長期公費の最近のブログ記事
2017年11月 2日
長期留学報告(文藻外語大学 李珊娜)
2017年10月31日
長期留学報告(アラスカ大学フェアバンクス校 杉浦夢菜)
2017年10月19日
長期留学報告(ノースセントラル大学 渋谷 拓海)
留学を通して学んだこと
私は昨年の8月から6月までの約10か月、アメリカのイリノイ州にあるノースセントラル大学に、交換留学生として留学した。経験した全てが新鮮で自分にとっては新しいもので、とても良い経験をすることができた。正規授業が始まる前の8月は、ESLの授業を受けつつ、メインはアメリカのカルチャーに触れ学ぶために、色々な場所に連れて行ってもらったり、週末にはシカゴに観光しに行ったりした。今までは、日本人以外と話す機会やどこかに遊びに行くことが中々なかったので、最初は戸惑ったし、少なからず、いくつかはカルチャーショックを受けることもあった。しかしながら、そのような経験やその環境の中で、どのように立ち振る舞うかなど、自分自身が成長できるチャンスが、とても多くあったと感じる。
9月からは正規の授業が始まり、初めてアメリカの授業を受けることになり、あまりの大変さや日本の授業形態とのギャップに戸惑った。日本とアメリカの授業の違いはたくさんあったが、自分の中で印象的だったのが三つあり、一つは生徒と教授との関係性の違いだった。アメリカの授業では、教授が教壇の上に立つことはなく、とてもフェアな関係で、分からないことはすぐに聞ける関係であることだ。また、最も大きな違いは、授業形態だ。日本の授業は、ものによっては数百人を対象にした大講義授業があり、それは教授の話を聞きノートを取るといった受け身の授業だ。一方でノースセントラルの講義は、大きい授業で30人規模であり、多くの講義は15~20人くらいと小規模な講義だった。更に、受け身の講義は全くなく、基本ディスカッションで考えを深めていくという授業スタイルだった。自分自身、まだディスカッションについていける英語力もなく、中々自らの意見を言えなかった。その中で、今まで以上の予習が必要だと感じ、今までよりも予習に時間をかけ、また、自分の意見もある程度考えたりした。ノースセントラルは3学期制で、各タームの授業の進み方が他校よりも早く、宿題として次の授業の内容の予習をするとうものだったので、予習に4~6時間かかるなどは最初の頃は当たり前だった。日本の大学では日々遊んでいるような生活だったので、とても大変で慣れるのにも時間がかかったが、課題のおかげで勉強しなければいけない時間が必然的に増え、自分の英語力、特に読解力と筆記の力を日々養っていっていることを実感することができた。授業を受けるのは本当に大変だったが、経験した全てが自分の力になり、成長する要素になっていたと思う。
ノースセントラル大学には、フレンドシップファミリーーという、週末や休日に一家族と共に過ごすという制度があった。アメリカではいくつかの大きな休日があり、その中でも一番大きいのはサンクスギビングというものだ。その日は家族で集まり食卓を囲み、ターキーなどの代表的な料理を食べ、食材や神に感謝を示す。その日は、ダウタウンの店などは全て閉まっていて、そこでもアメリカと日本の違いを感じた。翌日はブラックフライデーという日で、衣服などが大きく割引される日だった。その日はアウトレットに行き買い物をしたりと、充実した休日をフレンドシップファミリーと過ごし、アメリカの文化について学ぶことができた。
授業以外では、友達とサッカーのチームを作って校内対抗トーナメントに参加した。当初、英語力の低かった僕が友達を作ることのできた一番の理由が、サッカーだった。小学校から高校までサッカーをしていたので、サッカーで魅了をすることができ、サッカーで輪を広げていくことができた。毎週末サッカーの試合があり、チームで優勝するために真剣に試合に挑んだ。また、週末以外にも平日授業終わりに練習したりと、部活とまではいかないが、サッカーに時間を費やすことが多かった。僕にとっては、友達と過ごす時間すべてが英語力の向上につながり、言葉の壁や文化の壁にぶつかる度に、それは自分の考え方を変え成長するきっかけとなった。サッカーの大会には2回出場し、一度目は負けてしまったが二回目は優勝することができた。
課題や試合のない週末には、友達と外食に行ったりした。その中で色々な話をし、今まで違和感を感じなかった日本人にとって普通だと思っていたことが、広い目で見ると全然普通でなかったりし、今までの自分の価値観や固定概念を少し崩すことができたと思う。アフリカからの留学生は、とても宗教に対して強い思いを持っていたり、多くの国の多くの人と関わることによって、新しい発見や考え方を持つことが大切だと感じた。
留学での過ごし方や授業を通して私が一番成長できたと感じるものが、考え方の変化やどのように人と接するかなどの、自分自身の成長だ。もちろん語学力の向上は、留学をするにあたって欠かせないことだと思う。しかし、実際に留学をして、考え方の変化は語学力の向上よりもとても大きなものだった。アメリカの学生は、自分というものをとても強く持っていて、アイデンティティを確立していることに驚いた。日本人の多くは、とても協調性がありグループを作りがちで、行動する時も大人数が多いと思う。一方で、海外の人は大人数で遊ぶことももちろんあるが、その中でも自分を強く持っていて、決して他人に依存し過ぎてない姿に惹かれる部分が多かった。また、慣れない海外で生活するに当たって、決して避けられなかったのはカルチャーショックだった。大なり小なり、文化の違いを受け入れるためにしなければいけなかったことが、日本人としての過ごし方や文化を捨てることだった。日本の文化に誇りは持ち続けてはいるが、その概念が強すぎると他の文化を受け入れがたくなると実感した。そこで、一度日本の文化にこだわりを捨てることで、今までよりもより他の文化を受け入れることができるようになった。そのように、他の文化を受け入れることができるようになり、自分自身の器や力量が大きくなり、自己成長することができたと思う。このように、語学力の向上や、更には自己成長を実感できたりと、留学はとても良い経験だったと本当に思う。
2017年10月17日
長期留学報告(マドンナ大学 須藤 郁美)
私の留学から学んだことと成功
私はアメリカ、ミシガン州にあるマドンナ大学にて、2016年8月上旬から2017年5月中旬までの約10ヶ月間、長期交換留学を経験しました。海外留学というのは、私が中学生の頃から抱いていた夢の1つであったため、夢が現実したことを心から嬉しく思っています。アメリカへは、英語を学ぶために語学留学を主として行ったのですが、留学期間中を思い返すと英語以外にもたくさんのことを学びました。もちろん、英語学習にもしっかりと取り組んだのですが、その中でも私は、勉強するだけではできないことをたくさん学びました。今回、この報告書では英語力の向上以外に、私が学んだ最も印象に残ることを大きく分けて3つ紹介します。
まず1つ目は、自分の感情に素直になり、相手に伝えることです。この事について、大きく2つ学びました。まず1つ目に学んだことは、母に対する感謝の気持ちです。親元を離れ、アメリカでの寮生活が始まり、日本に居た時は当たり前だと感じていたことは決して当たり前なものではなく、全て母のおかげだったということです。母はいつも一人で家庭を支え、毎日疲れ切って帰ってくるのにも関わらず、全ての家事をこなしていました。また、そんな私のために、高いお金を支払ってこの長期の海外留学にまでも行かせてくれました。母のおかげで、安全で苦しくも楽しい、非常に貴重な10ヵ月をアメリカで送れたのだと思います。以前までは何だか照れくさく、「ありがとう」と直接口に出して感謝の気持ちを伝えることができませんでしたが、寮で生活をし慣れないことをする中で、ほんの少しながらでも、母の苦労を感じることができました。「ありがとう」の言葉だけでは決して足りませんが、感謝の気持ちを忘れずに、まず伝えるということが大切だと学びました。もう1つ目は、自分の気持ちに正直になるということです。留学生活が始まったばかりの頃は、他国の生徒と過ごしている時に何か自分に不都合なことがあったとしても、正しい英語での言い方が見つからなかったこともあり、自分の気持ちを抑え、いつも受け身になっていました。しかしある日、韓国の友人と些細なことですれ違いが生じ、仲たがいになりました。日本に居た頃の自分だと、その時点で大きな問題に発展することを避け、また、それ以上に友人関係が悪化するのを恐れ、いつも自分の気持ちは出さず、相手に従う傾向にありました。しかし、そのままでは留学に行ったにも関わらず、自分自身が何も成長せずに帰国することになると気がつき、勇気を出して自分の気持ちをすべて相手に言い、お互いに理解し合おうとしました。すると、相手に自分の意見を伝えるだけでなく、自分の至らなかった部分も知ることができました。今では、以前までの友好関係よりも、より一層絆が深まった気がします。相手に素直に気持ちを伝えることは良い内容、悪い内容と関係なく簡単なことではありませんが、伝えることは人との関わりを深めるためのに大切なことだと改めて学びました。
2つ目は、社会やグループの一員としての意識を持つということです。アメリカ人と過ごしていると、日本人と比較した時に目には見えないことで、多くの違いがあることに気がつきました。そして、その中で、大きく分けて2つの違いと大切なことを学びました。1つ目は、自国の政治に対する価値観の違いです。留学が始まった頃、アメリカではバラク・オバマ元大統領の後継者を決める、アメリカ大統領選挙の真最中でした。そんな頃、親しくなったアメリカ人の友人が、「アメリカ大統領候補について、どう思う。」また、「日本の政治について、どう思う。」と尋ねてきました。その時私は、何も意見することができませんでした。なぜなら、それまで世界の政治だけでなく、日本の政治についてさえもほとんど知識がなく、自国の政治に関して、まるで他人事かのような価値観の持ち方だったからです。しかしその反対に、アメリカの人々は、彼ら、彼女らの自国の政治に対して、自分の周りで起きている非常に身近な出来事として捉えているように感じました。私よりも年下の生徒も、皆が日常会話で大統領選挙について話し合うなど、幼い頃から国の政治について親しみがあるのかなという印象も受けました。海外に対して興味を持ち、知ろうとする意志も大切ですが、そのためにも、しっかりと自国に対する知識を持つことも必要なことだと学びました。もう1つは、自分の意見やアイディアを、相手にしっかり伝えることです。留学中は、日本で授業を受けていたときに比べ、グループでのディスカッションやグループプレゼンテーションなどの、グループ活動がたくさんありました。始めは言いたいことがしっかりと伝えられずに戸惑うことが多くありました。特に、グループプレゼンテーションを作り上げるとき、言いたいことが伝えられなかったのは、単に英語力だけが原因ではないと思いました。最も大切なのは、なぜ、どのように、何を相手に伝えたいかを、自分がしっかりと把握し、仲間にも明確に自分の考えとして提案することです。グループの仲間任せにするのではなく、自分もグループの一員として意識を持つことで成功に近づくと、直接経験することで学びました。留学中、授業でグループプレゼンテーションを作成している時に何度も仲間と集まり、アイディアを出し合うなどして試行錯誤を繰り返しました。始めは皆意見がまとまらず、苦労をしたこともありましたが、結果として、私が所属したグループのプレゼンテーションが最高得点を取れた時は、非常にやりがいと達成感を感じ、仲間と喜びを分かち合えたことが最大の恩恵でした。
最後の3つ目は、結果が全てではないということです。私は留学が始まり、1セメスター目の約半学期分を、自分の偏ったプライドのせいで無駄にしてしまったと、1セメスター目が終わった頃にひどく後悔していました。しかし、結果が全てではないということを学べたのは、この失敗があったからこそだと今は感じます。失敗というのは、特に授業中に、間違いえることや失敗を恐れ、いつも萎縮していました。その頃の自分はいつも自分の殻に閉じこもり、一人で英語の勉強しかしませんでした。授業が終われば部屋や図書館に閉じこもり、黙々と机に向かっていました。また、授業では他の生徒の自分よりも優れた英語力に圧倒され、めったに手を挙げず、まるで参加していないかのようでした。しかし、ある日、「今やっていることは留学ではない。日本でもできることだ。」と気がつきました。真面目に勉強することが決して間違いとは言いませんが、この留学期間中、アメリカでしかできないことを経験することが成功ではないかと気が付きました。そこで、私が個人的に一番大切としていたのが、「とにかく何でも参加してみる」ことです。マドンナ大学は小さな学校で、比較的大きなイベントはあまりありませんが、この言葉をモットーに、自分が参加できるイベントにはできるだけ出席するようにしました。すると、自然と友達の輪が広がりました。また、イベントに参加するだけでなく、授業では積極的に挙手をして参加するようにしました。多くの人と触れ合い新しいことに挑戦するので、いくつか失敗したことや、もう少しできたと悔しい思いをしたこともありました。失敗し、恥ずかしい思いをしたことで挫けそうになったこともありましたが、そんな中、「始めからできないのは当たり前。」また、「誰も自分が思っているよりも、他人の失敗など気にしていない。」と、自分をうまく開き直らせることも大切だと学びました。また、それらの失敗から学ぶこともたくさんありました。なぜなら、失敗してみないと、どのように自分が間違っていたのかが分からないことが多いと気がついたからです。
2セメスター目のTOEFLの点数を見ると、むしろ下がってしまいましたが、私は2セメスター目で、自分自身が1セメスター目と比べて大きく変化できた時間であったと信じています。今では後期に参加したConversation Partnerという、様々な国から来た留学生や教授とがグループになり、各国の慣習や文化を話すイベントの様なものを通して、親友と呼べるほどの友人ができたことに、心から「参加して良かった。」と思っています。例え気が向かないこと、興味がないことであったとしても、まず参加することで、そこから新しい発見に気がつき、その発見により、自分の生活が大きく変わるということを心から学びました。ですので、殻に閉じこもり受け身で待つのではなく、まずは行動しチャレンジすることが大切だと思います。
約10ヶ月の留学生活で、不自由なこと、辛かったことはたくさんありましたが、それよりも、たくさんの人々と出会い新しいことを経験し、英語力の向上だけではなく、自分を人間として大きく成長させることができました。マドンナ大学で過ごした10ヶ月はあっという間で、かけがえのない時間となりました。今では、日本とアメリカとが離れ離れになり寂しく感じますが、その気持ちと、これらの経験と学びを活かして、これからも成長し続けたいです。
2017年10月13日
長期留学報告(ノースセントラル大学 伊藤 紗里那)
2017年10月12日
長期留学報告(ボーリンググリーン州立大学 村木 俊哉)
出会いに感謝
留学は、この大学に入学した時からの一つの目標だったので、達成できて良かったです。始めは、大学で履修していたフランス語に興味を持ち、カナダはフランス語が使われている地域があるので、カナダが良いかなと思っていました。しかし、提携校の留学先には、
そういった地域はないそうです。海外経験と英語を優先していたので、公費交換留学に選ばれたことに感謝しています。そして、BGSUに来ることができて、本当に良かったです。
8月9日にセントレア、成田経由でデトロイト着の飛行機に乗って行きましたが、成田でちょっとしたトラブルに遭いました。飛行機の遅延によりゲート前に利用者の列ができていて、クレームを飛ばしている人もいました。初めてのことでチケットが手に入らず、空港のスタッフも手一杯という状態で、質問しても相手にしてくれませんでした。出発1時間前に、ようやくスタッフに話しかけられ無事乗り込むことができましたが、日本でこんなに手こずってアメリカで大丈夫かなと、少し不安になりながら日本を出ました。
デトロイト空港には、NGUに短期留学していて、そこで仲良くなった友達に迎えに来てもらっていました。日本では、彼と日本語を使って話していたけど、BGへ向かう車では英語で話しをしました。英語がとても速く、聞き取れないところもありました。会話しながら眺めていた風景は周りに建物はなく、辺り一面コーン畑で坂などなく、日本とは全く違っていて、アメリカに着いたことを実感させられました。
その次の日からオリエンテーションが始まって、4日間仮の寮でオーストラリア人のルームメイトと過ごしました。授業が始まるまでの1、2週間は新しいことの連続で、スーパーでの買い物、ファーストフード店での注文の仕方、親元離れての暮らしは初めてで、慣れるまで戸惑いました。その頃は、まだミールプランが使えなかったので、Subwayなどで外食をしていましたが、何と言っているかよく分からず、はいはい頷いているとチップスを買わされそうになりました。ルームメイトに話しかけるのは、最初怖かったです。体格もでかいし、聞き返してしまうことや言葉が理解できていないことが多かったからです。しかし、初めは分からなくてもいい、ネイティブと普段話したことがなかったからしょうがないと割り切り、毎晩話しかける努力をしました。短い間だったけど、彼のおかげで良いスタートが切れたと思います。
オリエンテーション後は、Kohl Hallという別の寮に移りました。この寮には別の国から来ている学生が多く、ルームメイトは香港人でした。ESOLの授業が一緒の人も同じ寮に集まっていたので、アメリカ人よりどちらかというとアジア出身の友達が多くできました。また、授業が始まってから、1日が過ぎるのが早く感じ始めました。初めの1,2週間は、授業中に大量に聞いた英語で頭が痛くなりました。毎日課題が出されるので、夜遅くまで課題をこなし、友達と夜中にラウンジで勉強をしていました。
授業は、スピーキング、ライティングのESOL2つの他に、American Culture、Popular Culture、太鼓とグローバルビレッジを取っていました。グローバルビレッジでは、授業とフィールドトリップを行うもので、多国の文化を学びます。教室はKohl Hallで、同じ寮の友達も多かったです。週末に、デトロイトやトレドに旅行に行き、アメリカで生活している移民のことや食事のことを、実際に学びつつ観光しました。American Cultureの授業でも、Melting Podという見出しから始まるチャプターで、移民とアメリカの歴史が書かれており、歴史を知るうえで移民は重要な事柄の一つであることを感じました。
ESOLは、スピーキングのクラスが大変でした。レコーディングの課題が多く、普段自分の声を録音しないため、抵抗がありました。また、噛んだり、filler(言葉の間に「えー」とか「あー」とか)が多かったので、何度もやり直しました。クラスメイトは、中国人、韓国人、タイ人、サウジアラビア人、日本人と、インターナショナルでした。アメリカにいて、他の国のことについても語れる留学生がBGには多いので、他の国への興味を持ち、今まで持っていた偏見を、綺麗に拭い去ってくれました。太鼓の授業というのは、日本の伝統楽器の太鼓の実技を、アメリカ人の先生が教えるというものです。実際に、カリフォルニアの太鼓グループからプロが訪れて、パフォーマンスを披露した日もありました。太鼓は、アメリカでも需要と人気があるようです。
BGで、私は3つのクラブ活動に参加していました。一つは日本語クラブで、書道や折り紙などの体験会や、お月見やお正月などのプレゼンテーションをしました。お花見イベントが一番大きなイベントで、日本の出し物を体験してもらうのが目的です。私は、書道ブースを担当していました。留学中、数回書道をする機会があったため、今まで嫌いだった書道が好きになりました。自分の名前を、ひらがな、カタカナ、また漢字にして欲しい方が多かったので、名前を書きながら筆を教えるのが楽しかったです。二つ目は、中国クラブで麺料理を作ったり、Chinese New Year(旧暦の正月)を祝ったりしました。三つ目は、音楽クラブでギターを演奏していました。日本のアニメソングを演奏するクラブです。しかし、パート仲間がいなかったため、チームの仲間と話をすることがなかなかありませんでした。唯一ベースの人とは、初めしゃべっていました。自分とは合わないと思い、12月に辞めることを伝えましたが、1月のオハイオ州の首都のコロンバスで行われるオハイヨコンというアニメ展覧会には出て欲しいと言われたので、参加しました。参加して良かったと思っています。オハイヨコンの3日間、グループの仲間と共に過ごし、話し合うことができました。このイベントを通して、自分の殻を壊す事ができました。
冬休みや春休みといった連続した休みがある週は、学校の寮から出ないといけません。秋休みとThanksgiving Dayには、ピックリントンの友達の実家に泊めてもらいました。冬休みは3週間あり、カリフォルニアのBGの友達の家に泊めてもらいました。春休みは、日本人の友達とニューヨークへ旅行しました。Thanksgiving中は、友達の親戚の家でターキーを食べました。その家はカンボジア人系の家族で、アジア風でした。ターキーは夜食べるかなと思っていましたが、昼食として麺料理や生春巻きと一緒にいただきました。Black Fridayでは、家電製品店にいきました。テレビなどが格安で販売されるので、周りのお客さんのカートの中に、テレビなどが詰め込まれていました。冬休みにはカリフォルニアへ。アメリカの最西端にあって、中心部にあるオハイオ州とは全く違ったフラットではない景色に、冬なのに雪もなく暖かい気候でテンション上がりました。友達のお父さんは、まさに自分が思い描いていていたアメリカ人という方で、面白く優しい家族でした。クリスマスパーティは友達の友達の家で開かれ、大人数で楽しみました。小さい子供から同じ年くらいの人、お父さんやおばあちゃんが集まって、とても賑やかでした。パーティを友達を集めて大勢で行うアメリカの文化は、すごく良いなと感じました。クリスマスの後は、アリゾナ州とユタ州へ、国立公園巡りに連れて行ってくれました。ユタといえばグランドキャニオンが有名ですが、ブライスキャニオンとザイオンキャニオンという2つの国立公園へ行きました。名前も聞いたこともなかったのですが、自然が生み出した造形美に目を奪われました。春休みは、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.へ行きました。自由の女神で、偽者スタッフからチケットを買ってしまうトラブルがありました。あやしいなと思いチケットをネットで調べたら公式ではないことに気がつき、公式のチケット販売所を探しました。自由の女神のことは前日に友達が調べてくれていて、ネットでチケットを買うには遅かったので、当日なんとかなるだろうと思いましたが、旅行先でトラブルに巻き込まれないためにも、きちっと調べておくことは大切だと思い知らされました。
最後に、留学中、本当に友達にお世話になりました。秋学期は課題に追われていて、ないがしろにしていた時期もありました。日本語クラブ後に、ポリアイズというレストランに行くのが恒例でしたが断っていました。秋学期が終わりに近づいていくうちに、今自分はアメリカにいてやっていることはパソコンとにらめっこと思ったら、もったいないことをしていることに気づきました。日本語クラブに行くと、毎回いつものように誘ってくれて、嬉しく思いました。それ以来、友達との時間を大切にしようと心に刻みました。長期留学報告(ボーリンググリーン州立大学 積 真美)
留学先で経験したこと・学んだこと
この留学した1年間は、悪い思い出も良い思い出もありましたが、私にとってはとても貴重な経験になりました。留学しようと思ったきっかけは、留学の書類を周りの友人達が提出していることや、外国語学部なので留学には行かないといけないなという、漠然で単純なものでした。いざ留学選考が通り留学の確定メールが送られてきた時、現実感を帯びてきて、不安でいっぱいでした。しかし、そんな時、後押しをしてくれたのは、母親からの言葉や友人の励ましでした。母親から、「語学力が伸びなくても良い経験になると思うし、今しかチャンスがないよ。」という後押しがあり、留学に向けての心の準備をすることができました。勉強面に関しては、単語テストなどの基礎的なものしかやっておらず、どうにかなるだろうという、甘い気持ちでアメリカに行きました。
始め頃は不安しかなく、自分の英語も全然通用しなくて落ち込む日々でしたが、アメリカ人や他国からの留学生のフレンドリーさに助けられました。日本では実家暮らしだったのですが、アメリカでは初めての寮生活で、食料品や日用品は全部自分で調達しないといけませんでした。まだ学校の周辺は知らなかったのですが、何が必要かなど周りの子達が丁寧に教えてくれて、とても親切だなという印象でした。
また、アメリカと日本の文化の違いに日々驚いていました。例えば、アメリカ人の子達が共同トイレに裸足で行ったり、日頃の服装が基本はタンクトップとショートパンツだったり、日本では有り得ないようなことばかりでした。天気も不安定で、いきなりゲリラ豪雨になったりもしました。授業の仕組みも、日本の大学とは違うものでした。基本的に自分のことは自分で管理するという体制で、課題の量も圧倒的に多く、ほぼ毎日深夜まで課題に終われる生活を送っていました。そのおかげもあって、勉強に真摯に取り組む姿勢を新たに身につけることができました。
このようにアメリカでは、日本で経験してこなかったことを色々経験しました。特に印象深いのは、人間関係です。この1年間を振り返ると、凄く人間関係で苦労した1年でした。日本にいた頃は、価値観の違いなどで他の人と衝突することはなかったのですが、秋学期は初めての寮生活ということもあって、ルームメイトと揉めることが多くありました。そんな時に、もっと英語を勉強して、自分の考えをダイレクトに説明できるようにしとけば良かったなと、悩むこともありました。しかし、逆に言えば、困難が立ちはだかったからこそ、英語を使う機会も増え、語学力を一気に伸ばすことができました。精神的に病んでしまいそうな時はもちろん沢山ありましたが、そんな時に友人が慰めてくれたりして、本当に自分は友達に恵まれたなと思います。
彼らには、勉強面でも色々とお世話になりました。例えば、秋学期はチャレンジ的な科目を取っていなかったことと、中国人の友人に頼る部分が多かったこともあったのですが、秋学期で帰国してしまう友人が多く、中国人の友人の1人がこのままじゃいけないと喝を入れてくれました。こういうこともあり、春学期は自分のレベルには難しい授業を選択して、更に英語力のアップをしました。もちろん勉強面でも、もし私が英語に関することで分からないことがあったら、私の英語での質問を真剣に聞いてくれたり、私が納得するまで解説してくれたり、本当にお世話になりました。
そんな友人達とは、休暇やイベントなど、多くの時間を過ごしました。秋学期は、サンクスギビングを友人の家で一週間過ごしました。そこでは初めてターキーを食べて、ブラックフライデーには朝5時に起床するという過酷なスケジュールでしたが、お得に買い物ができ、爆買いをしてしまいました。冬休みには、カリフォルニア出身の友人の家にお邪魔して、観光スポットであるハリウッドサインやサンタモニカのビーチに行きました。幸運なことに、友人一家は旅行が好きな一家だったので、一週間の間にユタ州にある二つの国立公園に行ったり、帰りにラスベガスに寄ったりできました。春休みには、中国人の友人たちと、シカゴや日本と比べると格安なアリアナ・グランデのコンサートに行ったりしました。
また、私は1年を通して、ジャパニーズクラブ、WSA、チャイニーズクラブ、グローバルビレッジというコミュニティに参加していたので、多くのイベントに関わりました。その中でも印象に残っているイベントは、10月下旬のインターナショナルディナーと中国の旧暦を祝うイベントです。インターナショナルディナーでは、色んな国からの留学生が出し物をするというもので、私を含めて5人で日本チームとして参加しました。浴衣を着て、盆踊りとよさこい踊りをトップバッターとして披露したのですが、大きな歓声をもらうことができました。日本の文化をこういう形で披露できたことは、日本人としても嬉しいし、自分の趣味であるよさこい踊りを広める一歩になったので、計り知れない達成感を味わうことができました。旧暦を祝うイベントでは、中国では習慣として餃子を食べるので、ひたすら餃子を作ったのを覚えています。そのおかげもあって、餃子を作る名人になりました。
勉強面でも生活面でも、とても充実した一年を過ごすことができました。辛かったことも多かったけど、圧倒的に楽しいことを得ることの方が多かったです。度重なるルームメイトや友人との話し合いの中で、自分の価値観と違う人は多くて、自分の考えが普通だという自分軸の考え方は、通用しないことを学びました。また、ファイナルウィークでお世話になった中国語の先生には、「もしアメリカに留学することや就職面で困ったことがあったら、いつでも相談してね。」というありがたい言葉をいただきました。ルームメイトや友人とお別れをする際は、抱き合って号泣するぐらい、とても別れが辛かったです。この時は、本当にアメリカを去るのが辛くて、こんなに悲しむぐらいなら、最初から留学に行かなければ良かったと思いましたが、留学に行ってなかったら彼らと出会うこともできなかったと思います。留学は、自分の欠点や当たり前だと思っていたことを見つめなおす機会が沢山ある良い経験です。
家族や友人のサポートがあってこその留学だということ、日本が平和な国であるということなど、当たり前だと思っていたことは実は当たり前じゃないのだと、改めて実感しました。もし、今留学に行こうか迷っている学生がいたならば、自分も最初は迷っていた人達の一人だったけど、良い経験を積むことができたと実感しているので、絶対行った方がいいと勧めたいと思います。
2017年10月11日
長期留学報告(マドンナ大学 玉川 歩香)
10か月の留学生活で学んだこと
私、外国語学部英米語学科3年玉川歩香は、去年8月上旬頃から今年5月上旬まで、ミシガン州リボニアにあるマドンナ大学という大学に、10か月間公費の長期留学をしていました。留学確定から日本を発つ日までの日にちは、本当に早く過ぎたように感じました。この期間は、留学内定者向けの講座や自学習などに追われていましたが、留学生活を体験できると思うと、とても待ち遠しかったです。
マドンナ大学に行く前に私は、アイオワ州シーダーラピッツにあるコー大学で、英語学習の事前研修に参加しました。名古屋大学からは4人、東京の早稲田大学からは7人参加し、合計11人の生徒たちでESLの授業を受け、フィールドトリップでいくつかの場所に行くことができました。
この研修で受講したクラスは、毎日課題もあり準備も沢山しないといけなかったので、ほぼ毎日徹夜で課題をこなし、寝ずにそれらに取り組んだ時もありました。この研修での授業は本当に辛くて、アメリカでの学生生活はこんなにも過酷なのか、と思い知らされた瞬間でした。しかし、この経験のおかげで、マドンナ大学での授業や課題で、どれだけ大変なことがあっても普通に乗り越えることができたので、本当に良い研修だったと思っています。
この仲間や先生たちとの思い出は、とても鮮明に残っています。1週間ほどの短い研修でしたが、未だにSNSなどで連絡を取り合うほどの良い友人になりました。
研修終了後、4日間ほど入寮開始日まで日にちがあったので、マドンナ大学近くのKarenというホストマザーの家に滞在させてもらいました。毎日気にかけてくれ、入寮にあたって必要な日用品の買い出しにも付き合ってくれて、とても親切にしていただきました。Karenはとても日本の文化や言語が好きで、彼女自身も日本語を生徒たちに教えてくれる程です。英語の日常会話のアドバイスを沢山くれる代わりに、私もKarenの日本語に関する質問に答えるなど、とてもおもしろい滞在でした。Karenの旦那さんのDan、息子のSeanとAustinも沢山サポートしてくれて、本当に感謝しています。入寮してからも何度か食事に行き、よくメッセージもくれた、優しくて親切なホストファミリーです。
入寮をしてからは、入寮の手続きやオリエンテーション、クラス分けテストなど、あわただしいスケジュールでした。マドンナ大学は、看護のプログラムがとても評判がよく、韓国人の留学生たちがとても多かったです。その他にも、色々な国籍の学生が、スポーツをしにこの大学に来ていました。
最初の学期が始まる前に、アメリカ人学生や他の留学生たちと交流して、とても仲良くなりました。一緒にダイニングホールで会話をするのが、その時の楽しみでした。この大学はカトリック系の大学なので、たまにイベントとしてお祈り会のようなものがありました。大学の裏に大きな教会があったのですが、本物の大きな教会を見るのは初めてだったので、荘厳で美しい教会に驚きました。
最初の学期が8月の終わりに始まりました。アジア人が多いものの、ヨーロッパ人や中南米、中東からの生徒と、本当に多国籍なESLの生徒たちでした。Speaking/ ListeningとWritingは一番上のレベルから、GrammarとReadingは真ん中のレベルからのスタートでした。一番上のレベルの生徒は、皆意見をはっきりと言うことができて、自信に満ち溢れていました。その中でもおとなしく発言もできなかった私は、クラスの中では意識と知識レベル共に、全く足りていないように感じました。真ん中のクラスの生徒たちは、のびのびと各々が学習に取り組んでいたので、とてもやりやすかったです。課題の量や難易度も、日本の時よりレベルが上がったと実感しましたが、コー大学の研修のおかげで準備ができていたので、それほど苦ではありませんでした。アメリカ人の学生は、日本の学生に比べて受講している授業も少ないです。しかし、課題やレポート、小テストの多さと、授業一コマの長さから比べると、日本の大学生よりも忙しい学生生活をしているように感じました。最初の学期は、自分のspeakingの能力に愕然としました。単語を知っていてWritingで使えたにしても、Speakingの時になると話せないどころか、使い方や言い回しも知らなかったのです。そのため、色々な会話練習動画を見たり実際に話したりと、練習をしました。それでも、自分のspeakingとlistening能力の向上を見られたのは、後半の学期でしたが、ただひたすら勉強しました。
この上の写真は、私の寮にあるStudy Loungeです。基本的に、ここか図書館で勉強をしていました。ここは、現地学生も留学生も和気あいあいと勉強している場所で、私のお気に入りの場所でした。この学期の途中には、一週間ほどのちょっとしたお休みがありました。その期間を利用して、Thanksgiving dayにはChicagoに旅行に行きました。アメリカならではのBlack FridayやChicagoで有名なピザ、美術館巡りなど、とても充実した休みでした。Chicagoは「風の町」と言われており、風が強く本当に寒かったです。更に、大きな都市ではあるものの、沢山のホームレスを見ました。中には、20代後半くらいの若いカップルのホームレスたちが夜の街でコインを求めたり、路上で寒さに凍えながら寝ていました。どの国に行っても、貧富の差から生まれるホームレスの問題を抱えており、一つの国際問題なのではないかと感じました。アメリカは自由の国、お金持ちの国というイメージがありましたが、ネガティブな面も目の当たりにしました。
私はAmerican Cultureという授業を取っていました。前年の先輩から、沢山この時間にフィールドトリップに行くことができると聞きましたが、結局2つの学期を通して、この授業でフィールドトリップに行くことはありませんでした。しかし、合計で2つのボランティアに参加しました。1つ目のボランティアは、デトロイトの教会の掃除をするボランティアでした。教会は、どうデトロイトの人たちを助けてきたのか、その教会の歴史も丁寧に教えてもらいました。デトロイトは、一度財政破綻をした大都市で、沢山の人が無職になり、ホームレスになりました。未だにそういう影響を受けている人たちの助けとなっている、と知って感慨深い気持ちになりました。2つ目のボランティア活動は、デトロイト南西部に暮らす、貧しいヒスパニック系移民の子供たちと遊んだり、絵本を配ったりするボランティアでした。このボランティアにあたって、ESLのみんなでゲームを考え、どうしたら楽しんでもらえるかを工夫しながら、準備と企画を進めていました。当日は、子供たちも楽しんでくれて、保護者の方にもありがとう、と声をかけてもらえたり、本当に良い経験になりました。子供たちとコミュニケーションを図るのは意外と難しかったですが、意思疎通ができた時は、とても嬉しかったです。
授業としてのフィールドトリップはなかったのですが、International Student Officeの人たちが何度かフィールドトリップを開催していたので、それに何度か参加しました。ミシガン州はリンゴが有名だそうなので、リンゴジュースが楽しめる牧場に行きました。
アメリカ人学生との会話も沢山しました。良い交流の場になりました。アメリカでは、アップルサイダーはリンゴジュースのことを指すそうで、私たち日本人はずっと炭酸飲料だと思っていたので、面白い文化の違いだなと思いました。アメリカでのハロウィン文化も、日本とは違いとても豪華でした。初めて、ジャックオーランタンをホストファミリーに作らせてもらいました。アメリカ人はこの行事は恒例となっているので、ジャックオーランタンの作り方やその道具まで、全てそろえていました。作るのは意外と簡単でした。
11月に入った頃にはすっかり肌寒くなって、雪もちらつき始めました。これがミシガン州では当たり前のようです。11月下旬が初雪でした。ミシガンにいて、秋という季節はとても短く感じました。それでも、美しい紅葉や過ごしやす良い天気は、今でも恋しく感じます。
12月に入ってからは本当に寒くて、ほぼ毎日雪が降っていました。大学の真ん中に位置する大きな池も凍っていました。
授業も終了に差し掛かってきました。中間試験の結果をもとに、最終試験の勉強も進めていました。私の中でそれ以上に心配していたのが、TOEFLです。この結果は、クラス分けのために使われるのですが、私の中では「日本にいたころより、点数が伸びていないといけない」と、自分自身に大きなプレッシャーをかけていました。授業それぞれの成績に関しては、先生たちに褒めてもらったのですが、TOEFLの点数はむしろ落ちてしまいました。今まで勉強しただけ伸びたという経験ばかりだったので、勉強沢山したと胸を張って言えるくらいなのに、こういう結果は初めてでした。アメリカで、ちょっとした挫折のようなものを味わった瞬間でした。やはり、外国語学習は一筋縄では行かないのだなと思いました。最初の学期の日程も終えて、数人のクラスメイトと別れがありました。寂しかったですが、お互い頑張ろうと声を掛け合いました。
冬休みは三週間ほどあったので、マドンナ大学ESLにいる日本人たちで、フロリダ州のMiamiと、カナダのTorontoに旅行に行きました。この旅行をきっかけに、日本人たちの仲も深まり、分かり合えたかなと思います。この旅行を思い出すと、いくつかトラブルがあったり、困ったりすることがありましたが、まだ英語がうまく使えない中で工夫しながら旅行をしたのは、とても良い経験になりました。最初の一週間は、Miamiで買い物やビーチで過ごして楽しみました。フロリダ州は、ヒスパニック系の人口が本当に多かったです。英語よりもスペイン語をたくさん聞いたくらいです。むしろ、働いている人にはスペイン語しか話せない従業員も沢山いました。アメリカにいるのに、とても不思議な体験だなと思いました。フロリダ州は年間を通じて暖かく、リゾート地であるというのがよく分かりました。行く先々でとても混んでいましたが、とても楽しかったです。
その次は、すぐにカナダに移動しました。カナダはミシガン州と同じ気温でしたが、本当に底冷えする寒さでした。
ここでも、買い物や家を借りて、のんびりと過ごすことができました。マドンナ大学周辺とは違い公共交通機関があったので、どこに行くにも困らず、韓国人の友達と待ち合わせて、日本人の方が経営しているお好み焼き屋さんにも行きました。Torontoは多様な人種が住んでいて、どの人種でも住みやすそうに見えました。正月もゆっくりと家で過ごしました。カナダは他の都市でもよいので、また訪れたいなと思いました。
最後の学期が始まり、振り返ると本当に過酷な学期だったと思いました。Writingの最後のレベルを卒業できたので、Research Paper Writingという授業を受講しなければなりませんでした。その他の授業は、ESLの一番上のレベルの授業を受講しました。他の授業での難易度や課題の量はもちろん手ごたえがありましたが、圧倒的にResearch Paper Writingの授業は一番過酷でした。課題の量は圧倒的に多くテストも多かったので、徹夜の日は当たり前のようにあり、英語をこれ以上勉強したくないと思うほどでした。更に、勉強をしても成果が出ないというのも重なり、少し長く続いた軽いスランプのようなものにあたりました。こういう時に、久しぶりに日本語の音楽や映画を見てリフレッシュしました。スランプへの対応の仕方も、自分なりに学ぶことができました。
この学期は、毎週水曜日にConversation Partnerという英会話を練習できるプログラムがありました。このプログラムには、ESL出身の留学生たちやアメリカの学生たちの協力も得て、グループに分かれて決められたトピックについて会話をしていくという内容でした。現ESLの学生も元ESLの学生も、ESLは家族なのだと、とても仲良く親切な人ばかりなので、沢山助けてもらいました。
この学期は結構アクティブでした。友達とデトロイトに野球を見に行ったり、多くのエスニックレストランに行きました。私たち日本人は、韓国人、台湾人と本当に仲が良かったです。政治的な関係は悪化し、韓国の人は日本人のことが嫌いなのではと心配でしたが、お互いがお互いの文化や言葉、人柄が大好きで、今では沢山の数の友人ができました。異文化理解が大切だと思った瞬間でもあります。
私がとても仲が良かった友人も、韓国人でした。彼女はESLの生徒ではなく普通の学生で、年も私より一つ下にも関わらず、よく助けてもらいました。今でも連絡を取り合っている、良き友人です。
授業も大変ながら最後の学期の日程も無事終了し、各先生から成績に関して大変褒めていただきました。苦しい時期を乗り越えて、勉強し続けた甲斐がありました。前期に上がらなかったTOEFLも点数を更新することができて、学業面では自分で頑張ったと言えるのではないかと思います。別れが近づくにつれて、多くの人がマドンナ大学に残るべきだとか、寂しいと言ってくれたので、良い人達に恵まれていたと実感しました。
分かっていても、別れは本当に寂しいものでした。出国する2日前には、ホストファミリーと食事に行きました。あまり打ち解けられなかった男の子兄弟とも会話を沢山することができ、別れ際にも再会の約束をしました。出国前日は、一番お世話になった先生とアラビック料理のレストランに行きました。彼女はイラク出身で、料理のことを詳しく教えてくれました。
お世話にとてもなっただけあって、別れは寂しかったです。次の名古屋学院大学から来る留学生が楽しみだと言っていました。
最後にはなりますが、この留学を通じで学んだことを話したいと思います。もちろん、アメリカに来て運用可能な英会話や様々な国の文化を学ぶことができました。先入観やただの知識から、記憶に残る良い経験や大切な価値観の違いなどを知ることができ、本当に異文化理解は大事なことではないかと思います。でも一番感じたことは、英語というツールを使って、文化や人種、言葉の違いを越えて、コミュニケーションを取ることは素晴らしくも難しい、すごいことなのだなと思いました。住む所も生き方も多様で、一生行くことのない国出身の人だとしても、アメリカで英語を通じて、普通にコミュニケーションしたり一緒に勉強したりして一緒に過ごすことは、実はすごいことで、誰でも体験できることではないのではないかと、そう思いました。この10か月間は新しいことだらけで、学んでしかいない留学生活でした。辛いこともあったけど、もう一度経験したいというくらい、楽しかった留学生活になりました。この10か月という期間で、沢山のことを学べた留学生活をくれて、ありがとうございました。この10が月は、一生忘れられない、人生で貴重な時間になりました。これからも学んだことを活かして、一緒に学んだ友達にも負けずに、頑張りたいと思います。
2017年10月 6日
長期留学報告(コー大学 イヒネ イディアケ)
アメリカで過ごした楽しい時間
私は2016年の8月5日に、アメリカのアイオワ州に行きました。シカゴからアイオワに乗り換える空港では色々な人種の方たちがいて、日本にいる時とはまた違った雰囲気を感じられました。自分が外国人であるということを知っているものの、アメリカではあまりそれは感じませんでした。
シーダーラピッツ空港に着いた時に、ESLの先生として働いているロッドさんという方が、娘と一緒に待っていました。初めて会った時に温かく出迎えてくれて、とても嬉しかったです。空港から学校に向かう途中に見た、外の景色は綺麗でした。道路の幅が日本に比べてとても広く、アメリカ領土はやっぱり広いなと感じさせられました。
学校に着いてESLのアドバイザーのアナさんに会いました。最初のアナさんの印象としては、とても優しい人だなと感じました。着いて早々アナさんが、みんながお腹を空いていると思って、サンドイッチとジュースを注文してくれました。注文が届いて食べ物を見てみると、サイズが日本とは比べ物にならないくらい、とても大きく、最初はびっくりしました。しかし、美味しかったので、全部食べました。
次の日に夏の研修が始まり、最初は課題の量に圧倒されて、寝る時間を削って毎日行いました。研修中に受けた授業の中で、リーディングの授業では、記事を読んでみんなでディスカッションをする、というのが一番楽しかったです。
一つの研修が終わって、次はコー大学に入学するオリエンテーションに参加しました。そこでも、カヌーのイベントに参加したりしました。次に、インターナショナルのオリエンテーションに参加しました。このオリエンテーションでは、様々な国から集まった人たちと交流しました。
8月24日に、正式に学校が始まりました。朝はとてもワクワクした気持ちで、いつもより少し早く起きました。寮から授業のクラスに向かう途中、沢山のリスを見ました。ESLの授業では、先生方はみんな優しくて、丁寧に一つずつ分かりやすく教えてくれました。月曜日から金曜日まで授業があり、日本とはカリキュラムが違って、一つの授業が週2,3回あります。
授業以外の課外活動としては、コー大学では毎週金曜日にイベントが開催されます。ムービーナイト、ブラインドスポット、ボーリング、アイススケートなど、様々なイベントが開かれます。
その他の大きなイベントとしては、インターナショナルクラブ主催のカルチャーショーと、インターナショナルバンクウェットがあります。この2つのイベントでは、様々な国の文化をみんなに紹介します。
また、10月に行われたカルチャーショーでは、ナイジェリアの民族衣装を着ました。日本では絶対着る機会がないと思うので、とても良い経験になりました。印象に残っているショーの一つとしては、アフリカのレゲエダンスがとてもパワフルで、ダンサー達がみんなキレキレだったので、とてもそれが心に残っています。
その他のイベントでは、インターナショナルクラブの活動の一環で、2泊3日のシカゴトリップに行きました。アイオワからシカゴまで、バスで約4時間かけて行きました。このイベントでは、25ドル払って宿泊費・交通費・朝ご飯込なので、大変お得でした。
シカゴでは、名古屋学院大学に留学しに来た留学生とも会いました。みんな元気そうだったので、良かったです。その後に、みんなでシカゴピザを食べました。ピザは美味しいですが、とても分厚いので食べるのが大変でした。ぜひ、家族や兄弟に食べさせてあげたいなと思いました。
その後のイベントでは、サンクスギビングでは、コーで出会った友達の実家であるシカゴの家に行きました。友達はメキシコ人だったので、家の中ではスペイン語が飛び交っていました。アメリカのサンクスギビングシーズンでは、blackフライデーあります。私はこのblackフライデーで、沢山の服を買いました。買ったものは全て80パーセントオフ以上だったので、とてもお得な買い物ができました。日本にはない文化なので、このような催しがあったらいいなと感じました。サンクスギビング当日は、友達の親戚が家に沢山集まって、お祝いをしました。毎回食べ物を食べるたびに、友達のお父さんから「沢山食べてね。」と言われたので、愛を感じました。
サンクスギビング後には、学校全体がテスト週間に入りました。残り2週間を終えて、1学期目が終了しました。
ウィンターブレイクでは、テネシー州のメンフィスに行きました。名古屋学院大学に来た留学生の家に泊めさせていただきました。そこでは、薪わりを体験しました。あまり上手く出来ませんでしたが、良い経験になりました。メンフィス大学にも行きました。ここでもNGUにきた留学生達に会いました。1年ぶりに会ったので、みんな勇ましくなっていました。
メンフィスの後、ノックスビルにある親戚の家に行きました。そこでは、初めてアメリカにいる叔母さんに会ったので、感動しました。家の中で子供たちと一緒にゲームをするなど、楽しい時間を共有しました。
ウィンターブレイクが終わり、2学期目に入りました。前期に比べるとレギュラーの授業がメインとなり、大変な学期でした。しかし、友達やESLのアドバイザーにいつも助けてもらっていたので、何とか授業にはついていくことが出来ました。
授業以外の課外活動では、キリスト教クラブに入りました。毎週火曜日の夜9時からアッパーゲージという所で、クラブのみんなと聖書のある章をピックアップして、みんなでディッスカッションをします。アメリカでキリスト教について学ぶときは、自分の日頃の生活と照らし合わせて学べるので、とても効果的です。前期と後期でカンファレンスに3度行かせていただきました。アメリカで教会やキリスト教に関するカンファレンスに参加すると、子供から大人までいるので、日本とはまた違った雰囲気を楽しめます。日本とアメリカの教会を比べると、人のテンションの高さが違うので、最初は慣れませんでしたが、何回も参加している段々と、慣れていきました。カンファレンスに参加して、色々な人との人脈も増えたので、良かったです。こういう経験を通して、今まで自分の中でなかった考え方や物の見方が変わったので、貴重な経験ができて良かったです。
長期留学報告(華東師範大学 古殿 麻衣)
中国行ったら見える世界が変わった!
2016年9月初旬から2017年6月末まで約1年間、長期交換留学生として中国・上海にある華東師範大学で語学留学をしました。私にとってこの中国での約1年の留学生活は非常に有意義なものであり、自分を今までにないほど大きく成長させた1年であったと思います。
留学を終えた今だからこそ、留学前の自分はあきらかに準備不足だったなと後悔しています。「大学での中国語の講義の評価がすべてS評価だし、現地に行けばすぐに話せるようになって中国人の友達もたくさんできて、充実した留学生活が送ることが出来るのだろうな」と気楽に考えていました。今振り返れば、自分の中国語の力を過信し過ぎていたなと思います。留学初日、中国に着いてすぐにそれを痛感しました。大学の講義で習ったはずの単語や文法が、はじめのうちは現地では驚くほど出てこなかったし、初日に空港に迎えに来てくれた華東師範大学の有志の学生スタッフさんたちが話している中国語は、全く聞き取ることが出来ませんでした。自分が日本で身に付けたと思っていた中国語が、実際には全く身に付いていなかったのだと、留学初日にして天狗になっていた鼻をへし折られ、後悔と反省からスタートした留学生活でした。
時間が十分にあるなら、例えば現地で何年も暮らすということなら、「現地に行けば話せるようになる」も間違いではないと思います。ただ、約1年という限られた時間しかないことを考えたら、「留学は留学前にきちんと勉強して、基礎、土台がある人が行くもの」だと思いました。土台がある人とない人では、スタートラインの違いはその後の努力で縮めることは出来ても、0にはできないと思いました。考えてみれば当たり前のことです。何も分からないまま、自分の本当の実力を知らないまま留学してしまったら、語学力の伸びるスピードに圧倒的な差が生まれるのは当然です。
しかし、留学を終え帰国して留学生活を振り返ると、「充実していた!」と胸を張って言うことが出来ます。それは、現地で悔しい思いをしながら必死に勉強して、留学前の準備不足という反省と後悔をうまくバネにできたからこそ言えるのだろうと思います。始めは、教科書と中国で購入した参考書を使って自分一人で勉強していましたが、話す力が身につかないことに気づいて、大学内の食堂や運動場で自分から中国人の学生に話しかけるなど、あんなに工夫して自分で考えて自分から進んで勉強をしたのは初めてだったと思います。一般的には世界共通語は英語と言われています。当たり前だけど、英語話者はもちろん世界中にいます。しかし、中国語話者もまた世界中にいるのです。それは中国語を母国語とする人ももちろん、華僑として世界中で暮らしている中華系の人々、そして私のように中国語を第二、第三言語として学んでいる人々も含まれます。
留学前、私は「英語は出来ないし、世界中の人と話すなんて無理」「英語が全て」だと思っていました。でも英語に限らず、どの言語でも、その言語を話す人や学ぶ人がいるなら、世界中と繋がりを作ることが出来るのだと、留学をして分かりました。留学をしていなかったら、私は世界中に繋がりを持つことが出来ませんでした。きっと、知り合うことも関わることもなかったであろう国や地域の人々と、繋がることが出来たのです。これは、留学生活で1番大きな収穫だと思います。行きたい国が増えて、その国について知りたいという探求心も湧きました。視野が広がるって、こういうことを言うのだろうなと、今までに味わったことのない感覚を、確かに感じることが出来ました。この感覚が確かにあったからこそ、約1年間モチベーションを保って勉強することが出来たのだと思います。それに加えて、一緒に勉強したクラスメイトや先生方、そして中国人の友人たちには、感謝の気持ちでいっぱいです。中国語を話す訓練が出来たのは、彼らがいたからです。留学が終わっても、連絡を取り続けたいと思える人たちばかりです。約1年という短い時間の中で、素敵な出会いがたくさんありました。そして良い刺激をたくさんもらうことが出来ました。自慢のクラスメイトであり友人です。「あなたと知り合ったから日本に行きたくなった!」と言ってくれた人もいます。私も彼らが住む国に行きたいと思っているし、恩返しが出来たらいいなと思います。中国語をもっと学んで、彼らともっとコミュニケーションが取れるようにと思っています。
留学先で、また帰国してからも必ず聞かれることがあります。それは「なぜ中国を、そして、なぜ中国語を勉強することを選んだのか」という質問です。何度も考えさせられましたが、最終的に私がたどり着いた中国をそして中国語を選んだ理由、それは「中国という国に興味があるから」です。中国の歴史、文化、政治、経済、どれも興味深いなと思います。また、日本で報道される中国と実際の中国の姿には、どれほど違いがあるのかについてはずっと疑問に思っていることです。テレビのニュースやネットニュースを見ていても、「中国」という文字を目にしない日はない昨今の世界情勢。今、中国語を学ぶのは、世界を知るきっかけになると私は思っています。だからこそ、中国という国を選び、中国語を選びました。「中国語を更に学び、中国を学ぶこと。そして世界を知ること。」これが私の留学後の目標です。
今、私はやっと中国語を専攻としている学生、例えば中国語学部や中国語学科の人たちと、同じラインに来ることが出来たところだと思っています。やっと互角に戦えるというか、「中国語を学んでいます!」と言えるところまで来ることが出来たと思っています。しかし、それでもまだ中国語が不自由なく話せるかと言われたら、自信をもってイエスと言えないのが正直な気持ちです。わたしの留学生活は終わりました。でも、留学生活で得た経験や知識を生かすも殺すも、自分自身だと思います。帰国してからは、中国語を聞いたり話したり読んだりする機会は自分で作らないといけなくなりました。帰国後もできるだけ毎日、中国のテレビ番組やドラマを見たり、時間を取ることが出来れば中国人の友人と電話をしたり、中国語に触れることが出来る環境を作っています。帰国直前の自分自身の中国語のレベルより落ちてしまう事がないように、中国で必死に勉強した時のことを思い出しながら過ごしています。留学の前半は、時間がかかって仕方がなかった中国語でネットニュースを見ることも、以前の半分以下の時間でその記事を理解することが出来るようになり、毎日少しずつですが、自分の中国語を確実に伸ばすことが出来ていると思います。これを今以上の質にして、これを続けていけば、留学後の目標として掲げた「中国語を更に学び、中国を学ぶこと。そして世界を知ること。」この目標もまた、少しずつ出来てくると思います。先にも述べたように、留学で得たものを生かすも殺すも自分次第です。これからどうすべきなのか、どのように中国語や中国と向き合っていくのか、それもしっかり頭に入れておくと同時に、自分の専攻である国際協力についても考えながら、日々新しい学びが出来るようにしていきたいと思います。