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2017年11月 1日
中期(延長)留学報告(メンフィス大学 伊藤大希)
有機的な国
この留学は、私が初めて海外で長期間滞在した経験であるとともに、初めての一人暮らしでした。そしてこの留学で私は、英語以上に多くのことを学びました。思い返すとこれらの経験は、今でも私の心に色濃く残っており、私の自信に繋がるような成功談から、今でも赤面するような失敗まで様々です。それらは全て。私の将来へ活かしていけるものでした。
私の留学は、アメリカ テネシー州 The University of Memphis にて中期の公費留学でしたが、期間を延長し、約10ヶ月の長期となりました。生活は大学の隣の寮にて、4人で4つの寝室と1つのリビング・台所を共有する形でした。ルームメイトは学期毎に変わりましたが、日本人と一緒になることはありませんでした。
食事は基本自炊でしたが、私が料理しているとルームメイトが私に声をかけてくるため、そこで色々なことを話しました。私がよく話したのが、父親の仕事の関係でスペインからアメリカに移住してきた、私と同年齢のルームメイトです。話の内容としては、ペパロニのピザが好き等のたわいもないおしゃべりでしたが、英語でのコミュニケーション能力を高めることができ、アメリカの文化の多様性を肌で感じました。その中で彼に聞いて驚いたのが、シーフードピザがアメリカにないということでした。
当然国が違うと習慣や文化が違うため衝突が度々起こりますが、日本人がいないという事は、それを全部英語で解決しなければならないということです。英語を話さなければ生活できないという暮らしで、私の英語力は大幅に上がったと思います。同様に、外出し遊ぶことや、メンフィス大学との留学延長のやりとり、スーパーマーケットでの支払いのトラブル、クレジットカード紛失のやりとりも全て一人で解決してきました。これで英語力は当然ですが、一人で暮らしていくために自発的に行動し問題を解決していける力がついたと思います。この中で私は、多くの人に助けられました。大学の郵便局のお姉さん、留学担当の方々、授業を担当した教師の方々、Uberでタクシーに乗った時に気さくに話してくれた人々、そして同じクラスで学んだクラスメイトたちです。この人々とのふれあいで、アメリカという国が人あの温もりに溢れている、有機的な国でああると気づかされました。
最も印象に残ったのは、IEI(語学留学生が在籍することになる大学内の組織)が週末に主催する食事会やパーティーです。私はどういうわけか日本人や文化の近いアジアの国の人とつるまずに、南米出身の友人とつるんでこの週末のパーティーに参加していました。この中で印象に残ったのが、なぜ留学に来たのかいう話題です。私は趣味でやっているスマートフォンのアプリ作成をする為には英語をどうしても使わなければならないから、語学留学で全世界を見渡す視点をつけ、なおかつ英語を学べるアメリカに来たと答えました。ちょうど、それを話していた友人の一人が、コロンビアで銀行関係のプログラムを組んでいたとのことでした。意気投合した私たちは、それから多くの事を語り合いました。彼の仕事のことや、お互いの家族の事、これから社会で必要とされる人材の事、そしてこれから社会に出て働く私の将来の事です。私は半分冗談で将来の夢はリッチになる事だ、と言いましたが、それに彼は大きく反対しました。それから30分ほど、他の人そっちのけで私達は話し始めました。彼が南米特有の早口の英語で喋り、私が必死こいて理解し、そして私は分からない単語で躓きながら、身振り手振りを交えて自分の考えを伝えました。私は彼との討論の中で話した内容以上に、母国語以外の言語を使って人に自分の思いを伝えるという事の楽しさを知りました。そして同様に、喋った言葉の真意を伝える事の難しさを知りました。日本語は主語を抜いて会話が成立する様に基本的に村社会、互いを知った上でコミュニケーションを取るという言語です。一方で英語は、大昔に商業のために作られた言語であり、知らない相手同士がやり取りをするという事が前提になります。私が冗談で言ったつもりでも、相手は大真面目に言っていると捉える場合もあります。私はこの会話で、今まで知識で学んできたことを肌で感じる事が出来たのでした。
私がアメリカで最も苦労したのが、寮で共同生活するルームメイトとの生活習慣の違い、何が人の迷惑になるかと考えることの違いでした。私はアメリカ人とドイツ人と同じリビング・台所を共有していましたが、彼らは使った食器を片付けず、私のジャムや調味料、食器を勝手に使いました。これが単なる個人の問題か、それとも国民性の問題かは分かりませんが、どちらにせよ私にとって大きな問題でした。注意するにしても誰が使ったのかは分からず、冷蔵庫に張り紙を張り出すだけになり非常に歯切れの悪いまま帰国となりました。これ以外にも、リビングに友人を住まわせたりなど、「他人の迷惑を考えないのか!」と言いたくなりましたが、結局言う事はありませんでした。「沈黙はYesと同じ」という事は知識として知っていましたが、どうも人に強く求める事のできない私の悪い癖により、一人でストレスを抱え込む形になってしまいました。つまり、アメリカで生活する事の厳しさの洗礼を受けたということです。
IEIの授業ではプレゼンテーションをすることと、小説を読める様になるが大きな目標であったと思います。レベルの低い授業の頃から、プレゼンテーションは何回も行われました。そしてプレゼントテーション後には、分かりにくかったところや質問者の興味のあるところに矢継ぎ早に質問が来ます。決して日本のように、プレゼンテーション後の質問時間でシーンとなる事はありませんでした。私も他の生徒に負けじと他人の発表をメモに取り、プレゼンテーション後の質問に参加しました。他人の発表に意見を持ち、それを投げかけるというのは為になり、非常に面白いと思った授業でした。リーディングの授業では、レベルが上がるごとに段々と読み物のページ数は増え、最終的に400ページほどの小説を読むようになりました。内容も比例して社会性のある小説に代わり、私の受けた最後の授業ではユートピアとディストピアについて議論するものとなりました。そしてライティングは、それについて数百字で自分の意見を述べ、文法は厳しくチェックされ、完全に文法的に正しい文章を書ける様にするというものでした。私は英語で文章を書くことは得意でしたが、厳しく鍛え抜かれ使える英語に成長したと思います。
このように、私の10ヶ月あまりのアメリカ生活・留学は非常に充実したものでした。アメリカの風を感じ、有機的な人々の優しさに触れ、この国の良さを実感しました。
2017年10月31日
長期留学報告(アラスカ大学フェアバンクス校 杉浦夢菜)
2017年10月19日
中期留学報告(パシフィック大学 井上 駿)
長期留学報告(ノースセントラル大学 渋谷 拓海)
留学を通して学んだこと
私は昨年の8月から6月までの約10か月、アメリカのイリノイ州にあるノースセントラル大学に、交換留学生として留学した。経験した全てが新鮮で自分にとっては新しいもので、とても良い経験をすることができた。正規授業が始まる前の8月は、ESLの授業を受けつつ、メインはアメリカのカルチャーに触れ学ぶために、色々な場所に連れて行ってもらったり、週末にはシカゴに観光しに行ったりした。今までは、日本人以外と話す機会やどこかに遊びに行くことが中々なかったので、最初は戸惑ったし、少なからず、いくつかはカルチャーショックを受けることもあった。しかしながら、そのような経験やその環境の中で、どのように立ち振る舞うかなど、自分自身が成長できるチャンスが、とても多くあったと感じる。
9月からは正規の授業が始まり、初めてアメリカの授業を受けることになり、あまりの大変さや日本の授業形態とのギャップに戸惑った。日本とアメリカの授業の違いはたくさんあったが、自分の中で印象的だったのが三つあり、一つは生徒と教授との関係性の違いだった。アメリカの授業では、教授が教壇の上に立つことはなく、とてもフェアな関係で、分からないことはすぐに聞ける関係であることだ。また、最も大きな違いは、授業形態だ。日本の授業は、ものによっては数百人を対象にした大講義授業があり、それは教授の話を聞きノートを取るといった受け身の授業だ。一方でノースセントラルの講義は、大きい授業で30人規模であり、多くの講義は15~20人くらいと小規模な講義だった。更に、受け身の講義は全くなく、基本ディスカッションで考えを深めていくという授業スタイルだった。自分自身、まだディスカッションについていける英語力もなく、中々自らの意見を言えなかった。その中で、今まで以上の予習が必要だと感じ、今までよりも予習に時間をかけ、また、自分の意見もある程度考えたりした。ノースセントラルは3学期制で、各タームの授業の進み方が他校よりも早く、宿題として次の授業の内容の予習をするとうものだったので、予習に4~6時間かかるなどは最初の頃は当たり前だった。日本の大学では日々遊んでいるような生活だったので、とても大変で慣れるのにも時間がかかったが、課題のおかげで勉強しなければいけない時間が必然的に増え、自分の英語力、特に読解力と筆記の力を日々養っていっていることを実感することができた。授業を受けるのは本当に大変だったが、経験した全てが自分の力になり、成長する要素になっていたと思う。
ノースセントラル大学には、フレンドシップファミリーーという、週末や休日に一家族と共に過ごすという制度があった。アメリカではいくつかの大きな休日があり、その中でも一番大きいのはサンクスギビングというものだ。その日は家族で集まり食卓を囲み、ターキーなどの代表的な料理を食べ、食材や神に感謝を示す。その日は、ダウタウンの店などは全て閉まっていて、そこでもアメリカと日本の違いを感じた。翌日はブラックフライデーという日で、衣服などが大きく割引される日だった。その日はアウトレットに行き買い物をしたりと、充実した休日をフレンドシップファミリーと過ごし、アメリカの文化について学ぶことができた。
授業以外では、友達とサッカーのチームを作って校内対抗トーナメントに参加した。当初、英語力の低かった僕が友達を作ることのできた一番の理由が、サッカーだった。小学校から高校までサッカーをしていたので、サッカーで魅了をすることができ、サッカーで輪を広げていくことができた。毎週末サッカーの試合があり、チームで優勝するために真剣に試合に挑んだ。また、週末以外にも平日授業終わりに練習したりと、部活とまではいかないが、サッカーに時間を費やすことが多かった。僕にとっては、友達と過ごす時間すべてが英語力の向上につながり、言葉の壁や文化の壁にぶつかる度に、それは自分の考え方を変え成長するきっかけとなった。サッカーの大会には2回出場し、一度目は負けてしまったが二回目は優勝することができた。
課題や試合のない週末には、友達と外食に行ったりした。その中で色々な話をし、今まで違和感を感じなかった日本人にとって普通だと思っていたことが、広い目で見ると全然普通でなかったりし、今までの自分の価値観や固定概念を少し崩すことができたと思う。アフリカからの留学生は、とても宗教に対して強い思いを持っていたり、多くの国の多くの人と関わることによって、新しい発見や考え方を持つことが大切だと感じた。
留学での過ごし方や授業を通して私が一番成長できたと感じるものが、考え方の変化やどのように人と接するかなどの、自分自身の成長だ。もちろん語学力の向上は、留学をするにあたって欠かせないことだと思う。しかし、実際に留学をして、考え方の変化は語学力の向上よりもとても大きなものだった。アメリカの学生は、自分というものをとても強く持っていて、アイデンティティを確立していることに驚いた。日本人の多くは、とても協調性がありグループを作りがちで、行動する時も大人数が多いと思う。一方で、海外の人は大人数で遊ぶことももちろんあるが、その中でも自分を強く持っていて、決して他人に依存し過ぎてない姿に惹かれる部分が多かった。また、慣れない海外で生活するに当たって、決して避けられなかったのはカルチャーショックだった。大なり小なり、文化の違いを受け入れるためにしなければいけなかったことが、日本人としての過ごし方や文化を捨てることだった。日本の文化に誇りは持ち続けてはいるが、その概念が強すぎると他の文化を受け入れがたくなると実感した。そこで、一度日本の文化にこだわりを捨てることで、今までよりもより他の文化を受け入れることができるようになった。そのように、他の文化を受け入れることができるようになり、自分自身の器や力量が大きくなり、自己成長することができたと思う。このように、語学力の向上や、更には自己成長を実感できたりと、留学はとても良い経験だったと本当に思う。
中期留学報告(メンフィス大学 松本 将郎)
アメリカ五カ月
まず初めに、僕が中学生の時の話からさせてください。僕は基本勉強することができない学生です。最低点は3/100点、最高点は60点ぐらいという、才能がどうとかこうの世界ではありませんでした。その中でも、なんとか公費留学を勝ち取ることができて、素晴らしい経験を積むことができました。メンフィス大学にて8月~12月の4ヶ月過ごしました。
メンフィスの特徴
メンフィスは、音楽やバーベキューなどで有名です。アメリカで有名なロック歌手、エルヴィス・プレスリーの生誕地でもあります。街中には、エルヴィスの銅像やらグッズやらがたくさんありました。更には、メンフィスグリズリーズというプロバスケットボールチームがあり、開幕戦を観戦することができたのは一生の思い出になりました。メンフィスは、アメリカで治安が悪い地域上位に名前が挙がっていますが、夜一人で出歩かなければ基本問題ありません。気候は、10月中旬まで半袖で過ごせるほど暑いですが、その後の秋は3日程で終わり、冬がやってきます。雨が降る日はほとんどありません。海や湖が周りに無く、雲も少ないため、とてもきれいな夕焼けが見えました。
授業
僕は「ESL」という英語の授業を受けました。というか、それしか受けることができませんでした。TOEFLのスコアが、公費留学には行けるけど、レギュラーの授業(経済、マーケティング)を受講できるだけありませんでした。アメリカのレギュラー授業を受講している人から話を聞くと、とても楽しそうでした。ファッションマーケティングに特化した授業があったり、ワインソムリエの授業があったりと、もっとTOEFLの勉強をしておけば良かったと思うことがたくさんありました。また、レギュラーの授業を受ける際、TOEFL-IBTのスコアで留学することをお勧めします。TOEFL-ITPではアウトプットするセクションがないので、レギュラーの授業で苦しむと思います。「ESL」の授業は6段階に分けられており、自分は下から2番目のクラスでした。中学・高校と、基礎を疎かにしていたツケが回ってきた感じです。授業では、ホンジュラスやペルーなどの中南米の人達が多かったです。それぞれ、個性もイントネーションも強かったです。
私生活
メンフィス大学は、アメリカの中では小さい部類の大学らしいのですが、想像を遥かに超える大きさです。大学には寮があり、僕の寮は2DKでしたのでルームメイトが一人いましたが、基本ゲーマーみたいな生活を送っていたので、ほぼ一人暮らしみたいな生活を送っていました。食事は、基本自炊か、自炊がめんどくさくなったら、学食で済ませていました。大学内には、学食の他に図書館とスポーツジム、スターバックスと、それぞれの学部にある授業で使用する講義室がたくさんありました。僕は基本、朝早く起きて弁当を作りながら朝食を済ませ、スポーツジムにて授業が始まる午前9時まで運動していました。学校は月曜日~木曜日は午後三時までで、金曜日は昼までです。週に2回ほど大学のバスがスーパーまで連れてってくれるので、そこで食材や生活で使う日用品を買いました。大学内での移動は、スケートボードを買って移動しました。友人が自転車レンタルを利用したらぼったくられた(過去の先輩はそんな事なかったそうです)と聞いたので、せっかくのアメリカ生活なのでスケートボードで生活しました。学校が終わった後は、基本バスケをしていました。黒人の人達はパワーがあり、本当に強かったです。時々、大学の部活動の試合(主にバスケやアメリカンフットボール)を観に行きました。アメリカの大学の部活動への力の入り方は、全くもって日本と比べ物にならないぐらい、観客も会場もグッズ販売も桁が違いました。
旅行 シカゴ編
旅行は、シカゴとロサンゼルスに行ってきました。まずは、シカゴについて書きたいと思います。シカゴには、サンクスギビングの間に行ってきました。サンクスギビングでは、日ごろの感謝を込めてみたいな文化で、その中でも僕の目当てはブラックフライデーでの買物です。そこまでの間は、シカゴ美術館やダウンタウン巡り、博物館に水族館、ジョーダンショップやシカゴ・ブルズなど有名どころをひたすら巡りました。食事はシカゴピザという、チーズ好きにはたまらないピザを食べることができ、思い出深かったです。買物では、有名なブランド品が考えられない金額で売っており、とても幸せな一時を過ごしました。
旅行 ロサンゼルス編
ロサンゼルスでは交通の便がメンフィス(バス・電車がほぼない)に比べて便利だったので、ハリウッドやサンタモニカビーチ、ビバリーヒルズ、ユニバーサルスタジオハリウッドなどの観光名所を巡り、買物や観光を楽しみました。
トラブル編
僕は何個かトラブルに遭いました。ここで、本気で焦ったトラブルを説明します。まずは、クレカ関係です。僕の場合、クレカの差し込んで読み取るチップが壊れてしまいました。たまたまキャッシュパスポートを持っていたので、そっちをメインに生きていくことにしましたが、いろいろと不便でしたので、スペアカードの持参をお勧めします。次に、荷物の損失被害についてです。帰国をした際に、空港にて荷物を受け取りに行ったら荷物がなく、荷物だけ別の場所に輸送されてしまいました。その場にいた、国内移動で使用した航空会社の人とANAの社員さんに事情を説明したところ、僕の実家に配達することになりました。
最期に
僕が留学に行く前に言われました。「はっきり言って、お前が英語ペラペラになったところで、就活に有利になるわけではない。」今時、英語が使えて当たり前のご時世です。僕にとって留学は、英語のスキルアップと、自分のアイデンティティーと広い視野を持つ、良い機会でした。3年生で行く人は、2016年はボストンで行われたキャリアフォーラムの参加を視野に入れた留学をお勧めします。
中期留学報告(ペンシルバニア・インディアナ大学 内田 憲吾)
国境を越えた繋がり
今回、私は秋学期にIndiana University of Pennsylvania大学(以降IUP)に、中期公費留学生として派遣させてもらいましたが、全て自分の予想を上回ることばかりで、良い経験ができたと強く実感しています。
最初に、環境についてです。私の留学先であるIUPには、日本人の留学生が極めて少なかったです。名古屋学院からは、私を含めた二人が交換留学生として行きましたが、その他というと、宮崎大学から一か月の短期留学としてきた一名のみで、大学に日本人が3名しかいませんでした。同じアジア圏の学生を例に挙げると、IUPには中国人の留学生が多く、よく目立ちました。私は、日本人と仲良くするよりも外国人とたくさん話して友達を作りたかったこともあり、そのような意味でも、非常に適した環境であったと言えます。それは、厳しく、時に辛いことかもしれません。文化の違いや言語の違いなど、異なることは多くあります。でもその分、学べることも多くあるため、これから留学へ行く人たちにも、挑戦する心を持って歩いて行ってほしいです。実際に、親友と呼べる仲間にも出会うことができ、今でも毎日連絡を取り合っています。
では、その友達についてです。私の場合、タイミングと良い機会に恵まれていたと思います。というのも、到着し、留学生活が始まってすぐに、自分の元へ一通のメールが来たのです。それは、IUPで日本語を教えている韓国人の教員からのもので、「受講者が多いけど教える人が自分しかいないため、授業をサポートしてほしい。」という内容のものでした。これを聞いて、私の授業がない金曜日に早速行ってみたのですが、これほどの外国人が日本語に興味を持っているということを誇りに思いました。やっていることは、挨拶から始まり、単語を使っての会話などでしたが、英語で日本語を教えるというとても貴重な経験をすることができ、最初は教えるのも難しかったですが、みんなが徐々に話せるようになって、受講者がふざけて簡単な日本語を使って話してくれたりして、指導冥利に尽きると実感しました。
その最初の授業で、「日本に興味のある人たちが入るコミュニティのイベント(ピクニック)があるから、来てほしい。」と言ってもらい、日本人三人で行くと、みんながどんどん質問とかしてくれて、すぐに友達になり、そのときに遊んでいたメンバーが今でも連絡を取り合っている仲間たちです。このような機会はタイミングもありますが、どこの大学でも日本に興味がある外国人はいると思います。そして、そこから友達になったりもするため、面白いと思います。
クラスが始まって少しすると生活にも慣れてきて、授業後や週末は友達と遊ぶというのが流れになりました。そして、到着して一か月というときに、宮崎から来た日本人の学生が去る時期になり、時が過ぎる速さを実感するとともに、悲しさがありました。しかし、自分も悲しかったですが、アメリカ人の友達のみんなも、普段見せないような泣き顔をしていて、本当に仲間と思ってくれたのだなーと嬉しくもあり、自分が別れる時を想像したくなかったです。でも何よりも、仲良くなって楽しく順風満帆になってきた時期に去る日本人の友達のことを考えると、辛かったです。
そうこうしているうちに、あっという間にそれから一か月が過ぎ、秋の終わりを告げる時期になりました。インディアナの気候について、昨年行った方から冬は寒いと聞いていましたが、夏場や秋頃は過ごしやすい気候のため、衣服には困りませんでした。しかし、10月の後半になると一気に気温が寒くなり、気温が一桁になるという日も珍しくなかったです。寮は暖房が効いているため、扉を開けた瞬間に温かい空気が来て、外との気温の差を思い知ります。
10月の初旬に、11月には東アジアの国を取り上げたお祭りのようなイベントがあるということを日本語の先生から聞き、日本人が二人しかいないということもあり、是非、何か披露してほしいと頼まれ、もう一人の日本人がダンス経験者ということもあり、ダンスを披露することになりました。ジャンルは、東アジアのためのイベントでもあるため、K-popの曲を披露することになりましたが、もう四人ほど人数がほしいと思っていた時に、アメリカ人の友達がやりたいと言ってくれて、人数は四人になりました。しかし、一人以外は未経験者、そして本番まで一か月ということで、毎日授業後に集まっては練習、集まっては練習の繰り返しでした。この時期が一番、時が過ぎるのを速く感じたかもしれません。あっという間に本番の日はやってきて、見事に自分たちの力を出し切って、いろんな人から賞賛の声をいただき、これをきっかけに知らなかった人とも友達になれて、満足のいく日でした。そのイベントでは、アジアの料理も運営側の方々が作ってくれて、カレーをおいしくいただきました。
その日が過ぎるとすぐにサンクスギビングがやってきて、アメリカ人の友達の実家に泊まらせてもらってターキーを食べるなど、伝統的なサンクスギビングの料理を食べることができ、ブラックフライデイには、早起きして色々なものをモールに買いに行き、サンクスギビングを存分に楽しむことができました。
これらのことは全て、友達のおかげだと思います。常に私たちのことを考え、楽しませてくれる素敵な仲間ばかりで、自慢の仲間たちです。夏には日本に遊びに来てくれると言っているので、今からすでに楽しみです。留学前は、このような友達ができるとは思いもよらなかったため、余計に感動しています。
アメリカの人は本当に優しい人ばかりで、自分が情けなくなりました。親友というのは数えるほどしかいないものですが、親友だと言える仲間がアメリカでできたというのは、自分にとってはもちろん初めての経験で財産です。国境を超えるというと大きな響きになってしまうかもしれませんが、国境を越えた繋がりとはこのようなことを言うのかなと、自分でも納得できました。全部ひっくるめて、最高の留学でした。改めて、学校側や友達、そして何よりも家族に感謝したいです。
2017年10月17日
中期留学報告(メンフィス大学 深津 大堅)
留学での成長、経験
私、深津大堅は、8月中旬から12月の初旬まで、アメリカのメンフィス大学に半年間留学させていただきました。行くまでにイメージしていたアメリカの文化や生活、歴史と、行ってからこそ分かったこと・気づいたことの違いの差が大きく、留学して良かったです。半年間という短い時間でしたが、自分のスキルアップにつながり、留学で得た経験や留学を通して持った考え方がたくさんあり、一回りも二回りも大きく成長できました。
8月中旬、日本からアメリカへ向けて出発するとき、不安と期待が半分半分でした。今まで自分の習ってきた英語力や、持ち続けていた価値観がどこまで通用するのかと、常に考えていました。見知らぬ土地で、長期のあいだ生活したことがなかったので、初めはどのように生活していけばよいか分からず、一緒に行った日本人の友達や、現地で出会った日本人ばかりに頼っていました。その状態を続けるのはいけないと分かっていましたが、なかなか自分の殻を破れないまま、2,3日が過ぎてしまいました。
そんな自分を変えてくれたのが、学校(IEI)でした。IEIには、英語を習得しようと様々な国籍の人が来ていました。この人たちは、どんなに汚いイントネーションや文法的に間違っている英語でも、伝えようとしている姿勢がありました。私は、英語に対するそのような姿勢が欠けていることに気づき、伝えようとする積極性を課題にして1か月間チャレンジし続けました。この課題を継続することで、IEIでの友達、現地の友達、他国から来た留学生といった、たくさんの人と出会うことができました。私は、この時点から急激に成長できたと実感しています。
学校(IEI)では、毎日約6時間以上も英語漬けでした。クラスはレベル2とレベル3で、トータル8つの授業を受講していました。始めは、ネイティブのスピードについていき、イントネーションに慣れよう必死でした。少しでも早く次のステップに行きたかったので、授業中はもちろん、授業後の時間も英語を使って生活していました。当たり前の事ですが、24時間英語を使うことが初めてなので、異空間にいる感じがして、自分がリラックスできる瞬間がありませんでした。このような生活をすることで、日本にいる時に英語を使う機会がどれだけ少なかったのかを理解できました。英語に慣れるまでに約1か月かかりましたが、それ以降は徐々に自分のやりたいことや自分の時間を作れるようになりました。IEIでの授業、Grammar、 Intermediate Conversation、 Writing/Reading、Listening/Speaking とBasic Pronunciationを受講していました。この中で、特に自分のスキルを上げてくれた授業を紹介します。1つ目は、Grammarです。私は文法を苦手としていました。しかし、日本とは違う教え方で、どんな状況の時にどの文法を使用したらいいのかを教えてくださったり、ある一項目にかける時間が短かったりと、新しい発見と共に学んでいました。短期集中型で、問題を解く量も日本の授業と比べて2倍はあると感じました。分からなくても、問題を解いていくうちにコツを掴み、ニュアンスで答えを導きだせるようになり、理解する時間も早くなりました。今までは定義を考えたりして、問題を解くまでの時間が遅かったですが、アメリカでは先に解かせて、なぜこのような文法になるのかを解説するという順です。日本とは教え方が反対と分かりました。そして、問題数も多いことが分かりました。
2つ目は、Writing/Readingです。この授業では主に、文の正しい書き方、単語、文の読解を取り扱っていました。進むペースはGrammarと比べて遅いですが、自分たちで作り上げる授業でした。英語を総合的に使う授業で、先生は今日のテーマやヒント、アドバイスを与えるだけで、日本にはほとんどないスタイルでした。そして、予習をして当たり前であり、授業内では討論をし合い、授業外で内容を理解することが基本でした。私は今まで予習をあまり行ってこなかった人間なので、授業後の勉強はおろそかになっていたと思います。しかし、この授業を通して、英語の面白さに出会えました。時期と時間を重ねるたびに、理解力が上がっていることを実感しました。他の授業もたくさん学べて吸収できましたが、特にこの2つの授業は、私に大きく変わるチャンスを与えてくれました。
授業後の時間は、主に自分の好きなバスケに当てていました。バスケットボールはアメリカの国技であり、自分も体感したいと思っていました。始め、クラブに参加しようと思っていましたが、トライアウトの選考期間が過ぎていたのと他のいくつかの理由から、やむおえず断念することになりました。そんな私を救ってくれたのが、現地の学生でした。バスケはアメリカの国技であるため、様々な場所でプレーできることを知りました。私も毎日、学校のジムで現地の学生と勝負することができました。始めは、アジア人ということと身長が低いことから、なかなか相手にしてもらえずにいました。英語も訛りが強く苦戦をしていてシュートなどをしてアピールをしていましたが、なかなかチャンスがまわってきませんでした。しかし、アメリカでのバスケは全て実力主義なので、良いプレーをしたらボールが集まり、目立たなければボールが来ないかのどちらかでした。自分のバスケスキルを磨くのと同時に、フィジカル面を磨きました。バスケもたくさんのプレーヤーと対戦することで、自分の存在も認められました。最終的にはm1番上手い人たちともプレーすることができて、より一層バスケが好きになりました。
他にも授業外でやっていた事は、一人暮らしでの家事です。日本では実家暮らしだったので、家事をほとんどやったことがなかったです。新鮮さを感じると同時に、今までの母親の苦労が実感できました。改めて、今まで支えてくれた家族の偉大さが分かり、感謝できる経験でした。初めてやってみて分かることの繰り返しで、これから一人暮らしや家族が出来て生活していく時は、この経験が活きると思いました。
留学を通して言いたいことや感じたことはたくさんあり過ぎて書ききれませんが、自分のこれからの糧になることは間違いありません。そして、現地で出会った友達の存在や、初めての体験、経験を忘れず、これからも日々挑戦をしていきたいと思います。
長期留学報告(マドンナ大学 須藤 郁美)
私の留学から学んだことと成功
私はアメリカ、ミシガン州にあるマドンナ大学にて、2016年8月上旬から2017年5月中旬までの約10ヶ月間、長期交換留学を経験しました。海外留学というのは、私が中学生の頃から抱いていた夢の1つであったため、夢が現実したことを心から嬉しく思っています。アメリカへは、英語を学ぶために語学留学を主として行ったのですが、留学期間中を思い返すと英語以外にもたくさんのことを学びました。もちろん、英語学習にもしっかりと取り組んだのですが、その中でも私は、勉強するだけではできないことをたくさん学びました。今回、この報告書では英語力の向上以外に、私が学んだ最も印象に残ることを大きく分けて3つ紹介します。
まず1つ目は、自分の感情に素直になり、相手に伝えることです。この事について、大きく2つ学びました。まず1つ目に学んだことは、母に対する感謝の気持ちです。親元を離れ、アメリカでの寮生活が始まり、日本に居た時は当たり前だと感じていたことは決して当たり前なものではなく、全て母のおかげだったということです。母はいつも一人で家庭を支え、毎日疲れ切って帰ってくるのにも関わらず、全ての家事をこなしていました。また、そんな私のために、高いお金を支払ってこの長期の海外留学にまでも行かせてくれました。母のおかげで、安全で苦しくも楽しい、非常に貴重な10ヵ月をアメリカで送れたのだと思います。以前までは何だか照れくさく、「ありがとう」と直接口に出して感謝の気持ちを伝えることができませんでしたが、寮で生活をし慣れないことをする中で、ほんの少しながらでも、母の苦労を感じることができました。「ありがとう」の言葉だけでは決して足りませんが、感謝の気持ちを忘れずに、まず伝えるということが大切だと学びました。もう1つ目は、自分の気持ちに正直になるということです。留学生活が始まったばかりの頃は、他国の生徒と過ごしている時に何か自分に不都合なことがあったとしても、正しい英語での言い方が見つからなかったこともあり、自分の気持ちを抑え、いつも受け身になっていました。しかしある日、韓国の友人と些細なことですれ違いが生じ、仲たがいになりました。日本に居た頃の自分だと、その時点で大きな問題に発展することを避け、また、それ以上に友人関係が悪化するのを恐れ、いつも自分の気持ちは出さず、相手に従う傾向にありました。しかし、そのままでは留学に行ったにも関わらず、自分自身が何も成長せずに帰国することになると気がつき、勇気を出して自分の気持ちをすべて相手に言い、お互いに理解し合おうとしました。すると、相手に自分の意見を伝えるだけでなく、自分の至らなかった部分も知ることができました。今では、以前までの友好関係よりも、より一層絆が深まった気がします。相手に素直に気持ちを伝えることは良い内容、悪い内容と関係なく簡単なことではありませんが、伝えることは人との関わりを深めるためのに大切なことだと改めて学びました。
2つ目は、社会やグループの一員としての意識を持つということです。アメリカ人と過ごしていると、日本人と比較した時に目には見えないことで、多くの違いがあることに気がつきました。そして、その中で、大きく分けて2つの違いと大切なことを学びました。1つ目は、自国の政治に対する価値観の違いです。留学が始まった頃、アメリカではバラク・オバマ元大統領の後継者を決める、アメリカ大統領選挙の真最中でした。そんな頃、親しくなったアメリカ人の友人が、「アメリカ大統領候補について、どう思う。」また、「日本の政治について、どう思う。」と尋ねてきました。その時私は、何も意見することができませんでした。なぜなら、それまで世界の政治だけでなく、日本の政治についてさえもほとんど知識がなく、自国の政治に関して、まるで他人事かのような価値観の持ち方だったからです。しかしその反対に、アメリカの人々は、彼ら、彼女らの自国の政治に対して、自分の周りで起きている非常に身近な出来事として捉えているように感じました。私よりも年下の生徒も、皆が日常会話で大統領選挙について話し合うなど、幼い頃から国の政治について親しみがあるのかなという印象も受けました。海外に対して興味を持ち、知ろうとする意志も大切ですが、そのためにも、しっかりと自国に対する知識を持つことも必要なことだと学びました。もう1つは、自分の意見やアイディアを、相手にしっかり伝えることです。留学中は、日本で授業を受けていたときに比べ、グループでのディスカッションやグループプレゼンテーションなどの、グループ活動がたくさんありました。始めは言いたいことがしっかりと伝えられずに戸惑うことが多くありました。特に、グループプレゼンテーションを作り上げるとき、言いたいことが伝えられなかったのは、単に英語力だけが原因ではないと思いました。最も大切なのは、なぜ、どのように、何を相手に伝えたいかを、自分がしっかりと把握し、仲間にも明確に自分の考えとして提案することです。グループの仲間任せにするのではなく、自分もグループの一員として意識を持つことで成功に近づくと、直接経験することで学びました。留学中、授業でグループプレゼンテーションを作成している時に何度も仲間と集まり、アイディアを出し合うなどして試行錯誤を繰り返しました。始めは皆意見がまとまらず、苦労をしたこともありましたが、結果として、私が所属したグループのプレゼンテーションが最高得点を取れた時は、非常にやりがいと達成感を感じ、仲間と喜びを分かち合えたことが最大の恩恵でした。
最後の3つ目は、結果が全てではないということです。私は留学が始まり、1セメスター目の約半学期分を、自分の偏ったプライドのせいで無駄にしてしまったと、1セメスター目が終わった頃にひどく後悔していました。しかし、結果が全てではないということを学べたのは、この失敗があったからこそだと今は感じます。失敗というのは、特に授業中に、間違いえることや失敗を恐れ、いつも萎縮していました。その頃の自分はいつも自分の殻に閉じこもり、一人で英語の勉強しかしませんでした。授業が終われば部屋や図書館に閉じこもり、黙々と机に向かっていました。また、授業では他の生徒の自分よりも優れた英語力に圧倒され、めったに手を挙げず、まるで参加していないかのようでした。しかし、ある日、「今やっていることは留学ではない。日本でもできることだ。」と気がつきました。真面目に勉強することが決して間違いとは言いませんが、この留学期間中、アメリカでしかできないことを経験することが成功ではないかと気が付きました。そこで、私が個人的に一番大切としていたのが、「とにかく何でも参加してみる」ことです。マドンナ大学は小さな学校で、比較的大きなイベントはあまりありませんが、この言葉をモットーに、自分が参加できるイベントにはできるだけ出席するようにしました。すると、自然と友達の輪が広がりました。また、イベントに参加するだけでなく、授業では積極的に挙手をして参加するようにしました。多くの人と触れ合い新しいことに挑戦するので、いくつか失敗したことや、もう少しできたと悔しい思いをしたこともありました。失敗し、恥ずかしい思いをしたことで挫けそうになったこともありましたが、そんな中、「始めからできないのは当たり前。」また、「誰も自分が思っているよりも、他人の失敗など気にしていない。」と、自分をうまく開き直らせることも大切だと学びました。また、それらの失敗から学ぶこともたくさんありました。なぜなら、失敗してみないと、どのように自分が間違っていたのかが分からないことが多いと気がついたからです。
2セメスター目のTOEFLの点数を見ると、むしろ下がってしまいましたが、私は2セメスター目で、自分自身が1セメスター目と比べて大きく変化できた時間であったと信じています。今では後期に参加したConversation Partnerという、様々な国から来た留学生や教授とがグループになり、各国の慣習や文化を話すイベントの様なものを通して、親友と呼べるほどの友人ができたことに、心から「参加して良かった。」と思っています。例え気が向かないこと、興味がないことであったとしても、まず参加することで、そこから新しい発見に気がつき、その発見により、自分の生活が大きく変わるということを心から学びました。ですので、殻に閉じこもり受け身で待つのではなく、まずは行動しチャレンジすることが大切だと思います。
約10ヶ月の留学生活で、不自由なこと、辛かったことはたくさんありましたが、それよりも、たくさんの人々と出会い新しいことを経験し、英語力の向上だけではなく、自分を人間として大きく成長させることができました。マドンナ大学で過ごした10ヶ月はあっという間で、かけがえのない時間となりました。今では、日本とアメリカとが離れ離れになり寂しく感じますが、その気持ちと、これらの経験と学びを活かして、これからも成長し続けたいです。
2017年10月13日
中期留学報告(アラスカ大学 川畑 遥)
素敵な出会いに恵まれた濃い四か月
私はこの留学を通して様々な事を学び、素敵な出会いや貴重な経験をしました。外国人として、異文化の中、環境も違う国での生活は、毎日刺激がいっぱいで、あっという間に過ぎていきました。特にアラスカは、日本では味わえない寒さや日照時間などの違いがあったので、気候の変化も楽しみの一つでした。
まず、アラスカに到着した時は、自然豊かだなと思った覚えがあります。良くも悪くも、何もない印象でした。去年、アラスカに行っていた友達に、事前に知り合いを紹介してもらい、空港から大学までの送迎と、到着してからの手続きなど、様々な事を手伝ってもらい、既に素敵な出会いを果たしました。私が到着した時は、まだ新学期が始まってなかったのもあり、人がほとんどいなくてガランとした印象で、広大な敷地に様々な建物が建っていて、まず道を覚えられるかという不安と、白夜で夜の10時を過ぎても暗くならなかったので、着いてすぐに環境の違いを感じました。
最初は全てが不安で、言語の壁を痛感する日々でした。せっかくの海外での生活なので、日本人とはあまり居過ぎないようにしようと意気込んでいたのですが、やはり異国の地で、同じ境遇の人と出会うと安心からか、その子とよく一緒にいることが増えました。でも、私はそこでもとても良い出会いがありました。日本人は全員で7人いたのですが、その内二人がESLではなく自分の専攻を学んでいる方々で、5人がESLでほぼ同じ授業で、みんなとても良い人たちで、お互いを高め助け合い、辛い時には話を聞き合ったりと、一緒にいて頑張ろうと思える存在でした。最初はたぶん、みんな一緒に居過ぎないようにしようと思っていたと思うのですが、最終的にはお互いがなくてはならない存在になっていきました。特に、私は北海道からの留学生で、年齢的には一つ年下になる子とは、授業が終わってからも一緒に図書館で勉強をしたり、ジムで運動したり、ご飯を食べたりと、毎日のように一緒にいました。その子との出会いは、私にとってとても大きな出来事で、その子を通して仲良くなった友達や、私を通してその子に紹介した友達など、その子との出会いが私の留学生活を変えてくれました。
更に、アラスカ大学で出会った人たちは、みんなとても親切で、特にジャパンアラスカクラブというクラブの人達は、私たちにとても良くしてくれて、様々な所に連れて行ってくれたり、勉強を手伝ってくれたりと、アラスカ生活を楽しいと思える時間にしてくれました。みんな日本に興味がある人が集まっているので、日本について聞いてくれ、私自身も分からなかったことを聞かれて逆に勉強になり、将来日本語教師になりたいと、より思えた時間でした。この事を通して、私は改めて出会いや縁は、とても大事なことだなと思いました。それと同時に、出会いもあれば別れもあり、アラスカを離れる時にはお見送りに来てくれ、一緒に泣いてくれた友達や、お別れ会としてご飯を一緒に食べに行ってくれた友達もいて、改めて素敵な人達に出会ったなと感じました。
そして、アラスカでは気候の他にも、日本では味わえない経験をたくさんしました。まず、-35度の世界での生活です。8月、9月はまだ暖かく、日本から持って行ったコートでしのぐことができたのですが、10月の下旬から雪が降り始め、あっという間にコートだけではしのげない程寒くなりました。-35度なんて、雪ですらも名古屋に来て初めて見た私からしたら考えられなく、雪が待ち遠しかったのですが、寒いという次元を超え、命の危険を感じるほどでした。特に、オーロラは日本では絶対に見ることはできないので、この経験を留学という形でできたので、より良かったです。そして、人生初のハイキングを、極寒の中できたのも、あの時はとても辛くて一生やりたくないと思ったのですが、今では良い思い出です。
ハロウィンやサンクスギビングホリデーなど、アメリカ特有の休日や行事を過ごせたのも、良い経験になりました。ハロウィンは、日本でも最近は行われるようにはなっているのですが、実際に仮装して近所の家にTrick or Treatingをしに行ったのは初めてで、サンクスギビングホリデーには学校が休日になり、友達の実家でサンクスギビングフードを楽しんだり、ブラックフライデーショッピングをしたりと、とても充実した時間を過ごしました。
クリスマスはアラスカでは過ごせなかったのですが、早めのクリスマスパーティーをしてくれ、シークレットサンタという、クジで当たった人にクリスマスプレゼントをあげるというゲームをしたりと、日本では味わえない行事を楽しめました。
そして何より、全て英語という環境の中にいたので、英語力の向上は見られたと思いました。実際にその環境の中に行くというのは簡単な事ではなく、更に私費というレベル的にも高いとは言えない中でのスタートだったので、不安ばかりでした。でも、その人のやる気次第で生活は変わる、という言葉をよく聞くのですが、実際にそうだなと身を持って思いました。英語が完璧になったわけではありませんが、自分自身の考え方が、留学に行ってから変わったと思います。今まで新しいことへ挑戦することは不安ばかりで、簡単に一歩を踏み出せずにいたのですが、勇気をもって失敗することを恐れ、一歩を踏み出す大切さを知ることができ、やらずに後悔するよりは、やって後悔する方が良いという言葉を胸に、様々なことに積極的に挑んでいきたいなと思うようになりました。アラスカで出会った人は、私に英語だけでなく、こういったメンタル面での変化も与えてくれました。なので、私にとってこの留学は英語力の向上のみならず、メンタル面でも鍛えることができた、とても濃い4か月間でした。
この4か月間はあっという間で、帰国してから何度も戻りたいと思いました。でも、この半期間という決まった期間で、素敵な出会いや貴重な経験、様々な面での成長ができたと思うので、この気持ちを忘れず、今後に活かしていきたいです。そして、これから留学に行こうとしてる後輩の子たちには、新しいことへ挑戦することの不安や恐怖を拭ってでも、一歩を踏み出してほしいなと思います。人生は一度きりしかないし、こういう経験は学生の内でしかできないと思うので、是非、留学をお勧めしたいです。
最後に、この留学へ行かしてくれた両親への感謝を忘れず、アラスカを勧めてくれた先生方への感謝も忘れず、これからの短い学生生活を、充実した後悔のない生活にしていきたいと思いました。留学に行って良かったです。