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2011年10月アーカイブ

10月15日(土),瀬戸キャンパスで大学祭がありました。当日の天気は生憎の雨でしたが(昨年も雨でした),それでも,学生たちはステージ企画,BLS(救急救命)体験,模擬店,ゲームなどの出し物に懸命に取り組んでいました。企画運営を担った実行委員会のメンバーの皆さん,それに応えて様々な出し物を行った学生諸君,本当にご苦労様でした。若者たちが一生懸命取り組む姿は,実に美しいですね。
雨天にも拘わらず,多数の来場者を得ることができました。来場者の風貌から,その集団の属性を分類してみれば,次の4グループになるように思います。それらは,①地元の子どもたちやその保護者たち,②本学学生の親御さんや親族たち,③おそらく高校生だろうなと見受けられる青少年集団(男子生徒よりも女子生徒の方が多く目につきました),そして④本学の教職員や大学関係者たち,などです。
雨で濡れたキャンパスの中を,はしゃいで走ってスッテンコロリンといった小学生の姿もありました。が,彼は直ぐに立ちあがって親元に駆けて行きましたから,これもまた良くある光景といったところでしょう。
 模擬店が林立しているキャンパス(麦粒苑)をブルブラしていると,リハビリテーション学部の学生のお母さんに声をかけられました(先述のグループ②ですね)。
 
 「学長さん,ですよね?」
 「はい。」
 「いつも息子がお世話になっています。」
 「いえいえ,こちらこそ。雨の中いらして頂きありがとうございます。今日は雨で,学生たちにはちょっと気の毒ですね。」
 「でも息子は実行委員もしているとかで,先ほど覗いたら喜々としてやっていました。その姿に安心しました。」と微笑みながらお母さん。
 
そうなんですねぇ。親は喜々としている我が子の姿を見るのが好きなのです。一人暮らしの息子を案じ,大学に慣れたか,元気にやっているかと親は常に案じているのです。そして,息子が元気で楽しそうに過ごしている姿に安堵し,自分の幸せを感じるのです。
もう30年以上も前(1977年,昭和52年)になりますがシンガーソングライターのさだまさしさんが「案山子(かかし)」という楽曲をリリースしました。その歌詞の一番は次の通りです。
 
 元気でいるか? 街には慣れたか? 友達出来たか? 
 寂しくないか? お金はあるか? 今度いつ帰る?
 城跡から見下せば蒼く細い河
 橋のたもとに造り酒屋の レンガ煙突
 この町を綿菓子に染め抜いた雪が消えれば 
 お前がここを出てから 初めての春
 手紙が無理なら電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい 
 お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聞かせてやってくれ 
 
 
これは,兄の立場で故郷を離れて暮らす弟に宛てたメッセージとして書かれていますが,肉親の安否が常に気掛かりな親心を率直に表現しているように思います。親元を離れて暮らす子どものことを,親はいつも心配しています。ご飯は食べただろうか?風邪をひいて寝込んではいないか?交通事故に遭わないように。悪い仲間に引き込まれていないか?暴漢に襲われたらどうしよう,などなど。悪い状況を想像したら,それはらせん階段のようにエスカレートしていき,「孤独死」まで夢想してしまう。それが親という人種なのです。
だから,一人暮らしをしている学生諸君は,親を安心させるために(それは親孝行の一つなのだと割り切って),時には自らの近況を報告してあげて下さい。手紙が無理なら(無理だろうなぁ),電話でもよし,メールでもよし,です。
大学祭に顔を出して思い起こしたことが「親孝行のススメ」であったとは,意外でしたか? 
ちなみに,くだんのご両親(お母さんだけでなくお父さんともお話しさせていただきました)は,息子さんが充実した学生生活を過ごしている姿を通して(父母会や父母懇談会など大学のイベントにも欠かさず参加されているとのことです),息子さんを本学に送り出したことに非常に満足されていました。そして,小生自身までもが感謝されてしまった次第です。

瀬戸キャンパスの教職員の皆さま,これはひとえに日頃の皆様の愛情深い教育指導の賜に他ありません。ご両親からの感謝の言葉を,皆様に小分けしてお渡ししたいと思います。
どうもありがとうございます。

 

10月11日、東日本大震災からはや7カ月を迎えました。震災で最も多い死者・行方不明者を出した石巻市では、259か所の避難所全てが閉鎖されたとの報道がありました。しかし、復興には20年はかかると言われ、被災された方たちが落ち着いた生活を取り戻すまでには、まだまだ長い時間が必要です。

 

さて、夏休みを利用して、本学から100名を超える学生・教職員が被災者支援ボランティアとして宮城県に出かけました。彼らは、①NPO法人レスキューストックヤードの七ヶ浜プロジェクト(61名)、②東北学院大学の気仙沼プロジェクト(40名)、③日本キリスト教団東北センターの仙台市プロジェクト(4名)、の3つのボランティア・プロジェクトに参加しました。

①     七ヶ浜プロジェクトでは、海浜清掃・足湯・ガレキ撤去・地域住民交流カフェといった活動に加えて、在宅避難民の支援ニーズの聞き取り調査を行いました。これは、避難所や仮設住宅に住む被災者には支援の目が届きやすく、実際それが行われてきました。しかし、自分の住宅に住まう被災者への支援は、ほとんど手がつけられていなかったようです。そのため、今回のニーズ汲み採り調査は、現地の人たちに大変感謝されたそうです。

②     気仙沼プロジェクトでは、他大学の学生ボランティアと一緒になって、写真洗浄、ガレキ撤去、養殖業復興支援、美術館サポート活動、祭の手伝いなどを行いました。この活動は、東北学院大学が全国の大学に参加を呼び掛けたものです。そのため、このプロジェクトに参加した学生たちの何人かは、全国に友人が出来た、と言っていました。

③     さらに、キリスト教団プロジェクトでは、東北教区被災者支援センターを通して、泥だし、ガレキ撤去などの活動を行ってきました。

 

参加学生の中には、既に高校時代からボランティアの経験を持つ者が1割近くいたようですが、多くは今回が初めてという者でした。いずれの参加者も、貴重な体験を基に、様々な思いを抱いて名古屋に帰ってきたことと想います。何をどう感じ、何を自らの肝に銘じ、何を学んだかは、参加者それぞれでしょう。そうだとしても、今回の体験を通じて感じたこと、学んだことは、これから生きていく上で必ず血となり肉となるものだと確信します。

 

「額に汗して活動する学生たちの真摯な姿を目の当たりにして、心から彼らを誇りに思った」、「彼らの姿に目頭を熱くした」、「一緒に行って良かった」。同行した教職員の何人かが、そう語ってくれました。私も同じ気持ちです。他人の痛みを自らの痛みと捉え、手を差し伸べなければと感じ、実際に行動に移す。そんな若者たちが、本学にはこんなにも沢山いるのだ。嬉しいですね。「今の若いモン、なかなかヤルじゃないのっ」。そんな気分です。

困っている人たちに自然に手を差し伸べることができる人たち、貴方がたは本当に心の優しい、勇気ある者たちです。貴方がたこそが日本や世界を救ってくれる人たちです。

 

被災者支援ボランティアの活動に参加された学生・教職員の皆さん、御苦労さまでした。そして事前の準備や調整作業に、惜しみなく時間と労力を割いていただいた学生部や教務部をはじめとした関係部署の皆さん、ご協力ありがとうございました。事前に懸念されていた事故や病気・怪我など無くて一安心です。安堵とともに、「We are proud of you.」と言わせて下さい

長い夏休みが終わり,秋学期がスタートしました。学期初めの1~2週間を「マナー向上キャンペーン期間」と位置付け,教務部・学生部と協働しながら,朝の挨拶運動・教室内ルールの徹底・マナー向上のための学内巡回などを行いました。

「朝の挨拶運動」では,1時限目の授業が始まる前の20分間,たくさんの教職員の方々が自主的に大学周辺に立ち,登校してくる学生たちに「おはよう」の声かけをしていただきました。また,教室内ルールの徹底のために,全ての教員が一度は授業中に「守るべき教室内ルール」の説明をしていただいたと思います。さらに,学生部の皆さんには,昼休みを利用してマナー向上のための学内巡回をしていただきました。皆様のご協力に心より,感謝申し上げます。

 

さて,こうしたキャンペーンについて,在学生の皆さんはどう感じているのでしょうか?

大学生にもなって,そんな基本的マナーについて,どうして指導されなきゃいけないんだ?「挨拶運動」なんて小学校でもやってたし,遅刻をしない,ごみはゴミ箱へなんて,そんなの当たり前じゃん。こんな思いや疑問を持った方もいるでしょうね。

ところが,知っていることとそれが出来ることとは違います。実際,企業の採用担当者たちの多くが「(本学の学生に限らず)大学生のマナーがなっていない」と吐露しています。小学生の時にはできたけれども,中学・高校・大学と学年が上がるにつれて,基本的マナーができていない,という現実があるのです。社会人としての基本的なマナーは,条件反射のごとく,意識しないで出来ることが重要です。それには,普段からの実践とその習慣化が求められます。

 

なぜ,基本的マナーが重要か?もちろん就活のためだけではありません。それは,人は一人では生きていくことができず,他人との関係のなかでのみ生きているからです。この他者との関係を円滑にするために,自然発生的に社会のマナーが形成されました。それは,「不必要に敵をつくらず」,「より多くの味方を得る」方策でもあります。他者に配慮し,配慮に基づいた行動が,マナーの基本です。だから,本学の建学の精神「敬神愛人」そのものでもあるのです。

 

円滑な人間関係が構築されれば,人生はもっと楽しくもっと明るくなるに違いありません。挨拶やマナーを守ることは,他の誰のためでもない,自分のために,自分が清々しく快適に生きるために行うのです。逆に,マナーから外れた自分勝手な振る舞いは,他人に迷惑をかけ,他人を不快にさせ,それがひいては,自分を不幸に導いていきます。

 

ニコッと笑顔であいさつ,マナーを守り,自らを幸せにするよう努めましょう。

9月9日(金)雨
<再び韓教授>
今日は朝から雨が降っている。韓国を訪問して以来,4日間は日本よりも少し涼しくて,快適な日々であったが,帰国日は本格的な雨模様となった。今日の移動行程は,車で江陵からソウルに戻り,ソウル仁川空港からKE751で中部国際空港に飛ぶ。

朝8時,昨日と同じ時刻に朝食のために階下のレストランに向かう。そこで見た光景は,デジャブではないのかと我が目を疑う。
昨日と同じテーブルの同じ席に,伊藤理事長と姜先生が席をとり,その向かいには,昨日と同じように韓教授が椅子にかけている。近づいて席に着くと,昨日と同じようなバスケットの話が続いていた。
江陵に到着して以来,我々は5回の食事の機会を得たが,韓教授はその全てに同席している。初日の夕飯,2日目の朝・昼・夕,そして今日の朝だ。これほどの密着接遇は,日本では考えられない。
そして,話題は終始バスケットである。最近のバスケット理論,練習の方法,コーチ理論など。韓教授は,韓国のスポーツ番組でバスケットの解説者をしているそうだが,朝から晩まで只管バスケットの話ができることに脱帽である。

<Thank you for your hospitality.>
出発予定時間の8時半にホテルのロビーに降りていくと,そこには吉 センター長をはじめ江陵大学のスタッフ6人が待っていた。見送りに来ていたのだ。「えぇっ,こんなにも沢山の人が・・・」と驚く。
しかも,そのタイミングを見計らったように,昨日の午後からソウルに出かけていた朴総長から職員の携帯電話に着信がある。職員は,「朴総長からです」と告げながら,携帯電話をボクに預けた。電話を介して,朴総長と挨拶を交わしお礼を述べる。1~2分後に,伊藤理事長もロビーに姿を見せたから,その電話を理事長に預けた。理事長も恐縮したように何度もお礼を述べていた。
韓国流の徹底した接待には,心底,驚嘆させられる。文字通り,Thank you for your hospitality. である。

<2016年平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック>
ホテルからソウル仁川国際空港までは,国際関係教育センターの鄭さんが運転する車で送って貰う。道中には,幾つかの観光スポットに立ち寄ったが,なかでも2016年に冬季五輪の開催地となる平昌(ピョンチャン)オリンピック会場が印象的であった。
平昌(ピョンチャン)スキー場では,開会式,アルペン,クロスカントリー,ジャンプ競技などが行われる予定だ。コンベンションセンターやコンサートホール,ホテル群の大半は,既に出来上がっている。選手村や周辺地域の再開発がこれからの予定だ。
開会式が行われるジャンプ台会場では,90Mと120Mのジャンプ台がそびえ立ち,4人のナショナルチームの選手たちが練習していた。彼らは,我々の目の前で何本も大ジャンプを披露し,ついでに記念撮影にも応じてくれた。
2016年の冬季五輪の開催に合わせて,KTX(韓国新幹線)がソウル―江陵間にも敷設される予定である。両都市を移動するのに要する時間は,高速道路では3時間半だが,KTXが利用できれば1時間半程度に短縮される(江稜は,アイスホッケーとスピードスケートの競技会場になる)。また,KTXは,五輪の大会本部が置かれる平昌にも支線でつながることから,ソウルからのアクセスは格段に改善される。

江稜も平昌も,2016年の冬季五輪開催への期待は大きい。万博もそうだが,大規模イベントが持つ経済効果は,イベントが開催されている期間よりも,イベント開催に合わせて事前に行われる周辺地域の再開発やインフラ整備に拠るものが大きい。これは,万国共通のようである。

夕方5時,ソウル仁川国際空港に到着。運転手をしていただいた鄭さんとも,ここでお別れだ。実家がソウルにある彼は,週末を実家で過ごすという。
KE751便は,ほぼ予定の時刻通り19:00にターミナルを離れ,20:50に中部国際空港に着陸した。名古屋の気温は,ソウルに比べて数度高いのだろう。汗が滲んでくる。預け入れた荷物の回収場所(Baggage Claim)で,3人の韓国訪問団は「解散」となった。
 これで,韓国協定大学訪問記を終わります。

9月8日(木)曇り,小雨
<韓教授のこと>
 朝食を採りに8時にホテルのレストランに下りて行く。既に,伊藤理事長と姜先生の姿がある。二人は横に並んで席に着き,彼らの前には,テーブルを挟んで江陵大学の韓昌道 客員教授が席をとっていた。
 韓教授は,昨日のホテル前での出迎えにも,夜の晩餐会にも出席されていた。さらに,自宅からここまで来るのには車で1時間強はかかるという。それにも拘らず,我々の朝食にまで付き合おうというのだから,その徹底した接待精神には頭が下がる。
 韓教授のターゲットは伊藤理事長であり,話題の大半はバスケットだ。バスケットを介した江陵大学と本学との交流機会を模索している。交流試合や合同練習という企画はどうか,本学のバスケットチームが合宿に江陵大学に来たらどうか,宿泊施設は用意する,バスケットが無理ならサッカーはどうか,など。

<江陵大学の充実した施設>
 午前9時,江陵大学国際関係教育センターの鄭さんらが,車でホテルまで迎えに来てくれた。午前中は,朴総長との面談と江陵大学内の施設見学だ。
 江陵大学は,医療・観光リゾート・教育師範・工科・人文・スポーツ・軍隊・警察公務など8つの単科大学(日本の学部相当)を抱え,全国から集まってきた15,000人の学生が学んでいる。とりわけユニークなのは,観光リゾート単科大学である。
 観光リゾート単科大学で学ぶ学生たちのために,キャンパス内に実習用のホテルを備える。その建物は,Universtel(ユニバーステル:大学+ホテルの造語)と名付けられ,1階から6階が学生寮,7階と8階がホテルである。この客室は,大学を訪問するゲストに限らず,広く一般客も利用できる。宿泊料金は,VIPルームが1泊12万ウォン(約1万円),一般客室は4万ウォン(3,000円)。海水浴客で賑わうシーズンには,ほぼ満室になるという。
 伊藤理事長は,江陵大学の体育館に垂涎の様子であった。大型体育館は,天井が高く,観客席も用意され,床材は樫の木で,全てがアメリカ仕様であるという。これは,韓教授の自慢の種でもある。「日本では,ここまでお金をかけられない」と,伊藤理事長。

<宮廷料理とチャングム>
12:00から朴総長主催の昼食会。メニューは,伝統的な韓国の宮廷料理だ(嬉しいっ!)。食事処(「チョダン韓食」)の建物は,少し大きめの戸建て民家の様相。とても齢70とは見えない,初老の女性オーナーが店主である。彼女が,にこやかにそして上品に,次から次へと出してくる料理を,逐次,説明してくれる。どれもこれも美味で,人生の幸せを感じる。
小生は,韓国宮廷料理に少し思い入れがある。もう7~8年前になるが,そのきっかけは, NHKで放映された韓国ドラマ『大長今(デジャングム):宮廷女官チャングムの誓い』にハマってしまったことだ。
ドラマの前半では,チャングムがスラッカン(王様の料理を準備する厨房)の女官として生きる姿が描かれ(ドラマの後半ではチャングムが女医になる),料理番組を見るがごとく,ストーリーの展開に並走しながら,様々な食材と料理および調理方法を紹介していた。食の基本思想は,食を通じて人の健康管理を図ろうということだと知る。
日本でも「1日に30品目」の食材を採ろう,と栄養士が言う。少量多品種の食事は,栄養バランスを意識したものであり,王様が食べる韓国宮廷料理はその典型なのだろう。

<再び活魚の店へ>
午後は,国際関係教育センターの鄭さんが,車で近隣の名所(正東津など)を案内してくれた。そして,夕飯は,再び「活魚」の食事処(オファ刺身屋)で晩餐会。
ホストは,学生部長で体育教育学の尹相昊教授だ。自転車競技のアスリートであったといい,しばしスポーツ談議に花が咲いた。
食事処は,鏡浦海水浴場の海岸通りに隣接する食堂街の一画にあり,ホテルから徒歩で15分の距離だ。今回の「活魚」の店でも,当然のように,海ミミズが皿に盛られて出てくる。注意深く,これに箸をつけないようにしながら,活魚を堪能した。
食後には,江陵大学による車の手配を丁重にお断りし,腹ごなしと酔いざましを兼ねて,3人で歩いて帰った。

9月7日(水)晴れ

<二等辺三角形の二つの辺を行く行程>

 朝7時に起きる。7:30からNHKの国際放送で朝の連続テレビ小説「おひさま」を見る(前作「ゲゲゲの女房」に引き続き,井上真央主演のこの番組を見るのがボクの日課です)。釜山は日本に近いこともあって,NHKのテレビ番組をほぼリアルタイムで見ることができる。便利な時代だ。

 9時にロッテホテルをチェックアウトし,タクシーを拾って釜山駅に向かう。約20分で釜山駅に到着。今日は大移動の日だ。

 釜山から鉄道でソウルに移動し,ソウルから江陵(カンヌン)までは車を使う。地図を広げれば,釜山は朝鮮半島の下(南)に位置し,ソウルは半島の左側(西側)。そして江陵(カンヌン)は半島の右側(東側)で,ソウルからほぼ真東にある。だから,今日の移動工程は,逆さにした二等辺三角形(▽)の下の頂点(釜山)から,斜め左(西北)方向に鉄道で上がり(ソウル),その後,底辺を水平方向に右(東)に向かうというものだ。

 なぜ,逆二等辺三角形(▽)の右側の辺のコースを辿らないか?そのコースは,時間と心に余裕のある旅人のものだからだ。確かに,朝鮮半島の東側の海岸線を辿るコースは,各所に風光明媚な観光スポットが点在していて,ドライブにはもってこいらしい。しかし交通手段としては車しかなく,釜山から江陵まで,ただ走るだけでも7~8時間かかると言う。そのため,この観光コースは却下となった。

 

<KTXに乗って>

 釜山10:00発のKTXに乗る。KTXは,韓国が自慢する新幹線である。車内は冷房が利きすぎて,少し寒いくらいであったが,車で移動するよりも圧倒的に快適だ。

 ソウルまでの所要時間は2時間半。ちょうど,東京―大阪の移動距離である。釜山―ソウル間のKTXは,朝鮮半島を縦断するようなコースを辿る。だから,車窓に映る景色の多くはトンネルの中。時折,山裾に広がる段々畑が見える。「車窓の景色は,東海道新幹線の方が勝っているな」と感じるのは,東海道に住まう日本人だからだろうか。

 東海道新幹線では,大都会に林立するビルの間を抜け,海が見え富士山が見えて大きな川に架けた鉄橋を渡る。農村地帯に広がる田んぼや畑の姿もあるし,郊外型工場が忽然と現れたりもする。景色は目まぐるしく変化するように思う。

 

 KTXは,予定時刻通り12:31にソウル駅に着いた。駅の構内あるレストランで昼食を採る。ここから,江稜(カンクン)までさらに車で3時間の移動が待っていると思うと,心の準備が必要だ。腹ごしらえと共に,固まった筋肉を少しほぐしておかねば,と思う。

 昼食に小一時間をかけ,タクシーを拾って,いざ江稜(カンクン)へ。お腹が膨れた後だということもあって,3時間半の車の移動は,覚悟するほどのこともなかった。というのは,移動の大半の時間を不足がちな睡眠に充てることができたからだ。

 

<江陵の現代ホテルにて>

 さて,夕方5時過ぎにタクシーは「江陵鏡浦 現代ホテル」に到着。やれやれ,やっと着いたか,と思っていたら,姜先生が「江陵大学の人たちがホテル前で出迎えている」と声をあげた。

 いるわ,いるわ。なんとここでも4人の出迎え者。今日は移動日と,ジーンズにポロシャツ姿の小生は,「こりぁ参った」。最初に挨拶を交わした国際関係教育センター長の吉又暻先生は,8月にこの職に就任したばかりだという。

 今回もまた,荷物を解く余裕もないまま,着替えをして(ネクタイを付けて),ホテルのレストランで晩餐会となった。参加者は,江陵大学側が朴熙宗 総長(専門は経済学)をはじめ10人。料理は,韓流フレンチ(ありがたい)。

 食事の前には,しっかり公式セレモニーが準備されていて,朴総長の挨拶,伊藤理事長の返礼,そして小生にも挨拶の機会を与えられた。食事中の会話は,朴総長が流暢な英語を操るため,英語とハングル語と日本語とがごちゃまぜ状態であった。それでも,姜先生は通訳に忙しくて,美味なるご馳走を楽しむ余裕は無い。

 夜8時半に,晩餐会は閉じられた。

 アルコールと料理で満腹になった我々3人は,腹ごなしに夜の散歩に出かける。

 「江陵鏡浦 現代ホテル」は,海水浴で有名な鏡浦海岸に立地するリゾートホテルである。9月初旬,既に韓国では,大学を含めほぼ全ての学校で秋学期が始まっている。そのため,この時期にこのリゾートホテルに宿泊している客は,我々3人を加えても10人と満たない。ホテルの庭先から建物を見上げると,窓に明かりが点いた部屋は数えるほどしかない。

 散歩に出た海岸通りには,歩き勝手が良いように,砂浜の上に木材で組んだ長い遊歩道が続いていた。この遊歩道を辿って,ホテルから海岸管理センターまで往復する。所要時間は約1時間。こりゃぁ,デートコースに持ってこい,である。若者たちが羨ましい。

 海岸を照らす照明塔は,地面に垂直(90度)ではなく,80度ほどに傾斜していた。伊藤理事長はその姿にいたく感心する。「こういう照明は日本には無いなぁ~」と。

 砂浜の前に広がる海の向こうには,日本がある。

<東義大学と韓国大学事情>

9月6日(火)晴れ
朝8時の朝食は,ボクはStarbucksのカフェでコーヒーとパン。伊藤理事長と姜先生はホテルの裏通りにある「お粥の店」で「アワビ粥」を食した。これが世代の違いか。
朝10時に東義大学の職員がホテルに迎えに来てくれて,彼らの車で大学に向かう。
香港や長崎を想わす港と山に囲まれた釜山市にある東義大学は,山の斜面を切り取って開発したゴルフの山岳コースのようなキャンパスだ。1時間ほど図書館・学生寮・野球場などを巡るキャンパスを見学した。新装オープンした図書館は,多くのパソコンが配置されているのは本学と同じだが,24時間利用可能な学習室,コミックやベストセラーを配置したブックカフェ,斬新なデザインのセミナールーム,小規模ながらカンファレンスルーム,国連コーナー,アメリカンセンター・コーナーなど,余裕のあるスペースと気が利いたコーナー配置に,ボクは羨望の眼差し。

東義大学は10学部に18,000人の学生が学び,そのうちの1,500人はキャンパス内にある3つの学生寮に住む。本学がこの大学に派遣する短期留学生たちも,清潔で小奇麗な2人1部屋のこの学生寮に寄宿して,キャンパス内に通学する。引率教員には,寮内にある1DKのゲストルームが用意される。1階にはコンビニも配備されていて,24時間利用できる。ここなら,本学の学生たちも快適で安全な留学生活をおくることができるだろう,と確信した。 

本学と東義大学との国際交流は2002年から始まり,今年で10年目を迎える。ただし,実際に交換学生の行き来がスタートしたのは2004年である。現在は,毎年2~3名の東義大学の学生が留学生別科に入学し,本学からは15名程度の学生が夏休みを利用した短期研修に行っている。
11時過ぎから東義大学の管理本部に向い,張学長を表敬,昼12時からは金理事長と面談した。張学長の専門は建築工学,金理事長のそれは経済学だ。面談では,昨今の大学事情,経済社会事情について意見交換する。
韓国の大学の数は日本のほぼ半分の360程度だが,「大学冬の時代」は日本と共通だ。大学新卒者の就職難,急激な少子化による学生確保の難しさ,これら問題は日本の大学以上に深刻な状況にあるようだ。年間80万~100万人単位で新卒者は職を得ることができず,学生確保のために中国人市場にかける熱意や期待は日本の比ではない。東義大学でも,在学生数の1割を留学生(主として中国人)市場に期待しているという。

<李美京さんのこと>
12時半から,ロッテホテルのレストランで昼食会。相手方は張学長ほか4名で,料理は韓流フレンチ。これは美味しかったし,海ミミズの出現も回避できた。
東義大学で,韓国語-日本語の通訳をしてくれた女性は,李美京さん。彼女には,東義大学に短期留学した本学の学生の大半や,全ての引率教員たちが毎回ながらお世話になっている。彼女が最初に本学の短期留学生たちのチューター役を務めたのは,2007年の夏。当時,彼女は日語・日文学科の大学院生であり,思い出に残る楽しい時間を過ごすことができたと言う。その後,2年間の試験採用期間を経て,今では東義大学の正職員として対外協力センターに勤務している。これからも,多くの本学の学生や教員がお世話になり続けるのだろう。

午後は,姜先生の紹介で東西大学と釜山デジタル大学を訪問した。東西大学では,創設者の業績を誇らしげに展示している博物館に圧倒された。また,釜山デジタル大学では,秋萬錫学長と面談したのち,e-ラーニング教材の制作ルームを案内して貰い,日本以上に進んでいるサイバー大学の姿を目の当たりすることができた。

9月5日(月)~9月9日(金)にかけて,伊藤理事長と姜商学部教授とともに,本学が交換留学等の協定を結んでいる韓国の大学を訪問してきました。小生にとっては新任挨拶を兼ねた表敬訪問です。
訪問先は,当初の予定では釜山(プサン)で東義大学,江崚(カンクン)で関東大学,ソウルで明知大学の3大学でした。しかし,ソウルの明知大学は先方の都合で取りやめ,その代わりに釜山で東西大学と釜山デジタル大学の2つを加えました。ハングル語が母国語である姜先生がガイド役でしたから,鬼に金棒,理事長と小生は木船でなく「大船」に乗った気分です。
数回に分けて,その折の話を書こうと思います。

9月5日(月)曇り・晴れ 釜山へ
<中部国際空港まで>

出発日は9月5日(月)。天候は,時々雨が落ちる曇天。前日まで,台風12号が時速10~15kmとゆっくりした速度で四国・中国地方を横断。両地方と紀伊半島に大雨と暴風・洪水をもたらし,大きな被害を出した。今年は自然災害に悩まされる年なのだ。
中部国際空港での集合時間は,午後1時25分。それより10分前に集合場所に着いたのに,現場に来ていた国際センターの冨田さんには「理事長と姜先生はもう来ていて,チェックインの列に並んでいます」と言われる。「ボクが最後ですか?」。思わず「歳をとると朝が早いそうですからねぇ」と変な言い訳を返してしまった。大将は,最後にお出まし頂ければ良いのに・・・。参ったなぁ。

<釜山到着と出迎え>
中部国際空港を15:25のKE754便で飛び立ち,釜山空港への到着は16:55。ほぼスケジュール通りのわずか1時間半のフライト。時差も無いため,肉体への負担は少ない。札幌へ行くようなものだ。
3人の誰一人として予想もしていなかったことだが,釜山空港では,東義大学の対外協力センターの張課長はじめ4人が(4人も!)出迎えてくれていた。彼らは,あれっあれっと思っているうちに荷物をさらい,我々の身体を2台の車に誘導した。そこから宿泊先の釜山ロッテホテルに直行である。

ロッテホテルは改装工事中でチェックインには多少手間がかかった。荷物を解く暇も無いまま,再び対外協力センターの方たちと共に釜山郊外の活魚の店に向い,そこで最初の晩餐会。相手側は,対外協力センター長の曺永湖教授(専門は日本語・言語学)をはじめ5人,こちら側は伊藤理事長,姜先生そして小生の3人である。
嗚呼,初日から宴会だ。韓流ビールと韓流焼酎,窓を通して潮騒の音。そんな風にして,初日から釜山の夜が暮れていく。

<海ミミズのこと>
ところで,「活魚」と書かれた韓国の食事処の店頭には水槽が置かれ,その中で各種の魚とともに海ミミズ(勝手に小生がそう呼んでいる)が泳いでいる。海ミミズの太さは1~2cm,色はベージュとピンクの中間色,長さは大きいので30~40cmくらいある。
これが水槽の中を泳ぐ姿は,なにやらピンク色の長いウィンナソーセージ(あるいは人間の盲腸のようなもの)が,ぬらぬらと上へ下へと身体を揺すっている印象だ。かなり気色悪い。韓国語の正確な発音は判らないが,ケイブルと呼ぶらしい(英語のCableを連想すると覚えやすい,と姜先生が教えてくれた)。
これが食材として水槽の中を泳いでいる。これを口にするには抵抗がある。ましてや,「生」でなんて食えるはずがない。韓国人はこれを食べるのか,と感嘆。これだけは勘弁,死んでも食えない,と思っていた。
ところが,である。後になって姜先生に知らされたのだが,対外協力センターの人たちと一緒に行った「活魚の店」では,刺身の盛り合わせの中にこれが入っていて,そうとは知らずボクもそれを食べてしまったらしい。確かに皿の上にはベージュ色の切り身があったし,自分は勝手にそれを赤貝か何かの一種かと想って食べた。海ミミズの姿は小さな切り身に変わっていたため,原型を留めていなかったから気付かなかったのだ。
「エエッ,あれを食べてしまったのですか!?」。再び,参った。以前,カエルや雀のから揚げは食べたことがある。しかし,「これだけは食えん」と思っていた海ミミズを食べてしまっていたのだ。意図せず,食に関する新たな境地を開拓してしまった。

もっとも,ナマコを食べる日本人も凄いと思う。ウナギとは比べようもないほど,ナマコを食べる日本人をエライと思う。歴史上初めてナマコを食べた日本人は,誰かは知らないが,きっと死ぬほど空腹だったに違いない。そうでなければ,あれほどグロテスクなナマコを食べようとする筈が無い。
海辺の岩場でじっとしているナマコは,採取するのは簡単だが,どう見ても食欲を喚起させる代物ではない。この気色悪い生物を最初に食べた日本人は,著しく勇気があってチャレンジ精神に溢れた人物であったことだろう。
食の歴史に思いを馳せれば,魚類のフグに代表されるように,菌類のキノコや野生の植物でも,食べて良いものいけないものの峻別のために,大量の人間の死があったに違いない。そして,勇気ある挑戦者がいたればこそ,現代のバラエティ溢れる食材がある。
「コリコリしていて美味しい」という人も居るが,未だにボクはナマコが苦手だ。そして,ナマコのケースと同じくらい,海ミミズを初めて食べた朝鮮民族は勇気があった,と思う。

9月15日,学位記授与式が名古屋キャンパスのチャペルで行われました。その折の挨拶を掲載します。

残暑の日差しが厳しい中,ここに39名の学部生と7名の大学院生が,名古屋学院大学を卒業・修了していきます。大学を代表して,心から皆さんのご卒業・修了をお祝いしたいと思います。
ここでは,主として学部の卒業生に贈る言葉を述べさせて頂きます。
皆さんの卒業時期が,春学期末の9月というのは,大方の日本の大学生たちのそれに比べれば,まだまだ稀なケースです。この時期に卒業となった理由が,意図したものである人もいれば,「不本意にも」という人もいるでしょう。
理由はどうあれ,この時期に卒業していく皆さんは世の中のマイナー集団であるのは間違いありません。しかし,それを卑屈に感じる必要は全くありませんし,それどころか「幸運であった」と考えて良いと思います。
その理由は,こうです。
当然のことですが,人はそれぞれ違います。どんなに仲の良い友人であろうとも,どんなに愛情深い親であろうとも,自分はその友人にも,親のコピーにはなれません。そのため,本来,自分の人生や歩む道は自分で考え,自分で決めなくてはなりません。
しかし,私たちは,たいして考えもしないで,ついと大人が定めたレールや,大きな流れに安穏と乗っかって,なんとはなしに歩んでしまいがちです。そうしてしまうのは,何も考える必要もなく,楽だからです。

ところが,この時期に卒業する皆さんは,少なくても大きな河の流れに身を任せてはきませんでした。やむを得ず,世間の流れに乗れなかった,という場合もあるでしょう。
しかし,それでも,卒業までの時間に,世間平均と比べれば半年,あるいはそれ以上の長さを要してきました。そしてその間に,皆さんは,否応なく「自分は何者だ」と考え,「自分は,既に他の学生とは違う道を歩んでいるのだ」と自覚した筈です。自分は自分だ,他の何者でもない,そして自分の道を歩まざるをえないと,覚悟した筈です。
若い時期の1年や2年の遅れは,年長者からみれば,そして,間違いなく皆さんも歳を取ったときにそれが判ると思いますが,たいした遅れでも何でもありません。それどころか,多感な青春時代に,孤独と戦いながら,自らの生き方,人生の処し方を真剣に考える機会を得たことは幸せであったと言えるでしょう。
自らを真摯に見つめ直す時間を得ることができたこの時間と経験は,皆さんの今後の人生において,大いに意味深いものになる,そう確信しています。

「君たちはいま,自分の生き方を,自分で決める時期に差し掛かっている」。これは私の言葉ではありません。19世紀半ばに,世界的に流行したサミュエル・スマイルズの『自助論:セルフヘルプ』にある言葉です。『自助論』は,「自らを助ける論」と書きます。日本では「天は自ら助くる者を助く」と訳されました。
他の学生たちよりに比べ,自らを見つめ直す時間をより多く持ち,そして自らの意思で己の道を切り拓こうとしている皆さんに,この言葉を贈りたいと思います。
スマイルズは,「成功に必要なのは,実は才能ではなく,勤勉である」。また,「人間の優劣は,その人がどれだけ精一杯努力したかで決まる」とも述べています。
精一杯努力すること,一生懸命にやること。これは,現代の若者たちにとって「格好悪い」ことのように受け止められがちですが,とんでもありません。「一生懸命」は「すばらしく格好良く」て,「価値あること」なのです。自らを助けるために,一生懸命に努力してください。

さて,2011年9月は,皆さんにとっては言うまでも無く,世界の多くの人たちにとっても,記憶に残る時となるでしょう。ニューヨークの貿易センタービルに旅客機が突入した「9.11世界同時テロ」から10年,本年3月の「3.11東日本大震災」から半年が過ぎた時期です。いずれの出来事も,世界を混沌の闇に引き込んでいく契機となり,今でも世界はその闇から抜け出ていません。
こういう時期だからこそ,私たちは名古屋学院大学の建学の精神『敬神愛人』をしっかりと胸に刻まなくてはならないと思います。私たち人間は,傲慢になってはいけない。自らが及ばぬものがあるのだから,神を敬うように,自然や他者に配慮しなくてはならない。他者を愛し,気配りできれば,自分の住む周辺はもちろん,世界全体が平和に住みやすくなる,ということだと思います。
名古屋学院大学を卒業していく皆さんは,是非とも,この機会に『敬神愛人』に思いを馳せて頂くとともに,これを自らの座右の銘として,人生訓として,一生この金言を胸に抱き続けて欲しいと思います。

「敬神愛人」を建学の精神に掲げる名古屋学院大学は,卒業後もまた,皆さんが私たちの貴重な仲間であると考えています。
世界的な大不況のさ中にあって,卒業はするもののまだ就職先が決まっていないという方がいるかもしれません。どうぞ遠慮なく,本学のキャリアセンターをご利用ください。
また,就職後には,改めて慣れない分野の資料を探したり,勉強せざるを得なかったり,という場面も出てくるでしょう。どうぞ,遠慮なく本学の図書館をご利用ください。私たちは,喜んで皆さんの役にたちたいと考えています。

『敬神愛人』の精神を尊重し,そして「天は自ら助くる者を助く」と信じて,豊かで明るい人生を切り拓いていってください。他の人より少し長い時間を大学生として過ごし,孤独にさいなまれながら,真摯に自らと向き合った皆さんです。必ず,それが出来るものと信じています。

皆さんのご健康と,ご活躍をお祈りしています。
卒業,おめでとうございます。

2011年9月15日

名古屋学院大学 学長 木船久雄
9月15日に,留学生別科入学式が名古屋キャンパスのチャペルで行われました。その折,次のようなことを話しました。

On behalf of Nagoya Gakuin University's colleagues, I'd like to express great pleasure to accept you as our students. Welcome to NGU!
 
名古屋学院大学の全ての関係者を代表して,皆さんを心より歓迎します。
「名古屋学院大学へようこそ」

私たちの大学は,キリスト教主義教育を基礎に,1964年に設立されました。建学の精神は,聖書から引用された「敬神愛人」です。これは,「神を敬い,人を愛する」ことを意味しています。つまり,私たちの大学は,「人知の及ばぬものがあること」を認識して,「自らは傲慢になることなく」,「他者に配慮できる」,そんな人材を養成したいと考えているのです。

さて,今回,皆さんがこの時期に日本の留学先として本学を選んだことは,3つの点でラッキーであったと想います。それは,第1に,本学が名古屋と瀬戸の2つのキャンパスを抱えていること,第2に本学が日本列島の真ん中の名古屋市に立地していていること,第3に,皆さんは,日本の歴史的な転換期を目の当たりにできること,です。

第1のラッキーを説明しましょう。約5,300名の学生が学ぶ本学は,規模からみれば,日本の大学の平均的な姿ですが,名古屋と瀬戸に2つのキャンのパスを抱えているという特徴があります。2つのキャンパスで学ぶことを通じて,皆さんは,日本の新しい文化と伝統的な文化の両面を同時に体験できることになります。
2つのキャンパスとは,今皆さんが居るこの「名古屋キャンパス」と,ここから約30キロメートル離れた「瀬戸キャンパス」です。
名古屋キャンパスには,大学本部の他に,経済・商・外国語という伝統的な3学部と留学生別科が配置されています。一方,瀬戸キャンパスには,「スポーツ健康」および「リハビリテーション」という現代的な2つの学部があります。
名古屋と瀬戸の2つのキャンパスは,極めて対照的で,名古屋キャンパスは都市型,瀬戸キャンパスは郊外型と特徴づけることができます。さらに,名古屋キャンパスは現代的な文化・行政・商業施設にアクセスが容易であり,一方の瀬戸キャンパスは,日本の伝統的産業である「窯業・瀬戸物」を代表する都市に立地しているため,伝統工芸に触れる機会が豊富です。
つまり,皆さんは,本学での滞在期間に,新旧の二つの日本の文化を同時に見て,聞いて,体験することができるのです。

第2のラッキーは,本学留学生別科が名古屋に立地していることです。本学が所在する名古屋は,地理的に日本列島の中心に位置し,東京・大阪に続く三大都市圏の一つを形成しています。しかも,名古屋はトヨタをはじめとした日本を代表する製造業の集積地でもあるため,現代日本の社会経済の縮図を見ることができます。
また,名古屋は,東京や大阪の中間点にあることから,両都市のほか古都・京都に出かけるにも便利です。
さらに,名古屋市の人口は約230万人であり,数多くの文化や商業施設を抱える大都市です。しかし大都市でありながら,名古屋の人口密度は東京のそれほどは大きくなく,物価も相対的に安い,といったメリットがあります。

そして第3のラッキーは,現在が,3月11日に起きた東日本大地震と原発事故後の日本の混乱や復興過程をつぶさに観察できる時期であることです。皆さんは,そういう時期に,日本に滞在されているのです。
おそらく皆さんの中には,「何故,原発事故の影響があるこの時期に,日本に行くのか」,「止めたらどうか?」といった忠告やお願いをご家族や知人の方から受けた方もいらっしゃるでしょう。
しかし,今は日本全体で困難から這い上がり,新しい国づくりをスタートさせようとしている画期的な時期なのです。皆さんは,歴史の証人として,その日本を直接観察できるわけです。震災後の復興という難しい時期だからこそ,その姿を直接目の当たりにする今回の日本滞在は,皆さんの人生にとって得難い経験となることでしょう。
皆さんは,「日本の震災復興の生き証人」となる可能性を秘めています。どうぞ,冷静な観察眼を持って,今の日本の姿を見てください。

私たち名古屋学院大学の全てのスタッフは,皆さんの日本滞在が快適なものになるように,また高い学習成果を上げることができるように,全力をあげてサポートします。
判らないこと,困ったことなどがあれば,遠慮なく,私たちにお尋ねください。

今日の緊張した皆さんの顔が,留学生別科の課程を終える半年後あるいは1年後に,どのように変化しているのかを見ることが楽しみです。

実り多い,日本での留学期間であることを祈ります。
ご入学,おめでとうございます。

2011年9月15日
 夏休みの8月20日(土)に,本学の翼館で向井理さんの「僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia.」の映画試写会がありました。本学の学生には優先的に座席を用意しましたから,この試写会に参加した学生もたくさんいたかと思います。
 14:30会場,15:00試写会,17:30トークショーという予定です。座席は全席自由であったため,当日は良い席を取ろうと朝9時頃から翼館の玄関前に,長い列ができ始めました。会場のクラインホールは満席の観客に加えて,テレビカメラが6台(名古屋のテレビ局が揃い踏み),多数の新聞社のカメラマン,東京キー局のアナウンサーらの姿も見受けられました。
 参加者の8割がたは,20歳前後の(これは「学生限定」で参加者募集したのですから,と~ぜん)女性です。その中に,ポツリポツリと男性が混じり,さらに稀に小生のような相対的高齢者(これは本学関係者でしょう)が見受けられる程度でした。
 映画の上映はあっという間の1時間半でしたが,小生にとっては,久しぶりに青春映画を楽しんだ気分でした(映画自体は,ジブリ作品を欠かさず観ています。今年の『コクリコ坂から』も観ました)。向井理さん主演のこの映画は,現代の大学生に多くのメッセージを投げかけているように思います。
 「何でも良いから,とにかく何か始めようよ。」
 「立派な大義名分なんて要らないし,カッコ悪くても良いから,素直に自分たちの言葉で語ろうよ。」
 「少し無理して背伸びして,無理だと思えるようなことにも挑戦してみようよ。」
 「人を助けることが,自分を救うことなんだ。情けは他人(ひと)のためならず。」
 そんなメッセージが,直ぐに思いつきます。リアルタイムの若者たちには,もっと強烈なメッセージが届いたことでしょう。
 映画そのものは,9月23日から全国一斉公開ですから,今回の試写会を逃した方は,是非,映画館でご鑑賞ください。

 試写会後のトークショーでは,新鮮な驚きを感じさせる参加者の姿がありました。何に驚いたかって? 参加者の整然とした姿に,です。参加された20歳前後の女子学生たちは,おそらくほとんど全ての人が向井理さんのファンでしょう。しかし,彼女らはワーワー,キャーキャーと騒ぐわけではありません。
 秩序を保ち,整然と話を聞き,積極的に挙手して質問するのです。サクラなんて立てる必要はありません。一言一句を聞き洩らさないようにと真剣に話を聞き,ウンウンと頷く姿は,向井理さんにボォ~としてウットリしているという姿ではありません。
 これが,人の話を聞こうという姿勢なのでしょう。嗚呼,なんて普段の授業風景と違うことか!これが,人気俳優と人気の無い大学教授との違いなのでしょう。

 トークショーが終わると,向井理さんと監督の深作健太さんが客席に降り,会場の参加者と一緒に映画キャンペーン用の記念撮影を行いました。その写真は,翌日の『中日スポーツ』に大きく掲載されましたから,ご覧になった方もいるかもしれませんね。
 その撮影の後には,向井さんと深作監督の間に小生が割り込んで(つまり,両手に芸能人),さらに追加の記念写真を撮りました。撮影時には,「今が旬のイケメン俳優と一緒に写真を撮るのだ」,「これが学長の役得かなぁ~」みたいな気分でした。しかし,いざ出来あがってきた写真を見ると,向井理さんのイケメン男ぶり,そして自らの凡庸とした姿を改めて確認させられた思いです。
 「お父さん,フツ~の人だね(アタリ前だ!)。」写真を見た娘の感想です。
 今後一切,イイ男と一緒に写真は撮らないようにしよう。