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CCSのリニューアル

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GW明けのCCS


5月連休明けに,装いを新たにしたCCS (Campus Communication Service)が本格稼働を始めました。学生諸君や教職員の皆さんは,連休明けにCCSを立ち上げた途端,そこに広がるポップで明るい色調と見やすいレイアウトの画面に,「オオッ」と感嘆の声を上げたに違いありません。新しい機能も追加され,一段と便利で使い易いものになりました。

CCSが初めて導入されたのは2002年。それから10年ぶりの改訂です。バージョンアップは,3年間にまたがる大プロジェクトです。また,この機に,CCSのSはSystemから Serviceへと名前を変えました。従来以上に高品質なサービスをユーザーに提供しよう,という担当者たちの心意気が,こういう語彙の変更に表れているのでしょう。

システム移行という大作業に携わった皆さんには,心からお礼申し上げます。5月のゴールデンウィークは休日返上,不眠不休でその作業を行っていただきました。改訂版のCCSが稼働を始めた1週間は,おそらく,何かエラーが発生するのではないかとヒヤヒヤされていたのではないかと思います。大きなトラブルも無く,無事に軟着陸したようで,ホッとされていることでしょう。

 

優れモノのCCS

いうまでもなく,CCSは,学生・教員・職員の3者を結ぶ学習支援そして事務支援のための学内情報LANシステムです。インターネットを介しても利用できますから,事実上,いつでもどこでも,利用可能というわけです。

このCCS。なかなかの優れモノであることを,皆さん,ご存じでしたか?日常的にこのシステムを利用している学内の教職員には「何を今さら」と言われそうですし,在学生たちも,入学時から当たり前のように使っているから,その「優れモノ」具合は感じてないかもしれません。しかし,CCSが無い状態を想定してみれば,その優れモノの理由が自ずと理解されるでしょう。

 学生の皆さんは,4月の履修登録(授業科目の選択)はCCSを通じて行いましたよね。インターネットを介して,自宅に居ながらにして履修登録をする学生が,年々増えてきています(そのため,今年の登録時には,学外からの接続がドッと増えて,一時期,外部からの接続ができないといった事態もありました)。また,自分自身が,いつ・どこで授業を受けるのかといった授業予定やイベントなどの学内行事の予定も,画面から一目瞭然です。

急な休講や補講さらには教室変更の情報については,CCSのみならず携帯メールでも配信されています。「大学に行って掲示板を見て,初めて今日の休講を知らされる」といった事態は,私の学生時代には日常的なことでしたが,本学ではとうの昔のことです。

また,悩み相談窓口,成績や就職活動,留学経験など,自分がどんな大学生活を送ってきたのか,その履歴もCCSから一覧できます。

 加えて,対面授業を補完する教育支援機能も秀逸です。授業で使う教材の受取り,レポート課題の提出,授業の内容に関する質問,学生同士での意見交換,授業の終わりの小テストと採点結果の確認など。これらは,学生にとっても教員にとっても便利な機能です。

それらから「自学自習」です。「自学自習」は,択一式の問題とその正解および解説で構成されています。これは,パソコンや携帯電話の上で,繰り返し学習するバーチャル自習室です。経済学部が2度にわたり文部科学省のGP(Good Practice,優良事例,Golden Prize?)を獲得したプロジェクトは,いずれもCCSの「自学自習」機能を活用したものです。また,リハビリテーション学部の学生たち向けに,国家試験の過去問題がアップされています。それ以外の学部でも,多くの先生方が多種多様な問題を作成してくれました。「自学自習」の問題数は,な~んと,31,800題も用意されているのです。学生の皆さん,知識の定着のために,是非とも「自学自習」機能をご利用ください。

さらにCCSには「キャリアデザイン・カルテ(CDK)」と呼ばれる機能があります。これは,学生の自分発見につながるようなキャリア形成支援に関連したものです。「キャリアデザイン」の授業や「NGU自分発見ノート」の作成を通じて,学生とクラスアドバイザーで記入してゆくこのカルテは,学生・教員・職員で共有され,学生支援の資料として活用されています。

 

外部評価の高いCCS

 こうしたCCSが持つ様々な機能を紹介すると,学外関係者からは驚嘆の声があがります。

「そんなパワフルなシステムを持っているのですか?」

「システムを構築するのに相当なお金がかかったでしょうね?」

「今度,見学させてください」

「売ってくれませんか?」,「おいくらですか?」。

数年前まで,学外からCCSに関するヒアリングや視察の調査団がひっきりなしに来ていました。今ではその数は減りましたが,その理由は,ここ数年の間に,本学のCCSを参考に他大学でも様々な機能を備えた学内LANが導入されてきたからだと思います。

本学のCCSが高い評価を得るのは,既に紹介した多くの機能の他に,もう一つ大きな理由があります。それは,利用実績です。昨年1年間のCCSのログオン回数は110万回でした。学生数を5千人と置くと,1人あたり年間220回CCSを立ち上げたことになります。これは,全ての学生が,学期中にほぼ毎日1回はCCSを見ている数です。CCSが,いかに学生・教職員に定着しているかという証左でしょう。

学生の皆さんは,是非,他大学に通う友達に本学のCCSのことを紹介してあげてください。きっと「名古屋学院大学のCCSはすごい」と改めて感心されると思います。


このシステムを支えている学術情報センターの皆さんに感謝。これからもどうぞよろしくお願いします。 

2012年度の第1回公開講座

 4月12日(木)午後,地域連携センター主催の公開講演会がクラインホールで行われました。2012年度の第1回目の公開講座です。今回の講師は中谷剛(なかたに たけし)さん。講演テーマは「アウシュビッツで起きたこと―なぜ今も語り継ぐ必要があるのか―」でした。中谷さんは,1997年にポーランド国立オシフェンチム博物館(ドイツ語ではアウシュビッツ博物館)の公式ガイド資格を取得され,唯一人の外国人公式ガイドとして歴史の語り部をされています。

 講演テーマの「重さ」から,企画段階では,一般参加者の集まり具合が多少懸念されました。しかし,事前の申し込みは想像以上で,当日も一般参加者200人に加え,多くの学生が聴講したことから,クラインホールは満席でした。

 講演は,前半が映像を用いながらアウシュビッツ収容所の説明(アウシュビッツで起きたこと),後半が現代へのメッセージ(なぜ今も語り継ぐ必要があるのか)でした。最後の15分間を質疑応答の時間としたところ,一般参加者から矢継ぎ早の質問と意見。学生たちは,圧倒されていたようです。

 

なぜ今も語り継ぐ必要があるのか?


 後半の「なぜ今も語り継ぐ必要があるのか?」の問いの答えを,中谷さんの講演の中から拾ってみたいと思います。

 中谷さんのみならず,現在のヨーロッパ諸国の首脳たちは,アウシュビッツで起きたユダヤ人の虐殺は,単にドイツ人だけが責めを負うべきものではなく,傍観者を決め込んでいたヨーロッパ諸国にも責がある,と考えています。第二次大戦の終結から60年が経過した2005年前後から,その傾向が顕著となっているというのです。各国首脳が,ユダヤ人に対して謝罪を表明し始めています。もちろん,一方で,国粋主義的な若者の増大も問題になっているのですが・・・。

 ドイツを敵国としていたフランスや英国といった隣国は,ユダヤ人の人権が蹂躙される姿を見聞きし,知っていたにも拘わらず,直接的に自分とは関係ないことだとして,傍観者を決め込み,何のアクションを起こさなかった。それが,アウシュビッツの悲劇を助長したのだ,という認識と反省に至っているというのです。同様に,ヨーロッパから距離が離れていた日本も傍観者でした(日本はドイツと同盟国でしたが)。そのため,傍観者を決め込んだ日本人もアウシュビッツの悲劇に関係が無いとは言えない,と考えられるのです。

 このメッセージを現在の問題で考えてみましょう。世界には,今でも著しく人権を侵害されている民族や人々が居ます。また,それに立ち向かう活動を展開している,アムネスティのような組織や人々も居ます。彼らの活動が,単に人道主義という言葉だけでは片付けられないものがあるということでしょう。

 

 また,もっと身近な問題で考えてみます。中谷さんは,イジメ問題を取り上げて,傍観者の責任論を語りました。クラス内にいじめる者といじめられる者という2つの当事者グループだけでなく,それを知っている第三者がいて,この問題に関わらないようにしている。同じ共同体の構成員であるにも拘わらず,この傍観という第三者の態度が事態を悪化させてしまう。傍観者が傍観者でなかったなら,イジメは深刻な問題に陥らない可能性があるからです。だから,当事者でなく第三者であったとしても責任はある,というわけです。

 さらに別の例で考えてみましょう。人の道に反し,道徳に反し,傍若無人な行為をしている者が居るとします。例えば,電車の中で,大きな声でケータイ電話で話している人,一人で広い座席を占領している人,混雑車両で脚を組んでいる人,タバコの吸い殻を道路にポイ捨てする人,ハタ迷惑な行為を目にしたとします。このとき,自らに火の粉が降りかからないようにと,黙ってそれを見過ごすべきか,悪行を注意し,人の道から反するから止めなさい,と諭すべきか。昨今では,注意された人が逆ギレして,殺傷事件を起こすケースもありますから,この問いも厄介といえば厄介です。それでも,傍観者にならないで,注意喚起する。そうした態度が求められている,ということです。勇気がいるなぁ~。

 

中谷さんと名古屋学院大学

 ところで,中谷さんと名古屋学院大学との交流は,2年前から始まった「ポーランド・スタディー・ツアー」がキッカケでした。このスタディー・ツアーを企画・運営そして自ら添乗員となって献身的な教育活動を展開しているのが経済学部の家本博一教授(地域連携センター長)です(家本先生,ありがとう!)。スタディー・ツアーのメインイベントがアウシュビッツ博物館の訪問です。学生たちは博物館で中谷さんの説明を聞き,その後,場所を変えて中谷さんと意見交換の機会を持ちます。スタディー・ツアーに参加した学生たちは,アウシュビッツで実際に見たもの,触れたものに加えて,中谷さんとの意見交換で,さらに心を震わされます。

 今回の講演には,過去2回のスタディー・ツアーに参加した学生全てが会場に足を運び,中谷さんの話を改めて伺うと同時に,講演会後の懇親会で彼との再会の機会を得ました。懇親会会場での学生たちの一言トークは,同席していた教職員にとってちょっとした感動モノでした。お題は「アウシュビッツで学んだこと」。

 学生たちは,次のような発言をしていました。ポーランド・スタディー・ツアーが,自分の生き方を見つめ直す機会になった。帰国後から,ボランティア活動に励んでいる。山ほど撮ってきた写真を基に,自分がアウシュビッツで起きたことの日本での語り部役を担いたい。何をしたら良いかは判らないけれど,一生考えていきたい,など。彼ら彼女らの心にアウシュビッツ体験は相当強い刺激を与えたようです。

 私たちは自分の想像を超えた場面に直面した時,ショックを受け,心を震わせ,心に何かの火が灯るのでしょう。その代表事例が旅であり,とりわけ外国体験なのだと思います。アウシュビッツは,想像を超えた人間の悪業を見せつけるわけですから,強烈です。もちろん,こうした体験による心の震えの賞味期限は,人それぞれでしょう。そうだとしても,人の成長には,この心が震える体験が必要なのだと思います。

 

「ラジオ深夜便」と中谷さん

 私事ですが,小生は今回,中谷さんと会えることにワクワクしていました。まだ見ぬ想像上の恋人に会えるような気分です。

 というのは,小生が初めて中谷さんの存在を知ったのは「NHKラジオ深夜便」(「また,ラジオ深夜便かよ」,と言われそうですが・・・)のインタビュー・コーナーでした。かれこれ,1年半前です(注)。「ラジオ深夜便」は,小生の心の友です。夜なべ仕事をしながら,BGM代わりに聞いています。大方は聞き流しですが,時折,自分の耳がダンボになり,仕事が疎かになることがあります。中谷さんが登場した折もそうでした。

 アウシュビッツでガイドをしている日本人。こういう人も居るのか!?ポーランド語は世界でも難解な言語の一つとされるのに,そこで公認ガイドをしている人。しかも毎日,毎日,虐殺現場の説明をするのだ。意志が強い人であるには違いないけれど,何が彼を駆り立てたのだろうか。一体全体どんな人なのだろう?会ってみたいな,見てみたいな。今度ポーランドに行ったら,是非ともアウシュビッツに会いに行こう,と思ったものでした。

 実際に,今回お会いした印象は,笑顔が素敵な優しさが充満しているような人でした。アウシュビッツ行われたような残酷な悪行が繰り返されないためには,人は他者を尊重し,寛容で優しくなくてはいけない。そんな人生訓を体現している雰囲気でした。やっぱり,名古屋学院大学の建学の精神「敬神愛人」は至言です。小生は,少しホッこりとした気分。そうこうしているうちに,城哲哉教授(国際センター長)は,中谷さんの著書を持参して,ちゃっかりサインを貰っていました(ずる~いっ)。

 今回のブログ記事を終えるにあたり,「ラジオ深夜便」(注)で中谷さんが語っていたメッセージを付け加えます。「戦争を考えることは今を考えること,今を考えることは歴史を考えること,歴史を考えるとは人間を考えること,人間を考えることは自分を考えること」です。

 

(注)「NHKラジオ深夜便」2010年10月30日の朝4時「明日へのことば」で放送。

入学式のこと

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 2012年4月1日(日)。名古屋国際会議場・センチュリーホールにて,2012年度の入学式が行われました。当日の天候は,晴れのち曇り。「陽春」という言葉がピッタリする柔らかい日差しを肌に感じさせる穏やかな一日となりました。前日が春の嵐で,寒さと雨で凍えるような日でしたから,うって変わった春暖に「今日は,何かいいことありそうな」とスキップしたい気分です。
 名古屋キャンパスの周辺では,熱田公園,堀川の川岸,国際会議場などに林立する桜の木々の蕾が,一斉に膨らみ始めました。気象台によれば,今年,名古屋の桜の開花日は3月30日でしたから,入学式シーズンに付き物の桜の花が,今年は絶好のタイミングで開花し始めました。
 ところで,本学は,世間に比べて桜の花を少し長めに愛でることができます。これは,本学が名古屋市と瀬戸市とに2つのキャンパスを抱えていて,瀬戸キャンパスの桜の開花時期は名古屋のそれに比べて10日から2週間ほど遅いからです。4月第1週目では,瀬戸キャンパスの桜の蕾はまだまだ固い状態でした。今年も瀬戸キャンパスでは4月下旬まで桜の花見を楽しめそうです。

 

 さて,入学式。近年,大学の入学式や卒業式に列席される保護者の数が膨らむ傾向にありましたが,今年は入学式が日曜日と重なったためか,それに輪をかけて多くの保護者の姿が目についたように思います。
 今年は,学部生1,160名,大学院生66名,留学生別科生11名を新たにNGUファミリーとして迎えることができました。真新しいスーツに身を包んだ多くの新入生は,少し緊張気味で式典に臨んでいました。3月の卒業式は,卒業生も保護者の方々もリラックスして,少しザワめいた雰囲気ですが,4月の入学式は一転ピーンと緊張の糸が張った状態で式が進みました。
 新入生たちには,改めて歓迎とお祝いの意を表します。おめでとうございます。若者の特権を活かして,自らの可能性を広げるために,様々なことに挑戦してください。また,保護者の方々には,お子様たちを,本学が責任を持って,有為な若者に育てあげることをお約束したいと思います。
以下は,入学式で,式辞として話た小生の挨拶です。

 

2012年度 入学式式辞

 

 新入生の皆さん,名古屋学院大学へのご入学,おめでとうございます。ご来賓の皆様,保護者の皆様,お忙しい中,ご臨席いただき誠にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
 今日,名古屋学院大学は,学部生1,169名,大学院生66名,留学生別科生11名,合わせて1,236名ほどの,ニューフェイスを迎えることになりました。
 私たち教職員一同は,皆さんがこの大学で学ぶことを通じて,人間として確実に成長し,立派な社会人となって巣立っていくために,全力をあげて支援することをお約束します。そして,卒業時には,名古屋学院大学で学んで良かった,この大学を選んで良かった,と必ずや思って貰えるものと確信しています。
 さて,皆さん,昨夜はよく眠られたでしょうか? 入学式を前に,人生の新しいページが始まるという不安と期待がない交ぜになった高揚感で,良く眠られなかったという人もいるかと思います。私の方は,NHKの「ラジオ深夜便」を聞きながら,徹夜でこの挨拶の原稿を準備していました。ですから,全く寝ていません。新しく名古屋学院大学ファミリーの一員となられた皆さんに,伝えるべき内容を選んでいるうちに,朝を迎えました。
 今朝は,昨日と打って変って,春の暖かい日差しを肌に感じることができます。皆さんの新しいスタートを祝っている様です。
 準備してきた話をします。三つあります。一つ目は,名古屋学院大学の「建学の精神」,二つ目は,「大学での学び方」,三つ目は,「社会人予備軍としての心得」です。

 

 それでは,一番目の「建学の精神」についてです。建学の精神とは,大学を設置する際に,創設者たちが「この大学でこういう人材を育てたい」という熱い思いのことです。
 名古屋学院大学は,「敬神愛人」を建学の精神とするキリスト教主義の大学です。「敬神愛人」は「神を敬い,人を愛する」と書きます。
 昨年,私たちは,戦後最悪の自然災害となった東日本大震災を目の当たりにしました。そして,技術文明が栄えた現代社会でも,人知の及ばぬものがあることを,改めて知らされました。「神を敬い」は,まさに,自然の脅威や人知の及ばぬものに対し,素直に畏怖を覚えよ,ということでしょう。
また,「人を愛する」の方は,言うまでも無く,「汝の隣人を愛せよ」ということです。
 つまり「敬神愛人」は,学ぶ者も教える者も,自らが及ばぬものの存在を怖れ,敬いなさい。そして自らは傲慢になることなく,自己中心的になることなく,謙虚になって,人に優しくありなさい。そうすれば,自らの人格陶冶と人類の平和や福祉が実現される,というものです。名古屋学院大学に学ぶ者は,是非,この「敬神愛人」の四文字熟語を座右の銘として頂きたいと思います。
 これは,皆さんにキリスト教徒になれ,と強要するものではありません。しかし,この精神は,私たちが生きていくうえでの人生哲学そのものです。日本の「武士道の精神」にもこれと通じるものがあります。礼儀を重んぜよ,相手を思いやれ,「自分より相手が先」といった人生訓です。
「敬神愛人」。覚えてください。

 

 それでは,二つ目の「大学での学び方」についてお話ししたいと思います。
 大学生としてあるべき学びのスタイルは,高校までのそれと大きく違います。大学生の学びのスタイルは,自ら求めて学び,自ら考え,自らの意見を持つ,ということです。高校までは,決められた科目をひたすら覚える,「勉強イコール暗記」であったでしょう。実際,暗記能力が高い生徒ほど,試験の成績は良く,優秀だと言われてきました。しかし,大学はそうではありません。求められる学びのスタイルは,自ら学ぶ対象を求め,獲得した知識を活用して,自ら考え,それを表現し,実践することです。
 この理由は,それが大人になることであり,人格を磨くことであるからです。また,就職試験の面接では,自らの経験と,それを基にした自らの考えが,問われるのです。皆さんは,社会人一歩手前の,社会人予備軍であるという自覚をもって,大学生活を送って欲しいと思います。

 勿論大学は,皆さんの人格を磨き,成長する機会を用意し,支援します。授業やゼミナールは言うまでもなく,留学,サークル,ボランティア活動,地域貢献のプロジェクト。こうした機会を大いに利用して,自らを進化させて欲しいと願っています。
 ドイツの哲学者カントは,『啓蒙とは何か』という本の中で,「知る勇気を持て」,「自分の理性を使う勇気を持て」と述べています。そうでないと,何時まで経っても,「未成年の状態のまま」に留まってしまう,というのです。未成年の状態とは,他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができない人間のことです。
 一人の人間として精神的に独立するためには,未成年状態,あたかも家畜のような状態から脱皮して,自ら考えることが必要なのです。
 授業で習い,書物を読み,新しい情報を得たら,鵜呑みをせず,まず自分なりに考え,意見を持つようにして欲しい,と思います。

 

 三番目の話に入ります。「社会人予備軍としての心得」です。社会人予備軍としての「学びのスタイル」については,先ほど述べました。ここでは,行動様式に関わる事柄として,一つだけ,お願いしたい事があります。
 極めて簡単なことです。それは「挨拶」です。「おはよう」,「こんにちは」,「ありがとう」,「さようなら」。
挨拶はコミュニケーションの第一歩です。
 人種のるつぼであるアメリカでは,目と目が合うと,ニコッとしながら「ハ~イッ」と知らない者同士が声を掛けあいます。また,江戸時代の武士も,すれ違いざまに声をかけたり,会釈をしたりしたそうです。それが「私はあなたの敵ではありませんよ」,というサインでもあったのです。
 皆さんは,大学生になったばかりなので,ピンと来ないでしょうが,三年後の就職活動の折には,挨拶ができること,そしてそれにつながるコミュニケーション能力が,採用・不採用の明暗を分けることになりかねません。なぜなら,企業の採用試験では,新卒者に求める能力の第一番目に,「コミュニケーション能力」があげられているからです。企業の採用担当者の中には,「挨拶ができない人間は採用しない」とハッキリ言う人も居ます。
 自ら住み良い世界を築き,さらにそれを発展させていくために,まずは,きちんと挨拶をし,他者とのコミュニケーションを始めましょう。
 大学では,学長の私と学生部長が「あいさつ運動」のリーダーです。新学期早々から,私たちは,正門のところで「朝の挨拶運動」を展開し,皆さんを「おはよう」の挨拶で迎えます。
皆さんも,恥ずかしがらずに挨拶を返して下さい。

 また,朝に限らず,学内に居る教職員,同級生,先輩,外からやってくるお客様たちに,是非,素敵な笑顔で挨拶を交わして欲しいと思います。
 「敬神愛人」の「人を愛すること」は,「挨拶すること」から始まるのです。
 保護者の皆様には,是非,ご家庭の中でも意識的に挨拶を交わして頂くよう,お願いしたいと思います。
 今日,ここで私は三つの話をしました。一番目は,建学の精神の「敬神愛人」。二番目が「主体的に学び,自らの意見を持つこと」。そして,三番目は,「挨拶をしよう」,ということでした。
 皆さんが,自らと日本の未来を切り開いていく若者になるよう,私たち教職員は,皆さんを全身全霊で応援します。皆さんは,大学を大いに利用し,自らの可能性に挑戦してください。

 ご入学,おめでとうございます。

 

2012年4月1日

名古屋学院大学 学長 木船久雄

 3月16日(金)に,名古屋キャンパスのクラインホールで,寺島実郎さん(日本総合研究所理事長,多摩大学学長,三井物産戦略研究所会長)の公開講演会が催されました。寺島さんは,TBS系の「サンデーモーニング」やテレビ朝日系の「報道ステーション」などでコメンテーターを務めているので,ご存知の方も多いと思います。

 名古屋学院大学では,学生たちに現実の社会経済問題への知的好奇心を刺激するため,また,地域社会へ大学が持つ知のリソースを還元するために,オピニオンリーダーを招いて積極的に公開講座を開いています。その一環として,今回は寺島実郎さんに「世界の構造転換と日本」というテーマで,1時間半ほど講演をお願いしました。
 事前の申し込みは900人を超え,クラインホールの座席数500を大幅に上回るものでした。そのため,急遽,別室にモニタールームを用意し,同時に多くの職員の協力を仰いで,実施の運びとなりました。
 講演のスタート時間は午後3時でしたが,開演を待つ人が午後2時頃から受付に列をなすほどの盛況でした。

 講演の要旨は次の通り(文責:木船)。

<世界の構造変化>
 世界は大きく構造変化が進んでいる。①世界人口は2011年に70億人に達し,さらに2050年には93億人に膨らむ。しかも,70億人が自己主張を始め,かつてのG8では世界的な問題を解決できなくなっている。一方日本の人口は2007年に1.28億人でピークアウトし,今後は減少を辿る。②冷戦の終焉から20年が経過し,冷戦の勝利者であり唯一の超大国となった米国の存在感は,後退している。また,90年代のIT革命は,軍事技術の民生用利用に道を開いたものだが,今後はICTを触媒とする産業社会革命が進行する。③9.11から10年が経過し,米国は「イラクの失敗」から経済的ダメージを負うとともに中東を束ねる力を失い,アジアを中心とする政策へ転換せざるを得なくなった。
<大中国圏>
 中国の影響力は,中国本土に加えて,中華系民族が国を支える香港・台湾・シンガポールといった国を含めた「大中国圏」として認識することが重要だ。そこでは,ネットワーク型発展が展開されている。貿易量をみても,日本の対大中国圏への依存度は対米国に比べて3倍,米国の対大中国圏への貿易量は対日のそれに比べて2.6倍になっている。シンガポールは,IT,バイオ,医療,ツーリズム,技術開発などの面から中国の世界に向けたベースキャンプと位置付けられる。
<エネルギー>
 米国では,「シェールガス革命」といわれるシェールガス(頁岩層の隙間にあるガス)の開発がブームになり,ガス価格が大幅に下落し,エネルギー政策の方向転換がみられる。LNGを長期契約で輸入している日本のガス価格は,原油価格とリンクしていることから,米国の5倍も高いものになっている。
 福島第一原発の事故はあったが,原子力発電は,2030年に電源構成の2割程度を維持することが望まれる。この理由は,日本が誇れるものは「技術」しかなく,原子力の平和利用に徹して,技術基盤や人材を保持し国際的な発言力を維持する必要があるからだ。

 講演では,寺島さんご自身が作成している『寺島実郎の時代認識』という冊子を資料集として,適宜,ページを括りながら話を進められました。実際の数値データを踏まえた話は,説得力があり,テレビ画面を通じた印象よりも迫力があります。落ち着いた語り口,眼から鱗の数々の指摘,新情報満載で,あっという間の1時間45分でした(予定よりも15分ほど時間延長)。世界をエネルギッシュに駆け巡る国際的知識人の姿を垣間見た思い。

 ところで,開演前の半時間ほど,寺島さんと歓談する時間がありました。エネルギー問題の研究者として,寺島さんと小生とには共通の知人が多く,講演前にひとしきり友人諸氏の話題で盛り上がりました。
 「超多忙な寺島さんは,いつ勉強するのですか?」と小生が質問すると,
 「どんなに偉い人と付き合っていても,毎日,必ず夜9時には机の前に居ます。パブロフの犬のようです。」と答えられました。
言われてみれば至極当然ですが,知の巨人となるためには,条件反射のように勉強をし続けること,これが肝心なのですね。学問に王道なし。
 今夜は,「ラジオ深夜便」の音を消して,勉強しようと思います。

学位記授与式の一日

  3月15日(水)に学位記授与式(卒業式)が名古屋国際会議場・センチュリーホールで行われました。2011年度は,学部卒業生1,075名,大学院の修了生58名が,それぞれ学士・修士・博士の学位を取得しました。また,1964年に大学が開設以来,累計卒業生は,40,085名と4万人を超えました。
  当日の天候は晴れ。春の陽気を感じさせる穏やかな一日でした。女子学生にとって,卒業式は一種のファッションショーの日。着物に袴スタイルの女子学生が多く目に着きます。彼女らの「ハレ舞台」のために,当日の天気が雨でないことを数日前から祈ってきました。ヨカッタなぁ~。
 学位授与式は,10時半にスタートし所要時間は約1時間。私にとっても今日は,学長として初めて学位授与式で式辞を述べる「ハレの舞台」です。前日は,無い知恵を絞りながらも,徹夜で式辞の原稿を作りました。その原稿は,この文章の後半に添付させて貰います。
 学位記授与式が終わると,急いで着替えて教室へ。ゼミ生一人ひとりに学位記を手渡します。「元気で,頑張れ」,「いつでも相談に来いよ」と声をかけます。目をみつめ握手する。少しジ~ンとくる瞬間です。
 ここ数年,卒業生に贈る最後のメッセージは,「アジケン」と決めています。アジケンは,アジア経済研究所の略称「アジ研」では,勿論,ありません。アは挨拶,ジは時間,ケンは健康です。教員としてではなく,人生の一人の先輩として,社会人になったらこの3つに留意しなさい,という教訓を述べます。
 それが済むと,各学部の卒業パーティーがあり,それを渡り鳥のようにハシゴしました。12時15分から経済学部,13時から人間健康学部。このふたつは大学の食堂で行われました。15時から商学部がヒルトンホテル,18時から外国語学部が中日パレス。気の利いた話はできませんが,どこでも「挨拶」のためにマイクの前に立ちます。「学長は典礼要員である」ことを痛感する瞬間です。
 女子学生の比率が高い外国語学部のパーティーは,流石に華やかです。会場は,着物と袴スタイルから艶やかなパーティードレスにお色直しをした若い女性たちの熱気で充満しています。男子学生が圧倒的に多い経済学部の世界に慣れ親しんだ小生としては,異次元の空間に迷い込んだような錯覚を覚えた次第。
 パーティーの最後までは付き合いませんでしたが,お昼過ぎから続いたパーティーのハシゴは,徹夜の身体と頭には厳しい鍛錬の機会でした。疲れたぁ~。
 名古屋学院大学を巣立っていく皆さん,卒業おめでとう。心から,皆さんのご健康と明るい未来を祈っています。大いに羽ばたいてください。そして,たまには大学を尋ねて,近況報告などしてください。
 以下は,学位記授与式で述べた私の式辞です。


学位記授与式の式辞

 今日,ここに,学部を卒業する1,075名のみなさん,大学院を修了する58名のみなさん,卒業,修了おめでとうございます。大学を代表して,みなさんに一言お祝いと激励の言葉を述べたいと思います。
 その前に,ご来賓の方々にお礼を申し上げたいと思います。ご多用の折にも関わらず,私ども学生たちのために,この場にご臨席いただき誠にありがとうございました。
 また,この会場にお運びいただきました保護者の皆様にも,お礼とお祝いの言葉を申し上げなくてはなりません。皆様からお預かりしてきましたご子弟たちは,大学・大学院の教育課程を無事終え,学士として,あるいは修士・博士として,この学び舎を巣立つことになりました。おめでとうございます。皆様の名古屋学院大学への惜しみないご支援とご協力があったればこそ,私どもは,安心して学生たちの教育に力を注ぐことができました。心よりお礼申し上げます。

 さて,ここからは,本学を巣立つ卒業生・修了生の皆さんに贈る言葉です。
 私は,昨年4月に学長に就任しました。そのため,卒業式の式辞を述べるのは,今回が初めてです。何を喋ったら良いものやら,困りました。無い知恵を絞りながら,昨夜も徹夜でこの式辞を考えておりました。
 まずは,自分が大学を卒業する時,学長が卒業式で何をしゃべったか,を思い出そうとしました。もう30年以上も前のことですから,思い出そうとしても何も出てきません。自分が卒業式に出席したのかどうかさえ,定かでないのです。ですから,当然,学長の話の内容など全く覚えていません。
 おそらく,皆さんも2~3日のうちに,あるいは2~3時間後には,私のメッセージは忘却の彼方となることでしょう。しかし,たとえ,賞味期間がこの瞬間だけであったとしても,本学を巣立つ皆さんに心をこめてメッセージを伝えたい,と思います。
  私自身が経験した二つの話をします。一つ目は「人との別れ方」,二つ目は「背伸び」の話です。

 最初の話は,「人との別れ方」です。
 私にとって,名古屋学院大学は3つ目の職場です。最初の職場は,大学を卒業してすぐに就職したとある商社です。そこでは,輸出入のための通関業務が仕事でした。世界と通じる貿易の仕事は面白く,上司や先輩,同期の友人たちにも恵まれて,快適で愉快な会社員生活をしていました。しかし,会社の業務を通じて,貿易実務や関係する法律を学んでいく中で,貿易理論をもっとしっかり勉強したい,という思いが首をもたげてきました。そして会社を辞め,大学院に進学したのです。
 毎年,卒業式の後に,自分のゼミ生たちに向って「『石の上にも3年』というから,入社したら3年は勤め先を辞めるな」と私は言います。しかし,自分自身は,恥ずかしながらわずか1年でその会社を辞め,学生に戻ったのです。
 二番目の職場は,大学院の課程を終えて就職した東京にある民間の研究所でした。現在の経済産業省,当時は通商産業省と呼んでいましたが,その通産省が監督官庁でした。政府からの委託研究が沢山あり,連日のように深夜まで残業していたことを思い出します。その研究所に1992年のバブル崩壊まで,11年間勤め,大きな自由度を求めて大学に移ってきたのです。
 以前の二つの元職場の上司や諸先輩そして同僚たちとは,今でも仲良くおつきあい願っています。
 最初の商社を辞める時には,わずか1年しか居なかったこと,しかも輸出入の申告書類に記名捺印できる通関士の資格をとったばかりということで,上司や先輩たちにも多くのお叱りを頂戴しました。しかし,同時に多くの激励の言葉も頂いて,円満に退社することができました。
 二番目の職場は,私自身が既に管理職になっていたこともあって,かなり退職を慰留されました。とりわけ,理事長からは「辞めさせないぞ」とも言われ,良好な人間関係を保つために,退職後,6年半ほど,非常勤で,その研究所の仕事をお手伝いしてきました。その間,毎週,名古屋―東京を往復していたのです。
 最初の職場の社長とは,通産省のロビーでバッタリ出会い,彼が政府の審議会メンバーであることを知りました。自分の研究領域がその会社のビジネスと深く繋がっていて,彼との交流は,自分にとって生きた教材です。
 また,二番目の職場の理事長は,退職後も,私を幾つかの研究会に誘ってくれました。亡くなられる1か月前にも,電話をかけてきて,別の新しい研究会への参加を薦めてきたほどでした。つくづく,「ありがたい」と感じています。
 私が,こうして以前に働いていた二つの職場の人たちと,今でも良好な関係にあるのは,結果的に,上手い「人との別れ方」をしたからではないか,と思っています。つまり,「別れても好きな人」で居られるように,円満な人間関係を維持しながら別れたからだ,と思うのです。
 あの時,「けんか別れ」していたなら,どうなっていただろう?おそらく自分の活動範囲は,今よりもずっと狭いものになっていることでしょう。「けんか別れ」しなかったからこそ,今でも彼らから刺激を得ることができ,貴重な情報やアドバイスを貰うことができる,と思うのです。
 人との出会いは「縁」であり,離れたと思ってもどこかで繋がっている。だから,一旦出会った人とは,別れる場合でも,良い関係を保つ努力が必要だと思うのです。

 さて,二つ目の話は「背伸び」の話です。
 私が研究所から大学に移ってから,はや20年が経過しようとしています。この間,先に述べた研究所との付き合いは,今でも続いていますが,大学に移ってから,私が研究の対象とする領域は大いに変化しました。
 それまでは,どちらかと言えば,日本国内の経済予測やエネルギー予測という分野が,主たる守備範囲でした。それが大学に移ったのを機に,国際協力の分野にも手が伸びていきました。具体的には,JICA(国際協力機構)の途上国支援プロジェクトに,省エネルギーの専門家として参加するようになったからです。
 当時,国際協力の仕事は,私にとって初体験でしたから,果たして「専門家」と言えたかどうか判りません。それでも,誘ってくれる人が居ましたので,不安はありましたが,「エイヤッ」と,少し勇気を出してこの分野に飛び込みました。
 最初に参加したプロジェクトは,大学に移った1992年のその年で,対象国はイランでした。中東にあるイランは,イスラム教原理主義の国で,当時から,アメリカと敵対する国でした。しかし,日本にとっては,イランは石油を輸出してくれる貴重な国でしたから,良好な外交関係を保つために,政府は技術協力を進めていました。
 中東での仕事は,言葉はもちろん,食べ物も生活習慣も違い,おまけにイスラム教の世界ですから,戸惑うことが沢山ありました。現地の役人は,建て前と本音とが大きく異なり,そのため,交渉ごとは時間のかかる骨が折れるものでした。最初の内は,現地に行くたびに前の話と違っている,ということが度々ありました。
 しかし,今になってみると,こうした経験は自分にとって大変貴重なものであったと思うのです。おかげで,我慢強くなりました。今では途上国に行くことに何の苦もありません。逆に,途上国での仕事を楽しんでいる自分の姿を見つけています。全く知らない現地人と,すれ違いざまに,挨拶を交わすことも平気です。
 国際協力の仕事に誘って貰ったあの時に,エイヤッと背伸びをしたからこそ,自分の視野は広がり,それまでとは違う自分自身の姿を見つけることができたように思います。
 「できないかなぁ,無理かなぁ」と感じることでも,少し無理をして自分をやらざるを得ない局面に追い込んでしまう。そうすると,やらざるをえないから,あれこれ工夫しながらも,やれるようになる。無理だと思うことがやれるようになると,もっと大きな無理も手の届く無理になってくる。
 だから,人が成長するためには,背伸びをすることが必要なのだと思います。背伸びを続けていると,いつの間にか自分の背が伸びてくるのです。

 ドイツの文豪・ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテは,『温順なクセーニエン』という詩集の中で,次のように述べています。
     財貨を失うことは,わずかな損失だ
     名誉を失うことは,多くの損失だ
     勇気を失うことが,すべての損失だ
     生まれなかったほうがよかっただろう,と。

 モノやお金も大切ですが,勇気に比べれば大したものではありません。人生を切り拓いていくのに必要なものは,変化を厭わない勇気であり,挑戦するための「背伸び」なのだと思います。
 今日は卒業式。別れの日です。皆さんは,これからも様々な出会いと別れを重ねていくことでしょう。たとえ,どんな別れであったとしても,円満な人間関係を保ち,背伸びする勇気を出して前に進んでください。
名古屋学院大学の建学の精神「敬神愛人(神を敬い人を愛する)」は,円満な人間関係を進めるうえでも,教訓となる言葉です。どうぞ忘れないでください。
皆さんの,ご健康と明るい未来をお祈りします。
 卒業,修了,おめでとうございます。

                              2012年3月15日
                         名古屋学院大学学長 木船久雄

東京大学の提案

2012120日に,東京大学が学部生の入学時期を春4月から秋に全面的に移行させることを検討していると発表しました。検討グループの中間報告は「将来の入学時期の在り方について(平成23128日)」にまとめられています。

東京大学の提案は,入学試験は従来通り春に行うけれど,入学時期を春から秋に移すというものです。この提案の背景には,日本で最も優秀な人材を集めている東京大学でも,世界の他大学と競争するうえで,春季入学という特有な制度が比較劣位をもたらしている,という認識があります。つまり,大学間のグローバル競争時代を勝ち抜くためには,世界の7割の大学が実施している秋季入学という国際標準に合わせるべきだ。そうすれば,日本から海外へ学生を送り出すこともスムーズになるし,海外から優秀な研究者や留学生を集め易くなる,といいうわけです。

入学選抜は今まで通り春に行い,入学時期は秋にする。そのため,そこに半年間の空白期間が生まれます。また,卒業は秋で就職が翌年の春となると,これまた空白の半年間が発生します。この空白期間をギャップタームと呼んでいますが,その時期に海外留学やボランティア活動など多様な経験を積んで貰えば,有効な生きた時間となるというのです。

5年後をめどに実現を目指すというタイムスケジュールも示されたため,この構想が発表されて以来,秋季入学問題は大学関係者のみならず,社会や経済界を巻き込んで広く議論されるようになりました。朝日新聞社は各大学の学長を対象に早々にアンケート調査を行いましたし,私立大学連盟からも少し長めの調査票が送られてきました。

 

 さて,本学はこの秋季入学をどう捉えたら良いでしょうか。私立大学連盟の調査票を前にして,私自身は次のように考えました。

 

メリットとデメリット

秋季入学のメリットは,東京大学の構想が示すとおり,海外の大学との人的往来が容易になることです。多様な学生の受け入れが可能になります。それは,海外からの留学生のみならず,諸事情によって秋季入学を希望する日本人の若者も同じです。諸事情の中には,浪人生,帰国子女というケースもあるでしょう。

 逆に,最大のデメリットは,ギャップタームの発生です。空白の半年間は,多くの入学生にとって学習のモチベーションを下げてしまうことにつながりかねません。入学前の半年間がブラブラとした中途半端な時間となってしまったら,導入教育・リメディアル教育にも相当な弊害をもたらすだろうと想像されます。また,大学を卒業するまでの時間が,4年半~5年となれば,親や本人の経済的負担は間違いなく増えます。入学前のギャップタームにある若者たちは,入学していないのですから,大学生ではないため学割は利用できません。

東京大学の提案のように,ギャップタームが学習体験を豊富化させる,と構想するのは秋季入学を正当化するための後付け論理でしかないように思います。

 

秋季入学と本学の制度

本学では,1989年に留学生別科を設置しました。この別科学生の入学時期は,従来から春季のみならず秋季にも認め,春秋併用制度となっています。

また,学部や大学院の授業では,ここ10年の間に,半期セメスター制度が徹底され,単位認定が半期ごとに完結されるようになりました。そのため,卒業延期となった学生たちが追加的に半期の留年期間を経て秋に卒業するというスタイルも恒常化しています。

さらに,本学のように,単位互換が可能な海外協定大学を数多く擁している大学は,入学時期に関係なく,在外中の海外留学をスムーズに進めています。春に入学して,秋学期から海外留学,留学先で取得した単位は本学で取得した単位として認定するという制度があるからです。そのため,協定大学に留学した学生たちは,現在でも4年間で卒業することが可能となっています。                                         

こうしたことから,仮に多くの大学で秋季入学制度を導入するとなれば,本学もそれに倣うでしょう。それも,比較的スムーズに移行できるのではないかと思います。またその際には,全ての学生を一斉に秋季入学させるといったドラスティックな制度移行ではなく,入学時期を春季と秋季の併用にする。その方が,無用なギャップタームを生じることなく,柔軟かつ速やかに制度移行ができるのではないか,と考えています。

ただし,完全に春秋併用となると,それはそれで費用もかかるし制度は複雑になることは間違いありません。容易に想像できるのは,教務部や学生部さらに入学センターといった業務はダブルになります。履修登録,学籍簿管理,入試問題の作成から判定といった一連の入試業務が,一年中行われている,という事態にもなりかねません。ほとんどの学生データがデジタル化されている現代では,システム変更に伴うソフトウェアの書き換えも相当必要になるでしょう。間違いなくコストは嵩みます。

 

外国人留学生の受け入れ拡大や教育の有効性の拡大                         

 東京大学の提案によれば,秋季入学によって,受け入れる外国人留学生が増大するし,教育の有効性も拡大する,と期待されています。これらの点はどうでしょうか。

確かに外国人留学生にとっては,秋季入学は都合が良いでしょう。しかし秋季入学にしたからといって,それが理由で外国人留学生が急激に増加するとは思えません。その理由は,入学時期に限らず,留学生に対応しきれていない諸制度が大学には多いと考えるからです。

例えば,学内の公用語です。日本語や日本文化を学ぼうという学生を除けば,留学生にとって望ましい授業言語は,日本語ではなく,国際語の英語でしょう。そのためには,英語で授業を担当できる教員のみならず,英語でケアできる職員が必要ですし,学内の各種資料や案内を日本語版と同様に英文版一式も用意しなくてはなりません。

加えて,学事暦の見直しが教育成果を上げるかどうかは,全くの疑問です。現行の諸制度は,国家的な制度や伝統・慣習の上に成立しているため,大学だけが学事暦を変更しても,現実には社会とのフリクションをもたらし,学生の混乱を招くことになりかねません。例えば,予算年度の問題,高校との接続問題,就職時期,国民の休日や文化活動のタイミングなど,いずれも大学の都合だけではハンドルできない問題のように思います。

                                                                                                               

本学は,秋季入学制度の導入に先頭を切って突っ走ることはありません。がしかし,いざという時のための対応準備を進めると同時に,他大学の動向も注意深く観察していきたいと思います。

10月15日(土),瀬戸キャンパスで大学祭がありました。当日の天気は生憎の雨でしたが(昨年も雨でした),それでも,学生たちはステージ企画,BLS(救急救命)体験,模擬店,ゲームなどの出し物に懸命に取り組んでいました。企画運営を担った実行委員会のメンバーの皆さん,それに応えて様々な出し物を行った学生諸君,本当にご苦労様でした。若者たちが一生懸命取り組む姿は,実に美しいですね。
雨天にも拘わらず,多数の来場者を得ることができました。来場者の風貌から,その集団の属性を分類してみれば,次の4グループになるように思います。それらは,①地元の子どもたちやその保護者たち,②本学学生の親御さんや親族たち,③おそらく高校生だろうなと見受けられる青少年集団(男子生徒よりも女子生徒の方が多く目につきました),そして④本学の教職員や大学関係者たち,などです。
雨で濡れたキャンパスの中を,はしゃいで走ってスッテンコロリンといった小学生の姿もありました。が,彼は直ぐに立ちあがって親元に駆けて行きましたから,これもまた良くある光景といったところでしょう。
 模擬店が林立しているキャンパス(麦粒苑)をブルブラしていると,リハビリテーション学部の学生のお母さんに声をかけられました(先述のグループ②ですね)。
 
 「学長さん,ですよね?」
 「はい。」
 「いつも息子がお世話になっています。」
 「いえいえ,こちらこそ。雨の中いらして頂きありがとうございます。今日は雨で,学生たちにはちょっと気の毒ですね。」
 「でも息子は実行委員もしているとかで,先ほど覗いたら喜々としてやっていました。その姿に安心しました。」と微笑みながらお母さん。
 
そうなんですねぇ。親は喜々としている我が子の姿を見るのが好きなのです。一人暮らしの息子を案じ,大学に慣れたか,元気にやっているかと親は常に案じているのです。そして,息子が元気で楽しそうに過ごしている姿に安堵し,自分の幸せを感じるのです。
もう30年以上も前(1977年,昭和52年)になりますがシンガーソングライターのさだまさしさんが「案山子(かかし)」という楽曲をリリースしました。その歌詞の一番は次の通りです。
 
 元気でいるか? 街には慣れたか? 友達出来たか? 
 寂しくないか? お金はあるか? 今度いつ帰る?
 城跡から見下せば蒼く細い河
 橋のたもとに造り酒屋の レンガ煙突
 この町を綿菓子に染め抜いた雪が消えれば 
 お前がここを出てから 初めての春
 手紙が無理なら電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい 
 お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聞かせてやってくれ 
 
 
これは,兄の立場で故郷を離れて暮らす弟に宛てたメッセージとして書かれていますが,肉親の安否が常に気掛かりな親心を率直に表現しているように思います。親元を離れて暮らす子どものことを,親はいつも心配しています。ご飯は食べただろうか?風邪をひいて寝込んではいないか?交通事故に遭わないように。悪い仲間に引き込まれていないか?暴漢に襲われたらどうしよう,などなど。悪い状況を想像したら,それはらせん階段のようにエスカレートしていき,「孤独死」まで夢想してしまう。それが親という人種なのです。
だから,一人暮らしをしている学生諸君は,親を安心させるために(それは親孝行の一つなのだと割り切って),時には自らの近況を報告してあげて下さい。手紙が無理なら(無理だろうなぁ),電話でもよし,メールでもよし,です。
大学祭に顔を出して思い起こしたことが「親孝行のススメ」であったとは,意外でしたか? 
ちなみに,くだんのご両親(お母さんだけでなくお父さんともお話しさせていただきました)は,息子さんが充実した学生生活を過ごしている姿を通して(父母会や父母懇談会など大学のイベントにも欠かさず参加されているとのことです),息子さんを本学に送り出したことに非常に満足されていました。そして,小生自身までもが感謝されてしまった次第です。

瀬戸キャンパスの教職員の皆さま,これはひとえに日頃の皆様の愛情深い教育指導の賜に他ありません。ご両親からの感謝の言葉を,皆様に小分けしてお渡ししたいと思います。
どうもありがとうございます。

 

10月11日、東日本大震災からはや7カ月を迎えました。震災で最も多い死者・行方不明者を出した石巻市では、259か所の避難所全てが閉鎖されたとの報道がありました。しかし、復興には20年はかかると言われ、被災された方たちが落ち着いた生活を取り戻すまでには、まだまだ長い時間が必要です。

 

さて、夏休みを利用して、本学から100名を超える学生・教職員が被災者支援ボランティアとして宮城県に出かけました。彼らは、①NPO法人レスキューストックヤードの七ヶ浜プロジェクト(61名)、②東北学院大学の気仙沼プロジェクト(40名)、③日本キリスト教団東北センターの仙台市プロジェクト(4名)、の3つのボランティア・プロジェクトに参加しました。

①     七ヶ浜プロジェクトでは、海浜清掃・足湯・ガレキ撤去・地域住民交流カフェといった活動に加えて、在宅避難民の支援ニーズの聞き取り調査を行いました。これは、避難所や仮設住宅に住む被災者には支援の目が届きやすく、実際それが行われてきました。しかし、自分の住宅に住まう被災者への支援は、ほとんど手がつけられていなかったようです。そのため、今回のニーズ汲み採り調査は、現地の人たちに大変感謝されたそうです。

②     気仙沼プロジェクトでは、他大学の学生ボランティアと一緒になって、写真洗浄、ガレキ撤去、養殖業復興支援、美術館サポート活動、祭の手伝いなどを行いました。この活動は、東北学院大学が全国の大学に参加を呼び掛けたものです。そのため、このプロジェクトに参加した学生たちの何人かは、全国に友人が出来た、と言っていました。

③     さらに、キリスト教団プロジェクトでは、東北教区被災者支援センターを通して、泥だし、ガレキ撤去などの活動を行ってきました。

 

参加学生の中には、既に高校時代からボランティアの経験を持つ者が1割近くいたようですが、多くは今回が初めてという者でした。いずれの参加者も、貴重な体験を基に、様々な思いを抱いて名古屋に帰ってきたことと想います。何をどう感じ、何を自らの肝に銘じ、何を学んだかは、参加者それぞれでしょう。そうだとしても、今回の体験を通じて感じたこと、学んだことは、これから生きていく上で必ず血となり肉となるものだと確信します。

 

「額に汗して活動する学生たちの真摯な姿を目の当たりにして、心から彼らを誇りに思った」、「彼らの姿に目頭を熱くした」、「一緒に行って良かった」。同行した教職員の何人かが、そう語ってくれました。私も同じ気持ちです。他人の痛みを自らの痛みと捉え、手を差し伸べなければと感じ、実際に行動に移す。そんな若者たちが、本学にはこんなにも沢山いるのだ。嬉しいですね。「今の若いモン、なかなかヤルじゃないのっ」。そんな気分です。

困っている人たちに自然に手を差し伸べることができる人たち、貴方がたは本当に心の優しい、勇気ある者たちです。貴方がたこそが日本や世界を救ってくれる人たちです。

 

被災者支援ボランティアの活動に参加された学生・教職員の皆さん、御苦労さまでした。そして事前の準備や調整作業に、惜しみなく時間と労力を割いていただいた学生部や教務部をはじめとした関係部署の皆さん、ご協力ありがとうございました。事前に懸念されていた事故や病気・怪我など無くて一安心です。安堵とともに、「We are proud of you.」と言わせて下さい

長い夏休みが終わり,秋学期がスタートしました。学期初めの1~2週間を「マナー向上キャンペーン期間」と位置付け,教務部・学生部と協働しながら,朝の挨拶運動・教室内ルールの徹底・マナー向上のための学内巡回などを行いました。

「朝の挨拶運動」では,1時限目の授業が始まる前の20分間,たくさんの教職員の方々が自主的に大学周辺に立ち,登校してくる学生たちに「おはよう」の声かけをしていただきました。また,教室内ルールの徹底のために,全ての教員が一度は授業中に「守るべき教室内ルール」の説明をしていただいたと思います。さらに,学生部の皆さんには,昼休みを利用してマナー向上のための学内巡回をしていただきました。皆様のご協力に心より,感謝申し上げます。

 

さて,こうしたキャンペーンについて,在学生の皆さんはどう感じているのでしょうか?

大学生にもなって,そんな基本的マナーについて,どうして指導されなきゃいけないんだ?「挨拶運動」なんて小学校でもやってたし,遅刻をしない,ごみはゴミ箱へなんて,そんなの当たり前じゃん。こんな思いや疑問を持った方もいるでしょうね。

ところが,知っていることとそれが出来ることとは違います。実際,企業の採用担当者たちの多くが「(本学の学生に限らず)大学生のマナーがなっていない」と吐露しています。小学生の時にはできたけれども,中学・高校・大学と学年が上がるにつれて,基本的マナーができていない,という現実があるのです。社会人としての基本的なマナーは,条件反射のごとく,意識しないで出来ることが重要です。それには,普段からの実践とその習慣化が求められます。

 

なぜ,基本的マナーが重要か?もちろん就活のためだけではありません。それは,人は一人では生きていくことができず,他人との関係のなかでのみ生きているからです。この他者との関係を円滑にするために,自然発生的に社会のマナーが形成されました。それは,「不必要に敵をつくらず」,「より多くの味方を得る」方策でもあります。他者に配慮し,配慮に基づいた行動が,マナーの基本です。だから,本学の建学の精神「敬神愛人」そのものでもあるのです。

 

円滑な人間関係が構築されれば,人生はもっと楽しくもっと明るくなるに違いありません。挨拶やマナーを守ることは,他の誰のためでもない,自分のために,自分が清々しく快適に生きるために行うのです。逆に,マナーから外れた自分勝手な振る舞いは,他人に迷惑をかけ,他人を不快にさせ,それがひいては,自分を不幸に導いていきます。

 

ニコッと笑顔であいさつ,マナーを守り,自らを幸せにするよう努めましょう。

9月9日(金)雨
<再び韓教授>
今日は朝から雨が降っている。韓国を訪問して以来,4日間は日本よりも少し涼しくて,快適な日々であったが,帰国日は本格的な雨模様となった。今日の移動行程は,車で江陵からソウルに戻り,ソウル仁川空港からKE751で中部国際空港に飛ぶ。

朝8時,昨日と同じ時刻に朝食のために階下のレストランに向かう。そこで見た光景は,デジャブではないのかと我が目を疑う。
昨日と同じテーブルの同じ席に,伊藤理事長と姜先生が席をとり,その向かいには,昨日と同じように韓教授が椅子にかけている。近づいて席に着くと,昨日と同じようなバスケットの話が続いていた。
江陵に到着して以来,我々は5回の食事の機会を得たが,韓教授はその全てに同席している。初日の夕飯,2日目の朝・昼・夕,そして今日の朝だ。これほどの密着接遇は,日本では考えられない。
そして,話題は終始バスケットである。最近のバスケット理論,練習の方法,コーチ理論など。韓教授は,韓国のスポーツ番組でバスケットの解説者をしているそうだが,朝から晩まで只管バスケットの話ができることに脱帽である。

<Thank you for your hospitality.>
出発予定時間の8時半にホテルのロビーに降りていくと,そこには吉 センター長をはじめ江陵大学のスタッフ6人が待っていた。見送りに来ていたのだ。「えぇっ,こんなにも沢山の人が・・・」と驚く。
しかも,そのタイミングを見計らったように,昨日の午後からソウルに出かけていた朴総長から職員の携帯電話に着信がある。職員は,「朴総長からです」と告げながら,携帯電話をボクに預けた。電話を介して,朴総長と挨拶を交わしお礼を述べる。1~2分後に,伊藤理事長もロビーに姿を見せたから,その電話を理事長に預けた。理事長も恐縮したように何度もお礼を述べていた。
韓国流の徹底した接待には,心底,驚嘆させられる。文字通り,Thank you for your hospitality. である。

<2016年平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック>
ホテルからソウル仁川国際空港までは,国際関係教育センターの鄭さんが運転する車で送って貰う。道中には,幾つかの観光スポットに立ち寄ったが,なかでも2016年に冬季五輪の開催地となる平昌(ピョンチャン)オリンピック会場が印象的であった。
平昌(ピョンチャン)スキー場では,開会式,アルペン,クロスカントリー,ジャンプ競技などが行われる予定だ。コンベンションセンターやコンサートホール,ホテル群の大半は,既に出来上がっている。選手村や周辺地域の再開発がこれからの予定だ。
開会式が行われるジャンプ台会場では,90Mと120Mのジャンプ台がそびえ立ち,4人のナショナルチームの選手たちが練習していた。彼らは,我々の目の前で何本も大ジャンプを披露し,ついでに記念撮影にも応じてくれた。
2016年の冬季五輪の開催に合わせて,KTX(韓国新幹線)がソウル―江陵間にも敷設される予定である。両都市を移動するのに要する時間は,高速道路では3時間半だが,KTXが利用できれば1時間半程度に短縮される(江稜は,アイスホッケーとスピードスケートの競技会場になる)。また,KTXは,五輪の大会本部が置かれる平昌にも支線でつながることから,ソウルからのアクセスは格段に改善される。

江稜も平昌も,2016年の冬季五輪開催への期待は大きい。万博もそうだが,大規模イベントが持つ経済効果は,イベントが開催されている期間よりも,イベント開催に合わせて事前に行われる周辺地域の再開発やインフラ整備に拠るものが大きい。これは,万国共通のようである。

夕方5時,ソウル仁川国際空港に到着。運転手をしていただいた鄭さんとも,ここでお別れだ。実家がソウルにある彼は,週末を実家で過ごすという。
KE751便は,ほぼ予定の時刻通り19:00にターミナルを離れ,20:50に中部国際空港に着陸した。名古屋の気温は,ソウルに比べて数度高いのだろう。汗が滲んでくる。預け入れた荷物の回収場所(Baggage Claim)で,3人の韓国訪問団は「解散」となった。
 これで,韓国協定大学訪問記を終わります。