がかかりました。しかし、多くのことが日本と違っていても、知っていくことで中国のことを少しでも理解できたように感じます。そして文化と文化の違いを客観的に見ることができて、国際文化学部として学べたことも多いのではないかと思います。

留学中は決して楽しいことや嬉しいことばかりではなく、もちろん辛いことや苦しいこともたくさんありました。しかし日本では助けてくれた身近な人がいない状況で困難を乗り越えていくことに大切さを感じ、留学生活を通じてやっと少しは自立ができたのかなと思います。まだまだ足りない部分や自立できていない部分が多くありますが、留学の経験を生かしてこれから生活していけたらと思います。

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中期留学報告(天津外国語大学 福田 結香)

中国の良さ再発見

私は9月から1月まで中国・天津市にある天津外国語大学に中期留学に行かせていただきました。天津を訪れるのは今回で2回目です。小学2年から5年まで父の仕事の都合で約5年住んでいました。9年ぶりに訪れる天津は経済成長によって大きく変わってしまったところも多かったですが、当時のままのところもあり、とても懐かしく嬉しかったです。

私の行かせていただいた天津外国語大学は多言語、多学科で、中国で最も早く設立された外国語専門8大学の1つです。1921年、天津外国語大学の前身の一つである天津工商大学が馬場道にキャンパスを建て、後に津沽大学、河北大学へと大学名を変更しました。1964年、主たる前身である秦皇島外語専科学校(後に天津外国語専科学校)が設立されました。2010年、教育部の許可を得て、天津外国語大学へと名称を変更しました。現在馬場道と濱海の二つのキャンパスを持ち、馬場道キャンパスは天津の市街地に位置し、キャンパス内の建物の多くはヨーロッパ風であり、シックなデザインで、キャンパス全体は美しく閑静であり、天津市十景の一つになっています。濱海キャンパスは濱海新区の大港大学教育生態園内に位置し、湖の景色と植物の緑が互いに光を放ち、景色が秀麗です。馬場道キャンパスは、その美しい外観からドラマなどのワンシーンとして使われていたりします。

9月から私の留学が始まりました。1度高校生の時に2週間だけオーストラリアに短期留学した経験があったため、友達や家族と離れることは大丈夫だと思っていましたが、やはり4カ月となると期間が長いため、部屋で寂しく泣く日々が何日もありました。学生寮は思っていたよりずっときれいで、過ごしやすかったです。ルームメイトは最初は中国人とベトナム人のハーフの年下の女の子でした。中国人とのハーフということで、とても流ちょうに話すことができ、現地の人の話も聞き取ることができていました。しかし、私は中国語を学び始めて1年ばかりで簡単な会話しかできず、なかなかうまくコミュニケーションをとることができませんでした。そのため、お互いにスマホの翻訳を使い、伝えたいことを伝えあっていました。留学が始まって1ヵ月ほどして、ルームメイトが一時帰国のため寮の退居手続きをした際に1週間ほど1人部屋でしたが、隣の部屋だった日本人がルームメイトとうまくいかず私の部屋に引っ越してきました。他国の人と文化の違いを乗り越えて協調するのが留学生活の醍醐味だと思うのですが、私も前のルームメイトと生活するうえで文化の違い等で生活しにくい時もあったので、ルームメイトが日本人になって正直嬉しかったです。

授業は4教科で、1週目は日本の履修変更期間のようにクラスを変えられる期間でした。クラス数が多く自分のレベルにあったクラスを選べるので、とても登録しやすかったです。留学生活が始まって2カ月目からは生活にも環境にも慣れて、留学が楽しいと感じられるようになりました。留学2ヵ月目の10月の始めには、国慶節といわれる1週間のお休みがあったので、北京語言大学に留学している友達と連絡を取り合ってお互いの大学付近にホテルを取り、天津と北京の観光をしました。天津も北京も行ったことのある所なので観光地という観光地には行きませんでしたが、天津には売っていないものを北京では買うことができて大満足でした。また、中国では店によっては値切りができるので、いかに安く値切れるか毎回勝負で楽しかったです。

 11月には天津に来て初めてのテストがありました。HSKの問題を解いたり、テキストの問題を解いたり、先生の決めたテーマについてパワーポイントを各自制作し、皆の前で発表するなどしました。クラスメイトには色んな国の人がいて、パワーポイントの発表の際にその国の文化も少しですが学ぶことができました。私は日本のお正月について発表したのですが、おせちの写真をスクリーンに映すと他国の子が"お~~‼"と良い反応をしてくれて嬉しかったです。また、11月から一気に冷え込み、最初の頃は体調を崩していました。外は寒いですが、私の部屋は暖房をつけなくても割と暖かく、11月、12月でも短パンで寝ていました。

 留学2ヵ月目と3ヵ月目は、勉強も頑張りつつ海外ならではの食も楽しもうと思い、平日は学食で我慢し、土日は贅沢に外食をしていました。大学の周りの中国の東北地方の料理を食べられるお店へ行ったり、タクシーで韓国料理屋さんに行ってサムギョプサルを食べたりしました。日本に比べて味が濃いのでくどく感じたりもしましたが、おいしかったです。東北料理屋さんのおばさんとは仲良くなり、帰国する前日にもお店に行って最後に一緒に写真を撮り、「日本にも遊びに来てね。」と伝えました。

学生寮では、月に1度現地の料理を作る企画があったり、留学生歓迎会、日韓でスポーツ大会を開いたりしました。留学生歓迎会では、留学生数の多い日本人は毎年出し物を行うようで、今年度は希望者だけですがダンスをしました。私もダンスに参加したのですが、毎日の練習は楽しく、前学期から留学している他大学の先輩とも仲良くなることができました。

年末には家族が2泊3日で遊びに来てくれました。家族も天津に来るのは9年ぶりでとても楽しみにしていたようです。天津に住んでいた時にお世話になった父の会社の人たちと食事会を開いたり、思い出のご飯屋さんに家族で行ったりしました。

 4ヵ月の留学中に中国の良いところをたくさん知ることができました。厳しい人もいましたが、多くの人は言語の分からない日本人の私に優しく接してくれました。9年前にも感じましたが、今回の留学を通して改めてそう感じました。また、日本では考えられないようなことが起きたり、外国の子たちの生活を見てこちらでの常識や海外との文化の違いをたくさん感じることができました。

今回の留学で、日本語の話せる父の会社の人にたくさんお世話になりました。留学は私一人ではできません。色んな人の支えがあってできます。親や留学中お世話になった方々に感謝したいと思います。留学をする人は年々増えています。留学の経験を無駄にしないよう、今後の生活、検定、就活等頑張っていきたいと思います。

 

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中期留学報告(天津外国語大学 喜多 真凜)

たった一人で留学に行った私の物語

私の2/24~7/9までの中期中国留学について話したいと思います。私は元々、中国に留学に行くつもりは、全くありませんでした。ただ、第二言語として中国語を選択しているだけだった私に、留学をするきっかけになる出来事がありました。それは、同じ中国語のクラスだった友達3人が、中国に留学に行ったことです。その3人のうちの1人がSNSに投稿をしているのを見た時、私も中国に行ってみたいと思うようになりました。ですが、私は3人とは違い私費留学だったので、名古屋学院大学の授業料と天津外国語大学への留学で使うお金という、とても高額な金額が必要であり、それを出してくれた母に感謝しています。そしていざ一人で行くとなると、とても心細いし不安だらけでした。飛行機にて3時間で天津に着き、そして空港からタクシーで天津外国語大学まで向かいました。大学に着き受付を済ませようと思ったら、本当に何も聞き取れず困ってしまいましたが、ルームメイトが助けてくれました。なので、今のルームメイトには感謝してもしきれません。そのルームメイトと出会えてなかったら、どうなっていたのだろうと思います。

天津外国語大学には、日本人がとてもたくさんいます。日本人会というものがありましたが、私たち2人以外みんな日本人会に参加していました。そして日本人のほとんどが、関西外国語大学の人たちで、私たち2人はどちらかというと浮いていました。名古屋からは、私の他に愛知淑徳大学から3人と、名古屋外国語大学から1人来ていましたが、彼女たちは半年から一年留学する子たちだったので、挨拶は交わしますがあまり深い関係にまではなりませんでした。

天津に来てから3日後に、授業前テストがあります。これは、所謂実力テストです。日本人であれば、意味は分からずとも解ける問題ばかりでした。その後、答案用紙を持ち、自分に合うだろうクラスの部屋へ行き、軽い面接をして、その後に学生証用の写真撮影をして、その日は終わりです。私のクラスのほとんどが日本人と韓国人で、その他にタイ、スペイン、ムスリム系から2人の、合計27人のクラスでした。クラスメイトはみんな良い子ばかりで、授業終わりによくご飯に行ったこともあります。

授業に関しては、スピーキング、リスニング、リーディングが2つの、合計4教科のみで、HSKでいうと4級レベルだったので、そこまで難しくはなかったかなと思いました。先生も面白い方が多かったので、授業中もすごく楽しかったのを覚えています。

天津の気候としては、日本より気温も高く、そして太陽も近いので、とても暑く日焼け止めを塗ってもすぐ焼けますが、日本に比べ湿気は少ないです。私は、2月後半から中国にいましたが、その時期の中国は寒いと聞いていたので、日本から冬服を結構持っていきました。しかし、思っていたより寒くなかったので、中国でたくさん服を買いました。

そして私は、留学期間中に友達と一緒に、上海と北京に行きました。上海では、上海ディズニーなどいろんなところに行きました。友達の先輩が上海に留学していることもあり、その先輩が上海の有名スポットを案内してくれましたので、とても楽しい上海旅行でした。北京では、天安門に行って写真を撮りました。北京へは、私が帰国ギリギリになって、北京に行ったことがないと言うと、なら今から行くかとなり、その場で行こうと決め、日帰りで行ってきました。そこで私は、やっぱり都会って楽しいなと思いました。でも、留学するなら、都会で留学するより、田舎で留学する方が良いと思います。なぜなら、田舎の方が都会に比べ、人の優しさや温かさに、たくさん触れられる気がします。それに、都会だと遊ぶところがとても多いので、絶対いろんなところで遊んでしまうので、それだと留学しているなら何だかもったいないなと思います。だから私は、留学するなら田舎に行くべきかなと思います。都会に行くなら旅行で行きたいと私は思います。

一枚目の写真は、友達と上海ディズニーランドに行った時のものです。ディズニーランドは、とても楽しかったです。でも、私的には東京のほうが断然楽しいと思います。上海ディズニーは、東京ディズニーシーのように広さ的にはあまり広くなかったです。プーさん、シンデレラ、ベイマックスなどと可愛らしいキャラクターにも会うことができました。でも私たちは、乗り物に乗ったのは5つくらいで、あとは友達が一眼レフを持っていたので、写真をたくさん撮るなど、まったりディズニーを満喫していました。ディズニーの他に、友達の先輩が上海に留学していたため、豫園、田子坊、外滩など有名処を案内してもらいました。上海は、天津にはないアクセサリーが一つ300円ほどでとても安く、しかもデザインもとても可愛くて私も一つ即買いしました。夜景もとてもきれいで感動したので、また行きたいと思っています。

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二枚目の写真は、私が帰国するギリギリに友達と北京に日帰り旅行に行った時の写真です。有名な天安門広場前で写真を撮ることができました。夜ご飯を食べていたら、隣の中国人の男の人から、「これ余ったからあげるよ。」と言われ、豆腐とトッポキをもらいました。こんなこともあるのだなと思いました。その他にも、たくさんのお土産ショップがある通りを見て周って、買ったりしました。みんなに渡す中国のお土産があまりにも難しく、私は北京でアルバムや磁石、ポーチなどを買っておき、天津でスーパーなどに売っている中国のお菓子を買って日本に帰ってきました。

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三枚目の写真は、クラス写真です。クラス全員とても仲が良く、クラスメイトはとてもいい子達ばかりでした。私はいつも韓国人のお姉さま方といて、すごく可愛がられていました。韓国人のお姉さま方と話す言語は、日本語、韓国語、英語、中国語のフル言語を使って話をしていました。お姉さまの一人の韓国人が独学で日本語を勉強していることもあり、その子経由で分からないところをいろいろ教えてもらうこともありました。

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私は、今回このような留学をすることができて、良かったなと思います。初めてで、しかも独りぼっちで中国に行って、不安だらけで約半年間やっていけるかなと思っていましたが、友達がたくさんできたので、笑顔の絶えない楽しい留学生活を送ることができました。私は、この中国留学で学んだ様々なことを、たくさんの人に教えてあげられたらいいなと思います。

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